「スワン」
作 エリザベス エグロフ 高橋知伽江 翻訳 演出 深作健太 美術 深瀬元喜 照明 倉本泰史
音響 長野朋美 衣装 西原梨恵
この作品は、翻訳の高橋知伽江さんが10数年前に読んで「ひと読みぼれ」した作品と聞く。
チラシの説明によると、アメリカの田舎町に一人暮らすドラ<一路真輝さんが演じる役>仕事にも恋人ケビン<大澄賢也さん演じる
役>との関係にも疲れたドラ、ある日傷ついたスワンが<細貝圭さんが演じる役>飛び込んでくる、そのスワンが若い男性に
姿を変える、そのスワンのまっすぐな眼ざしに、心が満たされていくドラ。
こう書いていくと、何となくファンタステイクな舞台をイメージしてしまうが、そのファンタステイクな雰囲気が初日のせいか
舞台から漂って来なかった。
一つには舞台装置がいささか重厚すぎたことも一因かもしれない、重厚すぎたためドラマチック・ファンタジーが
漂わずにいた。
倦怠感、疲労感、中途半端な空気の中で生きているドラは、スワンとケビンを縦横に操る所に、後にスワンと幸せの世界へ
はばたけるのだろう。
ケビンはドラに操られているというより、無頓着にドラが好きで、ドラの心の中も顧みないで、半ば自己中的に生きている。
ここで重要なのは、スワンが実はケビンとドラの心の中の変化を知り尽くして、先手先手と行くところに、後のスワンとドラの
愛の結晶がドラマチック・ファンタジーを生み出せたのではないだろうか?セリフ回しの難しい所だ。
つまり、三角関係のセリフ回しがぎごちなく、舞台の中で空気が動かないでいたのだ。
ドラの一路は、ケビンと疲れた関係をもう一工夫して表現してほしい。それと共に、スワンへの気持が傾いていく過程を
明確にメリハリ付けて表現してくれると更によかったのではないだろうか?
どこかの台詞で立てるべき台詞があるはずだ。
スワンとの何かある時は、屋上に上がっての芝居だが、そこには何か意味があるのか疑問を感じた。何か演出が
こだわりを持ち過ぎた感じを受けた。
つまりドラはケビンに次第に疲れてきている、そのメリハリと、スワンが次第にドラを好きになっていく過程がとぎれとぎれに
感じる。
此処もメリハリ付けて、くれると夢夢しい雰囲気を観客は勝手にイメージしてくれたのではないだろうか?
綺麗なスワンが迷い込んでくる、そのスワンの中からやがて、中世的な男が現れる、現実的ケビンに疲れたドラは
自然にスワンへ心惹かれていく。
此のあたりの舞台処理が、いささか不明なので、つなぎ合わせていくのが大変な所で、スワンの位置は、此処と決めて
そこに行くとスワンの世界が開けているみたいな舞台つくりを照明ででも欲しかった。
エリザベートのトートではないが、いわばスワンは黄泉の国からの使者的雰囲気があっても良かったのでは?
そうなれば比較的ドラもメリハリ付けやすかったんではないだろうか?
いずれにしても、セリフをただ言うのではなく、セリフを読解することが大切だ。
読解すれば自然と芝居に結び付いてくる。
実をいうと冒頭、電話の音で始まるが、アメリカの電話の音は日本の電話の音と少し違う、舞台でなった音は日本お電話の音で
それ風に見せるのが、舞台の作りだけにいささかx残念と。
芝居自体が非常に平凡ながら抽象的空気を必要とするだけに、3人のセリフ回しが、動きが一致しないと、翻訳者が
ひと読み惚れしたという、芝居の妙味が生み出せないのではないか?
久々、一路真輝さんのストレート芝居を見て、彼女独特の個性が存在しているので安堵した。大澄さんは、表面的な芝居を
するより、静の中で動的な芝居が出来る人だと感じた。
スワンの磯貝さんは、今回の芝居の中では最重要人物だけに、空気のような雰囲気をかもしだしていくと、舞台がさらに変化
するのではないだろうか?
それぞれ、ストレート芝居が生まれなくてはいけない時代で、そうした点では個々、個性派の人たちだけに未来に期待。
難を言えば、舞台進行で暗転が多すぎた事だ。商業演劇では、此の暗転が多く暗転芝居と言われるほどだが
暗転が多く又長いと芝居の雰囲気が閉ざされてしまう。
宝塚歌劇の良さは30秒50秒の早変わりで舞台が進行するから魅力も生まれる。
観劇 2014年12月6日 兵庫芸術文化センター中劇場 15時公演 初日 席 1階 H18 5000円 ちゅー太
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