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ヒットを嗅ぎ分ける FM802的手法 [大阪発]


2002年10月19〜21日付の報知新聞に802に関する記事が載っていました。
以下、その内容です。 (情報提供 special thanks こうたさん)【わんたん】
(以下、報知新聞 2002年10月19〜21日付より)

【上】 ”全員一致”で選んだ曲を「ヘビーローテーション」

 矢井田瞳(24)や元ちとせ(23)ら多くのアーティストのブレークを”後押し”した大阪のFM局「FM802」が、 リスナー、音楽業界から熱い視線を浴びている。特定アーティストの新曲を集中してオンエアする 「ヘビーローテーション」システムの威力は強烈で、9月に取り上げた大阪出身の女性ボーカリスト・MINMI はオリコンチャートで3週連続ベスト10入りしている。「802」の成功の秘けつに迫る。

 「FM802」のエポックとなったのは1989年6月。当時、米国のラジオ局で定着していた 「ヘビ−ローテーション」を取り入れたことだ。同じ楽曲を各番組で最低1回以上かけるという今までの FM局にない、ざん新なシステム。「僕らが良いと思う音楽が(ヘビーローテーションで)起点になって広がっていけば、 と考えた」と話すのは同局編成部の古賀正恭プロデューサー(43)。
 手探りでスタートしたシステムは、人気が定着したミュージシャンを紹介したり、複数のアーティストを取り上げたり 試行錯誤の連続だった。89年の暮れ、3月にデビューしたばかりの「DREAMS COME TRUE」の 「サンタと天使が笑う夜」を取り上げたところ、リスナーから問い合わせが相次いだ。 「有名アーティストよりも、比較的新しい人たちをやっていこう」(古賀プロデューサー)と方向性が固まる。
 そして、KAN「愛は勝つ」(90年8月)、J−WALK「何も言えなくて」(91年12月)。 取り上げた当初は売り上げに結びつかなかったものの、ともに発売数ヶ月後に大ブレークしていった。
 形を整えたシステムの成功の鍵は「802の全員が良いと思う曲を選ぶ」ことにある。 まず5〜20人の制作スタッフで構成される10チームが、取り上げたい1曲をノミネート。 ”候補曲”を5人のプロデューサーで最終決定を下す。全員一致が絶対条件。 耳のメディアだから、人気プロデューサーの曲やアイドルなど、テレビ規格のアーティストなどは一切取り上げない。 この徹底ぶりが局としての”ウリ”となっていった。
 90年以降、802は、シンガー・ソングライターの槇原敬之(91年1月「北風」)や男性3人組ロックバンド 「ウルフルズ」(96年1月「ガッツだぜ!」)などを全国へ発信、ヒットにつなげている。 最近では、今年の新人賞間違いなしの女性ボーカリスト・元ちとせが挙げられる。(森口宏平)

9千人イベント

「FM802」主催イベント「ミナミ・ホイール2002」が18日、大阪でスタート。 心斎橋のサンホールには4人組ユニット「B−DASH」が登場、詰め掛けたファンで盛り上がった。 4回目を迎えた国内最大級のライブショー。 「クラブ・クアトロ」など市内9か所のライブハウスで20日までの3日間、120組のアーティストが熱いステージを展開する。 同局でライブ放送するほか、インターネット生中継も。3日間で9000人の動員が見込まれる。

【中】 ヤイコ発掘で一躍全国区に

 数多くのアーティストをバックアップしてきた「FM802」にとって、最も存在感を見せつけた出来事は、 大阪在住の人気シンガー・ソングライター、ヤイコこと矢井田瞳(24)の発掘だろう。
 2年前、関西大学に通いながら、インディーズで活動していたヤイコに802のスタッフは 「元気で感情や主張をはっきり出して歌う子」と興味を持った。在京のマネジメント会社と協力して 「関西限定で売り出してから、東京に売り込む」というプランを作成。関西限定シングル「How?」を2000年5月の ヘビーローテーション曲に決め、果敢にプッシュした。
 狙いは見事にハマった。予想以上のヒットが、2か月後のメジャー進出に結びつく。 初アルバム「daiya-monde」がオリコンチャート1位を獲得するなど、ヤイコは順調にヒットメーカーに成長する。 802自体も「矢井田瞳のブレークをサポートしたFM局」として全国に名をとどろかせた。
 果敢に挑んだ「ヘビーローテーション」だが、ヤイコのような成功例ばかりではない。 特に悔しい思いをしたのが「Mr.Children」のケース。当時インディーズで活動中だったミスチルに注目したスタッフは 「メジャーデビューのタイミングで打ち上げたら面白い」と92年8月、メジャーデビュー曲「君がいた夏」を ヘビーローテーションに決定。残念ながら同曲はヒットに結びつかなかった。 しかし、4枚目のシングル「Cross Road」でブレークしたミスチルは、あっという間にトップアーティストに上り詰めた。
 今年、ミスチルは802最大の野外イベント「MEET THE WORLD BEAT」(7月21日)に出演予定だったが、 ボーカル・桜井和寿(32)が小脳梗塞(こうそく)で、参加を取りやめた。 桜井は自身のホームページで「802の方々、デビューして10年目の『君がいた夏』、 凱旋ライブのつもりで楽しみにしていたのに、逆にご迷惑をかけてしまったようです」とメッセージを発表。 桜井と802の絆(きずな)の強さ、アーティストからも信頼されるステーションを印象づけた。(森口宏平)

【下】 ビジュアル系の”仕掛け人”

 ヘビーローテーションの”候補曲”を選ぶ作業には、100人以上のスタッフやDJが参加する。 「本当に素晴らしい曲は、オンエアする側にとっても気持ちが良いですね」と話すDJの浅井博章(30)もその一人だ。
 浅井は「曲は必ずフルコーラスでかけること」を心がけている。 「曲を作ったアーティストに敬意を表しているからです。聴いている側も、曲が途中で切れたら怒るでしょう」と説明する。
一方で「ヘビーローテーションの曲紹介ネタが持たない」というDJならではの悩みもある。 「アーティストのプロフィルを毎日紹介するのもしつこいと思うので」レコード会社に情報をもらうなど工夫している。
 過去のヘビーローテーションで浅井の印象に残っているのが、大阪出身のビジュアル系バンド 「La'cryma Christi(ラクリマ・クリスティー)」の「With-you」(1998年5月)。 同曲はラクリマの”出世作”となり、ビジュアル系が普及するきっかけとなった。
 「ビジュアル系の曲がヘビーローテーションに選ばれたことは、業界全体にとってもすごいニュースでした」と浅井は振り返る。 FM局がビジュアル系に目を付けたのも画期的。彼らの音楽のクオリティーにほれ込んでの結果だった。
 「テレビの企画ものが売れていること」を浅井は嘆く。 「それだけに、ラジオのような『耳だけのメディア』から音楽を発信するには、ヘビーローテーションシステムは外せない」。
 強い信念と愛情を持って発掘したアーティストたち。メジャーに変身した彼らも”恩”を忘れない。 夏恒例の802主催のライブイベント「MEET THE WORLD BEAT」には、ドリカムや矢井田瞳らが駆け付ける。 元ちとせも802のイベントには積極的に参加している。それを目当てのファンも殺到する。 この”相乗効果”が802の確かな歩みを支えている。(森口宏平)
おわり
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