●8 球団の系譜●

1リーグ時代の1945年秋・セネタース創立。翌46年より参加。1936年創設の東京セネタースは別会社。
資金難でユニフォームは何と阪急(現・オリックス)からお古を譲ってもらった。
阪急球団創設の1936年に使われたナスビ色のユニフォームは、左胸の大きな「H」の文字をはがし、胸に一切文字が入らない形で使われた。
1シーズンやったものの資金難は相変わらずで47年は東急のもとへ。東急フライヤーズとなる。
48年の1年のみ大映も経営に加わり急映フライヤーズ。
なお大映は翌年フライヤーズを抜けて金星スターズを引き継いで大映スターズ、57年に高橋ユニオンズを吸収し大映ユニオンズ、
58年に毎日オリオンズに吸収されて毎日大映(略称は大毎)オリオンズとなり、現在の千葉ロッテマリーンズへと至る。


49年からふたたび東急フライヤーズに。50年の2リーグ分立でパ・リーグの球団となる。
52年のフランチャイズ制導入で後楽園球場が本拠地となるが、読売ジャイアンツ、国鉄スワローズ、大映スターズ、毎日オリオンズの4球団との共同使用。
54年・東映が経営を携わり、東映フライヤーズとなる。
しかし、5球団中ワーストの集客力を理由に後楽園球場から追い出され、駒沢球場に本拠を移す。
山本八郎をはじめとした、ガラッパチ・荒くれ者の多いチームは「駒沢の暴れん坊」と称された。
チーム内でも殴り合いのケンカは日常茶飯事という、おとなしいイメージで世間から見られている今のFsとは全く違う気質だった。

59年・67勝63敗5分(設定は年間130試合。ただし引き分け再試合制)でセネタースから通じて初のAクラス入りと勝率5割以上を記録。
本拠を明治神宮球場に移した62年・名将水原茂監督のもと、78勝52敗3分(59年と同ルール)で初優勝。
阪神との日本シリーズは連敗、引き分けの後の第4戦に岩下光一のサヨナラホームランで勝つと、怒濤の4連勝で逆転日本一を遂げた。
シリーズMVPは土橋正幸・種茂雅之の「まさゆきバッテリー」が選ばれたが、MVP2人選出は過去この例一度きりである。
種茂は61年の8月に丸善石油からフライヤーズ入り。同じ61年8月は甲子園で優勝投手になったばかりの「怪童」尾崎行雄も浪商を中退して入団。
尾崎はロッキングモーションと呼ばれた独特のフォームから繰り出す胸元でホップする剛速球を武器に62年に20勝を挙げ新人王。
張本勲は.331・31本塁打でシーズンMVP。このふたりが優勝の原動力となった。
2006年にトレイ・ヒルマンが率いて日本一になるまで、永らくこの62年がこのチーム系統史上唯一の日本一。
以後、東映はほとんどが3〜5位という、強くもなく弱くもないチームになる。
なお、このページの下に出した表を見てもわかるが、61〜67年の水原監督時代は7シーズンすべて勝率5割以上・Aクラスをキープしている。
水原は巨人監督時代(55〜59年は水原円裕と改名)の51〜59年の9年の間に8度のリーグ優勝・4度の日本一に輝いているすごい監督なのだ。

本拠地は64年から後楽園球場に復帰となった。
後楽園を使用していた大映と毎日は58年に合併し大毎オリオンズに、62年に東京・南千住に新設した東京スタジアムへ移転した。
国鉄は入れ替わりに神宮球場に本拠を移し、5月にサンケイへ身売り。70年からヤクルトへと変わる。
これ以降、2003年まで巨人と東映〜日拓〜Fsの二球団のみが本拠地が被る形となる。
73年、日拓ホームに経営権が移る。
過去のオルタネイトユニフォーム」で扱ったとおり、後期から七色のユニフォームを用いて話題を集めたが、球団経営は1シーズンで終止符。
74年シーズンから現在の日本ハムファイターズ(Fs)に移行。
81年にリーグ優勝するが、日本一にはなれず。Fsの優勝争いに関しては「
5 優勝争い」参照。
88年・東京ドーム開場で巨人とともに後楽園球場から本拠地変更。
2002年シーズン中に2004年の札幌への移転が決定。球場は移れど創設以来東京にフランチャイズを置いてきた歴史が変わることになった。

2003年、東京ラストシーズンは球団史上初の外国人・トレイ・ヒルマンを監督に迎えたが、残念ながら5位で終了。
翌2004年、札幌ドームへ本拠を移し、ついに北海道日本ハムファイターズに生まれ変わった。
阪神からメジャーへ移っていた新庄剛志の獲得もあり、シーズン中盤から札幌ドームの三塁側スタンド
(球場の入口から近いため、三塁側ベンチがFs用)は常に大入りと言ってもよい状態になった。
打撃陣が引っ張るチームカラーでシーズン3位になるとともに、勝ち越しを達成。勝ち越しは、2000年以来となった。
この年、オリックスと大阪近鉄の合併構想がシーズン中に発表され、さらには10球団に絞った球界1リーグ化への動きが加速。
ロッテ・ダイエーや西武・ダイエーという組み合わせの合併交渉も水面下で進められていたことが発覚するなど、
プレー以外の面でもパ・リーグ、そしてプロ野球が大きく注目を集めた。
移転直後のFsだけは、6球団で唯一、合併の報道には絡まなかった。
同年導入された、シーズン3位までが参加できる日本シリーズ進出権争いのプレーオフの第1ステージに進出。
結果、1勝1敗で迎えた第3戦に西武・和田のサヨナラ本塁打に屈し敗退となったが、
この西武ドームで行われた3試合は日本のプロ野球ファンを唸らせる好展開のゲームの連発。
第3戦の試合終了時、サヨナラ弾で敗退決定の直後にもかかわらず、Fsファンが大拍手でナインを讃え、
優勝はできなかったものの、北海道Fs元年は大成功に終わったと言える。
翌2005年は新規参入の楽天が大負けをしたために、5位ながらプレーオフ進出の可能性が残り数試合というところまで消えなかった。
シーズン終了後ヒルマン監督の続投が決まったが、「昔の名前で出ていた」中堅・ベテラン(岩本、上田、西浦、石本など)のリストラを敢行。
コーチやスカウトもリストラが行われ、早くも2006年シーズンへ向けての準備が始まった。

この2006年のシーズンは就任4年目、札幌移転3年目となり、ヒルマン監督の手腕の真価を問う年になった。
これまでと一転してバント多用の日本型野球に転換したヒルマン野球は見事開花。
投手陣はセットアッパーに武田久と巨人から移籍の岡島を積極投入、クローザーにMICHEALを配し、価値パターンを確立した。
シーズン序盤に新庄の引退宣言が飛び出したこともあり、チームもファンも一体となり、見事シーズン1位通過を果たした。
プレーオフはこの年設置の新ルールで2ndステージに1勝のアドバンテージを持って参加。
2位・西武を倒して上がってきた3位・ソフトバンクに連勝してあっさり日本シリーズ進出を決めた。
日本シリーズでは初戦に敗れたものの、続く4試合は中日を圧倒。シーズンの勢いそのままに日本一を達成した。
アジアシリーズでは苦戦を強いられたが、予選3戦全勝、決勝でも台湾・LaNEWを下してアジア一にも輝いた。

2007年は人気・実力・リーダーシップを兼ね備えた小笠原と新庄、そしてセットアッパーの岡島が抜け、
投打の戦力ダウンから野球解説者の順位予想はみじめなものだった。
しかし、相手のエラーが決勝点になるなどの幸運とより進んだスモールベースボールで奇跡のリーグ2連覇を達成。
チーム打率・本塁打・得点がすべてリーグ最下位だったのだ。
また、外国人監督の複数回優勝および連覇もNPB史上初の出来事となった。
前年の新庄引退発表につづき、この年は9月にヒルマンの退任、ユキオの引退が早々に発表され、選手に発破がかかった。
プレーオフから進化したクライマックスシリーズも制して2年連続の日本シリーズ進出を決定したものの、
シリーズは初戦に勝って以降打線が沈んだまま4連敗。
最終戦は山井8イニング、岩瀬1イニングのリレー完全試合という大屈辱を味わった。

2008年の監督には元近鉄監督の梨田昌孝が就任。
人当たりがよくてしっかりした人なんだけど、近鉄時代は?な采配が多かっただけに、ファンとしては素直に心配だったが、
基本的にヒルマン監督のスモールベースボールを継承。シーズン3位に終わったが貯金4と健闘。
CSは第1ステージで2位オリックスを2連勝で撃破したが、2ndステージでは西武の前に2勝3敗(+西武に1勝分アドバンテージ)で敗れた。

2009年、シーズン途中までは断トツ優勝のペースで勝ち進んだが、新型インフルエンザという強敵に苦しめられた。
ダルビッシュの故障離脱も重なり一時は勢いが消えかけたが、最終的に踏ん張って優勝。
CS2ndステージで楽天をなんとかねじ伏せて日本シリーズに進んだものの、
シーズン無敗だったMICHEALに代わる新守護神・武田久が逆転サヨナラ負けを喫すなど、
ここ一番で巨人打線を抑えきれずに2勝4敗で敗れた。

2010年は交流戦でパ・リーグのチームの勝率が高かったため、パ・リーグないでは最下位の楽天が唯一借金を背負うような時期もあった。
シーズン最終戦を貯金7の3位で終えたFsだったが、2試合を残していたロッテが引き分けも許されぬ中連勝し、0.5ゲーム差で3位に滑り込んだ。
その後ロッテはCSを勝ち抜き史上初の3位からの日本シリーズ出場。さらにセ1位の中日も下して日本一に輝いてしまった。
交流戦でのリーグの力の差がそのまま出たような結果になった。

2011年は前半に低迷したものの交流戦で大きく勢いをつけたが、最強状態のソフトバンクと17.5ゲーム差のシーズン2位。
CSは札幌ドームでの1stステージで3位西武に連敗しあっけなくシーズンが終わってしまった。
レギュラーシーズンの最中に梨田監督の退任が発表され、シーズン終了後にプロでの監督・コーチ未経験の栗山英樹新監督が就任した。


セネタース〜フライヤーズ〜Fsまでの年度別成績、フランチャイズ、歴代監督などを下にまとめてみた。



表組みに関しては私Sizeが使用している環境で整然と見える(すべての年度が1行/前・後期制の時期は2行)ようになっています。
ただ、いろいろと環境は異なりますので、いささか見づらい方もいらっしゃるかと思います。ご了承下さい。

1946〜49年は1リーグ制(1リ) 1950年以降はパシフィックリーグ所属
本拠地制度は1952年から。
監督については正式な監督のみで代行を含まない。
年間順位の
小数字はリーグ参加チーム数。
基本的に引き分け再試合なし・勝率は(勝利数)÷(勝利数+敗戦数)で計算。
勝利数・敗戦数・引き分け数・勝率が太字の年度は球団史上最多記録。

以下は年度による例外ルール。

試合数赤字:引き分けは再試合で決着のため各球団試合数が異なる。
勝率青字:勝率算出時、引き分けも0.5勝0.5敗として含める。
1949年試合数各球団試合数が異なる。資料不足の為理由不明。
1951年試合数:日米野球開催のためシーズン途中で終了。各球団試合数が異なる。
1952年試合数
:引き分けは再試合で決着。また18回戦総当たり後、上位4チームはさらに4回戦総当たりを行い、その成績もリーグ戦の成績に含めた。6位の東急は4回戦リーグに参加できなかったので4チームより12試合ほど少ない。

【1973〜1982年】
前期・後期に分けた2シーズン制。
両期優勝チームでプレーオフシリーズを戦い、勝者が年間1位・優勝で日本シリーズ進出。
敗者と両期とも優勝できなかった5チームは年間勝率で2位以降に順位づけ。
このため、この期間のみ年間の勝率が順位に直接は結びつかない。
初年度である1973年優勝の南海は前期優勝・後期3位で年間勝率は3位だった。

2004年試合数:20世紀とはちがう新プレーオフ設置のため、前年よりシーズンを5試合減らして135試合制に。しかし、9月11日・12日の土日に設定されたセ・パの計12試合はオリックス・大阪近鉄の合併構想に端を発したチーム数削減への球界再編の動きに対する選手会のストライキがNPBでは初めて実施され、中止となった。準備期間不足のため代替試合は行わないということで終結。
【新プレーオフ】
2004年にシーズン終盤まで盛り上げて消化試合を削減するために設けられた策。シーズン2位と3位のチームで第1ステージ3回戦を行い勝ち越したチームがシーズン1位のチームと第2ステージ5回戦を行う。その勝者がリーグ優勝チームとなり、日本シリーズ進出。
新プレーオフ元年は2位・西武が3位・Fs、1位・ダイエーをそれぞれフルゲームの末破り日本シリーズへと進出。3年目の06年にFsがようやくシーズン1位からそのまま優勝した。
2004・2005年:第2ステージでは1位のチームがシーズン成績でその相手チームと5ゲーム差以上離している場合、1位のチームに1勝が試合をせずに与えられる。
2006年:第2ステージは1位のチームが1勝した状態で始める。

【クライマックスシリーズ】
2007年:パのみで行われていた形のプレーオフ(以降パ新PF)をセも導入。セ・パ共通のシステムとなった。パのプレーオフ待ちでモチベーションを保つのが難しかったセ優勝チームの不利も解消されることに。
公募により「クライマックスシリーズ(略記CS)」という呼称に決定。リーグ上位3チームが3回戦・5回戦の勝ち抜きを行うのはパ新PFと同様。しかしパ 新PFが「プレーオフを制してはじめてリーグ優勝」だったのに対しCSは「リーグ優勝はレギュラーシーズン1位のチーム」という従来の形式に戻された。つ まり、2位・3位チームが勝ち上がった場合は「優勝していないが日本シリーズ進出」という扱いになる。そのためか、パ新PFで06年に追加された「1位 チームに第2ステージで1勝分のアドバンテージ」というルールは採用されなかった。
2008年〜:「第2ステージで1位チームに1勝分のアドバンテージ」を適用。以降同じ。
2010年:クライマックスシリーズ第1ステージを「ファーストステージ」、第2ステージを「ファイナルステージ」に改称。


年  度 チ ー ム 名 本拠地
監  督

試合 勝率
年間順位
1946/昭和21年
セネタース
横沢三郎
105 47 58 0 .448 (1リ)
5位/8 46
1947/昭和22年
東急フライヤーズ
苅田久則
119
51
65
3
.440
(1リ)
6位/8
47
1948/昭和23年
急映フライヤーズ
苅田久則
140
59
70
11
.457
(1リ)
5位/8
48
1949/昭和24年
東急フライヤーズ
井野川利春
138
64
73
1
.467
(1リ)
7位/8
49
年  度
チ ー ム 名
本拠地
監  督

試合



勝率

年間順位

1950/昭和25年
東急フライヤーズ
安藤忍
120
51
69
0
.425

6位/7
50
1951/昭和26年
東急フライヤーズ
安藤忍
102
38
56
8
.404

6位/7
51
1952/昭和27年
東急フライヤーズ
後楽園球場
井野川利春
108
49
59
0
.454

6位/7
52
1953/昭和28年
東急フライヤーズ
後楽園球場
井野川利春
120
50
67
3
.427

6位/7
53
1954/昭和29年
東映フライヤーズ
駒沢球場
井野川利春
140
52
86
2
.377

7位/8
54
1955/昭和30年
東映フライヤーズ
駒沢球場
保井浩一
143
51
89
3
.364

7位/8
55
1956/昭和31年
東映フライヤーズ
駒沢球場
岩本義行
154
58
92
4
.390

6位/8
56
1957/昭和32年
東映フライヤーズ
駒沢球場
岩本義行
132
56
73
3
.436

5位/7
57
1958/昭和33年
東映フライヤーズ
駒沢球場
岩本義行
130
57
70
3
.450

5位/6
58
1959/昭和34年
東映フライヤーズ
駒沢球場
岩本義行
135
67
63
5
.515

3位/6
59
1960/昭和35年
東映フライヤーズ
駒沢球場
岩本義行
132
52
78
2
.400

5位/6
60
1961/昭和36年
東映フライヤーズ
駒沢球場
水原茂
140
83
52
5
.611

2位/6
61
1962/昭和37年
東映フライヤーズ
神宮球場
水原茂
133
78
52
3
.600

1位/6
62
1963/昭和38年
東映フライヤーズ
神宮球場
水原茂
150
76
71
3
.517

3位/6
63
1964/昭和39年
東映フライヤーズ
後楽園球場
水原茂
150
78
68
4
.534

3位/6
64
1965/昭和40年
東映フライヤーズ
後楽園球場
水原茂
140
76
61
3
.555

2位/6
65
1966/昭和41年
東映フライヤーズ
後楽園球場
水原茂
136
70
60
6
.538

3位/6
66
1967/昭和42年
東映フライヤーズ
後楽園球場
水原茂
134
65
65
4
.500

3位/6
67
1968/昭和43年
東映フライヤーズ
後楽園球場
大下弘
135
51
79
5
.392

6位/6
68
1969/昭和44年
東映フライヤーズ
後楽園球場
松木謙治郎
130
57
70
3
.449

4位/6
69
1970/昭和45年
東映フライヤーズ
後楽園球場
松木→田宮謙次郎
130
54
70
6
.435

5位/6
70
1971/昭和46年
東映フライヤーズ
後楽園球場
田宮謙次郎
130
44
74
12
.373

5位/6
71
1972/昭和47年
東映フライヤーズ
後楽園球場
田宮謙次郎
130
63
61
6
.508

4位/6
72
年  度
チ ー ム 名
本拠地
監  督

試合



勝率
順位
年間順位
年間勝率

年度
1973/昭和48年
日拓ホームフライヤーズ
後楽園球場
田宮→土橋正幸 前期 65
25
37
3
.403
5位/6
5位/6
.444
73
後期 65
30
32
3
.484
4位/6
1974/昭和49年
日本ハムファイターズ
後楽園球場
中西太
前期 65
25
36
4
.410
6位/6
6位/6
.395
74
後期 65
24
39
2
.381
6位/6
1975/昭和50年
日本ハムファイターズ
後楽園球場
中西太
前期 65
27
30
8
.474
4位/6
6位/6
.466
75
後期
65
28
33
4
.459
5位/6
1976/昭和51年
日本ハムファイターズ
後楽園球場
大沢啓二
前期 65
26
31
8
.456
4位/6
5位/6
.437
76
後期
65
26
36
3
.419
5位/6
1977/昭和52年
日本ハムファイターズ
後楽園球場
大沢啓二
前期 65
31
29
5
.517
4位/6
5位/6
.487
77
後期
65
27
32
6
.458
4位/6
1978/昭和53年
日本ハムファイターズ
後楽園球場
大沢啓二
前期 65
29
31
5
.483
3位/6
3位/6
.466
78
後期
65
26
32
7
.448
4位/6
1979/昭和54年
日本ハムファイターズ
後楽園球場
大沢啓二
前期 65
34
26
5
.567
3位/6
3位/6
.512
79
後期
65
29
34
2
.460
4位/6
1980/昭和55年 日本ハムファイターズ 後楽園球場
大沢啓二
前期 65
33
28
4
.541
3位/6
3位/6
.555
80
後期
65
33
25
7
.569
2位/6
1981/昭和56年 日本ハムファイターズ 後楽園球場
大沢啓二
前期 65
31
31
3
.500
4位/6
1位/6
.557
(P.Off○)

81
後期
65
37
23
5
.617
1位/6
1982/昭和57年 日本ハムファイターズ 後楽園球場
大沢啓二
前期 65
32
29
4
.525
4位/6
2位/6
.563*

(P.Off×)

82
後期
65
35
23
7
.603
1位/6
年  度
チ ー ム 名
本拠地
監  督

試合



勝率

年間順位
年度
1983/昭和58年 日本ハムファイターズ 後楽園球場
大沢啓二

130
64
59
7
.520

3位/6
83
1984/昭和59年
日本ハムファイターズ
後楽園球場
植村義信→大沢

130
44
73
13
.361

6位/6
84
1985/昭和60年
日本ハムファイターズ
後楽園球場
高田繁

130
53
65
12
.449

5位/6
85
1986/昭和61年
日本ハムファイターズ
後楽園球場
高田繁

130
57
65
8
.467

5位/6
86
1987/昭和62年
日本ハムファイターズ
後楽園球場
高田繁

130
63
60
7
.512

3位/6
87
1988/昭和63年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
高田繁

130
62
65
3
.488

3位/6
88
1989/平成元年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
近藤貞雄

130
54
73
3
.425

5位/6
89
1990/平成2年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
近藤貞雄

130
66
63
1
.512

4位/6
90
1991/平成3年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
近藤貞雄

130
53
72
5
.424

4位/6
91
1992/平成4年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
土橋正幸

130
54
73
3
.425

5位/6
92
1993/平成5年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
大沢啓二

130
71
52
7
.577

2位/6
93
1994/平成6年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
大沢啓二

130
46
79
5
.368

6位/6
94
1995/平成7年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
上田利治

130
59
68
3
.465

4位/6
95
1996/平成8年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
上田利治

130
68
58
4
.540

2位/6
96
1997/平成9年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
上田利治

135
63
71
1
.470

4位/6
97
1998/平成10年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
上田利治

135
67
65
3
.508

2位/6
98
1999/平成11年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
上田利治

135
60
73
2
.451

5位/6
99
2000/平成12年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
大島康徳

135
69
65
1
.515

3位/6
00
2001/平成13年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
大島康徳

140
53
84
3
.387

6位/6
01
2002/平成14年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
大島康徳

140
61
76
3
.445

5位/6
02
2003/平成15年
日本ハムファイターズ
東京ドーム
トレイ・ヒルマン

140
62
74
4
.456

5位/6
03
年  度
チ ー ム 名
本拠地
監  督

試合



勝率
P.Off
年間順位
年度
2004/平成16年
北海道日本ハムファイターズ
札幌ドーム
トレイ・ヒルマン

133
66
65
2
.504

3位/6
04
2005/平成17年
北海道日本ハムファイターズ
札幌ドーム
トレイ・ヒルマン

136
62
71
3
.466

5位/6
05
2006/平成18年
北海道日本ハムファイターズ
札幌ドーム
トレイ・ヒルマン

136
82
51
0
.603
2○
1位/6
06
年  度
チ ー ム 名
本拠地
監  督

試合



勝率
年間順位
CS
年度
2007/平成19年
北海道日本ハムファイターズ
札幌ドーム
トレイ・ヒルマン

144
79
60
5
.568
1位/6
2○
07
2008/平成20年
北海道日本ハムファイターズ
札幌ドーム
梨田昌孝

144
73
69
2
.514
3位/6
1○/2×
08
2009/平成21年
北海道日本ハムファイターズ
札幌ドーム
梨田昌孝

144
82
60
2
.577
1位/6
2○
09
2010/平成22年
北海道日本ハムファイターズ
札幌ドーム
梨田昌孝

144
74
67
3
.525
4位/6

10
2011/平成23年
北海道日本ハムファイターズ
札幌ドーム
梨田昌孝

144
72 65 7 .526 2位/6 1× 11
2012/平成24年 北海道日本ハムファイターズ 札幌ドーム 栗山英樹
144





12

は日本一シーズン、“P.Off”はプレーオフ、“CS”はクライマックスシリーズ。1は第1ステージ、2は第2ステージ。○:勝利、×:敗退)
*:1982年は年間総合勝率1位

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