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大阪で火がついた


日本全国区のメディア発信は東京一極に集中してしまっている。
日本全国どこにいっても東京から発信された情報であふれかえっており、東京ローカルな情報まで全国化されている。
そのような中、アンチ東京、大阪の反骨精神の代表格といえるFM802が健闘している。
我々、リスナーはその事実に誇りを持ち、FM802に対する支持とエールを送り続けたい。【わんたん】
(以下、2001/05/08付 毎日新聞 夕刊より抜粋)

無名から全国ヒットへ

 矢井田瞳、ラヴ・サイケデリコ、花*花、aiko・・・・・・。Jポップ(日本のポップス)の個性的なアーティストたちは最近、 大阪からブレークする。無名の時代にインディーズで売り出され、その歌が全国区になっていく。火付け役はローカル局 「FM802」(大阪市北区天神橋)。メガヒットを量産する小室ファミリーも「モー娘。」もジャニーズ系も流さず、 我が道を進む。関西圏のシェア(全ラジオ、週平均6〜24時、ビデオリサーチ調べ)は現在42.7%と断トツ。 大手ネット局をしのぐホットな電波にチェックを入れた。【因幡健悦】

つけたのはFM802

アイドル歌謡、演歌なし

我が道を行く

 開局は89年。地方分権ブームで生まれた第2FM局だ。 打ち出した戦略は、ミドルティーンから30代半ばまでの世代が好む音楽への特化。 放送をJポップと洋楽の2本立てにし、アイドル歌謡、演歌、クラシック、ジャズ(メーンストリーム)はバッサリ切り落とした。
 「無名だから、局の存在をアピールできる放送が不可欠だった。全方位の薄いものではなく、マーケットとリスナーを はっきりと意識できる濃い中身にした」と編成課長の古賀正恭さんは当時を振り返る。
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 音楽業界は東京の一極集中だった。アーティストたちは皆、東京から大手資本の力を背景に売り出された。 802はこうした「ホストコンピュータ型社会」に挑むことで自己の確立を目指した。
 結果として、売れていない曲をオンエアするのだから営業は頭を抱えたが、翌90年夏、重点的に放送するヘビーローテーション にしたKANの「愛は勝つ」が爆発的に売れ、全国ヒットの第1号になった。
 その後もスピッツやミスター・チルドレンなど今のビッグネームの原石を発掘しては、 重点的に流すヘビーローテーションに載せ続けた。
 「スピッツは2回挑戦したんですが、当時はダメでした。それでもヒットするといいな、してほしいなという感じでやってきた」 (古賀さん)

ウルフルズ、ゆず、aiko

ヤイコからは逆指名

相次ぐブレーク

 マイ・リトル・ラバー(95年)、ウルフルズ、エレファント・カシマシ、古内東子(96年)、山崎まさよし(97年)、 ゆず、宇多田ヒカル(98年)、ラヴ・サイケデリコ、矢井田瞳(00年)・・・・・・。
 ヘビーローテーションで取り上げられたアーティストはその後、相次いでブレークし、 仕掛け屋としての802は全国に知られるようになった。
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 「ヤイコ(矢井田瞳)は東京の知り合いがわざわざうちを指名してきた。本人が大阪に住む学生だったこともあるが、 802を使った方がいいと判断したんだと思う」(同)。大阪のインディーズで売り出されたヤイコは昨年、メジャーデビュー後、 わずか3カ月でアルバムチャートの首位に踊り出て、英国のヒットチャートでも1位になった。 そして、802が今注目しているのは男女デュオ、バーゲンズだ。

アクセス月3千万件

強みは固定客の多さ

 802の強さは固定客の多さにある。業界に先駆けて開設した終日BBS(電子掲示板、URL:funky802.com) のアクセスは月間3000万件。DJとリスナー、あるいはリスナー同士がネットを通じて強く結び付けられている。
 多くのメディアがあふれ、コンテンツ(中身)が問われる時代の先端を、802が突っ走る。

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