| | トップページ | | 2000/12/21(Thu.) |
全国の図書館を愛する皆さん、こんにちは。「われわれ」もその1人として小中学生のときは図書委員に立候補したものです。しかし、そんな「われわれ」に思わぬ労苦が襲いかかります。これはそんな図書委員にまつわる思い出です。
では、まず小学生の時の話から。6年生の2学期、希望が叶い図書委員となることが出来ました。しかし、当時、図書委員の仕事と言えば、週2回しか開かない図書室で放課後の30分間、番をしているというものでした。誰一人訪れる者はいませんでした。それもそのはず、図書室には土ぼこりをかぶり、ボロボロで誰も手に取りたがらない本ばかりが並んでいました。本の好きな「われわれ」でさえ読みたいと思うような本は置いてありませんでした。貸し出しや本の整理、新しい本の入荷などの仕事があると期待していた「われわれ」にとっては退屈な場所でした。
そんなある日、図書委員会の総会で図書担当のA教諭が「図書の人気投票をしよう」と言い始めたのです。「では、一週間後までに結果を。じゃあ、今日の委員会はこれでおしまい」、そう言い残してA教諭は帰り、図書委員会は同時に解散しました。どの学年で行うか、どの学級で行うか、投票用紙の工面は・・・そんな指示はないまま帰ってしまったのです。もちろんその責任は図書委員長である「われわれ」に押し付けられるわけです。図書委員のみんなも帰ってしまったし、他の学年の図書委員の名前も良くわからないし、どうしたら良いのか頭を抱えてしまいました。今にして思えばあらゆる解決策が思い浮かぶのですが、とりあえず、A教諭の元へ赴き指示を仰ぐことにしました。無責任にも、A教諭曰く「担任に相談しなさい」。そこから「われわれ」と担任との折衝が始まりました。「朝か帰りのホームルームで図書の人気投票をやらせて欲しい」「投票用紙にする紙を工面して欲しい」。しかし、いずれについても許可をもらえませんでした。一週間のうち何度も担任に頼みに行きました。それでもだめでした。何で許可を得られなかったか、未だに不明です。
期限の日、「われわれ」を怒鳴りつけるA教諭の声が職員室に響き渡りました。「お前は取り返しのつかないミスを犯した」「どうしようもない人間だ」「失望した」「この人気投票の企画はどうなると思っているんだ」・・・。「われわれ」は担任から許可をもらえなかったと言う話をしましたが、問答無用で罵声を浴びせられるばかりです。何で「われわれ」だけこんな思いをしないといけないのでしょう。その日は胃を痛めて、肩を落とし帰路につきました。
それから2年の月日が経過した中学2年の2学期、「われわれ」は再び図書委員をしていました。それには目的がありました。2年前、「取り返しのつかないミス」とまで言われた人気図書投票の失敗の雪辱を果したい、そんな目的です。「図書室だより」の執筆分担が「われわれ」に回ってきました。ついにチャンスは訪れたのです。実施は執筆担当の「われわれ」に任せて欲しいと言うことで委員会で人気図書投票を提案し、承諾を得ました。投票用紙は「われわれ」が工面し、友人の委員の協力を得て3クラス120人の人気図書を調べ上げることに成功しました。今回は用意周到でした。しかし、集計の結果、意外とみんなの興味はバラバラで一つの本に数が集まらず、どこまで載せるか悩みました。その中でも一番人気だったのは『ダイ・ハード』で9人であったことを記憶しています。また、白票が少なかったので感心していました。
「図書室だより」の原稿は出来上がり、担当の教諭に提出しました。あとは、「われわれ」とその仲間の成果が発表されるのを待つばかりでした。数日後の刷り上りの日、ドキドキしてホームルームで配られるのを待っていました。しかし、それを手にしたとき「われわれ」は愕然としてしまいました。人気投票の書名データだけが全く異なるものにすり替えられていたのです。なんと人気図書第一位は『アンネの日記』で9人。「われわれ」の記憶によれば同書は120人中2人しか投票していなかったはずなのに。その他にも、いわゆる「良書」ばかりが並んでいました。『ダイ・ハード』はどこにも見当たりませんでした。我々の成果は台無しです。放課後、友人3人で集まって、図書室担当教諭にデータ改竄について抗議しに行こうかと話し合いましたが、結局諦めることにしました。もちろん、身の安全のためです。こんなことで内申書に傷がついてはたまりません。この真実を知っているのは4人だけです。それ以降、図書委員を引き受けることはなくなりました。
果たして、学校図書館なら「思想善導」は許されるのでしょうか。「われわれ」には容認できません。皆さんはどう思いますか?