妻への詫び状 作詞家 星野哲郎物語


原作 星野哲郎 脚本 岡本 蛍 演出 山田孝行 音楽 小堀ひとみ 衣装 石橋 舞
出演 名取裕子 田中 健  水前寺清子 榛名由梨 高汐 巴 
    幸田恵里 石橋奈美 青空球児

数々のヒット曲の歌詞を書き、水前寺清子のデビュー曲の[涙を抱いた渡り鳥]を書いた
星野哲郎の妻との話で、チラシの文面を拝借すると、昭和の歌謡史に燦然と輝く名曲を
世に送りだした作詞家 星野哲郎が妻と歩んだ激動の半世紀を懐かしのヒット曲に乗せ
綴る心温まる感動の夢舞台。

全体の構成は三幕もので二幕の最後が、水前寺清子のオンステージだ。
星野哲郎の妻の役を演じるのが、名取裕子だ。

大阪での舞台出演は1995年近鉄劇場の「にごえり江」以来、その後、名取裕子は
新橋演舞場で年一回は舞台公演を更に最近は三越劇場での公演が続いている。

そうした、ひさびさの大阪での舞台、幕が上がり、名取裕子が舞台に現れ驚いた。
過去何回か見た舞台では、何か見せようという力んだ雰囲気が漂っていたのが、
それが何もなく、舞台に出た瞬間から舞台にはまり込んでいる、
何の違和感もない、ごく自然に星野の妻の役を演じているのだ。

芸というものは感性が自然に身につき、いらないアクが消え去っていくのであろう。

商業演劇の舞台という気持ちで最初は見ていたが、次第に何か違うなあと感じ始めた。
既に昭和の時代は遠くになりにけりで、早く誰か昭和のミュージカルを書いて欲しいなあと
ひたすら願っているのだ。

沢山の作曲家、作詞家、歌手、役者が既にこの世を去っているが、
どの人も昭和を代表する人ばかりのはずだ。
よく言うのは、阿久 悠の人生を中心にした物語だ。
トニー谷、市村俊幸、柳沢真一,雪村いずみ、江利チエミ、美空ひばり、
名前を挙げたらきりがない。
それぞれの人たちの人生にはドラマが潜んでいるはずだ。それは貴重な歴史だ。

そんな事を考えていて、この芝居を見たので、
これは一つの日本のミュージカルとも言えるではないかと。
星野哲郎が妻のお陰で、自由奔放に作詞が出来て、ある意味の愛妻物語かもしれない。
そして水前寺清子の出世物語で、名曲が流れてと
決して踊ってばかりがミュージカルではないのだ。

そんな気持ちの中で星野の妻を演じる名取裕子の芝居を見ていると、
静かな中に、星野の妻のイメージが躍動感良く表現されて、
暗転の多い芝居の中で感情が切れることなく、
観客に心の中の隠されたつらい気持ちを見せきっていたのは素晴らしいことだ。

朴訥な感じの田中 健が星野を演じるのに最適だったのが名取裕子にも幸いしたのだろう。
新宿のキャバレーで女に惚れそこでないと作詞が生まれない、それを知り尽くして、
田中にラブレターを焼いたと嘘をいい、田中が去ったあとに一人うっぷん晴らすところは秀逸だ。
名取裕子ならではの心の表現が舞台に充満して幕が下りてきても
観客はその余韻に浸っている感じを受けた。
芝居の醍醐味の一つかもしれない。

水前寺が誕生する経緯で水前寺の父親役を演じる元スポーツニッポン新聞社の編集局長の
小西良太郎の芝居が妙に素人くさい所が、田舎での朴訥でひたすら娘を歌手にしたい
一念の父親風情を感じさせ、田中健との芝居が妙に素朴に絡み合うのが
又雰囲気を感じさせたのも面白い。
これを変に上手く?演じる人がしたらこの場の芝居はかなり変わってしまっていたと思う。

残念なのは、暗転が多いこと、幕間繋ぎに星野哲郎の名曲を流すのだが、
ここに何の細工もないことだ。
大阪松竹座だから客席には赤いぼんぼりがあるが、それだけでは芝居にならない。

一つの案はこの幕間の歌を別に一人の歌手を立て歌わしても良かったのではないだろうか?
映像の時代、音だけの芝居小屋では、間が持たないし、
これだけの作品になっているのだからもう少し考えて欲しかった。

商業演劇初出演の榛名由梨、高汐 巴が出て雰囲気的に歌ったりしているが、
もう少し粘っこい芝居をして欲しいとこれは長年見てきた人達だけに、激励の意味もある。

二幕の終わりが水前寺清子の晴れの舞台になるのだが、できればもう少しシビアに芝居を
書いてくれていたら更なる感動が客席に伝わってきたと思うともったいない。
折角、芝居の前後で星野の話、妻の話、でどうなった水前寺はという所なので、
もう少し書き込んでくれたら全部が感動の塊になれただろう。

しかし、矢張り水前寺だ、その見せ方は客席の客サービスは大した物だ。
自身の話だけに、涙するのもごく自然に感じた。

そして最後に星野の妻が死んでしまうのだが、その後に星野が勲賞をもらい、
それを妻の仏壇にそなえる所から、最後に盆が回って死んだ妻の名取裕子が白地の着物で
田中健の後ろにせり上がってくる、朴訥な風貌、台詞の言い回しで、
名取に気がつかないで言うところの、名取の何気ない雰囲気の芝居を見て、
ああ本当に芝居が舞台が如何に演じるかという手法を会得したと感じさせられた。

過去何回か感じた余計な演技が切れさっぱりそがれて、スリム化したのが、
新たなる名取裕子の演技開眼なると感じた。

このような芝居の作り方を更に練り上げていくと日本のミュージカルは嫌味なく
ごく自然に作れるという印象を得た作品だ。
それと芝居のつくりが昔風のところが今の時代久々に感じ、
それが又妙に懐かしく見れることが新鮮だった。
何かというとブロードウエイ ミュージカルだという今、
日本のものの舞台作りに力を入れて欲しいし、客も見に来て欲しい。
出来れば入場料金をもう少し安くして欲しい?
四時間あまりの芝居だが、長いと感じさせないところは物語の良さと
感性のいい芝居を見せてくれた名取裕子の力は大きい。


   2007年5月10日観劇 大阪松竹座 午前11時公演 ちゅー太


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