台湾での私の「教え子」はほとんどが学生だったので、「当兵」は良く話題になった。台湾で生活し始めて間もない頃は、日本にないこの制度に興味津々で、初対面の男性にも「何軍に従軍したの?」「戦車に乗ったの?」と無神経に訊いていた。
時々、「僕は「不用当兵」だった。」と顔を曇らせる男性に出会うことがあった。後に30代半ばの友人(女性)から、彼女の世代は子どもの頃から「男子は兵役に就くもの」「愛国者なら兵役につくのは当たり前」「もし『不用当兵』と判定されたら、それはとても恥ずかしいこと」と教育されていると聞いた。
兵役に対する考え方は、変わってきている。20代前半の人達は、兵役に対して「時間の無駄」「行かなくて済むならその方が良い」と思っている。「不用当兵」だったある台湾朋友は、「いやぁ、本当はお国のためにこの身を犠牲にする覚悟はあるんだけどね」なんてしらっとした顔で冗談を言う。
99年夏、兵役を目前に控えた彼らは、かなりナーバスになっていた。退役するまでは将来のことなんて全く考えられない。大学3年の冬から就職活動をする日本の学生とは違う。
ここでは、今従軍中の友人や既に退役した友人から聞いた体験談を紹介する。私は軍事マニアではないので、彼らがどんな任務を遂行しているのか聞きもしないし、聞いても分からない。以下は雑談の中で出てきたお話。話者も聞き手も特別な意図は持ち合わせていないのであしからず。
海軍陸戦隊に従軍したL君は、身体検査で「甲」判定が出た。「甲」は言うまでもなく「ひとつも悪いところのない身体」を意味する。この判定を見て彼は、自分は憲兵になるだろうと予想していた。彼が慈湖(蒋介石の眠る場所)に案内してくれた時、たくさんの憲兵を見かけたが、その時彼が「憲兵は訓練が厳しい。でも、死ぬことはないからましだ。海軍だったらいじめられて船上から海へ放り込まれたらおしまいだ。残った者が口裏を合わせて『彼は自分で飛び込みました』と言えば調査もされないだろう。」と話していた。
結果は―大方の予想に反して―彼は海軍陸戦隊に従軍することになった。後に話してくれたが彼は入隊前に『プライベート・ライアン』を見てがっくりきたそうだ。あの映画は、海軍陸戦隊の兵士が上陸を試みるが、次々に敵の銃弾に倒れる衝撃的な映像から始まる。私もあの映画を見てL君のことを思い出し、憂鬱な気分になったが、何と本人も見ていたとは。
久しぶりに彼に会ったのは入隊後約一年たった昨秋。髪型が「平頭」になった以外は以前と変わらなかった。入隊直後の数ヶ月はきっととても大変だったのだろうが、現在は「兵」から「士」へと昇格し、30~40人の部下がいると言う。軍隊生活も残り約半年となった今は以前とは比べ物にならないほどラクなようだ。「もし兵役が1年だけだったらみんな発狂すると思う。2年目に新兵をいじめることができるから、みんなやってられるんだ。」と、彼は冗談を言う。
入隊直後の訓練は相当きつかったらしい。また、食事も先輩が美味しいところを持っていくので、お腹がすいて仕方なかった。家から届く果物が待ち遠しかった。休暇で帰省すると食いだめをするかのように良く食べたそうだ。今は・・・もちろんお腹いっぱい食べられる。
彼は頭も良いし腕っ節も強い(たぶん)から、絶対に他の兵士になめられたりしない。でも、中には過酷な訓練に耐えられず、おかしくなってしまう人もいる。彼の部隊でもおかしくなって上官を殺してしまった兵士がいた。まだ若く、子どももいたそうだ。日本では20代前半でそこまで追い詰められる経験をするなんてちょっと考えられない。
部隊の中には本当に色々な人がいると言う。なかでも自分の名前以外全く字の書けない「弟兄」に遭遇した時は驚いたそうだ。台湾は日本よりも受験競争が激しいという印象を持っていた私は、にわかには信じられなかった。彼も実際に会うまでは信じられなかったと言う。
台湾の軍隊=最新式の兵器を購入し、大陸の軍事力とバランスをとっている「=台湾軍はリッチ」と言う図式が、具体的な根拠もないまま私の頭の中にあった。彼に軍事施設ってリッチなんでしょ、と聞いたら、「リッチ?僕が使っている『水壷』(水筒みたいなものかなぁ、会話している時は漢字が頭に浮かぶとそれで良しとしてしまうので、あとで振り返ると本当はどんな物なのか良く分からないことがある)は、朝鮮戦争時に米軍が使用していた物だよ。」と話してくれた。
昨夏、唐飛が行政院長を辞職した時、台湾マスコミは「これで軍隊の士気が低下すること間違いなし!」と声高に叫んでいたと言う印象があったので、春の政権交代と唐飛の行政院長辞職が、現場に与えた影響について聞いてみた。彼の答えは「没有変化」だった。彼は感性が鋭いので、もし変化があれば
必ず気がつくはずだ。台湾のマスコミって現政権に不利な報道ばかりしてるのかな??
先日Lママから手紙をもらった。L君の写真も同封されていた。彼は軍服を着ていた。前回彼に会った時普段は持ち出すことのない軍服をわざわざ持ってきて私に見せてくれた。迷彩服なので一見したところ陸軍かな、と思う。彼によると、海軍陸戦隊の迷彩模様は陸軍のそれより小さいそうだ。ちょっと注意すればすぐわかるらしい。
99年秋、台湾朋友が来日した折、仕事の休みを利用してあちこち案内をした。ある日、彼らを案内して箱根の彫刻の森美術館へ出かけた。入場するとすぐに芝生の上にうつ伏せになっている人方の彫刻がある。これを見た元落下傘兵の彼が「こういうの、俺、見たことあるよ!」と言う。「どこで?」と聞いたら、「俺が落下傘兵だった時、訓練中にある弟兄のパラシュートが開かなくて地面にたたき付けられて死んだ。その時、ちょうどこんな感じだったよ。」とあっけらかんと言うのだ。・・・一瞬どう反応したら良いのかわからなかった。
落下傘兵など訓練が厳しい部隊は原住民が多いと本省人の彼は言っていました。地元にいても良い就職口が見つからないのも一つの原因だと彼は分析していました。私の友人は訓練で腰を痛め、その後金門島へ移籍しました。
公園を歩きながら、兵役中に不幸にして死亡した場合の、家族に支払われる国家賠償額について話した覚えがあるが数字に弱い私は忘れてしまった。最近は以前よりは補償額が上がっているらしい。彼が従軍していた頃は、国家賠償だけでは葬式も出せないし、お墓も作れない微々たる額だったそうだ。・・・いざ文章にすると、自分の数字記憶能力の著しい欠如に怒りを覚える。
99年秋から「教え子」の一人、C君が空軍にいる。当初は空港の傍の基地にいた。彼は軍の中にある、将校専用のバーで「服務員」をしていた。彼のように大学を卒業して入隊した人は戦闘機を操縦する訓練は受けないそうだ。戦闘機に乗るためにはもっと若い時から専門の学校へ行き、訓練を受ける。軍校の開校記念日に基地に行けば彼らが使用している設備の一部を見たり、説明を聞いたりすることができると言う。日本には軍隊が無いと教育されそれを信じてきた、しかも乗り物に全く興味が無い私にとっては、彼らが話してくれること一つ一つが新鮮だ。 入隊して約2ヵ月後、空軍の制服を着た写真をメールで送ってくれたのだが、写真を見て非常に驚いた―痩せてる!彼によると、2ヶ月で12キロ痩せたそうだ。「服務員」ってそんなに大変なの??その他の訓練がたいへんだったのかな。2000年1月に彼に会った時、横から見るとぺらぺらになっていて、再び驚いた。もともとスポーツマンで整った顔立ちなので、痩せても大丈夫だったけど・・・。 前述の海軍陸戦隊に従軍しているL君にC君の話をしたら「空軍なんて海軍陸戦隊に比べたら楽勝だよ~。うらやましい~。」と言っていた。何人かに聞いたが、「空軍が一番ラク」と言うイメージが一般にはあるらしい。 先日、1年ぶりに再会した彼はかなり体重が戻っている様子だった。きっと今は体力的にはそれほどきつくないのだろう。彼はあまり多くを語らないが、女性軍人が仕事の要領が悪くて困ると言っていた。彼に、「兵役中に知り合った人脈は社会に出てから役に立つ」と聞いているがどう?と聞いたら、早く退役するために狂ったふりをするような人に出会ってもねぇ・・・と言葉を濁していた。
98年春節の頃、友人のいとこが憲兵だった。背が高くて姿勢がとてもよいのが印象的だった。彼の父母は彼が憲兵になったことを自慢に思っているようだった。憲兵は身体検査で「甲」判定を得るほかに、親や親戚の身辺調査も行われるそうだ。憲兵の中で最も「好看」な人が「礼兵」となり、国父紀念館や忠烈祠などで衛兵を務める。「礼兵」に選ばれるとかなり自慢できるらしい・・・でも知り合いにはいないので、定かではない。 彼のお母さんが、「兵役にも良い所がある。憲兵は見た目がきちんとしていないとだめ、でもお給料が少ないので制服を毎回クリーニングに出すわけにもいかない。だから家の息子は洗濯とアイロンかけがうまくなったのよ。」と話してくれた。彼は退役後について、まずアメリカへ1ヶ月ほど語学留学し、その後台北市内の大学へ入学するつもり、と話してくれた。退役が近づくと休みもとりやすくなるし、自分の勉強をする時間も確保できる。今は受験勉強をしている、と話してくれた。
彼に会ってから憲兵を注意して観察するようになった。衛兵の交代は何度見てもやっぱり足をとめて見てしまう。しかし、恩師の奥様は台湾の交替式を見て「やっぱりイギリスのほうがずっとかっこいいわ。」とおっしゃっていた。私は他を知らないので、何とも言えない。
阿公の話
2001年1月