Profile
 軍人の父とバイオリニスト/ピアニストの母の間に生まれる。8歳の時に人気TVオーディション番組 『スター・サーチ』、12歳の時にはディズニーの人気TV番組「ミッキー・マウス・クラブ」にレギュラー 出演するようになった。その後も、ルーマニアのミュージック・フェスティバルでシェリル・クロウやダイアナ・ロス と共演するなどの経験を重ねた。
 1998年にディズニーのアニメ映画「ムーラン」の挿入歌「リフレクション」のためのオーディションに参加し合格。 同曲が全米チャートでトップ15にランク・インしたことから注目され、デビュー・アルバムを制作した。
1999 2000
本名(Full Name) Christina Maria Aguilera (クリスティーナ・マリア・アギレラ)
誕生日(Birthdate) 1980/12/18
出生地(Birthplace) Staten Island, New York, USA
故郷(Hometown) Wexford, Pennsylvania, USA
身長(Tall) 158cm
両親(Parents) Jim & Shelly
趣味 & 関心事(Hobbies&Interests) ショッピング、映画鑑賞、友達と外出、音楽、ダンス、スポーツ(野球など)
目標(Goals) 歌手として成功すること。(ホイットニー・ヒューストンのように)音楽から離れず演ずること。スペイン語とピアノの習得。南米を訪れること。
好きな色 青緑。紫。
好きなスポーツ 野球。バレーボール。
好きな科目 英語。理科。
好きなディズニーアニメ ムーラン。リトルマーメイド。
好きな有名人 ジョニー・デップ、ジュリオ&インリキュ・イグレシアス
好きなミュージシャン エッタ・ジェームズ、マドンナ、マライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、 Eve6、ボーイズ・ツー・メン、ブライアン・マックナイト、No Doubt、ジュリー・アンドリューズ

クリスティーナは幼少の頃から活躍してきた。 彼女は8歳の時にジュニア・ボーカリストとしてStarSearchに出場し、 その後いくつかの違ったテレビ番組やラジオ番組にも出演した。 更に彼女はピッツバーグ・スティーラーズとペンギンズ、そしてパイレーツの試合で国家も歌った。
 クリスティーナは第6、7シーズンのMMC(ミッキーマウスクラブ)の舞台できわめてよく知られている。 この2年間クリスティーナは全てのMMCファンの好評を得て、彼女の思うままに歌い、演じ、踊った。 ところが、全ての良いことにも終わりが来るように、「All New Mickey Mouse Club」は全てのMMCファン を暗闇に置き去りにして第7シーズンの最終回、カメラのカバーをかちっと閉めてしまった。
 さて、数年後、クリスティーナはもう一度ディズニーで、映画ムーランからポップバージョンの曲 "Reflection"で出演している。 そのビデオは違ったヘアスタイルで成熟した歌声の新しいクリスティーナを映していた。 そのバラードは優しくまた力強く、クリスティーナの並外れた才能と彼女の歌声を聴衆に印象付けた。
 しかし、それまでの間の話はこれが全てではない。クリスティーナは1997年に"All I Wanna Do."という曲で 日本の人気歌手の中西圭三とデュエットをしたことで海外でも有名になった。 またそれより以前の1993年にクリスティーナは冬休み中の家庭で クリスマスCDの"What Child is This?"を歌っていた。
 クリスティーナは現在世界中で有名である。"Reflection"はラジオ放送で高い評価を得てチャートを上昇した。 ムーランのサウンドトラック全体は評判が良く10万ユニットを売り上げた。 その結果クリスティーナが彼女自身のファーストアルバムがリリースもまたその事実さえ無い以前に ゴールドレコードを受賞した。
 クリスティーナは"Reflection"を歌っているムーランのサウンドトラックに自筆のサインをし、 また他の多くのプロモのように彼女の為の"Reflection"の素晴らしいビデオを加え販売した。
 現在に戻って、クリスティーナのデビューアルバムはRCAレコードから1999年5月にリリースされる。 第一弾シングルの発売日は3月。(実際は8月。シングルは6月だった。by WANTAN) 彼女はまさにより大きな成功への道のりへのスタート地点にいる。 全ての人の望みはただ一つ。次は何?もちろんできれば、クリスティーナ・アギレラは世界の頂点に居ること。 そして彼女のファンはチャートを駆け上がる彼女と共に居る。結局は...
「...飛ぶことが自由にちがいないというハートがある...」
私達はクリスティーナが大好き。

quotation


日本に住んでた時に見た映画をきっかけに
 昨年、全米で話題となった映画「ムーラン」のサウンドトラックに収録された「リフレクション」が トップ15シングルとなり、幸運なスタートを切ったクリスティーナ・アギレラ。この成功を機に、 シンガーの道を目指していた彼女は一気に走り始め、元システムのデヴィッド・フランクのプロデュース による「ジニ−・イン・ア・ボトル」をわずか18歳にして見事に全米ナンバー・ワンに送り込んだ。
 「父が陸軍関係だったことから、日本に3歳から6歳まで住んでいたの。そのころ見た映画の 『サウンド・オブ・ミュージック』がすごく好きになって、いつかは私もシンガーになりたいと思い始めたわ。 そしてほとんどのコンテストにでるようになったの。だから今の私が存在するのは、もしかしたら日本の おかげかもしれないわね・・・・・・・」
 幼いながらも自分の進む道を確信したクリスティーナは、8歳の時にアメリカで人気のオーディション番組 『スター・サーチ』でテレビ・デビューし、先に全米を制覇したブリトニー・スピアーズも出演していた ことでおなじみ、今やショー・ビジネス界の登竜門とも言える、ディズニーの人気テレビ番組 『ミッキー・マウス・クラブ』を卒業している。
 「ブリトニーのほうが1歳年下なんだけど、番組では同期よ。私たちはとてもなかよしで、 今でも連絡を取り合っているわ。彼女が全米ナンバー・ワンを記録した時、まるで自分のことのように うれしかったことを今でもはっきりと覚えている。そして、次は私の番と心の中で誓ったことが、 こんなにも早く現実になるとは夢にも思っていなかったの。だって、アメリカでは1年に5000枚の シングルがリリースされるのよ。その中で1位を取るのは20曲ぐらいしかないでしょ。 だから、とても光栄なことなの」
 「リフレクション」以上に彼女の存在を世界的に知らしめた「ジニー・イン・ア・ボトル」は、デヴィッド・フランク らしい独特なグルーブが、彼女の才能を100%引き出したライト・ブラックとも言えるミッド・ダンス・ナンバー、 そして日本ではデビュー・シングルに「ジニーイン・ア・ボトル」とは対照的な、R&Bとポップスが絶妙なバランス で融合されたメロディアスな「ホワット・ア・ガール・ウォンツ」が選ばれている。
 「この曲は、ブランディやアリーヤ、K-Ci&JoJoの曲で知られているベテラン、ガイ・ロッシュがプロデュースした作品で、 私らしさがよく出ていると思う。実はデビュー・アルバムには、ほかにカール・スターケン&エヴァン・ロジャースや トラヴォン・ポッツ、そしてダイアン・ウォーレンといった素晴らしい人たちが手をさしのべてくれているんだけど、 どのプロデューサーも私のスタイルをうまく引き立ててくれているの。だからこそ、アルバムのトータル性が 保たれると思うんだけど」

一生懸命勉強すれば私もマライアになれる
 そのアルバムは、とてもファーストとは思えない密度の濃い、完成された作品で、「クリスティーナ・アギレラは 、このアルバムで間違いなくディーバ・クラブの仲間入りをしたわ」というダイアン・ウォーレンの言葉を素直に 受け止めることができる。そして、初めてクリスティーナ・アギレラの音楽に触れただれもが、神様からの贈りもの のような彼女のボーカルに感動を覚えることだろう。
 「子供のころよくママに聞いていたの。一生懸命勉強すれば、私もマライア・キャリーのようになれうるかって、 私にとってマライアこそがアイドルだったわ。だから、このアルバムをぜひマライアに聴いてほしいの。 特に<アイ・ターン・トゥ・ユー>と、一番難しかった<ラブ・フォー・オール・シーズン>を。 そしてよく頑張ったわねと言ってもらえれば、私の夢が一つかなったことになるわ・・・・・・」
 マライアの話題にふれたとたんに、子供のような目を輝かせながら語り始めたクリスティーナ。彼女の純粋な 願いは、さほど時間を必要とせずにマライアに届くことだろう。そして、今度はクリスティーナ・アギレラという 天才シンガーを夢みて、次なるスターが生まれてくるかもしれない。

FM fan 1999 No.22


快進撃続ける米国の19歳歌手
 米国の新鋭歌手、クリスティーナ・アギレラが快進撃を続けている。昨年デビューしたばかりの十九歳だが、 デビュー曲「ジニー・イン・ア・ボトル」、初アルバム「クリスティーナ・アギレラ」(ともにBMG)が相次いで 全米一位になり、二月に発表されたグラミー賞では最優秀新人部門を獲得した。宣伝で来日したのを機に、音楽観などを聞いた。
 ブリトニー・スピアーズ、キッド・ロックら、今年のグラミー賞新人部門は有力候補のそろった激戦だった。  「まさか自分が受賞できるなんて思わず、式典の時は楽屋でキャラメル菓子をむしゃむしゃ食べ、口紅なんてすっかり 取れてしまった時に、自分の名前を呼ばれたの。スピーチの用意もしてなかったので慌てたけど、最高の瞬間だったわ」
 昨年九月に出した初アルバムもすでに全世界で八百万枚の売り上げ。躍動的なダンス音楽、親しみやすいポップス、 劇的なバラードなど多彩な曲調を、豊かな声量で奔放に歌う、起伏に富んだ作品だ。
 「若い人から年配の人まで楽しめるバランスのいいアルバムだと思う。濃厚で力強い私のボーカルの持ち味もうまく 出せたという自信もあるしね」
 しかし、「決して100%自分を表現できた作品ではない」と言う。本当は自分が好きなR&B的な味をもっと 出したかった。自作の詞が一曲しか採用されなかったのも不本意だった−そんな言葉が口をつく。
 「若く、まだ何の実績もない私の思い通りにならないのは当然だと思うし、成功に導いてくれたスタッフには 本当に感謝している。ただそこに安住してはいけない。経験を積み、自分の課題を克服し、作曲からプロデュース まで手掛けるようになって一人前だと思う。そこまで到達するのが、当面の目標」
 幼いころから大の歌好き。「物心ついた時には、床に敷いたタオルを舞台に、シャンプーのボトルをマイクに 見立てて歌っていた。将来は歌手になれると信じていたわ」と笑う。
 十二歳の時に人気テレビ番組「ミッキー・マウス・クラブ」のオーディションに合格、二年間にわたって出演した。 そして二年前、アニメ映画「ムーラン」の挿入歌を担当することになり、その直後にレコード会社と契約。 デビューと同時に快進撃が始まる。
 「プライベートな時間はなくなるし、ツアー中はずっと独りぼっち。恋人を作るのも難しい。 犠牲にしなくてはならないことは多いけれど、それに見合う夢を実現できた。今の状況は、前向きにとらえている」
 女優業への進出も視野に入れている。「マドンナのことを尊敬している。単に歌手と女優両方で成功している からというだけでなく、彼女のどん欲な挑戦の姿勢にひかれるの。時には論議を巻き起こしてでも、自分を貫き、 新しい地平を開く勇気を、私も見習うつもり。」言葉の端々に強い意志を感じた。

2000年4月3日(月) 読売新聞(大阪) 夕刊


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