音楽座ミュージカル「マドモアゼル モーツァルト」
原作 福山庸冶 演出 ワームホールプロジェクト 
脚本 横山由和、ワームホールプロジェクト 
音楽 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 小室哲哉 高田浩

振付 謝 珠栄 美術 朝倉 摂 照明 塚本 悟
出演 高野菜々 秋本みな子 広田勇二 安彦佳津美 吉田朋弘 山崎義也
安中淳也 藤田将範


音楽座ミュージカル・Rカンパニーの相川レイ子代表はプログラムに
女でありながら音楽の才能を活かすために男として育てられたモーツァルト
「マドモアゼル モーツァルト」は彼女が男として生きることで直面する
様々な現実の壁を乗り越え、男であるとか女であるとかいう次元ではなく
一人の人間モーツァルトとして生きる事を選びきっていく物語です。
書いている。

舞台を見ていてこの素材の良さを存分に発揮できないのは何でだろうと考えた。
装置は朝倉摂で自由に転換がきく組みあわせ式だ。
振付も謝珠栄だ。

音楽は小室哲也、高田浩だ。
物語は面白い。音楽座だから充実しきった舞台を見れる。
期待感は百パーセントだ。


モーツァルトを演じる高田菜々が若すぎて演技不足の点が大きな欠点といえる。
これだけの芝居だからやはり変幻自在に男?女?と変わり身を見せ、
可愛いかと思えば妖艶に、時にはいい男でと強弱をつけた芝居を
してくれないといけないのが、はしゃいだ舞台にしかならない。

宝塚歌劇の新人公演というところだろう、高田の芝居は。
舞台経験も少ないだけに、それだけの資質を演技を彼女に求めるのは残酷かもしれない。
厳しい言い方をすればただ、きゃあきゃあといいながら舞台を走り回っているだけと。

このため大切な舞台の流れ、リズムが出てこないので、
各場面がぶつ切りになり
次へつながらないのだ。

広田勇二と秋本みな子の芝居のなかに高田菜々が入り込んできても
バランスが取れない
違和感が生じる。
それはほかの二人は大人のお芝居をしているのに
高田一人が自分だけの
芝居をしている、つまり芝居を受けてないということだ。

見ていると段取り芝居に等しいのだ。
折角ここから色っぽく舞台が面白くなるかなという大人の雰囲気に
入りそうになると
高田の芝居で消えてしまうのだ。
これを矯正しない演出にも責任はある。

高田の歌自体が単調な歌い方で、これまた歌えるからいいのではない。
歌わなくていけないのだ。
笑うか無表情になるか、高田の演技はこの二つしかない。
仲代の芝居がよく
目をむいて芝居をするといわれるが、
それによく似ているからモーツァルトとしての
感情が伝わってこないのだ。
心の中はもっと複雑で苦悩に満ちているかもしれない。
それの片鱗が何処かで
観客に感じさせてくれないと、芝居にならない。
舞台での芝居の強弱、相手を見ながら芝居を返すとか受けるとか、
そうした技量が
身についていないから、それだけの芝居を求めるのが無理だ。
そのためどうしても間が長くなり、今回の公演も舞台が長く感じたのは、
多分
間延びしたのだろう。

広田が高田の魅力に惹かれていくにしても、広田は大人なのに高田は子供なのだ。
それでは広田が魅せられていく過程を観客に訴えられない、
となると広田の一人芝居となり浮いてしまうのだ。

秋本みな子しかりだ。本当はこの絡みを期待していただけに残念。

そうなると山崎義也も芝居のしようがない。一人芝居になってしまうのだ。
折角個性ある吉田朋弘が出てきても舞台の点の一つで、ほかとつながらない。
これからは、彼のような個性のある役者が男に限らず
女にしてもでてきて欲しいし
育てて欲しい。
やはり全体的に纏め上げるのが演出の仕事であり、
だめなものは矯正していかないと
舞台芸術はできあがらない。
物語良し、音楽良しなのに、これに見あうモーツァルト役を演じる大人が
いなかったことが誤算だろう。


それに観客も妙にミーハー的見方をしているように感じた。
観客がもっと
冷静に舞台を見極めて欲しい、
ただアイドル的役者が演技している、
それを見て
喜んでいるでは、舞台の質の成長は望めない。

一人のスターもいなくてもアカデミー賞を取った映画、
「スラムドッグミリオネヤー」が
そのいい例だ。
物語がよくて役者がうまければ、それでいいのだ。


最近のテレビドラマを見ても、出てくる役者は役者といえるかどうかわからないが
バラエティに出ていたり、コマーシャルにでてる人が、くそまじめな顔で演じるが
どれも真実性から程遠い芝居をしている。
つまり芝居でなく地で演じているから
見るほうはバラエティの顔と変わらないのだ。
本来の役者は豹変しないといけない。豹変できるのが役者だ。

これからは、バランスの取れた配役、舞台つくりを改めて目指して欲しい。

   兵庫県立芸術文化センター 200936日午後7時公演 1I13 チュー太


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