朗読ミュージカル「山崎陽子の世界」2014年


「父さんの看病」(デ・アミーチス「クオーレ物語」より) 脚色:山崎陽子 作曲:薮内智子 朗読:平 みち ピアノ:清水玲子
「みそかの月」(樋口一葉「おおつごもり」より) 脚色:山崎陽子 作曲:澤村祐司 朗読:小山明子 箏:澤村祐司
「茜の空ふたたび」 作・山崎陽子 作曲:片野真吾 朗読:光枝明彦 ピアノ:清水玲子
「器量のぞみ」(宮部みゆき「器量のぞみ」より) 脚色:山崎陽子 作曲:小川寛興 朗読:森田克子 ピアノ:沢里尊子

主催:オフィス・ディーバ  作・演出:山崎陽子  司会:中條秀子 制作協力:劇団BDP

今やその筋では、恒例の行事と言えるかもしれない山崎陽子の世界〜朗読ミューjジカル〜の公演が大丸心斎橋劇場で
行われた。

毎回、その出演者に合う物語を山崎陽子さんが書き上げるのだから、そのパワーはたいしたものだ。宝塚歌劇の演出家
植田紳爾さんが、作品を書くときは、演じる組の生徒を観察してから書くのと同じことだ。
本来の舞台物はそれが当たり前だが、そうして書いてもなかなか上手く、書けるものではない。

今回は、初めて山崎屋の店先に並ぶ人が多いのが興味深い。というのは、いずれの方も、それなりの舞台や映画で
よく拝見してきたからだ。

初めは、平 みちさんの「父さんお看病」少年が父親が入院したと言うので見舞いに行くが、病院の手違いで、違う人を
父親と言われて、知らないままに、その赤の他人を看病、実は本当の父親は元気に退院する時知るが、少年の心は
父親と言われた人を最後まで看取ると言う純粋な少年の姿を描いた話で修身に出てきそうな物語。
その少年を平みちさんが演じた。

宝塚時代から比較的淡白な雰囲気を感じさせる人だけに、少年を演じる時でも、文字通り真っ平らな感じで少年を演じていた。
純粋な少年イコール淡水真珠という感じだ。
背が高いだけに、少年の雰囲気を感じさせるには、なかなか難しいが、どこかでしゃがむとか、何か少年を感じさせる
動きが欲しかった。
そんな動作があるとセリフと共に更にイマジンネーションが湧いてきたのではないだろうか?

朗読劇という、宝塚では経験した事が無い舞台だけに、今回の出し物は東京で公演済みだが、何となく緊張の中で演じて
居たと言う雰囲気を感じた。
衣装がいささか少年を演じるには、そぐわない感じを受けた。

次は樋口一葉の、おおつごもりより「みそかの月」落語の人情話にもなりそうな物語だ。
奉公に出た女性が、叔父さんのために、奉公先でお金を借りようとするが、けちな奥さんが,なかなか、貸してくれない
やがて、おおつごもり、大晦日になってしまう、借金取りが目の前まで来ている。
そこで、泥棒はいけないと思いつつ金庫からお金を拝借、実は、ぐうたら息子と言われる彼が一部始終寝た振りしていて、見ていて、ぐうたら息子が金庫の中のお金を全部頂戴してしまうので、
ばれずに済むと言うお話を映画女優の小山明子さんが演じた。

冒頭から、さすが年季の入った演者と思いつつ、その語りを聞いて居たら何となく徳川夢声の宮本武蔵の語りを、その昔
ラジオで聞いたあの雰囲気を思い出した。

淡々と語りながら、小手先で器用に団子を丸めていくように、さりげなく、放蕩息子を演じ、奉公に来た女性の輪郭を観客に上手に判らせていく、その語りの中で、セリフとセリフの間の「マ」が、何とも言えない、長年セリフを言ってきた人でないと言えない「マ」と、台詞にはないが、捨て台詞が上手に組み合わされて、それぞれの人物像が浮きぼりに、されていく上手さに、さすが心得ていると、改めて感心した。

矢張り、ご主人監督にしごかれて来ただけの物が此処で存分に生きているのだ。

小山明子さんのような語り口は、そう簡単には出来ない。さりげない、人情話を、さらにするとまた素晴らしい舞台が生まれるのではと、例えば落語の、ネズミ穴、倉だからどんな大火があっても大丈夫と思っていたら、実はその倉にねうみ穴があり大火のときその、ねずみ穴から火が回り焼けてしまうと言う話。

山崎陽子さんの作品は、必ず最後に救いがあるところが、作者の感性として素晴らしいものをお持ちだ。

休憩はさんで、期待の、光枝明彦さん演じる「茜の空ふたたび」仲睦まじかった今は亡き妻の事を思いつつ、彼女と
何時も散歩していた道で手帳を拾い、若き女性の写真と名前が今風の名前で若き女性と思い、拾ったことをEメールで
送信すると、若い女性から返信が、自分の名前が淳之介ゆえ、若者に化けてジュンという名前でEメールをやり取り
たまたま女性が交通事故にあい、救急隊から、名前が手帳に書いてあるのでと連絡があり、病院に行くと実は年配の御婦人で、彼女も孫の名前を使ってのやりとりだったと。

淳之介は80近い年齢。亡き妻と公園でブランコに乗り、歌を歌い、古本屋で大人気もなく、じゃれあったりした事を、
光枝さんは、巧みな芝居と歌声を生かしながら<生かしたのは,作者かもしれないが>その語り調は、ブランコに乗った二人が舞台にいる錯覚jを起こさせ、二人で見た茜色の空が見えるような、個性豊かな演技を見せてくれた。
時には、哀愁、時には笑い、そして、最愛の配偶者を失った今の、おいらくの人生の中に、次なる新たなものを、見つけたと言う明るい未来を思わせるものを感じさせてくれた。

山崎陽子の世界の中では、初めての素晴らしい素材(失礼>であり、作者自体の今後の作品作りに視野が広がるのではないかと思った。
猛烈な興奮剤が舞台から客席へ流れ込んだのではないだろうか。

この興奮剤で興奮した観客を今度は鎮静剤でと、舞台の「とり」は、森田克子さんの演じる「器量のぞみ」気立てよく働き者のお信は大女で不器量、ところが、町一番の美男子がこのお信に惚れてしまうと言う話。

いつもは森田克子さん演じる物語は、宝塚歌劇のフィナーレを飾るロケットと大階段のダンスを含んだような華やかなもだが今回は、光枝さんの舞台が興奮剤ゆえ、鎮静剤の舞台の雰囲気と感じた。
いつもは白馬に乗った王子が大空から舞い降りてきたり、世界漫遊をしたりだが、今回は強いて言えば人情世話物だ。
ひょっとしたら、かなり苦労しながらこの役を作り上げたのではないかなと感じた。

山崎屋の店主も、店先の作りも商品の品ぞろえも目先を変えていかないと、いけない時の流れを感じているのかもしれない。
森田克子さんに、とっても、いつものパターン化した?流れのものより変化にとんだ作品に遭遇するのも
大切かも知れないと思った。

それにしても、この演者を補佐するピアノ伴奏と箏の演奏と曲作りは見事なもので、これも山崎陽子の世界の
貴重な人達で、こうした方がいるので、舞台での演者が一段と光ることが素晴らしい。




     2014年4月12日(土) 大丸心斎橋劇場 17時公演観劇 席 G−11   ちゅー太



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