2005.5.16
GW

ことしのGW(ゴールデン・ウィーク)は暦の巡り合わせがよかった。
4月29日が金曜、これがベストパターンなわけね。
地元チーム・Spの仲間には、2日月曜と6日金曜を休んで10連休、という人間もいた。

オレはどうだったかというと、暦どおり。…の予定だった。
が、少々狂った挙げ句、翌週もGWは続いたのだ。


5月1日(日)
墨田区のリバーサイドスポーツセンターでSpのナイトゲーム。
そのナイターの時間は大丈夫だったが、この日の早朝…夜中3時・4時に下痢地獄開幕。
結構きつかった。さいきんは下痢が始まるとなかなか終わらなくて、会社や朝の野球を何度か休んでいる。
腹より上は元気なんだけど、家を出ることができないのだ。
汚い話だが、大の回数が増えたために2年くらい前から肛門が切れ気味だ。
住処は昭和の賃貸なのでウォシュレットなんぞはついていない。
試合は負けはしたものの、オレの左打席は今季好調で8打数3安打。
この日は左中間方向への鋭い当たりのライナーヒット。バット投げは完璧だった。
セカンドランナーがホームをついたが、当たりがよすぎたのと返球が凄かったので本塁封鎖。
2週間前にも同じくセンターへの快音ヒットで2塁走者が三本間で憤死と打点運がないのが残念。


5月2日(月)
やはり早朝から腹の調子がおかしい。
昼をすぎても芳しくなく、過去の土曜出勤分の代休を消化することにした。
結局7連休が確定。
ふとんにくるまり、トイレに行き、またふとんにくるまるの繰り返し。


5月3日(火)
下痢も治り、父の見舞いに天王台へ。常磐線で移動。
今は利根川のほとりの介護福祉施設に入所している。
昨年2月に起こした2度目の脳梗塞の後遺症で、左半身不随。心も普通じゃなくなってしまった。
もう家に帰ることができない状態だ。

父の弟…オレの伯父さん一家も来た。
いとこのターちゃんに数年ぶりに会った。ちょっと年上の向こうは前に会ったときとほとんど変わっていなかったが、
オレは前に会ったときから相当太ったし、中坊のようなぼうづが伸びた頭だったのでなおさらヘンに見えただろう。
オレと母、伯父さん夫婦、ターちゃんの5人で訪問すると、
さいきん暗かったという父の表情が和らぎ、意味がわかってるのかわかってないのか、
話しかけたことに対して笑ったりもしていてホッとした。
昼飯を母とオレの2人で食べさせ、1時間半ほど滞在して帰る。

帰りはターちゃんの車で国道6号を東京に向かう。
みんな昼食がまだだったので、テキトーなとこに入ろう、ということになったが、
こういうときにファミレスがみつからない。
または見つけても入るか入らないか決まらないうちに通りすぎたりする。
で、ここでいいか、と入ったのが「レストラン スズキ」(笑み)
「伯父」さん一家、ということは5人全員「スズキ」なのだ。
どう見てもチェーンではなくスズキ家がやってる店っぽかったが、2時すぎの広い店内にはそれなりに客が。
んが、メニューがちと高かった。
和洋中なんでもあるメニューは品数がものすごく、みんな決めかねる。
ターちゃんが1,000円越えのおすすめランチに決めた。親3人はいろいろ迷っていたが、それなりに決めたらしい。
オレは天丼に決めたけど口に出さずに黙ってた。
で、訊かれたので「天丼にする」と答えると、親3人が「じゃ、私も天丼に」ということになった。
ターちゃん以外全員が天丼に。迷うほどメニューがあったのに、なんて家族だ。
ちなみにこの店、100円占いクジが置いてあった。球状のプラッチックのツボのようなアレだ。
日曜のガキの使いの前の「黒バラ」で採り上げられてたな。
中の100円玉はメーカーの社長が全国行脚して回収してるんだと。カギ持ってるのは社長だけだそうな。
あそこは柏市あたりだったと思うが、アレが置いてあるとは、まだまだ田舎ねぇ。

夜中にチャクメロをアップする。


5月4日(水)
グダグダ寝まくる。
夜、ふと想い出し、とりあえず秋まで着ないであろうセーターやコートを
洗剤「エマール」でホームクリーニング。
っても、洗濯機でドライモード+エマールで洗うだけだ。


5月5日(木)
ダルビッシュが鎌ヶ谷でイースタンデビューするというので、
スケ(オバTトリオ写真の真ん中)と一緒に彼の車で観に行くことになっていた。
なんとなく丈さんも誘ってみると、お子さんを2人連れてってもOKなら、ということだった。
スケの車はヴィッツだが、大人と子ども2人なら後部座席も窮屈にはならない、ということで5人で鎌ヶ谷訪問。
モモカちゃんとジョウくんは初顔合わせだったが、すんごくかわいいの。これが。
行儀がいいし、あいさつもできる。
鎌ヶ谷で前にいたガキ3人がとにかくガキのいちばんイヤなところを濃縮したタイプで、
同じ子どもでもこうも差ができてしまうか、と感じずにはいられなかった。

スタンドに入るととりさんといがりさん、ちょっと進むとQさんとかずとがそれぞれペアで来ていた。
「梨に向かって打て」を発行している大仏さんにも会った。
めちゃくちゃ太ったなぁ、と言われた。大仏さんには会うたんびにそう言われる。
間違いじゃないからなにも返すことができないのが悲しい。

ダルビッシュは2回2失点と病み上がり初登板としてはまずまずの内容。
とにもかくにも、今後一流投手になるのは間違いないので、貴重なシーンをナマで見ることができた。


5月6日(金)
ひさびさの出勤。どうやら2日は出てもあまり意味がなかったことがわかったが、
6日には面倒な仕事がガツンと入っていた。わかってはいたのだが。
ふだんやっているケイタイV社のカタログは半年に一度のリニューアル作業中。
一度作ったページがグリングリンかき回されるのだ。
月曜に提出するこの仕事、とても一日では終わらないので7日の土曜出勤決定。


5月7日(土)
14時に出社して22時半まで仕事。
8日の出勤も覚悟して焦らないでやったが、意外に早くまとまって8日は休めることになった。
この日の仕事中、スケから「10日の神宮のヤクルト-Fsのチケットもらった」とメール。
会社からはひと駅だ。この時点では行けそうだった、のだが…


5月8日(日)
とうぜん寝まくり。
フジテレビの14時からのドキュメントで東池袋の「大勝軒」のオヤジの話をやっていた。
病気療養を経て復帰したものの、復帰初日に20分ほど厨房に立っただけで引退してしまった。
ラーメン、すんごくうまそうだった。


5月9日(月)
社会的には通常の一週間が始まる。
じつは日程上14日土曜の出勤が決まっているオレは、休み明け6日労働。滅入る。
ところが、仕事が全然終わらない。
カタログのリニューアルは新割引サービスのスタートも絡んでいる。
それにともなって、ほかのV社のツールも合わせて変えていかなければならない。
どうも10日のナイターはムリそうだ。
…と考えながらなんだかんだで仕事が終わったのは5時半すぎ。そう、翌朝のだ。
実際は電車が動き始めたのでとりあえず区切りをつけた、というところ。
もうナイターは行かないことにした。いや、不可能なのだ。


5月10日(火)
早朝の電車で帰宅後、仮眠をとるつもりが、目が覚めてテレビをつけると「いいとも」が。
10時に目覚ましかけたんだけどなぁ。
この日も仕事が終わらない。13時半の出社になったが、定時の10時からでも仕事は終わらなかっただろう。
Fsはヤクルトに敗戦。行かない方がよかったようだ。
スケも仕事がかたづかず50分しか試合を楽しめなかったようだ。
カタログの東海版を製作。
また徹夜で、終わったのは前日と同じ5時半すぎ。こんどはやってた仕事を片づけての5時半だ。


5月11日(水)
前日よりさらに一時間多く眠って、14時半に出社。
労働時間が多すぎてもう金曜のような感覚に陥ったが、まだ水曜であることに滅入る。
徹夜でやったぶん、東海版はいつもより早めにOKが出て、22時に退社。
夜に帰れるのは幸せ、と変な感動をしてしまった。


5月12日(木)
11時半に出社。
カタログの修正はこの日中に終わらせる予定。
自分の担当のページが終わったのが23時半。これは帰れるかと思ったが、うまくはいかない。
他のページがまだ片づいてないんだとさ。仕方なく手伝う。
データのつくりかたがめちゃくちゃで、修正に苦労する。
このノリでやってりや、そりゃ時間かかるわ。
なんだかんだでまたまた徹夜。終わったのはなんと8時半だった。

これまでの徹夜は2時3時に仕事を終えて始発の5時まで寝たり、
近所のジョナサンで徹夜組でダベったりして時間を潰すパターンが多かったのだが、
一睡もせず仕事しっぱなしの「貫徹」が週3度とは非常にキツイ。


5月13日(金)
13日の金曜日、不吉だね。「夕方出社」とホワイトボードに記入して帰ったが、
よく考えると土曜の一日で仕事はかたづきそうな気がしていた。
帰りの電車では寝過ごすことを恐れた体が駅に着くごとに目を覚ます。
しかし、目をつむった直後にすぐに睡眠状態に陥り、まばたきをしただけで次の駅にワープする現象が続く。
人間、眠気がたまるととんでもないことになるもんだ。

とりあえず帰宅後寝たが、すでに10時を過ぎていた。
起きたのは17時近く。担当に「あした一日でできるからきょうは行かなくていいよね?」と
訊こうとして会社に電話をかけた瞬間、ケイタイに会社から着信。
その担当だった。オレが訊こうとした質問の答えを伝える電話だった。
あまりにも同じタイミングでびっくりした。とりあえずこのまま会社には出ないことに決定。

まったく観られずにいた交流戦中継をやっと観ることができた。
西武-巨人。西口が無安打の好投を演じていたが、あとひとりで清水に一発。
ノーヒットノーランと完封が同時に消えた瞬間の西口の「つくり表情」は爆笑モノだった。
テレ朝もどアップで抜いていて、それはそれは笑い尽くした。
直後、眠りについていた。0時過ぎに目が覚めて、部屋の明かりを消し、再び就寝。
とにかく目をつむるだけですぐに寝られる、いつもこうなら楽なのになぁ。


5月14日(土)
あらかじめ決まっていた出勤。カタログ東海版の仕事だ。
23時すぎ、または翌日の早朝に名古屋の大日本印刷の営業に渡さなければならない。
わざわざ泊まりがけで新幹線でカンプとデータを取りにくるのだ。
頼んでおいた社内のデータのひきつぎがうまくいかず、開始が遅れる。
23時に大日本の営業が来たが、渡したのは23時半すぎ。
徹夜はさけたものの、半蔵門線の終電・23時42分には間に合わない。
平日でも23時52分に乗らないと東西線東葉勝田台行きに九段下で乗り換えられず、
地元まで電車で直帰することはできない。
最寄りの表参道が半蔵門線の西の端ということもあり、東行きは終電が早いのが不便だ。

とりあえず半蔵門線で九段下まで出られたので東西線東陽町行きを待つ。
iモードの駅すぱあとで京葉線の終電を調べると、東京発0時33分とある。
京葉線に乗れれば、実家へ歩いていける二俣新町駅まで出ることができる。
こんどの東西線が0時16分。ふた駅先、東京駅の北側に接する大手町までは5分くらい。
京葉線のホームは真逆の東京駅南端…。イチかバチか勝負に出ることにした。

実家まで歩いたら車を借りて妙典まで帰るか、と考え、翌日まで借りていいか電話する。
いまは母が一人で暮らしているが、母はいまわりと寝るのが遅い生活になっていて、
ふつうに電話に出た。そして「車で迎えに行く」との話。
いつもなら断るのだが、さすがに疲労がたまりに溜まっているので、お願いすることにした。

予想どおり、大手町に東西線が着いた時刻は0時21分。
12分ある。一人で歩くときは早歩きが基本のオレにとっては、急がなくても大丈夫な感じだった。
東西線コンコースからエスカレーターを上り、動輪の広場までの長い無機質な通路を歩く。
動輪の広場で改札内に入ると、総武線快速・横須賀線のコンコース。
ここからエスカレーターで地上エリアに出る。
中央線・京浜東北線・山手線・東海道線のホームをくぐって、JR東日本の新幹線コンコースに。
ここからさらに通路をぐねぐね抜けると、長いエスカレーター、さらに動く歩道、
エスカレーター3本とどんどん地下深くに降りていく。
電車はオレの座るスペースを開けて待っていてくれた。着席したのは0時31分。
その後も続々と人が来る。
モタモタしている客がいて、定刻の33分よりより3分ほど遅れてようやく電車が出た。

母は出がけにモタモタするタイプで、予想どおり二俣新町駅に着いても車は来ていなかった。
5分くらい待ったところでようやく乗車。

 
 

実家のインコにひさびさに会い、テキトーにあそんでやる。
交流戦中継延長の影響で30分遅くなった新日本プロレスの中継をちょうどいいタイミングで観ながらメシを喰う。
やっぱり家のメシはいいね。
プロレスは天山が小島からIWGPを奪い返した注目の試合だった。
その後車で妙典へ帰宅。2時半を過ぎていた。

悲しいもんで、眠くならない。この時間帯、活動が当然な体になってしまっているのだ。
ふだんは駅まで歩いて行く。有料駐輪場以外は駅の周りにチャリを停められないからだ。
土日はチャリ排除のジイさんたちがいないので、駅の高架下に停められる。
そんなわけで、この日の往路で使ったチャリを妙典の駅まで取りに行くことにした。
途中、道のガードレール脇に人影。まさか!

そこにある家のジイさんが、昼間よくここに立っている。
正しくは、歩いているのだが、マトモには歩けない。
ガキが「キン消し」を歩かせて遊ぶときのように、ほぼ棒立ちの状態でチョコチョコと4歩進むと止まり、
ボーっとした後4歩進む、を繰り返すのだ。
病気だか老衰だかで足が弱ってるらしく、歩行訓練なのかどうかはわからないが、よく見かけるのだ。

不思議なことがある。
この道は一方通行で、進行方向右側にホチキス針上の赤白ガードレールがある。
車道を歩道を分けるためについていて、その外側をジイさんは歩いているのだが、ジイさんの家は進行方向左側なのだ。
そのチョコチョコ歩きでは、道を渡るにも時間がかかるだろう。車が来たら相当困るはずなんだが…

でだ、夜中の話に戻ると、人影はやはりこのジイさんだった。
きちんと外に出るカッコをしているのだが、やはり夜中3時近くに足の悪いジイさんが出歩いているのは尋常じゃない。
徘徊なのか、眠れないので歩行訓練をしているのか…

とにもかくにも、このGW「ガッカリ・ウィーク」を締めくくる、強烈な瞬間だった。



さて、今週も嵐の予感。
とりあえず16日の月曜は徹夜覚悟だったりする。
いったいどうなるのやら。



【5.17 AM6:54追記】
5月15日(日)
たっぷり寝て、夜、車を返しがてら夕メシを喰いに実家へ。
またインコを遊ばせながらメシを待つ。
妙典に戻ったあと、洗濯をすっかり忘れていたことに気づき、22時過ぎに2回に分けて洗濯。
このコラムをダラダラと書いてるうち、朝の4時くらいになっていた。


5月16日(月)
朝イチの仕事が確実になかったので余裕をブッこいて寝ていたら、昼の12時になっていた。
いまの会社はフレックス制なので、仕事をこなし、月の規定時間をクリアしている限り、お咎めは一切ない。
起きがけに会社に電話して、急ぎで動く仕事がないことを確認。
ダラダラとシャワーを浴びて14時に出社。
この日はこれまで徹夜で付き合ってきたカタログ関東版の責了入稿。
しかし、その責了を出すための赤字が出てきたのは夜になってからだった。
終電に間に合わないのはその時点で見えた。

なんだかんだで最後の責了が出たのが朝4時半。
データをカンプをまとめ、5時に上がる。
らんぷ亭で並つゆだくをかっこみ、野菜ジュースを飲みながら帰宅。そしてこの追記を書いている。
また月曜から徹夜になってしまった。
本来なら、この後は関東版をベースに地方向けに改訂した東海版を上げてひと月の仕事が終わるのだが、
面倒な仕事の噂が立っている…
いったいどうなる!? オレ!

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