北海道の由来

 日本にはたくさんの県があります、しかし県ではないところもあります。たとえば北海道です。ここはなぜ北海県ではなく北海道なのでしょうか。今回はそれにまつわるお話を少々。

 そもそも北海道の名付け親は松浦武四郎と言う人です。この松浦武四郎が明治になって北海道の名前を付ける際に色色案を出したのですが、その中のひとつ「北加伊」というのを採用し、それに山陰道、山陽道、などと同じように「道」をつけて北海道としたのです。「加伊」というのはアイヌが自分たちの事を「加伊」と呼んだところからつけたものということですが、「蝦夷」の音読みからきたものであるという方もいます。

 さて、なぜ北海道だけ「道」という呼び方が残っているのかというと、この地域の歴史に由来します。少し前、江戸時代以前において、この北海道という地域は、日本の領域外(行政権が及んでいないという点で)と考えられていました。江戸時代には松前藩というものがここにおかれていましたが(幕府直轄だったこともある)その支配地域はほんの一部であり、かなり大雑把に言えば今日でいう大使館を置いているようなものでした。

 しかし明治になって状況が変わってきます。明治になって西洋諸外国に対し開国するのですが、西洋というのは領土というものについて非常に厳密な文化をもっていました。日本はその中に叩き込まれることになったのです。そのため今まではあまり意識していなかった北海道に対しても、その領有を主張するためにはきちんとした統治をしなければならなくなったのです。また、この土地はロシアと日本の間にあり、国防の点からも要地であり、しかも広大な土地があったため殖産興業の発展のためにも都合がよく、富国強兵をすすめるためにも非常に魅力的な地域でした。そこで明治政府による北海道の開発がはじまるのです。

 政府は北海道に「開拓使」なるものをおき、しばらくの期間開拓を行った後、ほかの地域と同じように県とすることにしました。その結果「函館県」、「札幌県」、「根室県」の3県を作ります。しかし、それまで何もしていなかったところへ行って、いきなり行政を敷き、ほかの地域と同じように運営しようとしても無理な話です。しかも3県による統治はかえって混乱を招き、うまくいきませんでした。

 そこで次に政府が考えたのが、もっと強い権力を持った、総理直属の機関を置き、それに北海道を統治させようというものです。それが「殖民局」です。曰く、「北海道拓地殖民に関する一切の事務を統制」、し、「屯田兵開拓授産の事務を監督す」、組織です。

 時は流れて戦後となり、戦前のような自主権の強い組織ではなくなりましたが「北海道開発庁」としてその流れは続いていきます。そして、現在の「国土交通省北海道開発局」となり現在に至っているのです。

 

やまさんの独り言

 上記の文であるように、北海道というのは誤解を恐れずいえば、「いつの間にか日本の領土になっていた」、ような土地です。しかし、昔から北海道に住んでいた人もいたわけで、その人たちにとって、それが良いことだったのかそうでなかったのか、それはこれから答えが出る問題なのでしょう。

 

北海道情報

県の花 ハマナス
県の木 エゾマツ
県の鳥 タンチョウ
URL http://www.pref.hokkaido.jp/