薬物投与の変遷


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1993年 3月末 入籍

 まもなく次第に元気がなくなる。仕事に行くのも食事をとるのもやっとという状態。
夜眠れないと訴える。
1993年 6月末 仕事に行けなくなる
            精神科で「うつ状態」との診断を受ける
1993年 12月  職場に休職願いを提出
 1日のほとんどを布団の上に横になって過ごす。軽い自殺念慮あり。うつろな目で無表情。
私や両親と顔を合わせるのを避ける。食事は1日1食程度。
2週間に1度の通院以外は家から一歩も外へ出ず。
1994年 1月  入院
 本人は嫌がるが、私や両親の勧めで入院。
私がお見舞いに行こうとすると拒否する。入院中も週に1度は外泊許可をもらい帰宅する。
入院中は病室にいるのが嫌で、よく外出していたとのこと。
1994年 3月末 退院
 入院はどうしても嫌だと訴え、家族に相談することなく自分で退院を決めて帰宅する。
帰宅後は、相変わらず2週間に1度の通院、あとは家から一歩も出ず、横になって過ごす。
自殺を口にすることはなくなった。食事は1日2食程度。

1996年 12月 退職
 休職期間が切れ、やむなく退職。直後はかなり落ち込んでいた。
以後は完全に昼夜逆転の生活。気分の良いときは夜中にビデオなどを観て過ごす。
2週間に1度の通院。状態が悪いときは通院できなくなるときがあった。
1997年 9月 主治医が転勤のため転院
 主治医の先生の遠方への転勤で、本人がかなり落ち込んだため、入院時にお世話になったもう一人の担当医のもとへ転院する。
1999年 冬
 このころから、2週間に1度安定して自力通院できるようになった。また、通院後に本屋やそば屋に立ち寄ったりするなど、外出範囲が少しずつ広がってきた。家の中でも私のやっているパソコンなどに興味を示すようになってきた。気分の良いときは表情も少し明るくなった。
食事は1日2〜3食程度。相変わらず昼夜逆転の生活。夜中に一人で飲酒することが多くなる。

2001年 春
 昼過ぎに起きて、明け方に寝るという生活。
気分の良いときは、通院時以外も週に1度ぐらい本屋やそば屋に一人で出かけるようになったが、私と一緒に外出することはとても嫌がる。
起きている時間も増え、気分の良いときの表情も大分明るくなってきた。しかし、わずかな出来事で落ち込むことも多く、日によって気分の変化が激しい。
夜中に飲酒する回数、量ともに次第に増え、家族は心配するが、本人は一向にやめようとしない。

2001年 夏

 飲酒の量が増える。主治医と私とで飲酒を辞めるよう説得するが一向に応じず。私の仕事中に目を盗んで飲酒を続ける。
クリニックでの血液検査で肝機能等に異常があり、大きな病院での検査を勧められるが本人はかたくなに診療を拒否する。相変わらず昼夜逆転の生活。

2001年8月末 義母(夫の母)が入院

 酒量がさらに増え、通院もできなくなる。薬だけ出してもらい、様子を見ることにする。

2001年10月 義母が退院

 実家に戻り、両親とともに生活。時々気分の良いときに家事(皿洗い等)を手伝う。相変わらず夜中に酒を飲む。

2001年11月末 義母が再入院

 義母の入院した病院に近いため、私とともにアパートでほとんど毎日を過ごす。病状は悪化、以前より横になっている時間が長くなる。私が猛抗議したせいか、私の目の前では飲酒する姿を見せなくなる。しかし、夜中にこっそり飲み続けていたらしい。このころ義父もようやく息子(夫)の飲酒を心配して、実家で家中のお酒を隠すのに協力してくれるようになった。クリニックへは通院できたりできなかったりという状態が続いた。
1〜2週間に1回程度、私に誘われてしぶしぶ一緒に義母のお見舞いに出かける。
義母が危篤の時は、自分から病院に泊まり込んで付き添いをすることができた。

2002年2月末 義母が亡くなる

 義父も心配するほど酒量が増える。葬儀当日の朝も缶ピールを飲むような状態で親戚中で心配したが、なんとか無事に喪主の大役を務めることができた。

2002年3月末 酔った状態でクリニックに通院
          (飲酒がかなり激しくなる)

 フラフラに酔った状態でクリニックに来院し、主治医の先生をにらみつけ「絶対酒はやめない」と話す。
 主治医から連絡の電話を受け、帰宅すると、泥酔した状態であおるように酒を飲んでおり、飲酒を止めると人が変わったように怒り出しにらみつけた。吐くまで飲み続け、ようやく横になっても、何度も起き出して動き回る。足元がふらついてあちこちで倒れ、ふすまやいろんなものを壊す。トイレの壁を何やら怒鳴りながら何度も握り拳で叩き続ける。トイレでしゃがんだまま後ろに勢いよく倒れる。台所の隅に捨ててある空き缶の上に横になる。玄関に頭から転げ落ちる。止めにいくとすごい勢いでにらみつけ手を振り払うので、仕方なく放って置くしかなかった。(直接的な私に対する暴力行為はない。)放っておくと明け方まで泥酔して転びながら部屋の中を動き回っていた。
近くにいる私が一睡もできないほど激しい状態だったが、酒が覚めた状態で本人に尋ねても、全く記憶にないという。酔いがさめると身体中にアザや細かい傷跡がついていて、本人も驚いているようだった。
 その後も、飲酒→泥酔(動き回り)→吐く→寝込む(2〜3日)→回復→飲酒→泥酔・・・というサイクルを繰り返す。
 私が繰り返し治療を受けるように説得しても効果なし。義父にも説得してくれるよう頼むが、義父は半信半疑で動いてくれなかった。

2002年4月始め 義母の49日法要
            別居生活を始める

 飲酒の切れ目に、法要にはなんとか出席することができたものの、その後の宴会には顔を出せなかった。
 49日法要以来、話し合ったわけではないが、なんとなくお互いに夫婦離れての別居生活を始める。(夫は実家で義父と生活し、私はアパートで一人暮らし)
 この頃から、家から一歩も出ず、引きこもり状態を続ける。

2002年4月中旬  私(妻)が主治医の勧めでアルコール
             専門医の相談を受ける

 間違いなく典型的なアルコール依存であろうとの診断を受ける。アルコールの治療は本人に治療の意志がないと全く効果が上がらないとのこと、家族が根気強く説得を続けるしかないとのことだった。本人が治療を受ける気持ちになったらすぐに来院するように指示された。看護婦さんと精神保健福祉士さんが、説得には時間がかかると思うがくじけずやってみてほしいと励ましてくれた。
 実家でも夫が酔っぱらって階段から転げ落ちる、トイレの壁を叩き続けるなどしたため、ようやく義父も事態の重大さに気づき、直接夫に通院するように説得を始めた。しかし本人は同意しなかった。
 飲酒してクリニックに通院した後は一度も通院できず。薬は私が代理で受け取る。

2002年 5月中旬から 薬を服用せず

 自分から全く通院せず。主治医の話では薬が切れてもすぐに命に別状はないだろうということなので、私が代理で薬を受け取る援助を一切打ち切ってみる。

2002年 7月 断薬宣言

 自分から「薬の服用を止めたい」「薬を飲まないで自分の力で生活してみたい」と言いだし、通院も含めて一切の治療を放棄する。
 電話での話しぶりでは、相変わらず元気も気力も湧かない様子。生活は昼夜逆転でほとんど変化はない。全く外出せず、家の中に引きこもる。アルコールを買いに行く気力もない様子で、本人曰く「酒は飲みたいが家にないのでずっと飲んでいない」とのこと。食事は義父が作ったものを夜中に食べたりしている様子。

2002年 8月中旬

 お盆になんとか墓参りをすることができた。また、夕方頃から起きて、甥っ子、姪っ子と遊ぶことができた。その反動か、私(妻)とはほとんど話をせず。「お前のせいで眠れない」と言い、同じ部屋で寝ることも嫌がる状態。

2002年 9月 電話しても無言状態

 私(妻)が夜中に電話すると、一応出るものの、自分からは一言も口をきかない状態。ろくに話を聞かず、すぐに切りたがる。

2002年 9月下旬 私(妻)と会うことを拒絶する

 電話で「週末に(夫の実家に)帰る」と伝えると、「人と会うのは面倒だ。今は誰とも会いたくない。」と拒否する。

2002年 9月下旬〜 電話に出ることも拒絶する

 電話しても一切出なくなる。家族(妻)との一切の連絡を断つ。二階の自室に引きこもり、同居している義父とも一切顔を合わせようとせず。
 義父の話によると、夫の様子は以下のような状態。
  • 完全に2階の自室に引きこもっていて、義父が1階の茶の間にいる間は、ほとんど全くと言っていいぐらい降りてこない。
  • 義父が農作業に出ている間や夜中に、義父がつくったおかずや、自分でそうめんなどを煮て、食べている形跡はある。(冷蔵庫の中の食べ物や、おかず、ご飯の減りぐあい、食器が流しに置いてある状態などからの判断)
  • 4月以来、車は車庫に入れたままほこりをかぶった状態で、全く外出している気配もないようだ。
  • 家中のお酒を隠しているが、今のところ減っている形跡もないので、酒は飲んでいないと思われる。
  • 義父が起きている間(夜10時半頃まで)は、2階に引きこもっていて、ほとんどトイレにも降りてこない。暗くなっても、部屋の明かりは、ほとんどついていないことが多い。
  • 義父が寝るために自室に引き上げると、茶の間に降りてきて、明け方までテレビやビデオを見たり、台所を物色して何か食べたりして過ごしている。
  • 1週間に1度ぐらい夜中に風呂に入っているようだ。
  • 1週間に1度ぐらい洗濯機を回して自分の衣類を洗濯し、干したりもしている。
  • 義父が米をといで炊飯器に入れておくと、いつも頼んでおかなくても義父が農作業から帰る時間帯に合わせてご飯が炊きあがるようにスイッチを入れている。
  • たまにトイレに行くために1階に降りてきたときに、義父が話しかけてみるが、「あー」と気のない返事をする程度で、ろくに話を聞こうともせず、すぐに2階に上がっていってしまう