七月大歌舞伎 大阪松竹座 関西 歌舞伎を育てる会 第16回公演
「女殺油地獄」 近松門左衛門 作
<海老蔵の怪我で急遽代演公演>
河内屋与兵衛は 片岡仁左衛門 女房お吉は 片岡孝太郎 豊嶋屋七左衛門は 片岡愛之助
偶然とはこんなものかもしれない。
今回の公演で片岡仁左衛門は昼は義経千本桜の「渡海屋」大物浦の渡海屋銀平
実は新中納言知盛を、夜は身替座禅で山蔭右京の二つだった。
そこに女殺油地獄で河内屋与兵衛を演じていた海老蔵が14日の昼公演後風呂場ですべり、
割れたガラスで足を切り、舞台を続けるのは無理の状態になった。
与兵衛役は仁左衛門の持ち役だ。今回の公演でも指導をしてきたという。
そこに今回の事故だ、一瞬考えたかもしれないが、自分が演じることにしたと言う。
もう二度としないといい、二度と見れない役と思っていた与兵衛を仁左衛門が代演する、
しかもお吉は息子の孝太郎だ。
こんな組み合わせは普段では出来ない、これこそ今回見なければ、二度と見れない舞台だ。
運よく14日夜の公演の切符が買えた。
鳥辺山心中は愛之助、孝太郎、竹三郎、秀太郎という顔ぶれだが何か芝居の落差というか
強弱があり、舞台の芝居が凸凹という感じをまぬがれない。
芝居の演技の水準に落差があるのだ。
愛之助の芝居が以前はメリハリがあり、重さがあったが久々見ると演技が軽い。
芝居が流れているのだ。
芝居と歌舞伎の型と自分の演技が一体となっていない感じだ。迷いがあるのかもしれない。
次の身替座禅仁左衛門と愛之助だが客席の空気は仁左衛門が現れるだけで
空気が一変するから不思議だ。
不思議なのはそれが終わり、女殺油地獄の始まりを知らせる合わせ木のちょんという音と共にだ。
舞台には孝太郎演じる女房お吉がいる、これから舞台に出る与兵衛より年上の役だが
演じてるのは息子だ。
そこに父親である仁左衛門演じる、放蕩に身をもちくずした与兵衛はお吉より遥か年下だ。
花道から出では、見ているほうに何かそれを感じさせるかと思いきや、そのままの放蕩息子で
花道から舞台に、そしてさりげなくお吉と言葉を交わす、不思議とこのときのお吉は
仁左衛門の芝居の流れにのり、ごく自然に年増のお吉の雰囲気が漂い始めていた。
はじめは今で言う軽い不良っぽい若者ふぜいで、その身のこなし一つ一つが細かく変化していく
勿論表情も台詞の調子も変化していく、心の中で放蕩の男が細かく構成されていて、
それになぞらえて演技が進む、そんな感じを強烈に見せ付けられた。
その間の、お吉も今までの孝太郎とは違い重々しさを見せ、動き自体、台詞も顔の表情も変わり
気になっていた口元も気にならないほどに年長者のお吉を見せた。
舞台とはすごいもので、相手役が充実していると、その演技に相手もひっぱらていくのだ。
上手い役者と芝居すると自分も上手くなるのはその辺にあるのかもしれない。
仁左衛門、孝太郎の親子で演じる女殺油地獄は与兵衛が勘当されてお吉の所に
金を無心に来るところから、その二人で渡り合う場面が秀逸だ。
不思議に、二人の間に生まれる間が何の躊躇もなく舞台の空気を互いに動かしながら、
無の状態を無でなく有形に変えていくところが見所だ。
やがてお吉を襲うのだが、その間の間の取り方、表情というものが台詞以上に物語り、
観客を恐怖の世界にと導いていくのだ。
その間の雰囲気は現代の無責任な若者に通じる所があり、又刹那的行動に出る若者の気持ちを
的確に仁左衛門が演じていくのに只見とれてしまうばかりだ。
それも、お吉の重厚な感じが若者の無秩序な気持ちを上手くて適合されているので面白い。
力学的に互いに互いの引力が相乗効果を発揮しているといえるからだ。
親子を離れて演技者として、放蕩男とわきまえた年長者の女房を舞台で見せきっている。
やがて隙を狙い隠し持った小刀でお吉を殺そうと隙を狙うあたりの細かい演技が、
思わず東文章の権助を思い起こさせる。
ニヒルな感じの往年の孝夫時代の熱っぽい芝居を彷彿させるのだ。
やがて帯を解き、座敷まで追いかけて最後の止めを、隠された金を探し出し
帯を敷物に油だらけの土間を滑らないようにいく。
この見せ場、油をひっくり返し長柄、油の中でもみ合う芝居は呼吸が合わないと、
不自然さが先立つが、見事に代演2回目で、そこは見事に見せている。
演技の一つ一つが綿密な設計図の様に組み立てられており、あだかもその図面通りに
表現されていくのには、見事としか表現できない。
最後に油だらけで金を懐に花道をよろける足で逃げる所は、久々に孝夫時代の中座での
勧進帳の弁慶の姿と重なり合うものを感じるほど、悪の度迫力を見せ、度迫力を出し切っていた。
偶然にも、観劇している席の前が孝太郎夫人、息子の千之助、そして仁左衛門夫人と
正に千載一遇のこの機会に十五代仁左衛門の芝居の真髄を見極め伝えようという一族の姿が
舞台の上の二人と重なり合い、二重三重の二度と見られない舞台観劇となった。
これも海老蔵が怪我したおかげで、怪我の功名と言えるところが面白い。
久々に芝居を見たという気落ちで劇場を後にしたが、ふと考えると仁左衛門は今の役者に
再度芝居とは歌舞伎の芝居とは、そんなに簡単ではない事を、身をもって知らせるために
代演したのかと思わざるを得ない気持ちが生じた。
そして孫が見たこの芝居、15年後に如何に生かされているかを見極めたいものだ。
観劇 2007年7月14日 大阪松竹座 夜の部 座席20列15番 一等 15750円 ちゅー太