「砂に書けないラブレター」

宮田 達夫

 

ハワイ・ホノルルのワイキキ海岸に1950年代の中ごろから、小さな牧場のマッシュルームのように
ホテルが姿を見せて来たと言われる。そして昔のワイキキの魅力を保ち続けているのは「モアナホテル」、
ピンクの「ロイヤルハワイアンホテル」と「ハレクラニホテル」だ。その「モアナホテル」も今は名前が
「モアナ・サーフライダー・ウェスティンリゾート・アンド・スパ」に変わっている。

 

カマアイナ、地元の人たちはこの由緒ある建物には尊敬の念を持っており、カマアイナの結婚式は
此処でよく見かける。

 

私は作家の陳舜臣さんが病に倒れて、その後、夫人の未知さんが沖縄の砂浜で陳舜臣さんのリハビリを
しているのを聞いて、ハワイのホノルルのワイキキビーチで療養されたら、と勧めたことから
陳舜臣夫妻とホノルルに毎年来ることになった。ハワイの砂浜の砂には微粒金属が含まれており、
人間の体にいいと言われる。

陽が出る前、陳舜臣さんは未知夫人に連れられて、この砂浜を歩いて脚力のリハビリを試みていた。
そのとき必ず通称ピンクホテル、ロイヤルハワイアンホテルの前を通った。ハワイのホテルで外部の人間が
自由にトイレに行けるホテルはピンクホテルしかなかった。海に向かってロビーを右に行くと女性のトイレ、
左に行くと男性のトイレだ。

 

ロイヤルハワイアンホテルの正面入り口から中に入り、左に曲がり廊下を真っ直ぐ行くと、
有名なマイタイバーに行ける。その手前にきらきら光る装身具を売る店があった。それがヘレンの店だった。

ヘレンは常につばの大きな帽子をかぶり、同色のツーピースを着て店で客の相手をしていた。

何でヘレンと親しくなったかは判らない。店の前に立つと必ず入口からまっすぐ正面のショウケースの前に
美しく着飾った姿で立っていた。ドアを開けて店の中に入ると、「ハロー」と声を掛けてくるわけでもなく、
ただニコッと笑顔を見せるのだ。

 

ヘレンのファッションは、思わずその昔のハリウッド女優を思い起こさせるような雰囲気のものだ。

ピンクのアンサンブルに、花飾りのついた大きなつばのストローハット、勿論、色は総て同色だ。

赤のアンサンブルに、ピンクの花のついた赤いストローハットで、ふちに白い線が入ったのも素敵だった。

総て白の、パンツとロングコート、帽子もふちが大きく白のストローハットの時もある。

紫の花柄のワンピースに、つばの大きい白い帽子、そこには紫の花の飾りが年齢の割には
妙に色気を漂わせていた。

紫の花柄のワンピースと同じで、花柄がピンクの時もある。そんな時は帽子もピンクの濃い色で
大きなピンク色の花があしらわれて、つばが大きいのがいつものヘレンの特徴だ。

ベビーピンクで、衿はタキシードカラーのロングコートで、帽子はつばが広くて前の方を
少し上にまくり上げた感じの同色のストローハットだ。

真っ赤なツーピースでハーフコートの時もある。帽子はつばが広くて真っ赤だ。

 

何時しか回数を重ねるうちに彼女が一言「どこに住んでいるの」と聞いてきた。

しゃがれ声だった。ハスキーでもない。

「住んでいないよ、ビーチウォークのザ・ブレーカーズホテルに泊まっている」

ヘレンは無言なので、「知っている?」と聞くと、「知らない」と答えた。

その時、名前を聞くとヘレンだと判った。

「貴方は?」と聞くので「マリオン」ヘレンはまた無言だった。

「ヘレン、今日の顔、写真に撮らせて」

ヘレンは無言でカウンター代わりのショウケースの奥から出てきてくれた。

横サイズと縦サイズの2枚の写真を撮った。珍しくヘレンは、写真を撮る時、口元が微笑んだ。
薄い唇の間から白いきれいな歯が光って見えた。

ヘレンの化粧は何時も変わらない、眉毛を綺麗に書いて、目の化粧も年齢を感じさせないように見せて、
口紅の色は何時も濃い赤だ。青い目の色を美しく見せるためか、目の化粧の仕方は映画女優のような感じを受けた。

 

その昔の、キム・ノバーク、ローレン・バコール、ロレッタ・ヤング、アン・バクスター、
ジェニファー・ジョーンズ、ヴァージニア・メイオ。

とにかく、そんな、その昔アメリカ映画で見た女優の雰囲気が漂うところがヘレンの不思議さだった。

 

ヘレンの店の前を通り抜けると正面に真っ青なワイキキの海が目の前に広がっている。
右手には有名なボウルルーム
「モナークルーム」が、左側を行くとロイヤルハワイアンホテルの有名なマイタイバーだ。
テーブルにはホテルのタワーをかたどったピンクのキャンドル立てがあり、
何となく昔からのという雰囲気が、そんなところから漂っていた。

カーキ色のショートパンツ姿の可愛いウェイトレスが注文を取りに来る。

「マイタイ」と言うと、やがてパイナップルに小さな紙の傘がついた美味のマイタイが運ばれてくる。
目の前のホテルのプライベートビーチで超ビキニの水着姿の金髪美人を見ながら、
ストローでマイタイを飲む気分は何故か心を和ませてくれるのだ。

 

日本語を喋るウェイターがいた。

「日本語喋ると時給が少し高いんです」

「日本語、何処で勉強したの?」

「高校で」

 

その昔、ロイヤルハワイアンホテルが作られた時、祝いの歌がある。

「お前を見ると、心が浮き浮きする、ロイヤルハワイアンホテルよ」

正にそんな気分になるのが、このホテルの魅力だ。

 

マリオンは、ホノルルを訪れる時は必ずヘレンの店をのぞくのが習慣になっていた。
知り合ってしばらくした時、マリオンはヘレンに「御歳は?」と聞いた。ヘレンは笑って答えなかった。
その代わり、マリオンにも歳は聞かなかった。沈黙の後、マリオンはヘレンに、
「ヘレン、今日の顔、撮らせて」。

いつものように、前に出てきて白い歯を見せた。衣装は見たことのない衣装だった。

 

ある日、ヘレンがぽつんと「私、日本に行く時あるの」とつぶやいた。

マリオンは「へえ!日本は何処へ」と聞くと、どういう関係かは語らず「千葉にいる人の誕生日に行くの」と。
マリオンはその時、ヘレンが日本へ行くときもこの姿で行くのかと思った。多分そうだろうと自分勝手に思った。

 

ある時、ヘレンは黙って婦人を書いた絵葉書を見せた。そしてぽつりと「私だって」。
いささか不満そうだった。ついマリオンは聞いた。

「これ、ヘレン?」

「書きたいと言う人がいて、勝手に書いたの」

「その人、知り合いの絵描きさん?」

「全然、知らない人」

雰囲気はヘレン風だが、顔はヘレンではなかった。

「いる?」

「もらっていい?」

ヘレンは無言で絵葉書をマリオンに手渡した。その素振りでは矢張りあまりお気に入りのものではなさそうだった。

 

ロイヤルハワイアンホテルにはマリオンが親しくなった友人いる。
その一人がパナマハットの店「NEWT」のジムだ。彼は以前に作家の陳舜臣夫妻と訪ねて以来、
付き合いが深くなり、いつもカマアイナ〈
KAMA’AINA〉、地元の人の値段にしてくれるのだ。

此処のパナマハットをかぶってカラカウア通りを歩くと必ず、「素敵な帽子だ、NEWTで買ったのか」と
言われるほど有名だ。

もう一つ、此処の店で知られているのが、ハワイアンシャツだ。此の店のパンフレットの表には
ハリウッドスターだったモンゴメリー・クリフトの写真が載っている。中の文章を読むと、
有名な人で此処のハワイアンシャツを好んだ人は、ビング・クロスビー、モンゴメリー・クリフト、
特に彼は映画の『ここより永遠に』でも着ていたと書いてある。後はジョージ・ブッシュ、
ビル・クリントンもそうだと。

 

ジムがマリオンのパナマハットを見て「クリーニングしたら?」と。

「えっ、出来るの?」

「出来るよ。百ドルで。リボンも替えてね」

「何処でするの?」

「シップでメインランドに送るのさ」

数か月してマリオンの所にイーメイルが届いた。ジムからだ。クリーニングが出来たという知らせだった。
翌年、ジムが綺麗になったパナマハットをマリオンへ、マリオンは現金で百ドル渡した。

ちなみに、日本では高島屋、阪急百貨店など、どこでも外国のハットのクリーニングは不可能だ。
何故なら型が無いからだという。

 

マリオンはジムから、パナマハットで旅行用に持ち運べるパナマハットを教わり一つ購入した。
値段は当時の値段だからそう高いものではない。とにかく、片側から丸めて筒状に出来るのだ。

ある時、マリオンがハワイの友人にその話をしたら、その友人が「そうなんです。丸められると言い、
知り合いが自分のパナマハットを丸めたら、よれよれになってしまい大笑いでした。あれが出来るハットは
一つしかないんですよね」

 

ジムはこの辺りの情報をよく収集しており、ヘレンの事も時々話が出ると教えてくれた。
ヘレンの娘が同じロイヤルハワイアンホテルで店をしているという話は、マリオンはヘレンから聞かされた。

 

ヘレンは、いつ行ってもマネキンのように店の奥に、毎回違う衣装で立っていた。
でも気が付いたら、いつしか時々不在の時もあった。ヘレンにそのことを聞くと
「そうなの、週に2回は休むの」と。

ヘレンの店は、商品がきらきらした装身具が中心のせいか、それにヘレン自体が輝いていたせいか、
常に店全体がまぶしい感じだった。しかしヘレンが居ない時は不思議と店の中の輝きが無くなっていた。
マリオンは、ヘレンの店に行くと必ず、「ヘレン、今日の顔」と言って写真を撮った。
ヘレンは、衣装をどれほど持っているのだろうかと不思議に思うほど、毎回会うたびに衣装が違った。

ある日、ヘレンの店に行くとオールバックの初老の男性がヘレンの横に立っていた。

「私の主人」。

ヘレンはマリオンに紹介した。

口数の少ない男性だった。でも鼻筋が通りオールバックのヘアスタイルで、
若いときはかなりのハンサムだったに違いないとマリオンは思った。

「ヘレン、ツーショット撮ろう」二人の写真を撮影した。

 

翌年ヘレンの所に行くと、ヘレンがぽつりと「彼が亡くなったの」と告げた。

「えっ」

何と言えばいいか、日本語のご愁傷様という言葉は英語にはない。

「アイ・アム・ソーリー」

映画で見たお悔みの時の場面を思い起こして言葉を思い出した。肺がんだったらしい。
英語でお悔やみの言葉はアイ・アム・ソーリーだけだ。

 

911の起こる前の頃だから、カラカウア通りも繁盛していて、マリオンはカラカウア通りの大概の店の人と
顔なじみになっていた。モアナホテルの前にゴルフショップがあり、そこで働いているご婦人が
奈良出身と聞いた。ひょっとしたら戦争花嫁だったのかなとも勝手に想像した。
というのも、カイマナビーチホテルの2階にある和食の店「都」で働いている日本の女性は皆そうだったからだ。
このゴルフショップの店もマリオンが油を売るのに丁度よかった店だ。時々、彼女に日本からおまんじゅうを
お土産に持っていくとものすごく喜んだ。

 

911の事件を境にハワイのワイキキの雰囲気は、がらりと変わった。何しろ、911が起こった時、
日本人の観光客は帰れない。しかもギャルみたいな女性は御土産も買っていて、お金が無い。
ホテルは半額で泊まらせると言っても、金もなければクレジットカードも持っていないという、
悲惨な状況だった。そこで彼女たちはカラカウア通りの交番の周辺で野宿を。
食べるものを買うにも、お金もないので、お土産店が彼女たちの買った土産物を引き取って
お金にしてあげたそうだ。

 

911の前後のカラカウア通りは何処までも人通りが無いので見通せたのだ。しかもホテルのレストランは
客が無いため皆張り紙をした。其の張り紙には「リニューアル」と書かれてあった。
何時からオープンという文字はなかった。

 

その前後に、「NEWT」もヒルトンホテルにも店を出しており、ジムも週に2回ぐらいヒルトンの店にいた。

ヒルトンには「横浜おかだや」という店があった。当時は世界に「横浜おかだや」は店を展開していた。
ラスベガスではパリスという最新のホテルの中に店が、勿論ニューヨークではニューヨーク・ヒルトンの中
に大きな店を構えていた。それが突然店を閉鎖すると一斉に回状が回ったのだ。へえ、あの、おかだやが。
時代の変わり目だったのだ。ブランド店の専門店が出来て、ブランド品を多種多様に集めて
商売していた総合店みたいのは、その時すでに時代が過ぎていたのだ。

閉店間際のおかだやのバーゲンセールは、ブランド品がものすごい安さだった。
何かしらの内に、ハワイの老舗の店が姿を消し始めていた。和食の「ふるさと」、
店がお城のような作りの「京屋」、ハレクラニホテルに泊まりに来る日本の会社の社長さんが
朝ご飯に和食を食べられるように作った「花鳥」、懐かしいそんな店が、気が付くと消えていた。

 

ハレクラニホテルから歩いて30分ぐらいの所に、カイマナビーチホテルというサンセットが
よく見えるホテルがある。此処の1階にあるハウツリー・ラナイレストランには大きな木が茂っている。
此の木は有名な木で、かつて、この木の下で小説家ロバート・ルイス・スティーブンソンが
あの小説『宝島』を書いたところだ。

 

面白いのは、このホテルに来るまでのビーチ一つがおかまビーチと言われ、もう一つはレズビーチと
呼ばれて有名なことだ。嘘だと思ってよく見ると、バニヤン木の下で同性同士が仲良くしている姿が見られる。

 

余談だが、ホテルは皆、車の駐車はバレーと呼ばれるシステムで玄関のボーイにキーを渡して預ける。
帰りにボーイに告げると車を駐車場から持ってきてくれるが、その時チップとして5ドル払うのだ。
今の時代は、此の玄関のベルボーイが一番実入りが良いので、ベルボーイ希望が多いそうだ。
ついでに言うと、米国では何でもチップが必要だ。払う代金の15%から20%払うのが常識になっている。

 

日本人の中には払わない人もいるので、大概は勘定書にチップ込みで請求してくる。
中には「チップ入れていいですか」とか、客が面倒で「初めからチップ入れといてくれ」とかいう。
理由は、経営者は、従業員が1か月に100ドルはチップを貰っている勘定で税金を払っているのだ。
つまり、従業員はチップを貰わないと、先払いしてるので大損するというわけだ。
勿論、カードで払うときにチップ込みで払う時は、TIPと書いてあるところに金額を入れたらいい。
別に払いたければ、現金で渡せばいい。

人にご馳走になった時、ではチップだけ私が払う、というやり方もある。だから5ドル紙幣とか1ドル紙幣を
持っていないと困る時があるのだ。チップ込みで28ドルという時に、20ドルと10ドル紙幣しかないと、
それを渡すと「キャッシュバック?」と言われて「イエス」とは言いにくく、そのまま、いいよという事になる。
しっかり者は、20ドル紙幣を事前に少額紙幣に替えさせてから支払う人もいる。

 

2006年頃、ヘレンに会うと何となく様子が変に感じた。ヘレンの店で一寸した飾りものを買い、
お金を払うと、そのおつりがなかなか出てこないのだ。時には、横に紙幣が置いてあるのに
「お金は?」と言ったりした。本人はしっかりしている風だが、体がついてこないという感じだった。
少しぼけたのかなあ、いささか心配だった。

「ヘレン、一緒に写真撮ろう、そうだ店の前で撮ったことないから、店の前で写真を撮ろう」

ヘレンの歩き方も何となく、おぼつかなかった。その時のヘレンの衣装はマリオンが初めて会った時と
同じピンクの色の衣装だった。此れがヘレンとの最後の別れになるとは考えてもいなかった。

 

翌年行くとロイヤルハワイアンホテルはリニューアルに入っており、ホテル自体が閉館となっていた。

ヘレンはどうしているかな?店はリニューアルでどうなるのかなあ?マリオンは、いささか不安だった。

「NEWT」のジムの所も同じ状況なのでジムにも会う事が出来なかった。

 

2008年、マリオンは恒例のごとくヘレンの店を訪れたが、おや?変だ。店の感じが違う、
店の中には女性がいるがヘレンの娘ではない。日本人の女性だ。不安な心で店の中へ。

「ヘレンさんの店ではないのですか」と尋ねると、

「ヘレンさん?知りません」という返事。

 

その夜、マリオンがハワイに長く住んでいる親しい女性に「リニューアルしたマイタイバーで飲もう」と言い、
お供を願った。マイタイバーに行くと、様子は以前と一変。なんだ、これは。
昔の古き懐かしき雰囲気は消えていた。

巧みな英語を喋る連れの御婦人にマネージャーを呼んでもらい「ヘレンの店は?」と聞くと

「彼女は天国だ」と空を指差した。

「えっ、亡くなったの?ヘレンは此処のホテルのシンボル的女性だったんじゃないか」と言うと、
マネージャーは「自分もその通りだと思う、亡くなったのは誠に残念だ」と言った。

空を仰ぐと星がきらめいていた。ヘレン、星になっちゃったの?

 

翌日、早々に「NEWT」のジムを尋ねると運よくジムが店にいたのだ。久しく見ないジムも
髭が白くなり顔の皺もかなり増えた。マリオンより10歳は下の65歳と言っていた。

「ジム。ヘレン死んだの?」

ジムは眉間にしわを寄せて、うなずいた。

「ジム。ヘレン幾つだったの?」

ジムは、まだハワイで発行されていた英語新聞アドバタイザーに「死亡は掲載されていたが、
年齢は書いてなかった。多分80歳ではないか」と。マリオンは、さらにジムに聞いた。

「娘さんは何処に?」

ジムは「知らない」と答えた。

マリオンは、もし判れば今まで撮影したヘレンの写真を渡したいと思ったからだ。
理由は、毎回撮影した写真はヘレンに渡していたが、改めて心の中の友としての愛を贈りたかったからだ。
最後にマリオンはジムに聞いた。

「彼女の名前は?」

ジムは、一瞬、知らなかったのかという顔をして答えた。

「シンクレア」そして稔押すように「ヘレン・シンクレア」〈Helen Sinclair〉」

 

バーカウンターに座ると、目の前に青すぎるほど青いハワイの海が広がっているバーがある。

アウトリガーリーフホテルの「ショワーバード〈Shore Bird〉」だ。

 

此処でマリオンは、ウェイターをしているジュリアと知り合った。ハワイの人は大半が混血だ。
もともとプエルトリコからの移民が多く、初めから混血状態でハワイに来て更に混血が増えていくのだ。
ジュリアに「どこの混血?」と聞くと4か国だという。へえーとマリオンは驚いた。
ジュリアは、お祖父さんがポルトガルでお母さんが日本、お父さんが沖縄で自分はカウアイだからという。
聡明そうなジュリアは機転の利く女性だ。マリオンはヘレンと同じく、ジュリアの写真を会うたびに撮影した。

 

あのジュリアが働いているショワーバードの反対側に画廊のような店が以前からあった。
が、マリオンがある日、夕暮れにショワーバードに行くと店が変わっていたのに気が付いた。
年配の金髪の女性が眼鏡をかけて店内にいた。彼女はアーチストでハワイの海で見つけた石とガラスとかを
使って、不思議な感じのする装身具を作り販売しているのだ。
マリオンは何気なく品物を見ていると「こんなの好き?」と
女性が声を掛けてきた。「ここに住んでいるの?」とも聞いてきた。
マリオンは「違う。でもいつもショワーバードには来るんだ」と。
名刺をくれるので名前を見るとキャスリーン・キングと書いてあった。響きの良い、いい名前だと思った。

 

キャスリーン・キングは週の内3回ぐらい店に顔を出すみたいで時間も夕方だった。
ヘレンの店と違い、こちらはきらきら装飾品でない、ハワイの海の中でとれる自然品でつくられた装飾品だ。
ヘレンと同じで、そうお喋りをするわけではないが、キャスリーンの写真は行くたびに撮影した。
一寸したものを買ってもおまけをくれて、品物を入れる袋は止め口に割りばしを穴をあけて通してするので、
何となく愉快だった。

ある時、筆でキャスリーンの名前を半紙に書いてプレゼントしたら、ものすごく喜んだ。
何時しかキャスリーンはマリオンと会うとハグしてくるように頬にキスをしてくるようになった。
それはある時彼女が別れ際に、マリオンに「ハグしていい?」と聞いてきてからだ。
細い髪の毛の金髪が年齢のいった彼女の顔を美しく見せていた。ヘレンのいなくなったワイキキで
マリオンは、ヘレンとキャスリーンは何か同じ人の様に感じた。歳はキャスリーンの方がヘレンより若いが。

 

ある日いつものように、ショワーバードのカウンターに座り、気が付くとジュリアは
客の注文を取るウェイターでなく、カウンターの中で働いていた。

「ジュリア、偉くなったんだ?」

ジュリアはにっこり。

「ギャラもアップ?」

それに対してもにっこりした。でも忙しさは、バーテンだから注文をさばかなくてはいけない。
お喋りをしている間もない。

 

かなり以前に、いつものすっきりした顔をしてないジュリアに気が付いた。

「ジュリア、ふられたの?」

悲しそうな顔をした。気のせいか綺麗なジュリアの顔がブスにみえた。そうか矢張り失恋すると顔に出るのか。

 

アウトリガーリーフホテルのショワーバードのバーは、マリオンは最高のバーだと思っている。
夕暮れに来ると青い海の色が次第に変わっていくのだ。そんな風景を見ながらマイタイを飲む気分は最高だ。
やがて左手に月が上がり始めると、右の山の方へ夏は太陽が沈んでいく。月は太陽を追いかけるように。

 

キャスリーンにはよく彼女の写真をはがきにプリントしてプレゼントした。息子も大きく、キャスリーンと
同じく装身具を作ったりしているアーチストなのだ。

ちょっと変わった感じのアクセサリーを見つけてマリオンは黙ってキャスリーンに手渡した。

何時のように袋に入れて袋の止め口の穴に箸をつかった。

「では、またね」と言うと、キャスリーンは「一寸待って、ハグさせて」と言ってマリオンに近づいてきた。
キャスリーンのハグは何時ものハグとは感じが違っていた。何か再会の無い別れのハグのような感じがしたが
マリオンは、親しさが濃くなったからかなと思った。

 

マリオンが日本に帰り、しばらくしたら航空便で小さな箱が届いた。よくぞこんな小さなものが
外国から届いたなあと思い、包み紙を開けると中には小箱が。さらにその中を開けると、
5ミリぐらいのガラスの瓶にコルクで栓をしたものが出て来た。小瓶の中には砂と貝殻と小石がはいっていた。
小さなメッセージカードが目に付いた。カードにはこう書いてあった。

WAIKIKI SAND AND SEA GLASS MAHALO FOR AII YOU ALOHA

サインは〈KATHLEEN KING〉とあった。字体は何時もの剣のような研ぎ澄ました文字だった。

マリオンはキャスリーンに受け取ったことを知らせる手紙を出したが、イーメイルでも返事が無い。

 

数か月後に、マリオンンは再びホノルルを訪れた。いつもの様にキャスリーンの店をのぞくと改装中だった。
そのうち店を見に来るかなと思いつつ、マリオンはショワーバードのカウンターに座った。
ジュリアからは、最近は仕事を2つ持っていると聞いていたので、居ないのは別に不思議とも考えなかった。
でも連れの英語の堪能な御婦人が気を利かせて、ジュリアの来る勤務予定を聞こうと言った。

 

帰り際に改装中のキャスリーンの店が気になり、ガラス戸をあけてもらい、無愛想な女性に
「キャスリーンは?」と聞くと、彼女はもうここにはいないと告げた。

実はマリオンはキャスリーンに、ハワイ島の南端のグリーンサンズビーチから以前にやっとの思いで
断崖を下りて採取してきたグリーンサンズを渡したかったからだ。砂に書いたラブレターではないが、
グリーンサンズの中にマリオンはキャスリーンに対しての親愛の心を埋めていたのだ。
砂に書けないラブレターと言えるかもしれない。

 

キャスリーンのイーメイルアドレスが判ったので、グリーンサンズを贈ると手紙を書いた。

イーメイルで返事が来た。

「私は今ものすごく幸せなの、何故かって?初めての孫が出来たばっかりなの。私のインテリアの店は、
もうやめたの。その代わりにインターネットで装身具は販売しているの。私は今、家族と住んでいます。わけ?
それは私の人生の終焉が間近だから。ねえ、すぐにでも電話いただけない?貴方とお話がしたいの。
あのアウトリガーリーフホテルの私の店でお喋りしたように」

 

マリオンは再び彼女が送ってきた、小さな瓶の中の砂を眺めた。きっとキャスリーンもこの小さな瓶の砂に
マリオン宛の手紙を書いているんだと。

 

電話を掛けようとマリオンは一瞬思ったがやめることにした。

英語で電話のやり取りはマリオンがキャスリーンと顔を合わせて喋るいつもの雰囲気は難しいと考えた。
でも航空便で送ったグリーンサンズが届いているか不安だった。

 

キャスリーンからイーメイルが届いた。

「アロハ!マハロ!特別な砂は、なんと素敵なんでしょう。この砂の色を見た時、
私は素晴らしいインスピレーションが湧いたの。この砂が乾いたら素敵な飾り物を作り、マリオンに送ります。
私たちの間には太平洋があるけど、いつでもアロハとマハロでお互いの気持ちは、行き来できるわね」

 

マリオンはそのイーメイルの文章を読んで、互いに砂に書かない言葉が通じたのかと考えた。

それはキャスリーンからきたイーメイルの初めに「アロハ・マハロ」と書いてあったからだ。

「アロハ」の直訳の意味は息の存在、生命の存在を表して「アロハ」は生きていく過程で互いに
愛情敬愛を持つ気持ちを表す言葉だからだ。

 

「マハロ」は有難う、感謝の意を表す言葉だが、Maは〈〜の中に〉、haは〈息〉、aloは〈の前に〉で、

三つの言葉を合わせている。息、つまり魂の中にいる。もっと深くは、あなたが魂の中にありますように
という意味になる。

 

キャスリーンはきっと、砂に書かないかわりの素晴らしいものをマリオンが贈ったグリーンビーチサンズの
砂の中に思いを込めてくるだろう。

 

仮にキャスリーンが去っても、彼女の言うとおりに、互いの心と魂は何時も太平洋を行き来しているだろう。

 

例え砂に書けたとしても、それは何時しか波に打ち消されてしまい、そこに残るのは矢張り「アロハ」と
「マハロ」ではないだろうか?

アロハオエ・・・・・。

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