『盗掘者』

 訪問者も滅多にいない、世界から忘れ去られた島がありました。
道路整備もされていない上に、外海に面して切り立った崖に囲まれています。訪れるにはまず船が必要です。
その国は外界から刺激を受けていない、発展途上とも言える国なのでした。
しかし、島を訪れた二人の学者によって世界でも有数の観光地となってしまいました。
その王国で古代の遺跡が発見されたからです。
 遺跡は立ち入り禁止になっている町はずれの密林にあったので、人々も自分たちの国にこのような遺跡が存在するとは思いもしませんでした。
島民は石組みを使って生活をしていましたが、見つかった遺跡は相当古く、見たことも無い石で出来た神殿都市だったのです。
 この国の王様は自分の先祖が作ったであろうこの偉大で、かつ広大な遺跡を誇りに想い、後世に残そうと会議を開きました。
王様が一番恐れているのは盗掘者の事でした。
「他国の遺跡も相当な被害にあっていると学者から聞いた」
王様がそう言いました。
会議といっても、王様を中心に側近たちが地べたに座り込んだだけです。
「盗掘者は国内にもいる可能性が高いですぞ」
「左大臣、それはどういうことか」
丸々太った左大臣に、王様が尋ねました。
「はい王様、隣国では遺跡の近くの村に住む村人の家が、代々盗掘を行っていたようです。我が国にもその可能性が」
この左大臣は数年前に少し離れた島から来た外国人でした。
彼がいた島にはテレビが数台あったので、テレビが無いこの国の人間よりは知識があったのです。
「それは私も聞いたことがあります。彼らはそれを学者などに売りつけるそうです」
右大臣が頷いて言いました。
「己の国を他国の者に売りつけるとはなんと愚かな……」
王様は溜息をもらしました。自分の国にそういう人がいたら、と想うと不安になったのです。
「私が心配しておりますのは、あの二人の学者です。この島にあの神殿がある事を解っていて見つけにやって来たような気がするのです。杞憂なら良いのですが」
太った左大臣はそう言うと、大きな葉の上に置かれた蒸し菓子をつまんで口に運びました。
王様の前にもお酒が入った石の器と大きな葉に包まれた菓子が置いてありましたが、全く手はつけていません。
「まず警備を強化しよう。城の守衛を割いて遺跡に向かわせなさい」
王様の一言で会議は終わり、右大臣と左大臣は一礼して部屋を去っていきました。
 硝子もはめこまれていない、くりぬいただけの窓から生暖かい風が入り込んできます。
焼きレンガの壁が太陽熱を遮断してくれるので、城の中は快適です。
何かに急かされる事も無く時間はゆっくりと流れる国でしたので、王様は穏やかで物事にゆったりと構える人柄です。
国民も畑仕事をしながら自然と共に毎日を過ごし、外界を気にせず自分達の世界を愛しています。
それでも王様は遺跡の発見によって何かが大きく変わってしまうような危惧を感じて、ため息をもらしました。

 盗掘者こそ出ないものの、日に日に観光客の数は増えていきます。王様は気になって、遺跡に出かける事にしました。
報告を受けた時に一度見に行きましたが、外観だけしか見ていなかったのです。それに、外国人が多く来ていると聞いては何かと心配でした。
王様は馬に乗って城を出ました。
 森の前にある村に着くと警備の者は王様の姿を見て驚きましたが、黙っているようにと口ぞえして馬を預けました。
外国人の来訪が多くなった今では、供の者を付けるより一人でいる方がずっと安全に思えたからです。
密林の入り口には観光客目当ての屋台が立ち並んでいます。
何百年も立っていた立ち入り禁止の立て札は取り去られ、土に差し込まれていた穴だけが残っていました。
王様は自分とは違う白い肌をした観光客の中に紛れ込んで密林の中へ入って行きました。
 じめじめとして蒸し暑い森の中では風が通りにくいようです。観光客の声に混じって遠くから波が断崖に打ち付ける音が聞こえます。
王様は蔓や背の高い草を掻き分けながら進みました。
15分くらい歩くと、地面から生えた木のように立つ、石の柱が見えるようになりました。
やがて、王様は観光客が群がる遺跡に辿りつきました。
 灰色と黒色の石組みはぴったりと合わされ、少しも隙間がありません。壁に寄り添うようにして木が覆っています。
王様は参道のような石畳を歩き、突き当りの階段を上って、遺跡の頂上に行きました。
すでに異国の男女がそこにいました。
顔つきは王様の国の人間に似ていますが、体全体を色のついた衣服で覆って身だしなみが綺麗な事が相違しています。
王様といえば冠を被っているわけでも無く、上半身裸で小麦色の肌を露にし、腰に紫色の布を巻きつけているだけです。
女の人には彼が王という高貴な身分であるようには見えず村の若者に見えたのでしょう、片手にデジタルカメラを持ちながらこの国の言葉で話しかけてきました。
「ねえ、この遺跡って何ていう名で呼ばれてるの? テレビではこの辺の島々が一つの大陸だった時の遺跡の一部だって騒いでいたけど」
王様は明らかに外国人だと思っていた女の人が、自分の国の言葉を話した事に驚きながらも答えました。
「私にも解りかねます。わが国の歴史書にも記載されていませんでしたから」
「ふうーん、そう。地元の人にもわからないんじゃあ、ラボの人間に任せるしかないわねえ」
女の人は腰に手をやると、王様の知らない言葉で言いました。
すると、階段の下を覗いていた男の人が二人に近づき、女の人に言いました。
「おい、里香、この人何だって?」
「えっとね、この国の昔からの本にも載っていいない遺跡で、解らないんだって」
男の人は鼻を鳴らして笑いました。彼にとってこの国の気候は慣れないのか、汗が額いっぱいについて顎の方へ流れています。
女の人は気になったようで、ジーンズのポケットからバンダナを取り出して彼の汗を拭いてあげました。
「……しかし」
二人の様子を見ながら王様は言いました。
「この遺跡が大体何であるかは見当がついています」
「へえ、で、何なの?」
女の人は目を丸くして尋ねました。
「これは手に入れてはならないもの。私の先祖は高度な文明により栄え、そして滅んだのです。だからそっとしておいてやりたい」
そう言うと王様は中央にある祭壇の方へ近づいて、石に刻まれているレリーフを調べだしました。
 王様の背中を見ながら、若い男女は話し始めます。
「おい、何だって新婚旅行先をここにしたんだよ。娯楽施設もホテルもバーも無い所だぞ」
男の人はうんざりとした顔付で、声をひそめて言いました。
「あるじゃない、遺跡が。しかも、まだ誰も手を付けてないのよ」
両手を広げて、女の人は声高く誇らしげに言い放ちます。男の人は片手で顔を覆いました。
「ここまで仕事を持ち込まないでくれよ……」
「あら、旅行から帰ったら貴方もレポート出すのよ?オメガ社の研究所が先に手を出したら大変だってうちの支部長が言ってたじゃないの」
「だからってな、今は……」
二人の会話は、微笑ましい恋人同士の痴話げんかとして王様の目に映りました。
 祭壇とおぼしき石が遺跡の中央に置かれている為に神殿と見なされているだけで、周りに神の像等はありません。転がっているのは土器や葉ばかりです。
祭壇は人間が一人横になれる幅と長さでした。その上に、一枚の石版が置いてありました。
文字のような絵柄が刻まれています。王様の時代に使われている文字ではありません。
幼い頃に父王から教わった、王家のみに伝わる古代文字でしたので、何が書いてあるのか理解できる自信は十分ありました。
石版を持つと、見た目よりとても軽くて王様は意外に思いました。王様は、一つ一つ文字を確かめながら読んでいきます。
読み終わらないうちに、王様の目から涙が零れ落ちました。
「何て事だ……そんな……」
そうつぶやくと、王様は石版を抱えたまま階段を降り始めました。
 遺跡は大きくて、全てを見終わるのに半日以上かかりました。
居住区の跡とみられる石組みが神殿を囲むようにして作られた円形都市だったようです。
水路の設備も十分だったようで、王様は自分の国よりも発達していた時代の王はどんな人間だったのだろうと思いました。
そして、自分の先祖と自分の時代を比べないわけにはいきませんでした。
 日が傾き、王様はお城に戻りました。
脇に石版を抱えた王様の姿を見つけると、太った左大臣が出迎えました。
「王様、報道関係の者と考古学者が参りました。王様はお出かけになりましたと答えましたら、明日また来ると申しておりました。如何いたしましょう?」
「報道関係とは一体何だ?」
テレビを知らない王様は尋ねました。
「他の国の様子を自分の国に伝える、使者のようなものです」
「では午前中に他国の使者、学者は午後から会おう」
その言葉を受けて大臣が頭を下げると、王様が石版を抱えている事に気づきます。
「良いのですか?」
「かまわぬ。あの遺跡で金目の物が手に入らぬ事が今日解った。盗掘の心配もあるまい」
大臣は額にしわを寄せて言いました。
「……ただの神殿の遺跡なのでしょうか?」
「石版の文字が読めぬものはそう思うだろう」
王様は大臣を突き放すようにしてそう言うと、暗くなった回廊を歩き始めました。
 左大臣は王様が自分の寝室へ戻っていく姿を見守っていましたが、様子がおかしいことに気づきました。
いつもの威厳が感じられなかったのです。 今の王様からは精気を感じません。
(一体、あの遺跡には何があったのだろう? あれは一体何なのだ?)
左大臣は思いました。
しかし、王様以外の王族の者でも古代文字を解読出来る者はいないので、彼に解る筈もありませんでした。

 次の日、15人の新聞記者やテレビ局の者が、王様がくつろいでいた中庭に詰め掛けました。
城にいた者は皆珍しい物を見たかのような顔をしています。特に、王様に差し出されているマイクや、男の人が肩に担いでいる機械が気になっているようです。
兵は王様でさえ知らないものを沢山持っている外国人を遠ざけたいと思っていましたが、我慢しています。
 質問の内容は、皆ほとんど同じでした。
そして、王様が答える事もほとんど同じです。
「あの遺跡はJ国の加藤教授が発見したとの事ですが、王国はこの遺跡の存在に気づいていましたか?」
一番前の席に座っていた男の人が、王様にマイクを向けました。
「まったく存じ上げませんでした。あの密林は獰猛な野獣が住む聖域として昔から進入を禁止されていましたから、我が国民も少々戸惑っているようです」
「生物学の権威、パルマー教授の調べでは現状としてそういった動物の確認はとれていないとのことですが、祖先の方々が遺跡を守るためにデマを流して進入を禁止したと考えられますか?」
(デマとは何て無礼な!)
男の人の不躾な質問に王様は怒りを覚えましたが、ぐっと抑えました。
「解りません。先祖がそのような配慮をしたとも考えられますが、昔は何か危険なものが生息していたのかもしれません」
王様がそう答えると、隣の若い女の記者が目を輝かせて尋ねました。
「例えば、遺跡を守護するガーディアンとか?」
「解りません」
そっけない王様の答えに失望したように、その記者は奥へ引っ込んでしまいました。
 王様は王座の横に置かれている石のサイドテーブルを横目で見ました。砂時計の中の砂は、すっかり下に落ちています。
約束の時間が過ぎたので王様は椅子から立ち上がり、歩き出しました。
すると、それに合わせて記者たちが団子状に後を追ってきます。
「国王さま、最後にもう一つ!」
団子状になった後列から、先ほどの若い女の記者が声を張り上げて王様を呼び止めました。
それがなんとも気の毒だったので、王様は立ち止まりました。
「神殿の祭壇にあった石版に刻まれていたのは何ですか?昨夜何者かによって持ち去られたようですが」
王様は息を飲みました。
「この国の古代文字です」
それだけ言うと、王様は中庭を後にしました。
 記者達はまだついてきて何か質問をしてきましたが、王様はもう何も答えませんでした。
しつこく付きまとう記者たちを押さえようと、槍を持った衛兵が出てきます。
お城の長い回廊にさしかかった時には、王様の側近たちが彼らを追い払っていました。
王様はたいそうお疲れの様子です。目に暗い光を灯し、姿勢悪く項垂れました。
 昼食の時間になると、慌しい足音は消えていました。記者達は諦めて城から出たようです。
王様は王子と美しい巻き毛を持った王妃と共に昼食を取り、少し休んでから午後の会見に臨みました。
(今度は学者だ。あいまいな返答ではすまされない。あの石版を中心に聞いてくるに違いない)
そんなことを中庭の長椅子で横になりながら考えていると、学者たちがやってきました。
 王様は鳥の羽で作られている大きな扇子を扇いでいた二人の召使に、下がるよう目で訴えました。
二人の使用人と入れ違いに、学者が王様の前に立ちました。
この国の人間に似た顔立ちをした男と、鼻の下に髭がある白い肌をした男です。白い肌をした男は被っていた帽子を取り、一礼しました。
二人とも20代くらいの若さです。
「私はウォーレン。B国の製薬会社オメガに勤める者です。こちらは加藤教授、J国の考古学者です」
加藤教授は紹介されると、鋭い目つきを伏せて頭を下げました。
「何か新しい発見はありましたか?」
王様は二人に座るよう手を差し出しました。石の床に、葦で編まれた座布団が二枚置いてあります。二人の訪問者は胡坐をかいて座りました。
「何もありませんね。せっかく立ち入りの許可をいただいているのにもったいない限りです」
加藤教授が言いました。澄んだ声をしていますが、何処か棘のある話し方です。
「しかし、こうして王様とじかにお会いできるなんて光栄なかぎりです」
顔を紅潮させてウォーレン教授が言いました。
ウォーレン教授の顔からは笑みがいっぱいにこぼれています。とても人柄が良さそうな温かい微笑をする人です。
彼がそこにいるだけで空気が和やかになったようでしたが、加藤教授はそれを刃物で切り裂くように言い放ちました。
「単刀直入に言いましょう。石版には何が書かれているのですか?」
王様は用意していた答えを言いました。
「私は公表する気はありません。それがあの石版を刻んだ者の意思ですから」
「今後も気は変わりませんか?」
ウォーレン教授が本当に残念そうに、上目使いに言いました。
「変わりません」
胸を張って、王様は言いました。口を一文字に閉じています。
「では交渉に入りましょうか。水道設備と電気を整えて差し上げましょう。必要ならば島民全てに電化製品が行き渡るようにも。我が社オメガの財力とコネをもってすればいとも簡単な事です」
持っていた銀色のアタッシュケースのロックを外し、蓋を開けて加藤教授は言いました。
「交渉ですと? 何を勝手に!」
王様は書類を出した加藤教授に怒鳴りました。
書類と万年筆を石のテーブルに置くと、加藤教授は王様をまっすぐ睨み付けました。
「ですが、水は雨水と枯れかかった池に頼っているのでしょう? お困りの様子とお見受けしましたが」
王様は黙っています。
まるで脅迫しているかのような口ぶりの加藤教授に対し、ウォーレン教授は一呼吸置いてからゆっくりとした口調で話し始めました。
「遺跡には幾つか貯水槽がありましたね。当時の気候は今よりも温暖でしたので雨はよく降ったようです。しかし今と違って水路設備は整っていました。今は……」
ウォーレン教授の話を遮って、王様が言いました。
「貴方は、我が先祖の時代よりも我々の社会が遅れていると言いたいのか」
「いいえ、何かお手伝い出来ればと」
にこやかな表情を崩さずに、ウォーレン教授は言います。
「結構です。我々は今の生活に困っておりません。先祖代々受け継いできたもので十分なのです。我が国に混乱を招くことは止めていただきたい」
二人の教授は顔を見合わせました。加藤教授は黙ってアタッシュケースの中に書類をしまいます。
「お帰り下さい」
王様が立ち上がってきっぱり言うと、客はしぶしぶ立ち上がりました。
 中庭を出掛かったとき、加藤教授がつぶやきました。
「石版の写真は発見した時に撮影しておいた。何も隠し事は出来ないぞ」
王様は言われた意味が解りませんでした。知らない言葉だったのです。神殿で会った男女が話した言葉と同じような響きがありました。
今日最後の客は静かに帰っていきました。
王様にとって、こんなに多忙で神経を使ったのは即位の日以来でした。
 廊下で控えていた右大臣と左大臣が顔を覗かせました。
出口に向かって回廊を歩く二人と、王様の顔とを交互に見ています。
「案ずるな。決して売ってはいない。あの文字を知るのはこの世で私しかいないのだ。彼らは何も得ていない」
王様は臣下に心配させまいと、王座に座りなおして言いました。
「あの古代文字についての知識は十分に備えておる。先祖の意志も眠りについていた遺跡の意志も私は受け継いだ。私は国王としてこの国を守るのだ。先祖の記憶とこの国の未来とを」
二人の大臣は畏怖の念にかられ、深々と頭を下げます。
太った左大臣は精気の抜けたような王様では無いことを実感しました。
彼には遺跡の秘密は解りませんでしたが、王様は国民を守るために大国と戦ったのだと思い、改めて王様の叡智と判断力に心を打たれました。

 世紀の大発見と騒がれたこの遺跡も、次第に人々の興味を失っていくようでした。
あれから数人の学者が来ましたが、王様と交渉しようとする輩は現れませんでした。
ほとんどの学者が、純粋にその遺跡を見に来たくてやって来ただけだったようです。
あのオメガ社の名を語った学者以外には。
幸いな事に、隣国のような盗掘者は現れませんでした。
 王様はほとぼりが冷めるまで遺跡の警備を怠りませんでした。そして、その間自分は石版の解読に努力していました。
観光客が少なくなってきた頃、王様は王子を伴って遺跡を見に行きました。手には石版を持っています。
「遺跡の表面は溶けたみたいになだらかな部分もありますね。ガラスみたいです」
都市を囲む外壁を見て王子が言いましたが、王様は黙って神殿の方へ行きました。
 季節は初夏です。頂上まで上る間に、汗が噴出してきます。
暑さでふらついた王様を、若い王子は支えます。頂上へつくと王様は王子の手から離れ、祭壇の基礎を調べました。
「父上、何をなさっておられるのです?」
祭壇に手をつき、屈み込んだ王様の顔色は良くありません。
「石版に書いてあることが本当ならば……」
神殿の床と祭壇の根元部分が接している場所に、丁度石版と同じ大きさのくぼみがあります。
王様はその場所に石版を置き、強く押し込みます。すると、祭壇が横にスライドしました。
「父上!」
王子は駆け寄りました。王様と王子の足元には下へ続く階段が見えました。
 入り口は薄暗く、奥は真っ暗で何も見えません。何処まで続く階段かも解りません。
「このピラミッドの中は空洞なんですか」
「ピラミッドだと?」
王子の言葉に、王様は聞き返しました。
「はい、学者達がそう呼んでいました」
王子は平然と答えます。
王様は腰にさしてあった松明に火打石で火をつけました。
火花が散り、一瞬だけ激しく燃えます。
「お前はそこで待っていなさい」
王様はそう言うと腕を伸ばし、階段の入り口に松明をかざしました。
火は消えません。
空気がある事を確かめながら、王様は一歩踏み出しました。
「父上、私もお供します。どうかお一人で悩まないでください。私も時代の王となる身です。皆を守っていく義務があります。ですから……」
王子は王様の腕をつかんでそう言いました。王様が振り返ると、真摯な眼差しで自分を見つめる王子の目に心が動きました。
「解った」
王様は短くそう言い、二人は階段を降り始めました。
 ピラミッド内部の黒い光沢を放つ壁が、炎に照らされてゆらめく影を作り出します。
階段は四方の壁に沿って続いていました。
奥へ進むにつれて、息苦しさが増しました。松明の炎も小さくなっています。
王様が引き返そうと思ったとき、階段を下りる足に何かが当たりました。それを乗り越えると階段は終わって、広間に出ました。
 かすかな光で目にしたものは、おびただしい死体が散乱している様子でした。
二人は息を呑みました。酸っぱいすえた臭いが部屋全体にたちこめています。
「まるで追い詰められてここに逃げ込んで……そのままここで果てたようです」
王子が抑揚の無い口調で言いました。
集団の墓場とも言える凄惨な光景に、王様は目を背けたくなりました。
ミイラ化しているものもいれば完全に骨になっている死体もあります。衣服はぼろぼろになって、皮に張り付いています。
大人だけではなく、布に包まれた赤ん坊も、お母さんに抱かれた子供もいました。
這って階段を上ろうとしたまま果てた者もいるようです。王様の足が引っかかったのは、死体だったのです。
折り重なるようにして死んでいった人間が、何百年何千年という時代を超えてようやく子孫の目に触れました。
「一体何があったのだ。戦争か? 他島から別の種族が攻めてきたのか……?」
王様は死体と死体の間を縫うようにして広間を歩き始めました。
 松明を壁にかざすと、ボタンがいくつもあります。何かの装置のような仕組みもありました。それらは全て不気味な光沢を放っています。
この墓場には、ここに死んで横たわっている人間達がつい先ほどまで生きていたような、そんな暖かさがありました。
壁の一角に、鋭利な刃物で切り抜いたような穴が開いていました。引きちぎられたような管が垂れ下がっています。
そこには何かあったように見えますが、そこに当てはまる大きさの物は見当たりません。
「父上、靴跡があります」
積もった埃の上に、新しい靴跡がありました。裸足の足跡ではありません。
外国人が付けた跡だとすぐに解りました。
王様は脳裏にかすめたものがありましたが、それを認めたくなかったので打ち消してしまいました。
「父上、ここは空気が少ない。戻りましょう」
王子に引っ張られるようにして、王様は階段を上り始めました。
 外に出ると、二人は思いきり何度も深呼吸をしました。
呼吸困難に陥ったように脂汗が出ていたので、新鮮な空気を吸えて生き返った気持ちでした。
王様は石版をいじりました。いろいろ試しているうちに、祭壇が元の位置に戻って階段が隠されました。
しばらく二人は口をききませんでした。頭にピラミッド内部の光景が焼きついて離れないのです。
沈黙を破ったのは王様の方でした。
「太古、わが国は非常に発達した国だったのだ。この遺跡がそれを物語っている」
密林を通って古代都市に風が届きました。爽やかな風は高まった二人の体温を下げ、漆黒の髪を揺らします。
「私たちは本当に彼らの末裔なのですか? 何故彼らは滅んだのです。私が小さい頃から教えられてきたこの国の創世神話はどうなるのですか?」
王子は困惑した顔で王様を見上げました。
「お前にも教えよう。王家に伝わる古代文字を。そして……我々の先祖が起こした過ちを二度と起こさないよう伝え続けていけ」
王様はまだ十五の誕生日を迎えたばかりの王子の肩に手をそっと置いて、優しく微笑みます。
王子は強く頷きました。
 遺跡からの帰り道、王子は楽しそうに神話を歌いだしました。
赤ん坊の頃から母親に歌われるうちに覚える、この国の民なら誰でも知っている歌です。
「卵がね卵が割れたんだ
そりゃあもう破裂したみたいに爆発したんだ
びっくりしてそうやってアズカ父さんとイーヴル母さん生まれた
アズカ父さん子供たちに沢山分けた
お家もお皿も壷も、火の使い方も
でもアズカ父さん食べ物ダメにした
それで天からお怒り受けてアズカ父さん死んだんだ
まぶしいきれいな光で島も死んだんだ
イーヴル母さんアズカ父さん死ぬまで隠れてた
ずっとずっと長い間待って泣いていた
イーヴル母さんはアズカ父さん嫌い
でも今はアズカ父さんが愛した島で暮らしてる……」

 遺跡が発見されてから五年が経ちました。
テレビで、J国の考古学者が古代遺跡に刻まれていた古代文字を解読することに成功したと報道されました。
その文字は遠く離れたポリネシアに点在する島々に伝わる象形文字と、非常に良く似ていたそうです。
発表と共に、遺跡から勝手に持ち出された遺物に関して問題提起がなされていました。
どうやら、王様の国を訪れた二人の考古学者が、対立する会社から非難されているようです。
しかしそのニュースを見ても誰もたいして気に留めませんでした。毎日の忙しさで、遺跡の事をすっかり忘れていたのです。
 世の中は人の都合の良いように作られていき、底なしの沼に落ちるかのように現代文明はめまぐるしく発達していきました。
環境の破壊が進み、何かせずにはいられない人と、何もしないで自分達の国が住みにくくなるのをただ待つ人に分かれました。
事が起こったのは、人が自分たちの社会に酔いしれていた、その時でした。
J国を植民地として支配下に置いていたA国の都市が眩い光と共に、一瞬にして消え去ったのでした。人々が恐怖に慄いたのは言うまでもありません。
消えた国があった場所には、草木一本残らず岩山は溶けていました。何も育たない死の国となったのです。
混乱と恐怖の渦と化した世界で、無事だった人々はこぞって身を隠しました。その中には、過去に起こった戦争のお返しだとあざ笑う者もいました。
それから数日して、J国から一つの独立国家が誕生しました。
もともとは世界に支社を構える製薬会社でしかなかったのに遺伝子操作をした人類で軍隊を作り、国を消滅させる破壊兵器を操る、恐るべき独裁制の国家となったのです。
その国の名はオメガといいました。
「父上、こうなる事を貴方は予測していたのですか」
成人した王子は今や国王となって、父親の眠る墓の前にいました。
 王様のお墓は、彼の望みどおり遺跡の前にありました。功績を称える石碑が建てられ、その下に王様は永い眠りについています。石版と共に。
「私は貴方との約束を守れそうにありません。あの文字の知識は私の代で途絶えるでしょう。やがてこの時代も先祖が栄えていた時代と同じ末路を辿る。あんなに文明が発達していた彼らの時代にも阻止する事が出来ずに滅んだのですから」
王子はそう言って、ピラミッドを見上げました。
かつて王様と共に降りて行った内部の様子を思い出しながら、祭壇への階段に触れました。
それは、石でもありませんでした。
これだけ暑い気候の国だというのに、ただ冷たい感触が指先を通して伝わってくるだけです。
対話の出来ない石でした。広間で死んでいった先祖と同じように、もはや過去の産物です。
新王にはそれがひどく悲しく、やるせない思いになります。露になった先祖の末路によって、彼の未来に深い影を落としているのです。
「あの学者二人が我々の未来まで奪う輩だとは、誰も予想できなかった。しかし彼らは盗掘者と同じだったという事に早く気づくべきだった。いや、盗掘者達よりも恐ろしいものだという事に」
新王は目頭が熱くなって、顔を片手で覆いました。
彼はこれから、すさんだ世界の片隅に生きる民を守っていかねばなりません。それは大変な重圧でした。
 年老いた右大臣が密林から姿を現しました。
「王様、またここにいらしたのですか。オメガ国の軍隊の方はもう謁見の間においでですよ」
新王は涙を拭ってお腹に力を込めました。そして、凛とした声で言います。
「今行く」
若い王様は拳を握り、遺跡を背に歩き出しました。琥珀色の双眸は戦場に赴くような強い眼差しでいます。
彼が去ってしまうと暗い密林に残るのは、人々の行く末を見守るかのようにひっそりと立つ遺跡だけでした。

≪THE END≫

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