●過去のオルタネイトユニフォーム●

日拓ホームフライヤーズの「七色」
1973年の1シーズンのみの存在だったチームが日拓。
東映フライヤーズと日本ハムファイターズの中継ぎになった形。
この日拓、73年前期は東映のものを継承して企業名がらみを変更しただけのものだったが、
後期になんとホーム(H)・ビジター(V)合わせて7種類のユニフォームを作ってしまった。
濃い色の面積が多いものが多く、奇抜なものばかりだった。チームの身売りとともに4カ月弱で消滅。
(雑誌をスキャンした画像を載せていましたが、やはりいいことではないので削除しました。外部からの注意を受けたわけではありません)


中日の「サンデー」
計画ではナゴヤドーム移転の年に登場するはずだったノースリーブの日曜のホームゲーム限定ユニフォーム。
事情は知らないが採用は1年ずれこみ、ドーム2年目の1998年に登場した。
選手会からの要望により実現したという。
ドジャース風の従来のスタイルから脱皮して、青は紫に近い色にチェンジ。
上下どころかキャップにもピンストライプが入り、上着は背ネームナシ。
大きく翻って1967年の夏以降にも中日はノースリーブを使用したが、チームは最下位。
選手の評判も悪く廃止になり「サンデー」はそれ以来のノースリーブだったが、
今度はそのユニフォームを着る日曜の勝率が非常に悪く、またまた1シーズンで廃止となってしまった。


近鉄の赤
1997年・ナゴヤと同時に開場した大阪ドーム移転を機に、近鉄は長らく変化のなかったユニフォームを一新した。
一流デザイナー・コシノヒロコのデザインによるものだ。
バファローズの由来である千葉茂元監督の友人である巨匠・岡本太郎のデザインした猛牛マークは継承された。
しかし、ハンパな色調の赤と水色のロゴが入った新ユニフォーム(特にホーム用)はウケがよくない。
そんな中で目をひいたのはビジター用が黒地と赤地の2パターン用意されたこと。
赤は1999年まで3年間だけ使われた。社会人野球にありがちな雰囲気だった。
当初黒がデーゲーム用、赤がナイター用の予定だったが、黒は金〜月曜用、赤は火〜木曜用となった。
近鉄山本和範の最後の試合となった1999年9月30日のダイエー×近鉄戦は木曜日の試合。
山本はすでに次季戦力外通告を受けており、球団は引退試合のつもりで古巣のダイエー最終戦に出場登録した。
ダイエーはすでに優勝を決めている。南海時代につくられた応援歌がレフト・ライト両スタンドから流れる中、
スタメン出場の山本はそれまで14勝無敗だったダイエー・篠原貴行に初黒星をつける決勝ホームランを9回に放つ。
この試合で動けることを他球団にアピールして翌年も現役を続ける、という望みを持っていた山本は、
超のつく大歓声の中万感の思いでホームイン。
「これ以上のシーンはもう味わえない」と判断し、引退を決意したという。
話が長くなったが、この感動の一戦が「赤ユニ」の最後の試合でもあったのだ。


ヤクルトの赤
ヤクルトは1999年にビジターユニフォームを変更。
水色の濃淡の生地を縞状に編み込んだ独特のデザインから、濃紺ベースのクラシカルなモノに代わった。
当初、選手達の意見からアンダーシャツは赤にするはずだったが、
最終的に決定したのは上着と同色の紺のアンダーシャツだったのだ。
しかし、選手から「渋いどころか、地味すぎる」との意見が出た。
池山はキャンプで赤いシャツを持参し、配色はこうであるべきだとアピールをしたりもした。
結局「夏季用」としてビジター用を赤袖シャツ・赤庇キャップに変更、
この99年と翌2000年に、夏からレギュラーシーズン終了まで着用した。
2001年は後半戦になっても赤セットは着用されなかった。ところがその年、意外な形で「赤」が復活した。
1位を行くヤクルトは、天王山となった9月22日からの対巨人三連戦の一・二戦を連敗してしまう。
第二戦終了後、高津臣吾のひと声で「明日は気分を変えて赤を着よう」ということになった。
この三連戦は神宮で行われていたので、ホーム用の上下に赤袖、赤庇という奇妙なスタイルだった。
コーディネートは決していいとは言えないシロモノだった。
試合前から一試合限定でのゲンかつぎと決まっていたが、この試合は先発入来の力投報われず逆転負け、巨人に三連敗した。
なお、この「赤袖、赤庇」は2002年現在もパターンの1つとして登録されているとのこと。
今後も特別なときに復活があるかも⋯


千葉ロッテの「夏季日曜ホーム限定」
ロッテはホーム用を2002年現在のピンストライプに移行後、夏季限定サンデーユニフォームを何度か作っている。
1997年は白地のサンデーキャップ。1998年はノースリーブ上着で胸は「Marines」のフルロゴ。
あと、ピンストライプがない白無地のユニフォームで胸も「Marines」のフルロゴ⋯
というのをケーブルテレビでやっているロッテ応援番組「ロッテレビ」で見たことがある気がするんだけど⋯


巨人の「背ネームなし」
2001年は巨人が主催3連戦の中日(なかび)に限り背ネームのないものを着た。
期せずして同じ年からビジターユニフォームが背ネームナシになった阪神との開幕第2戦はなかなか新鮮だった。
日本のプロの試合で両チームとも背ネームナシで行われたのはいつ以来だったのか知りたいところ。
前年オフから「3番が復活した長嶋茂雄監督だけ背ネームなしに」なんていう話が出ていたが、全員に反映された。


松中の角張ってる背番号

2001年・ダイエーの松中信彦が、丸い書体であるはずの背番号をひとり角張った書体にしてユニフォームに着けた。
スポーツニュースの開幕戦試合速報で松中を見て「あ、ダイエーの番号の書体が変わったんだ」と私は思った。
ところが、その後の試合速報を見ている限り、書体は丸いままだった。その後東京ドームで実見し、それは間違いなかった。
開幕してすぐにケガした松中は5月に復帰した。そのニュースで松中のみが角張った番号であることがわかった。
復帰後間もなく、松中の番号は他の選手と同じ丸い書体に戻った。
たぶん、意匠が違うのでリーグから注意を受けたんだと思う。
この話に関して詳しく触れているメディアを未だ見つけていないので、当時の事情を知りたいところ。
あ、これオルタネイトユニフォームじゃないじゃん⋯


ホーム用複数パターン
ロッテは2004年に「火消し」の法被をイメージしたホーム用の「サンデーユニフォーム」を作成。
これはシャツのみで、パンツは従来のストライプのまま。
ストライプのないシャツとパンツは明らかなミスマッチで非常にお寒い組み合わせだった。
翌05年は従来のストライプに加え、前年のサンデーユニフォームをベースにした
上下トータルデザイン2種の計3種がホーム用となった。
後者はシャツが1種でパンツが白地と黒地の2種だが、黒地は明らかにダサく評判が悪かった。
この3種は先発投手がチョイスすることになっていたが、予想どおり黒パンツはなかなか選ばれず、06年は日の目を見ていない。
05年に「オリックスバファローズ」となったオリックスは、
旧球団の使用していた大阪ドーム(→京セラドーム大阪)とスカイマークスタジアムをダブルフランチャイズとした。
ブルーウェーブ時代からのロゴ文字の変更のみのスカイマーク用と、
近鉄をイメージし帽子に赤、肩に青を入れた大阪ドーム用の2種のホーム用ユニフォームが誕生した。
翌06年はこの大阪ドーム用ユニフォームの花文字ロゴがスカイマーク用・ビジター用にも波及した。
巨人は06年にサンデーユニフォームを新調。
イタリック体の背番号や斜めのラインを意識させるパターンなど、巨人としては革命的なデザインとなった。


交流戦
オリックスと大阪近鉄の合併に端を発した2005年のプロ野球の改革として導入されたセ・パ交流戦。
交流戦の期間中にユニフォームを変えたのが横浜、阪神、楽天(06年ホームのみ)だ。
横浜はほかにも帽子のみ変えたり、夏季にさらに別デザインのユニフォーム(ホーム・ビジター)を作ったりと楽しませてくれている。
阪神は黄色の入ったレトロユニフォームを採用したが、
2007年は基本のユニフォームがこの黄色入りをベースにしたものに変更された。

…などなど、交流戦開始以降、オルタネイトは私の希望が叶った形で国内各球団がこぞって作るようになった。
もはやここに挙げるまでもなくなったので、この項はこれにて更新終了。
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