かんたん記


archives 2004.5

生茶パンダは200円

at 2004 05/06 23:25

3月のかんたん記に書いたように、私の手元にはパンダーZという、ヒーローだかなんだかの“玩”がある。
写真を載せた3体を買ったっきり、コンビニの棚からきゃつらは消えてしまった。

そんなパンダーZに思わぬところで再会した。
それは地元のファミレス・ガストだった。

かんたん記『出向で自転車が助かって牛丼喰うはずが豚丼登場日』の回に書いた、
駅の近所のチャリ駐スポットに4月下旬から警備員が立つようになってしまった。
ある日、朝の寝ぼけた状態でそれを忘れてチャリで駅に来てしまった。
そこで思いついたのがガスト。
以前、上記のチャリ駐スポットに月イチくらいで現れる放置自転車回収トラックが来ていたとき、
とっさの思いつきでちゃっかり駅に近いガストの駐車場に停めちゃったことがある。
帰りが遅くなったのだが、捨てられることもなく元気に置いてあった。

ということで、再びガストへ。
やはり遅い時間になって帰って来たら、風が強い日でもあったが、チャリは寝ていた(笑み)
ちょうど夕飯がまだだったので、駐輪代としてメシを喰って帰ることにした。

0時を回っていたので、ドリンクバーのコーヒーを飲むこともなくとっとと食事を済ませ、レジへ。
店員が出てこないので、ボタンを押して待っていると、あ! パンダーZ!
しかもコンビニで買ったちっさいのでなく、おっきいのがいるぞ!
種類もいろいろあって、何か買おうかと思ったところで会計が始まっちゃった。
30前のヤローがひとりで来ているのもあって、なんとなく恥ずかしいので「追加」はやめた。


その週末、地元の草野球の試合が朝からあった。
終わってから「ボウリングに行こう」と突然決まり、その前に昼をガストで喰うことになった。
を、こんどはレジで買うときに仲間にいいわけしながら買えるから幾分恥ずかしさは減るぞ…
が! なんと財布の中が1000円しかなかった。
メシ代を払ったため、パンダーZは買えずに終わってしまった。

駅で金を下ろしてから、ひっさびさのボウリングに臨む。
日曜だというのに、一般客がぜんぜんいない。いたのはちっさいトーナメントに集まっていたシニア世代ばかりだ。
私のもうひとつのサイト“HITOFUDEGAKI CLUB”でやっていた(いや、過去形ではないか…)ボウリングのコーナーでは
スコア200到達を目指していたもんだが、今回のボウリングはほぼ1年ぶり。
前日の土曜は地元とiFs(Fsファンで集まったマニア向けチーム・プロフィールの写真参照)の2試合で試合をし、
この日の朝も1試合やっているので、体の疲れは否定できない。
しかし、それにも増して、ストライクをとる自分のツボが思い出せない。
けっきょく3ゲームやって110台が最高だったか。スコアシートは仲間が持ってったので、いくつか覚えていない。
ボウリングのコーナーをしっかりやってたころは、スコアシートは私がもらっていたのだが。

帰るころには、小学生をはじめ、客がゾロゾロやってきた。
考えれば、朝の8時から野球をやって、昼前にメシをすませていたので時間の感覚がおかしくなっていた。
まだ13時だったのだ。そりゃ、始めたころは客が少ないのも当然だな。

シューズを返しにいくと、待ち時間つぶし用のUFOキャッチャー系ゲームが目に入る。
ここにあるのは、欲しい景品の番号をそろえる、パチスロのようなゲームだ。
100円を入れると、3桁1列しかないLEDのスロットが回り始める。
1回目。わけもわからずテキトーに1桁目(左)を押す。すんごく目の回転が遅く、止めたのは3だった。
2桁目(中)は速い回転。なんとなく目押しをするも、3は出ず。
これで終わりかと思ったが、ゲームが終了した雰囲気ではないので、まだ回っている3桁目(右)を止めたら3が出た。
ここで「リーチ」の声。はずれだった2桁目がまた回り始めた。
自分で止めるのかと思ってボタンを押しても止まらない。そのうち勝手に止まってハズレ。
リーチ以降はパチンコタイプというわけだ。

スロットの動きを理解したところで改めてマシンを見て、初めて「そろえる数字=景品の番号」と気づいた。
3番はそんなおもしろい物でもなかった。
あ、これがいい。私は7番を狙うことにして、100円投入。
1桁目はバカでも好きな番号で止められる速さなので、7で止める。
2桁目。とりあえず7を狙うも、ハズレ。3桁目、回転は遅くないが、見事7で止めてリーチ。
今日日のパチンコとまではいかないが、スーパーリーチ的なアクションになって、777で止まった!

ということで、200円で取ったのはこいつだ。



松嶋菜々子がCMで持っているアレ、もしくはそれに非常に近いモノ(笑み)
パンダーZは買えなかったが、別のパンダが手に入った。
これがホンモノなのか、便乗モノなのかはよくわからないが、
となりには銀座ジプシー(大ウソ)が使ってるうし君とかえる君なんかもおいてある。

袋にはこんなタグが



でぃずにぃ うぃにぃざぷー?
ちゃんとコピーライトが書いてあるので、正真正銘ディズニーの商品のようだ。
でもなんではちみつくんの名が?

そういえば、仕事である会社の通販カタログをやったとき、「人気者くまさん」という商品が出てきた。
写真を見る限りまさにはちみつくんそのものなんだが、なぜかテキストにはいっさい「くまのプーさん」の言葉が出てこない。
もちろんコピーライト表示もなく。
写真は思いっきりはちみつくんが写ってたのになぁ。


さて、一緒にいたロックとちん平がトイレに行ってるので、調子にのってもう一品獲りに出る。
どうしても気になっていた5番のAVだ(爆み)
ガキもたくさん来るボウリング場の一角にAVがぶら下がった100円ゲームがあるなんてねぇ。
パンダを抱えながら1桁目に5を止めると、「あら、ソレ獲ったの」と、
トーナメントに来ていたババァが独り言っぽく私の脇でつぶやいた。
どうやら簡単にとれないようだ。リーチの場合は最後は機械の気まぐれだからなぁ。
それにも増して、私が5番のAVを獲りに行っていることがバレているような気がしてならない。
思わず
「あ、番号ちがうっ」
ってウソゼリフを吐く私(爆み)
たぶん、よくわかってないとは思うがぁ…

2桁目、どうせリーチのときはなんでもいいんだから、とテキトーに止めたら5が出た。
3桁目が高速回転を始める。今回は2桁をそろえちゃったので自力ストップパターンだ。
ババァが消えて周りに人がいなくなったのを確認して、慎重に目押しする!
が、5・5・3で失敗。100円玉がなくなり、両替するのもなんなんでやめた。
女優が何人もパッケージに写っていたAV。中身が気になった…

キャシャーンの宮迫は放送禁止

at 2004 05/01 02:26

話題の映画・CASSHERNを観てきた。
宇多田ヒカルの旦那・紀里谷和明の初監督作品だ。
私はテレビの映画情報で金髪の唐沢利明がヘンテコなカッコでしゃべってるシーンをたまたま目にし、
よくわかんないがとりあえず面白そうだ、と思っていた。



28日、用事を済ませたあと午後ヒマになり、地元の映画館・ワーナーマイカルに入る。
部屋がいくつもあるこの映画館、予想どおりCASSHERNもやっていたので観ることにした。

感想。
まず、とにかく長い。14時40分スタートで、見終わって外に出てから時計を観たら17時20分。
実質2時間くらいか? 調べればわかるけどね。
長い映画でも、起承転結がはっきりできていれば、…いや、簡単に言えば作りが良ければ時間は気にならない。
が、この作品は展開に抑揚がなく、しかも開始後30分くらいからずーっとクライマックス的モードなのだ。
BGMや、映像がそう作り上げているのだ。

映像はCGのストラクチュアがすばらしかった。
“帝都物語”と“ラピュタ”と“千と千尋”を足して割らなかった感じ(笑み)
漢字とキリル文字が飛び回り、かなはまったく出てこない。
その割に人の名は「てつや」(笑み) なんだかおかしいねぇ。

  映画冒頭に出てくる議場と街並み

同じCGでも「ロボット兵団」のようなものが出てくるんだけど、こっちは、うーん…。
同じ形のロボットが何百体も隊列を成して歩いてくるんだけど、
これが旧来のCGそのもので、質感も、素晴らしいストラクチュアのそれとは大違い。
なんであんなにツルツルピカピカしたのを作っちゃったんだか。
こいつらが出ているシーンは、テレ東のアニメ番組なんかでもしょっちゅう出てきそうだ
(テレ東のアニメをしょっちゅう観ているわけではないが…)

 ロボットたち

さて、肝心の主役・キャシャーンの話。
戦死した鉄也が、半ばマッド・サイエンティストのようになった寺尾聰演じる父親に
「新造細胞」を培養する赤い液体のなかに沈められて蘇る。



この液体は機能を失った体のパーツを新たに生み出すような力があるらしいのだが、
血圧だか肉圧だかが強くなるためにみなぎるパワーが自分の皮膚を破りかねないので、
小日向文世(このキャスト、なんとなく違和感)演じるサイエンティストがたまたま作っていた
強化スーツを着ることでそれをセーブする、という設定だ。

鉄也が原作そのもののデザインのヘルメット以外の、
スーツの他の部分をすべて着込んだところで最初の戦闘が始まる。
そのドタバタの間にヘルメットは破壊され、以降最後までヘルメットを被った原作のイメージのキャシャーンは出ずじまいだった。

 常にノーヘル

スーツを着た鉄也はなんだかんだで登場シーンの7割方でヘロヘロ倒れていた(笑み)
それにしても、ヘルメットを被ってないのに、脳が破裂したりしないのはどうしてなんだ?

原作に出てきたいぬロボット「フレンダー」は、ただの生くろいぬとして登場(笑み)
ヘロヘロになっている鉄也と恋人を三橋達也演じる医者(また面白い人を選んだなぁ)がかくまうと、
その住処にフレンダーが出てくる。そして鉄也にフレンダーが近寄ると
「この犬は誰にもなつかないんだが、珍しい」的な三橋のセリフ。
これってルパン三世の「カリオストロの城」にもそっくりなシーンがあったなぁ。

この映画、敵がよくわからない。
「ユーラシア」と鉄也たちの国「亜細亜なんたら」との戦争中の話なのだが、
鉄也が戦ったのは、唐沢利明演じるボスと宮迫博之らの幹部で構成される「新造人間」たち。
要は、人体実験材料として鉄也が入ったのと同じ赤い培養液につっこまれていたのが彼らで、
あることがきっかけでシャバに出られた彼らがなぜか城のようなひみつ基地に“帰り”(この辺設定がナゾ)、
王国を建造、人間をみな殺しにしようというのだ。

宮迫は口が訊けない役。背中が曲がった「せ●し」でもある。
宮迫の普段のキャラを考えると、コントに見えてしまう。



佐田真由美・要潤演じる幹部たちはキャシャーンに次々にやられてとっとと死んでしまい、
宮迫もなんだかんだで死んでおはなしはグダグダモードに。

ま、とにかくだ(笑み)
ストーリーがいまいちはっきりしないのと、展開のグダグダさ、
そして、カット割りというか、コマの短い映像が連続するところが多く、観てる側が非常に疲れる映画だ。
特に大きいスクリーンだと辛い。テレビのほうが見やすいと思えるところがちょいちょい。
チカチカしすぎてピカチュウのときみたいに“てんかん”を起こす人が出まいか。
凝りすぎちゃったんだよな。そして省いて欲しくないところを省いて、
省くべきところを延ばしてしまった。私のこの文章のようなもんだ(爆み)

もう1時間短くできたかなぁ。この作品。

そうそう、女優陣はみんなキレイでよかったどす。
樋口可南子、麻生久美子、鶴田真由はみんないいです。鶴田は顔は最後にちょろっとだけだけど。
あと、スタッフロール読んでたら、GLAYのメンバーっぽい名前が2名ほど見えた。
三橋達也が出てくる唐沢たちの地元の民として出てたようだが… 詳細調べてない。

世の評価も不評が多数のようだ…


キャシャーンはやっぱりこうだよな




貴族! 平沼さん!

at 2004 05/17 04:16

銅像は大概、その人物の功績を記念し、後世に伝えるものである。
ところがだ、非常に曖昧なプレートのついたものに出くわした。


5月15日、iFs(i-Figeters・私の入っている草野球チーム)の練習のため横浜の三ツ沢公園に赴いた。
緑に囲まれた立派な規模の運動公園は、陸上競技場とそのサブトラック、球技場(サッカー・ラグビー用)がある。
Jリーグのマリノス、フリューゲルスが使い、現在はJ2の横浜FCが使うあの三ツ沢球技場だ。
公園の目の前にある高速の出口から公園の周りの道路へ入る。すぐ右側に野球場が見えたが、駐車場はまだ先のようだ。
駐車場を目指し進むと、第一駐車場は貸し切りのため使えないとのこと。
公園の周りを時計回りにかなり進んだところにある、奥の第二駐車場へ停める。

第二駐車場の脇の競技場からはいろんなアナウンスが漏れ聞こえていて、どうやら陸上の大会が行われているようだ。
駐車場の近くに地図はない。なにしろ周りの緑が濃く、野球場がどこにあるかわからない。
周りの通路兼遊歩道をまた時計回りに進む。たぶん、こっちだろう。
中学生くらいのジャージ姿の人間がちょいちょいアップで走っている。
野球場の場所を聞きたいが、アップの邪魔はできない。

そんな中、ひとりで歩いているガキ(中2)がいたので聞く。すると
 「野球グランドですか? ちょっとわかんないです。すいません」
見た目(中2だけど小さい方。なんで中2ってわかるか? なんとなく2っぽかったから)よりはしっかりした口調で返してきた。
でもわからんのか。いいや、そのまま先へ行ってみるか…
 「…野球するとこなんかあったっけなぁ…」
うしろからそんなつぶやきが。アイツひとりで行動してんのに。独り言だ。

そのうち中坊があちらこちらで柔軟やらアップをしているサブトラックの脇に出た。
野球用具を持って歩いている姿が否定されるような「陸上空間」だ。
正面に球技場、右になんかの銅像、左に…、あ、野球場だ。
道路地図で見たときは、1面のみでしっかりした球場だと思っていたが…
フェンスに囲まれ、1面でできているのは間違いないが、丘を削った形になっている外野フェンスは異常に近い。
とくにライト。川崎球場のスタンドのように、妙にえぐれて近く感じる。
“66”。ライト線の延長にそう書かれていた。つまり、右翼は66mしかない。プロ野球の3分の2だ。
んー、陸上やサッカーはいい設備だけど、野球は公式な試合は完璧にムリムリなものだ。

練習は初の横浜での練習とあってか、7人しか集まらなかった。
が、外野フェンスのあるグラウンド。
フリーバッティングでどれだけ飛ばしても球がなくなることなく回収できる。
レベルは低いが、みんな楽しく練習できたのでよかった。
ふつうの5月のイメージ通りの気温。練習後に日陰に入ると涼しくて気持ちよかった。

練習を終えて、ふたたび駐車場へ。さっきチラっと見えた銅像にふと目をやる。



一瞬目を疑ったが、足元にはこう書いてあった



平沼さんの像!
ふつうさ、きちんとフルネームで書かないか? もしや、誰も知らない…

 「おい、あその卓で打ってるのがあの平沼さんさ。あの学生、何もしらねぇで」
 「え? 伝説の雀士と言われるあの? えーと、平沼なんつったっけ?」
 「そう、だれも下の名は知らねぇ。オレもよ。
  自分では平沼しか言わねぇらしい。
  とにかく、あのひ弱な姿カッコととにかく麻雀は強えってこと以外、平沼さんについては…
  ヤベ、こっち見た。見てねぇフリしろ!」
 「なんだよ。それ」
 「あのオッサンの素性を探ろうとした奴に、生きて帰ってきた奴はいねぇのよ」
 「ひらぬまさん、か。触らぬ神に祟りなし、だな」
 「ちげぇねぇ。クックック」


…みたいじゃん(笑み)

銅像の姿はどう見ても聖火ランナーだ。
植え込みの中に入り、脇の文を撮った。
実際、きちんと読ませるつもりがない配置になっているので、とりあえず撮るだけですぐやめたが、
ケイタイカメラの性能上、一字一句読めるクオリティではない。



どうやらスポーツがらみで尽力したという感じだ。
それにしても「平沼さん」という表現はここでも変わらず。


というわけで、帰ってからネットで調べてみた。
すると、「平沼さん」とは横浜市長を務めた平沼亮三という人物であることがわかった。
ところが、それにとどまらない、すごい人だった。
犬養毅らとともに慶応義塾の創生期の門下生だった平沼亮三はのち、
 ・貴族院議員
 ・日本陸連初代理事長(1925-1958)
 ・日本体操協会初代会長(1930-1961)
 ・オリンピック第10回(1932・ロサンゼルス)・11回(1936・ベルリン)大会選手団団長
 ・日本ハンドボール協会初代会長(1938-1940)
 ・日本・ドイツ青少年交歓実行委員会会長(1954)
 ・スポーツ界で初の文化勲章受章(1955)
 ・東京六大学野球連盟第2代会長
という、とにもかくにもスポーツ方面で数多く名前を残しているのだ。
1915年には「アイスホッケー用具一式を輸入、諏訪湖スケート会に寄贈した」という。
どうやら日本のアイスホッケーの第一歩がこれだったようだ。

1955年の神奈川国体で76歳にして聖火ランナーを努め、銅像はそれがモチーフになっている。
国体の創設の話にもこの人の名が出てくるようだ。
ほかにもいろいろな功績があるようで、「市民スポーツの父」と称されたそうな。
陸上競技においては、彼の名の勲章が設けられている。
 平沼記念章(1965-1978)
  高校生競技者または18歳未満の勤労競技者の指導者として特に功労のあった者に贈与
 平沼亮三章(1990-)
  高校生競技者の指導者として特に功労のあった者に贈与

1959年に79歳で死去。銅像は昭和37年と書いてあるので1962年に建立された。

1979年にはなんと野球殿堂入りを果たしている。六大学野球連盟会長としての功績を讃えたようだ。
いやぁ、知らなんだ。

五月晴れの公園のド真ん中で聖火を掲げ立ちつくす平沼さん。
その視線の右前方の木陰に野球場がある。
いま平沼さんが生きてたら、三ツ沢公園の野球グラウンドはもっと立派になってたかもなぁ。

新人歓迎会は台湾で!?

at 2004 05/21 02:38

4月末にFA宣言をした。
妻(もともといない)や彼女(もともといない)からではなく、仕事。
在職は1年とひと月。

DTPという仕事を業界外の人に説明するのは難しい。
…のはいつだかここに書いたな。
キントッシュ(Macintosh)でいろいろな印刷物の元になるデータを作っていくのが主流。
ドウズを使うこともあるが、今のところ特定の業種にのみ強い感じ。
デザインを考える人(デザイナー)も、デザイン案を元にきちんとしたデータを組む人(オペレーター)も、
組まれたデータを印刷の工程に回す「フィルム」で出力する人も、
みんなMacでやってれば「DTP」をやってる人なのだ。

私の場合、デザイナーとオペレーターの間くらいの形の仕事を、DTPを覚えた最初の職場でやってきた。
デザイナーのように素材を一から用意し、何から何まで考えてやっていくようではないが、
ある程度の素材を与えてもらって、それをどう組み合わせて行くかというものが多かった。
今回辞めた会社でも、面接時にそういう仕事をしたいと伝えて入ったものの、
実際はフィルム出しの仕事ばっかり。10月に当初希望した水道橋の職場に移っても大勢は変わらず。
多少考えていた仕事もあったものの、クライアントが用意したデータにちょっと手を加えるだとか、
アタリ(仮画像のこと)を本チャン画像に貼り替えるだとか、文字を入れるだけとか、
「人の作ったモノ」を扱う仕事がほとんどだったのだ。
仕事に身が入らず、しょっちゅう遅刻や欠勤をしていた。

その前にいた会社では肩書きは「デザイナー」だったが、扱っているもの自体大した仕事はなかった。
が、それなりに面白くやっていけそうな気がしていたのだが、仕切ってる奴が問題だった。
会社が某赤旗系だったのは入ってから知らされた。
制作仕事を仕切る「チーフデザイナー」が、中国共●党出身の中国人だったのだ。
日本語は20年いるということで話せるが、決めつけの強い、ワガママな性格のため、
言葉を間違って覚えていることを指摘しても直らない。
同時に、仕事の確認事項もうまく伝える能力がなく、プライベートの会話でも意志の疎通が難しい。
私が在職中にいたデザイナーは私と前後して4人辞めた。
結果、私が入ったときとはデザイナーが丸々入れ替わったようだ。
無論、私を含め、辞めたのはそのチーフとの仕事のやりづらさが原因だ。

でも私はそこの親会社の草野球チームには未だ在籍している(笑み)


ということで、最初にDTPを覚えた印刷会社に5年いた以降、同じ会社で二度正月を迎えていない。
中国人がいたところでは給料がよく、今もいればかなり上がってたかもしれない。
短い間に会社を移ると給料がなかなか上がらないので困る。
そして、FAの間は無収入でお金がどんどん減っていく。預金が危ない。
いろいろなところに行くことで、仕事のスキルはアップする。
会社それぞれでローカルルールから、ソフトから、いろいろな仕事の仕方があるからだ。
それだけは非常に小さいが財産にはなる。

今はどうなのかというと、6月から新しい会社に入ることが決まった。
東京・港区のオッシャレな町にある、これまででは一番イケてる職場の会社だ。
4社受けて反応があったのが3社なので、打率は高かった。
6月の給料日に日割りで入る(20日締めなので、ひと月分はもらえない)分で、
なんとか預金はセーフになりそうだ。家賃も払えるな。

ところがだ、入社の打ち合わせであることが発覚した。
「6月に社員旅行があって、台湾に行く」んだと!(笑み)
旅費については、給料から積み立てて、社員の希望で毎回の行き先が決まる。
私と、同時に入る2人は次回の分の積み立てに上乗せして後払いになるんだと。
入社日に用意するものに、古い保険証だとか、前の会社の源泉徴収票なんかがあるが、
それに「パスポート」が追加された。
ちなみに、タイトルのとおり、我々3人の歓迎会はこの旅行で行うらしい。

高校時代にアメリカ・ネブラスカ州に語学研修(七割あそび)に行って以来、
海外には行ってないので、パスポートは当然ない。
ネブラスカの州都・リンカーンにはシカゴから国内線で行くのだが、当時成田-シカゴ直行便はなかった。
サンフランシスコで乗り継ぎをして行ったのだ。おかげで両都市の観光もできたけどね。
それ以来の海外。っても、台湾ってえらい近所やね。
パスポートは10年旅券が15000円、5年旅券が10000円。
どう考えても10年持てるほうがいいよな。
ってことで金がないのに15000円の出費をすることになった。

給料の振り込みも三井住友だけというので、この銀行の口座も作らなきゃならない。
給料入ったらこれまでの口座に移してかないと。ライフラインの引き落としがあるからなぁ。
あぁ、めんどくさい。


あ! 画像が今回ない。
これを貼っておくか。DTPにちなんで。



パチンコ店「ダイナム」のお店のチラシ用に作った原始人。
原始人はオカッパではないんだけど…。
当時の私の頭の中では、原始人とこの現代に残っているどこかの部族と一緒になっていたらしい。

傍点を打たんでもわかるもの、フン!

at 2004 05/24 22:58

前回書いたとおり、急に台湾に行くことが判明。
21日、パスポートを申請しに行って来た。

ネットで調べたところ、パスポートは申請後、受け取りまで6営業日かかるそうな。
私が新しい職場に就く31日に持っていくことになっているので、28日の金曜に手にする必要がある。
ということで、一週間前の金曜である21日はまさにリミットだった。

前日20日、前の会社からの書類が来たらしく、郵便の不在票が入っていた。
こちらも大事な書類なので、ほっとくわけにはいかない。
20日のうちにプッシュホンで21日の9時-12時に再配を指定、来たのは11時だった。
台湾行き判明後2日間はなんだかんだで申請に行けなかったので、リミットぎりぎりの日でもありちょっとあせっていた。

旅券の申請は、私の住処からだと松戸駅前の東葛飾旅券事務所が近いといえば近い。
んが、本籍が東京都豊島区なので、申請に必要な戸籍謄本は池袋にある豊島区役所に行かなきゃいけないのだ。
まだ謄本は用意していないので、昼に家を出てブクロに向かう。
大手町から丸ノ内線に乗り換え。
この電車、土地の起伏の激しいところを貫いているので、御茶ノ水、後楽園、茗荷谷で外に顔を出す。
5月下旬、わりと過ごしやすい気温の真昼。茗荷谷周辺は沿線に緑が多く見えて、すんごく清々しい風景。
はぁ、こんなきもちのよい平日の昼間にプラプラ散歩できたらいいのになぁと思いつつブクロ着。

ブクロに来たのは店長(このサイトのリンク先の“店長”)とえびボクサーを観に来て以来だ。
どうしようもないC級映画だが、あまりの出来に逆に世の注目を集めた映画だ。

 えびパンフ 広げると横に6匹つながってるのだ(笑み)

 

周りの風景は来るたびに変わっているようにも感じるが、豊島区役所はいかにもお役所的な堅いビルヂングのままだった。
案内表記は英語のほか中国語やハングルなど、いろんな言語が併記されている。
だいぶ前に訪れたときは謄本が出てくるのに結構待たされたが、今回はすぐだった。
こういうところもパソコンの発達なんかがからんでるんだろうな。
入ったときに何かを訪ねていたベンガル系(俳優のベンガル似、の意味ではない)の女性が、帰るときもまだ何か訪ねていた。
この区役所はホント、いつ来ても国際色豊かだ。

山手線で日暮里へ向かう。相変わらず沿線の緑がキレイだ。
日暮里から常磐線で松戸へ。
緑色の“快速”をやりすごし、5分あとに来る取手より奥へ行く“普通列車”に乗る。
快速がとにかく混んでたので、5分後の列車なら空いてるだろうし、
ボックスシートの古い電車も走ってるので、それが来たらプチ旅気分なのだ。
来た電車はボックスシートではなかった。んが期待どおり、座席が埋まりきる寸前くらいの乗車率だった。

ほどなく睡魔に襲われ、気づいたら松戸。座ったら何でも同じだったようだ。
旅券事務所はちばぎんビルの3階。
松戸の西口はロータリーの上を覆うようにペデストリアンデッキが設けられている。
ちばぎんの看板はそのデッキからすぐに見つけた。最寄りの階段へ向かうとこんなモノが…



堂々と「松戸市役所」と署名しちゃった。
しかもポイントポイントに傍点が…
ハト糞に困ってることはわかったが、松戸のセンスが計り知れた。
松戸市というと、マツモトキヨシの創業者・松本清氏が市長を務めていたときに設けた「すぐやる課」が有名。
薬局マツモトキヨシもすぐやる課も、ヒネリもなにもないネーミング。
マツキヨの遺志がこのフン看板に受け継がれている(笑み)

それにしても、マツキヨは市長在職時は無報酬で働いたんだとか。
ボランティア市長とは、恐れ入りました。
(つづく)

上野の森で白いたろうと再会

at 2004 05/25 23:47

(前回のつづき)
パスポート申請はあっさり終わり、もっと遅く家を出てもよかったと後悔する。
この日はFs-ダイエーの試合が東京ドームであり、私はチケットをもらって観に行くことになっているのだ。
プレイボールは18時。いまはまだ15時前だ。
家に一度戻るなら新松戸を回って西船橋から東西線に乗るのだが、そうすると家にいてもすぐ出るような感じになりそう。
それよりも、電車賃がもったいない。

…ということで松戸から再び常磐線で都内へ戻ることにした。
快速でそのまんま終着の上野に到着。
茗荷谷で刺激された5月のお昼の緑を思い出し、改札を出て上野公園に入る。
いい時間つぶしの場所があったじゃないの。

上野の森というと、何てったって西郷さんだ。
西郷どんは山手線や京浜東北線の中からも見える、大通りに面したところに立っている。



この像、けっこうアタマが大きい。
トリビアの泉でやっていたが、隆盛というのは本来の名前ではなく、身内の別の人の名前らしい。
戸籍を作るときに知り合いが手続きをやったそうで、その人が勘違いして登録しちゃったそうだ。
よく見る肖像画だか肖像写真だかも本人とはけっこう違うんだとか。
あんまりそういうのを気にしない人だったのか?

4月にはよっぱらいでいっぱいであったであろう、桜並木を進む。
トンネルのような並木は昼でもうす暗いが、涼しくて気持ちがいい。
以前一度試合をしたことがある、とっても狭い野球場の脇をとおり、別の銅像を目指す。
野口英世だ。
西郷どんはあまりにも有名だが、上野公園には英世ちゃんもいることはあまり知られていない。

人の出はものすごい。平日の昼とは思えない。
そこには観光客、修学旅行のガキ、アート系の人や学生、
カップル(女が10は若そうな、おまえらどういう関係? 系多し)、ビニールシート族(以下、ビニラー)などがいる。
よく、山手線に乗っていると東京駅を境に客の顔がガラっと変わるというが。
上野という土地は、いかにもアジアンな顔の人… 言い換えれば、垢抜けない、素材そのものの人々が多い。
アート系の人だけは異彩を放っているが。

そんな人混みの奥に国立博物館が見える。
和風の大きな建物をバックにそんな顔ぶれを見ていると、どことなく昭和な気分になる。
国立博物館に向かってさらに進む。
並木が終わって、左に動物園を見る、噴水池の手前のひらけたところに人だかりができている。



アート系!(笑み)
芸術作品のマネをする「人間美術館」のパフォーマンス中だった。

東京都には石原都知事が設けた「ヘブンアーティスト制度」がある。
路上などの活動は本来警察や自治体に事前に許可を得た上でやるのが決まりだが、
都会では許可がなかなか下りにくく、無許可での活動が当たり前の状況になっていた。
それを解消するために歩行者天国(=ヘブン)で活躍するストリートパフォーマー・大道芸人に
ライセンスを発行して、都が公共の場所の一部を活動の場として提供するというもの。

この人、私は知っている。たろうさんだ。
中3の芸術鑑賞会かなんかで、学校に「円形劇場」というシンプルな名前の劇団がやってきた。
体育館の真ん中にまさに円形のステージをつくり、演劇をする。
戦争がらみの話。校長が学ランを着て演技に参加したり、
爆撃機が襲ってくるシーンでは生徒各自が用途を知らされずに折ってきた紙ヒコーキを飛ばしたりする。
私は当時、なんだか手伝いをする役のひとりになってしまい、前日の放課後に体育館に集まらされた。
そこにいたのが、この劇団の中で一番目立っていたこのスキンヘッドのたろうさんだった。
誰ともなく「たろうです、ヨロシク」みたいな自己紹介をしたので名前を憶えてるのだ。
陣内孝則をもっと濃くしたような顔は一度見たらなかなか忘れない。
「飛行機が飛んでくるシーンがあるから、キミたちが率先して紙ヒコーキ投げて」的な指示を受けた。
ほか、いろいろ演出にからむ指示をされたが、あまり憶えていない。

帰宅後ネット検索したら、芸名は雪竹太郎という。
私は中学で見て以後、テレビで大道芸をやっているニュースで何度か目にした。
1992年に静岡の公園で行われた第1回の大道芸ワールドカップでは見事優勝。
どう見てもあのたろうなのだが、ニュースでは声が聞こえずわからない。
声も陣内っぽくちょっとハスキーだったので憶えていたのだ。



体にあえてぞんざいに白い塗料をつけたたろうは演目を続ける。
人間美術館は、「しゃちほこ」を終え、どうやら最後の演目になった。
「ゲルニカ」。ピカソの有名な作品で、たしか、人々が苦しんでいる様子がモチーフだったはず。
たろうはしゃべりはじめた。
「4-5人手伝ってもらいたいんですが」
その声はまさに15年前に聞いたあのたろうの声だった。
たろうを間近で観ていた人たちが引っ張られてく。もちろん強引ではなく合意のうえで。
私も間近で観ていたのだが、ケイタイをのぞくフリをしてなんとか逃れた(笑み)
ひとりで来てるもんでね、はずかしさを語る相手もいないから… っていうか、単にはずかしいよな。



センターに選ばれたアート系の学生が指示を受ける。
たろうはベチャクチャしゃべることはせず、面白い顔をして間をとる。
ゲルニカは指示通りポーズをとる4人のシロウトを混ぜて完成。

 

たろうは左端でこんな動きを。
演目が終了すると、集金タイム。たろうは下を向き、かごを差し出して無言で立ちつくす。
人だかりは多かったが、8割の人はそのまま逃げるように散らばって行った。
私もFAの身で財布の中はさみしいので、100円玉を投げ込んだ。

集金が終わったら帰るのかと思い、中学のとき遭ったたろうさんかと訪ねようと静観していたら、
ふたたび



の状態に戻ってしまった(笑み)
そこへ近寄って話しかけるのはあまりにもブサイクな行為なので、泣く泣くその場を後にした。
でも間違いなくあのたろうだと思う。


この場を通ったのは野口英世の像を見るためだったことを思い出し、噴水の右側へ行く。
木が茂っているところで、西郷どんのように空が見えるスペースは見あたらない。
それでも西郷どんのあとに見た案内図のあたりをさがすと、いましたいました。

 

木々に囲まれた人気(ひとけ)のないところに英世は偉そうに立っていた。
もちろん写っていないが、手前には一人の老ビニラーが腰を落ち着けてボヤっとしていた。
観光客が次々にカメラを向ける西郷どんとは対照的な風景。
ひきの画(え)を撮りたかったが、放送禁止人物なのでやめといた。

英世を後にし、さらに北へ進むと国立科学博物館の前に出た。
博物館の脇にはシロナガスクジラの巨大像が! 英世とは存在感がまったく違う。
国立科学博物館では“スターウォーズ”の展をやっていた。
大道具や小道具が展示されている雰囲気で、とくにあの映画のファンではないが、時間つぶしにもってこいだ。
入場料を見ると、1400円くらいだった。もちろん撤退。
アメリカ人とおぼしき外国人観光客がチケットを買っていた。
日本人がニューヨークで寿司を喰うようなもんだ。

公園の真ん中にもどり噴水のうしろ側に回る。なにやら行列ができている。
イエスなんたらかんたらの人たちが炊き出しを行っていた。
ビニラーを甘やかすもんじゃない。炊き出しのウラでは、立派な住居を構えたビニラーが大勢いた。
国立博物館の目の前だ。なんという風景か。
私もあと一週間ちょいは無職といえば無職。将来あぁなることはないとは思うが…

不忍池に向かうため、ふたたびたろうの脇を通る。
まだまだ演目中だった。考える人をやっていたが、女子高生がキャーキャー喜んでいた。
話しかけることも当然できず、そのまま通り過ぎる。
お茶屋みたいなところの脇に鳥居があった。奥はちっさい鳥居がズラリと並んでいる。



京都市内の山の方に、こういう風景がありそうで、いつか行ってみたいと思っていたが、
上野公園にこんなところがあったとは知らなかった。花園神社。

 

崖を石段で下りていくと、奥に神社があった。
おまえらどういう関係? 系カップルがお参りをしていたが、チャリーン、ガラガラ、……。
神社は手を叩くのよ! バカップルはお寺式にただただ手を合わせていた。

不忍池に出る。
とにかくデカい。蓮だらけで、ハットリ君がピョンピョン跳んで行きそうな風景。
野鳥も多くいるようで、バードウォッチャーらしき人もちらほら。
そういえば、矢ガモが見つかったのもこの池だった。

上野公園を後にし、大江戸線の上野御徒町駅まで出て、飯田橋へ向かう。
東京ドームならひとつ手前の春日で下りてもいいが、飯田橋からドームへ向かう途中にあるスタバで一服しようと思ったのだ。
春日からの途中のラクーア内のスタバは席が少ないのでゆったりはできないのだ。

飯田橋の駅は神田川をくぐるためすんごく深い。
他の路線の乗り換え用の出口は、ホームから高いコンクリート壁の美術館の通路のような妙なところを通る。
改札を出て気づく。反対側の小石川出口なら、スタバはすぐ近くだった。
改札を出たのでそっちに回ることはできず、長いエスカレーターを何基も登ってようやく外に出る。
この駅はどこも化粧板を貼っていないので、コンクリート丸出し。床もなにも張られていない。
天井には配管をモチーフにしたような、照明を何基もぶらさげた緑のパイプが何本も並んでいる。
いかにも「デザインしました」的内装だが、仮設のようなイメージが強い。

外に出る。右に行けば交差点で歩道橋を渡って東京ドーム方面に行ける。
んが、階段は飽きたので遠回りだが、階段を上がらずに行ける裏道を通る。
目白通り、駅前の交差点から1つ先の信号の交差点に出る。
道を渡って古い鉄の歩道橋を渡ると、まさに「角のたばこ屋」があった。

 

店舗の角にはタバコと書かれた塔のようなものがついている。
2枚目の写真は夕日が入るのを避けるため、もうすこし右に寄りたいのをガマンして撮った。



ご覧のように、タバコの文字は赤と白のタイルの組み合わせで作られている。
その上にはみみずくのような形の中に家紋が。
和洋折衷。昭和の産物か、それ以前かはよくわからないが、当時の職人の洒落っ気が出ていてステキだ。

このたばこ屋の脇を通り、靖国通りに出て、スタバに入る。
あとはいい時間になったらドームに入るだけだ。
六本木ヒルズの事故により、ここの入り口の回転ドアーも使用中止になっていた。
そんな神経質にならんでもね。