霊験亀山鉾〜亀山の仇討〜

楽屋で幕が開く前、藤田水右衛門の顔を化粧まえで、つくっている
仁左衛門さんが、この芝居も今回で最後やと、ぽつりと口にした。
十五代仁左衛門さんが孝夫時代の昭和57年に京都南座で見た「桜姫東文章」の
清玄と権助の二役を見たのが最初だった。

この時の、玉三郎相手の悪の権助は、若さあふれる脂ぎった悪だった。
今から40年前の舞台だ。

そして今回の仇討、仁左衛門さんの二役水右衛門と赤堀源五右衛門だ。
プログラムに出演者の言葉として悪人二人の残酷さと色気をと述べているが
舞台はそれを見事に見せていた。

序幕甲州石和川原仇討の場では上手から颯爽と姿を見せた。その目線の鋭さと
立ち姿は、練に練り上げた雰囲気が仁左衛門さんから漂ってくる。
芝居というものは、始めに如何に見せ切るか、見せられるかで客は其の世界へ
連れ込まれるのだ。

かって京都南座で「義賢最期」を見た時、仁左衛門さんは
「台詞一つにしても七五調で言っているのではなく、間をくずしても、
その心理を大事に表していかないと、いけない。
昔の言葉も出てくるが、耳慣れない人には何を言っているかわからない。
心理の表現が出来ていれば、言葉が判らなくても
意味がわかり外人さんが賛同されるのもそこにある」と語っている。

今回は源之丞を中村錦之助,下部袖介の妹お松を片岡孝太郎が演じている。
久しく孝太郎の女形を見なかったが、今回のお松演じる孝太郎は役柄を
的確に演じてお松の心情を上手に表現していた。

特に身のこなし方が、やわらかになり動作も不自然さが消えていた。

プログラムに孝太郎さんは、叔父の秀太郎さんから「台詞の緩急をつけないと
大事な場面がサーと流れてしまうよ」という貰っているのでテンポよく
勤めたいと話している。

正に舞台は、その通りで緩急のバランスが上手くいったのではないだろうか。
芝居の仕方を見ていても、彼の女形の形は秀太郎さんを引き継いでいくと
もっと味のある女形になるのではないかと感じた。

二幕目で仁左衛門さんは、八郎兵衛と水右衛門を演じるが、
その素晴らしさは台詞の言いまわしと演じる時の身のこなし方だ。
一寸したしぐさでも、意味ありの仕草で、そこに演じる人の魅力個性が
感じられるのだ。

特に仁左衛門さん独特の悪を感じさせる所は二幕の焼き場の場面で
芸者おつまに、とどめを刺す所だ。見事な立ち姿の中からとどめを
さしながら、時を刻むかのように、左手指で指を一本一本折り曲げて
行くところだ。

想いだすのは、40年前の桜姫東文章の時「
与えられた仕事を苦しいけれど気持よくやるというだけです」と語っていた。

顔見世の「慶喜命乞」の時、そろそろ責任のある年代ではと聞くと
「僕責任なんてないんです。無責任みたいだけど、とにかく舞台を
一生懸命勤める、お客様に喜んで頂く、この積み重ねが将来の
歌舞伎の発展に繋がっていくと思います」と話していた。

そして舞台は大詰め、ちりめん商人の才兵衛演じる片岡松之助が
長い間の松嶋屋で修業した成果が舞台にその芝居に感じられた。
脇のこのような人たちが歌舞伎を支えている。

ここでの話し合い、お松が水右衛門との果し合いの場を孝太郎、仁左衛門
共々流れ良く一気に盛り上げる。

いずれにしても、今更言うまでもなく、総ての場面での仁左衛門さん
歌舞伎に大切な形というものを今回の演物では、総てを出し切り
見せ切った感がした。

演じた仁左衛門さんは70余歳、ふと思いだしたのは十三代仁左衛門さんの
言葉だ。
70歳代は「勤めている役になり切りたい」

今回の舞台で、新たに襲名した中村雀右衛門さんあらためて拝見

片岡秀太郎さんの老巧な役の演じ方を見ていて、やはり孝太郎さんが
確りと此の味の出し方を吸収して一段成長した女形になる事を期待したい。

40年間見続けてきた孝夫から十五代仁左衛門さんまで、彼の芝居の
演じ方には一つのぶれも無く、明快な台詞と立ち姿に
それぞれの役を気持ちで演じ続けてきた事は素晴らしい。

歌舞伎は、物語共に、その形を楽しみ感激する舞台だ。代々それぞれの
家の形を継承していくわけだけに、後を継ぐ人の任務は重い。

  観劇 2017年10月11日 国立劇場 12時30分開演
                    1階5列25番 12500円<ちゅー太>








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