「おいらくの人生」
〜老いて益々夢を、その気持ちを大切に〜
宮田 達夫
貴方は老人といわれるのは否ですか?
老人イコール死を連想しますか?
老人という言葉がある。
何時の時代に作られた言葉だろうか?
老人、国連世界健康機構は65歳から老人と定めている。漢和辞典は70歳以上と書かれている。国民の意識調査では70歳から74歳を老人と意識するという。昔は還暦が老人と定めたが今は行政が65歳、70歳、75歳と、省により異なるらしい。
ごく一般的に考えると、会社を定年退職した時から老人の仲間に入っているのかもしれない。老いた人を、老年、老醜、老眠、老躯、老いぼれ、老化、老い込む、といろいろな表現がある。
2010年7月に長寿日本 健在という新聞記事が目に付いた。
2009年の日本人の平均寿命は女性が86・44歳、男性が79・59歳で、長寿の理由はがん、心疾患、脳血管疾患の三大死因と肺炎の死亡率が改善された効果だという。3疾患が総て克服されると平均寿命の試算は女性6・99歳、延びて93・43歳、男性は8・04歳延びて87・63歳まで生きれる事になるという。
そこで質問だ。
貴方は定年で会社を辞めたとき60歳として、それから87歳までどうして生きるか、
考えた事がありますか?
女性の貴方へ専業主婦か独身か働く主婦か判りませんが60歳になったとき93歳まで、どうして人生を過ごそうか、人生計画がありますか?
かつて定年で辞めた人たちの集まるグループがあり、残された人生をどう過ごすか聞いた事があります。その時の答えは、ゴルフをする、碁をする、登山、絵を描く、映画を見る、本を読むなどで、それも残りの人生30年余りを過ごすには、いささか無理がありそうな答えばかりでした。
そうそう、一番の答えは、ぴんぴんころりといきたい、でした。
この意味は勿論お判りですね。
タイトルを「おいらくの人生」としたのは、青春の人生の向こうを張った感じを出したかったからです。
かく言う私も1936年生まれだから老人の身分だ。
最近は百歳万歳とか、百何歳だからという、百を超えた人のことが話題にあがるという事を書こうかなと思っていたら、東京で長寿111歳の人が実は30年ぐらい前に死んでいたということから、さらに東京都で最高齢の113歳の女性の所在が不明だと、そのあと出るわ出るわで、各地で100歳以上の人の追跡調査が始まる始末だ。たんすを開けて、洋服ダンスを開けてみたら、白骨が並んでいたり、ぶら下っていたりしたらどんな様子だろう?お陰で外国からは日本の長寿はまがい物と酷評される始末だ。単純に長寿だからどうだって言うんだといいたいね。
私のモットーは飲めて、食べられて、歩けての三拍子が一つでもかけたら、長寿からはずして欲しいと思う。
1998年に筒井康隆さんが書いた『敵』という小説がある。愛妻にも先立たれ友人も少ない一人暮らしの75歳の元大学教授が主人公だ。食事、買い物、昼寝、晩酌など元教授の静かな生活が描かれている。
「昔と違い定年で退職した人も肉体的にはそう衰えていない、そういう人たちはこれからどうやって老いや孤独と向かい合っていくのだろうか」と筒井康隆さんは語っている。
ここまで書いたときに、映画評論家の今野雄二さんの自宅での自殺という新聞記事を見た。66歳だ。彼のその昔の華やかな時代を知っているだけに、小説『敵』を思い出した。
『敵』の中の主人公は貯金が今のままでは84歳までには無くなる。300万円は葬式代だ。預貯金残高が300万円になったとき死のうと覚悟した。生きているうちに金が無くなったら自裁。こんなくだりがある。
今野さんは頭の中に宿った敵に勝てなかったのかなと。
私が70歳になった時、著名な画伯に言われた一言がグワーンと胸と頭に突き刺さった。
「あなたはこれから私の年になるまで生きる事は大変ですよ。私は絵を書いているから良いけど」
言われてみると、確かに定年後、勢いで生きた来たがそれもここまでだろう。70歳を超えた瞬間から勢いが、ロケットの噴射能力が無くなっているのだ。瞬間、筒井康隆さんの『敵』の主人公、元大学教授の儀助と自分の姿がオーバーラッツプしてきた。
フラッシュバックして、60歳になるかならない時に、今インターネットを覚えておかないと駄目だという勘が働き、即座にノート型パソコンを購入。知人の指導の下、放送の時代は過ぎた、自身からの情報発信の時代だと考えて、自分のウェブサイトを作り、イーメイルアドレスも作った。
70歳を過ぎたときに著名な画伯に言われた「これから貴方は私の年になるまで大変ですよ」という強烈な言葉に、コンピューターが扱える事が一つの救いになった。つまり自分の情報は発信できるし、自分の書いたものはインターネット上で世界中の人に読んでもらえる。書く、書けるという素晴らしいメリットがあったのだ。それと共に時代は進んでいて、書いたものを印刷しなくても、インターネットで世界中の人たちに読んでもらうことができる便利な世の中になっていたのだ。時には、物語の中で、おいらくの恋も出来るかもしれないのだ。双方向で、多種多様の人たちとイーメイルで会話が出来る。相手が留守でも、会話は通じていく。これはおいらくになれば成る程、大切な機械だ。
おいらくの人生を如何に上手く過ごせるかが問題だ。
野球の投手に例えれば、先発、中継ぎ、押さえスローザーを、一人でこなしていく事になるのだ。調子がいいとき悪い時もある。先発の時期は、既に過ぎている。中継ぎも既に終わり、今はクローザーの時代に入っているのだ。おいらくの人生はクローザーだ。監督は己だ。後何球でゲームセットになるかは、誰も判らない。とりあえず、サッカーでいえばロスタイムに入りかけていることは承知している。投げる球種を考えるのが問題なのだ。投げる球種を持ち合わせてなかったらどうしたら良いんだろうかとなる。
友人のSは料理が好きな男だ。友人を集めては自分が見つけた美味と思われる店に通っていたが、年齢が進めば肉がいやになり食べられないという人が出て来る。そのうちに、出歩くのがそれ自体が面倒になってくる。Sはそれでも学生時代に楽器をいじっていたので、親父バンドを組んで、弾かせてくれる店に行っては演奏して、そのわずかな出演料をプールして集まった金で仲間と楽しんでいたが、仲間の一人が欠けても、バンドは続かなくなる。クローザーの役目にはならない。
最近、老人ホームでの男女の関係が話題に上っているが、かなり前にこんな話を聞いた。
かなりのお年を召した男女が老人ホームの1階と2階に住んでいた。1階に住んでいる方は男性で、2階に住んでいる方は女性だったそうだ。この二人が何かの機会で遭遇する事になり、互いに好意を持った?どちらかというと、男性の方が女性に魅せられたらしい。しかし残念な事にこの年配の男性は歩く事ができないので、魅せられた2階にいる女性のところに会いに行く事ができない。ところが、人間の執念とは恐ろしいもので、2階の魅せられた女性のところにある日歩いてあがれるようになったそうだ。幾つになっても男女というものは互いに求めあるものがあり、そこにはときめきがあるのだ。
その話の続きが、今の老人ホームでは互いに伴侶を失った男女が、再び伴侶を求め合う状態が生まれているという。年配になれど、年老いていけど、おいらくになれど、男女の心は変わらないものだ。特に近年のように老人といわれた年は、老人ではないだけに、互いに心をときめかし精神の中で心を求めあるのは当然の成り行きだろう。若い時代でも手だけつないで寝ようという青春時代があった。年がいっても、おいらくになろうとも心が結びつけば手のひらから互いの感情を感じたいと思うのは人間の心だし精神であろう。そうなると同衾したいと思うようになる。セックスを求めてるわけはないが老人ホームでは、それぞれが個室生活だけにどちらかの部屋に行って、ともに一緒に寝ることはできない決まりだそうだ。
おいらくの恋は互いの家族でも困るらしい?おいらくの恋と思うからいけないのだ。フランスのように、共に過ごすと言う感覚が理解されればさしたる問題は生まれないだろうし、おいらくの恋も美しい恋物語になる。
世間では何か老人になると老人の家に行き、老人だけで集合して語らないといけないような構造に社会がなっているみたいだ。そこに現代の年配者には多面的な抵抗が生まれてくるのではないだろうか?
そういえば、こんな話を聞いたことがある。老人ホームには、アダルトAVが備えられているという。理由は人間には欲情する気持ちがなくなると本当に駄目になるらしい、その予防策だという。おいらくの人生は65歳から20年あるとすれば85歳までだ。70歳から20年あるとすれば90歳だ。この20年が投手でいえば中継ぎを終えたのに、再び己でクローザーをしなくてはいけない孤独のコースへ向かうのだ。
本当は、ここで心の中と精神で、おいらくの青春時代を復活できるようになりたいのだ。異性に対して頭脳の中でときめきを感じさせ、ときめきを感じることができたら、こんな幸せなことはない。これからの、おいらくの人生はそれが必要なのではないだろうか?いろいろなことをしてればいいがそれはそれで、してしまえば終わりだが互いに頭脳の中でのときめきは、おいらくの人生の中心軸になりえるのではないだろうか?
大学の同窓会も70歳を過ぎるころから、顔ぶれが決まってくる。出るのも億劫になる人、出たいけど健康に恵まれない人、出たくない人と、その基準は大体決まる。おいらくになると、要は面倒なのだ。一度面倒となるとその建て直しはなかなか難しい。それでも、家では粗大ごみ扱いされてるといいながらでも、同窓会が唯一の楽しみで出てくる人もある。
老いらくには、なんでも突然がある。昨年、皆の中で年も上で髪も白髪でいかにも長老風の男がいた。開会の挨拶はまず、この長老がと決まっていた。長老の挨拶の後は遠方から来た人が乾杯の挨拶となる。昨年に引き続き今年も長老の挨拶かと思い会に出ると長老の姿がない。幹事が実は年明け早々に亡くなったと言う。家では粗大ごみだといわれていた男だが、会の出欠を取るはがきには、奥さんが毎年この会に出るのが楽しみで、今年も楽しみにしていましたと、記されていた。
そういえば、その前の年の同窓会に、これも少し年上の同級生が胃がんと喉頭がんという病を背負いながら出席したが、翌年は姿がなく、やはり鬼籍へ。74歳か75歳を生き抜くと80歳まで到達可能なんだなあと、なんとなく思う今日この頃だ。おいらくの人生なんてそんなものかもしれない。
女房のおかげでここまで来れましたと殊勝な挨拶をする男もいる。直腸がんを患い、今は毎日日課は歩いています、という男もいる。今日まで会社の役員をしていたが、今年退任しました。今は何をしていいか判らないと髪の毛はまだ青年のごとく真っ黒でふさふさの男がつぶやく。保険を仕事でしている男は80歳まではこの仕事を続けると。宝石の仕事をしている男は二人の娘が仕事をついでくれそうだと、にんまりしながら話す。年金で生活している、毎日歩くことにしているが、何処を歩いたいたかは覚えていないとさらっと言う。一年を長く感じるが、クラス会はいい事だと語る男もいる。74歳に近づくと語る話は、映画俳優の笠知衆の喋り方に似てくるから不思議だ。でもこれが、おいらくの人生のやがて終焉を迎える一場面かも知れない。
リタイヤーして、しばらくして会うと必ず、若くなったなあという台詞を聞く。見るといわれた男は、現役時代着てないような派手なファッションに身を包んでいるから楽しい。おいらくになると、だんだん灰色の茶色のファッションに身を任せていくのは、何でだろう?外国では、おいらくになるほどに派手なファッションに変わっていくのに。
元大学の教授をしていた友人に、つたない文章で20歳の女性の話を同人誌に書いたので読んでもらおうと郵送した。やがてその友人からはがきで返事が来た。そこには、こんな文章があった。
「貴兄が今なお溌剌とした若い世代への触覚を、伸ばし続けて、それによって、
自らの精神の若さを保っている事の証明です。うらやましく思います」
おいらくになると、昔は肉体と精神とで女性を愛していたが、精神だけで愛して、模索するようになるのかもしれない。その精神だけで、求めるのが精神の若さを保つ手段なのかも知れない。おいらくになると、それも忘れてしまうから、そこが恐ろしい。
おいらくには、おいらくなりの人を愛する方法があるはずなのだから。
老人の暇つぶしパーテイというのもあると聞く。
主催者はそれなりの理由をつけて、何かの何周年記念の会という名目で開く。そこで何があるかといえば、過去にそれなりの要職にあってすでに老人ホームに優雅にいるような方の講演とか、カラオケ大好きの老婦人の歌とか踊りとかで、フレンチを食べるというものだ。名うてのホテルで開くのだ。費用は1万円だが、その道の詳しい方の解説によると、これはおいらくのパーティですぞと言う。暇があり、どこかに行きたいが行くところがない、といって老人ばかり集まるところは嫌だという方たちが来るんですぞと。要は老人でない風をみせたいのだ。
これからのおいらくたちには、今までの老人のたまり場では通用しないのだ。
そういえばハワイではパブリックのゴルフ場は、おいらくのたまり場だ。先着順でゴルフができて、プレイ料金も10ドルもかからない。終わった後は、クラブハウスか木陰でアイスボックスに入れてきた缶ビールを飲んで楽しんでいる。これが毎日の日課だ。
白人たちの時間の過ごし方を見ていると、必ず本を読んでいる。ホテルのバルコニーでも夫婦が向かい合って朝から互いに本を読んでいる。一日本を読んでいる。おいらくの人生の過ごし方を生まれる前からわきまえているか如くにだ。
おいらくになっても、常に必要なのは野次馬根性なのだ。何かがあれば、真っ先に見にいくという強い好奇心を失ったとき、おいらくの人生も終焉に近づいているかもしれない。
マンションの住人を見ていると、築40年を過ぎると住んでいる人たちもいい年になっている。やがて気がつくと大半は旦那が先に鬼籍へ、でご婦人の一人住まいとなる。そのご婦人も国の統計程度の寿命に近づいてくると、そろそろ危なくなる。それでも元気な方は毎日朝から夕方まで何処にいくかはわからないがリュックサックを背負って外出する。毎日、今日はどの方面行こうかと考えるだけでも大変だと思う。でも普通の人生はそれが当たり前なのかもしれない。リュックサックを背負って図書館に行き、毎日、新聞各紙が只で読めて、さらに週刊誌も読めて猛暑の季節なら自宅のクーラーも節約できて、終わって町の喫茶店へ、いや、かつての馴染みのビヤホールへ行って、生ビールを一気に飲み干して一日を終わるのも人生だ。
どこかの女性誌の広告ではないが、おいらくのこれからの人生の五つのパターンなんてあるはずがないのだ。かつて、ある不動産業者が山奥の土地を売るのに、団塊の世代だけ募集した事がある。団塊の世代なら、同じ場所にかたまって住んでも、同じ団塊の世代だから、生活が共に出来るのではないかというのが、不動産業者の狙い目であったが、その後、成功したという話は聞いたことがない。
かなり前に、リタイヤーしたらポルトガルへ移住をと国が勧めたことがある。家も安い、生活費も安い、食べ物も日本と同じように鰯の焼いたのも食べられるという謳い文句で、かなりの人が移住したが、数年して大半が日本へ逆戻りしたそうだ。第一は、言葉の問題だ。長い間、外国生活をしてきた人なら、ハワイでも、オーストラリアでも、おいらくの人生は過ごせるのだ。でも、以前に本屋に並んでいた「あなたは29万円でハワイで暮らせます」は嘘だ。お金が心配なくあり、基盤があり、言葉が出来ての事だ。
ポルトガルに関しては、一度パリの街中の日本レストランの親父に聞いたことがある。ポルトガルに住んだらいいかなあ?
すると、店の親父が、それは無理ですよ、なぜなら文化がないからです。
文化はここまで、パリまでですと。
後で考えてみると正に一理ある言葉だった。
こうして考えると、おいらくの人生は、結局自分自身で切り開く、創造していかなくてはいけないということだ。創造性の心を、おいらくで失うと、やがて億劫という精神が近づいてくる。これに取り付かれると厄介なことになる。すべてが面倒という現象に包まれるのだ。安易に人の手を借りてなんていう考えを起こすのが間違いだ。独立自尊の精神だ。
舞台のミュージカルを書いている方がいる。
ご主人が病に倒れても、舞台の台本は書き続けている。亡くなっても更に元気に書き続けている。結局、書いている、それを舞台に上げる、そのスリルに満ちた?生活が自分のモチベーションを自然の形で盛り上げて、自身の元気の源に繋げているのだ。
同じように80歳を超えた画家の場合も展覧会に出品する作品の制作に取り掛かると気持ちがハイになるという。なるのではなくハイにさせるのだ。張り詰めた気持ちの切り替えは外に食事に行き、行きつけの喫茶店でコーヒーをたしなむことだそうだ。そうしないと絵が枯れてくるという。ここで忘れてはいけないのは、色気を失なわない事だそうだ。
そう言えば、学生時代から共に劇団を作り過ごしてきた友人がいる。
彼はその後、映画のシナリオライターになったが、今なお同窓会で共に語りあい、書いたものに感想を寄せあい、二次会では昔話に花を咲かせる事が出来るのも、おいらくの人生の一つと思っている。
リタイヤー後、家でじっと読書に明け暮れている人もいる。それもおいらくの人生の姿なのではないだろうか?
大切なのは、過去に培った人脈を如何に大切に継続していくかということだ。ギブとテイクばかりではないのだ。そこには矢張り心が必要だ。そしておいらくは心が次第に弱ってくる。心が弱るとは心も精神も弱ることだ。そこに必要なのは、異性の心の支えになるパートナーだ。いわば、おいらくの支え木みたいなものだろう。
以前は年齢がかけ離れていて、こちらの喋りの内容が理解できない人も年齢を重ねるごとに、おいらくの考えを理解できるようになってくる。相手の年齢がおいらくに近づいてくるのだろう。否、近づいてくれているのかも知れない。おいらくの人生はおいらくの先輩の話に耳を傾けるたびに新しい発見があると同時に、おいらくになったら優しさと相手を自分の懐に抱え込まないといけない。
欲を張ることはない。
仏教の言葉で、名聞の思いという言葉がある。
「稀に一善を勤むと雖〈いえども〉も、多くは名聞の思いに穢る。」
私たちは自己の善なる行為をどうかして人々に知ってもらいたい。認めてもらいたいと思うのであるが、そうした思いこそ、実に自己のせっかくの善業をけがすのだという。この言葉は、尊敬する奈良興福寺の多川俊映貫首の書かれた「いのちと仏教」という本から学ばせて頂いた言葉だ。
本当はここで、おいらくのコペルニクス君がいるといいのだ。
もう一つは、おいらくよ、心に太陽を持てと呼びかけたいのだ。
「心に太陽を持て」
心に太陽を持て
嵐が吹こうが 雪が降ろうが
天に雲
地には争いが絶えなかろうが!
心に太陽を持て
そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか!
どんな暗い日だって
それが明るくしてくれる!
唇に歌を持て
ほがらかな調子で
日々の苦労に
よし心配が絶えなくとも!
唇に歌を持て
そうすりゃ何がこようが平気じゃないか!
どんな寂しい日だって
それが元気にしてくれる!
他人のために言葉を持て
なやみ、苦しんでいる他人のためにも
そうして、なんでこんなに朗らでいられるのか
それをこう話してやるのだ!
唇に歌を持て
勇気を失うな
心に太陽を持て
そうすりゃ、なんだってふっ飛んでしまう!
ツェーザル フラインシュタイン