劇団四季公演 デイズニー ミュージカル「ライオンキング」

                  ちゅー太の劇評


デイズニーのミュージカル ライオンキングの公演は
2015年7月15日に公演回数1万回を迎えた。
東京公演に続き、大阪公演の最初は1999年4月に
大阪ビジネスパーク内に建設した大阪MBS劇場
そして大阪四季劇場に引き継がれた。

ライオンキングがロングラン公演を可能としたのはプログラムによれば
作品の持つ独創性にあるという。
ライオンのマスクと独特のメイクをした俳優の表情が一体となり
目の前の舞台に熱いアフリカのサバンナ変わる所とある。

確かに演出のジュリー・テイモアの独創的なものが舞台では
見事に生かされている。

更に、物語の核となるサークル・オブ・ライフ、生命の連環
めぐり巡る命の営みを賛美するという普遍的なテーマがある。

シンバが幼少のころから生活の中で得た経験から大人になり
命の大切さを自覚する。

舞台を観ていて感じたことは、此のライオンキングは劇団四季の
油脈となったミュージカル キャッツとは違うと思った。
何処が違うかと言うと、ライオンキングのそれぞれの役を演じるに当たり
一つの演技の形が完成している事だ。

ミュージカル キャッツも形はあるが、演者によって舞台の表現が
変わってくることがある。
ライオンキングの場合は、動物のマスクと演者の表情が一体化して
舞台が出来上がっているわけなので、自然とそれぞれの役に関しては
動きというか流れが出来上がってきているのだ。

それは1万回の公演の賜物ではないだろうか?
その決まった演じる型の中で、自然と各人の演者の個性が
表現されているのを感じた。
そこにテンポの良さも生まれて、命の大切さと言うテーマも観客に
伝わり易いのではないだろうか?

東西二か所で同じ演目の公演だけに<他の公演も同じだが>ダブル、トリプルの
キャステイングをしているだけに、また、最近はネットで次週の出演者もファンには
判るだけに、感覚としては宝塚歌劇の花組、月組、雪組、星組、宙組みたいに
出演者を、その都度見るという雰囲気にもあるように見受けた。

此れは劇団にとっても好都合で貴重な付加価値と言える。

一つ感じたのは方言を使うのも面白いが、正確な大阪弁を喋ることが大切だろう。
例えば関西で鳴く蝉は「クマゼミ」で「ミンミン蝉」は東京より北だと関西の人は言う。
その辺のこだわりが言葉の場合は、そのイントネーションで異質に感じることがある。

蝉に関しては、最近はミンミン蝉は南下しはめ、関西でも鳴きますと
昆虫博物館の話だ。

観劇した観客からこんな話を聞いた。
「キャッツを観て逆立ちしそうな位の感動した時から随分と時代が流れたんだと、
つくづく感じました。
創る人、演じる人、観る人も常に進化していると思います。
どの時代が正しいとは言えませんが
今日の舞台に携わった全ての人が何年後かに今日の舞台を振り返って
心に温かいモノを感じられたら正解なんでしょうね」

観劇した日は、若い人たちの団体が観劇に来ていたが、何となく拍手が弱い感じを受けた。
最近感じるのは、歌舞伎でもそうだが、初めて見る人が多いようだ。
歌舞伎の場合は、拍手を何処でしたらいいか判らないで拍手をする人がいる。
今回も、そんな雰囲気で拍手が何となく、まばらなのが淋しかった。

ふり返ると、子供頃に四季の舞台を観て憧れて四季を目指す人が多い。
現在劇団四季は、全国13か所で公演をしている。
公演回数が多いということは、演目が沢山あるという事だ。
という事は、芝居に目覚めた人たちが舞台に近づける至近距離にある劇団と
言える。

テントシアターでミュージカル キャッツを公演してロングラン公演を生み出した四季は
創立62年目にニュー劇団四季としてスタートして、その流れを作り上げた。

この流れは、劇団四季の全員が一致団結し心新たに前進するところから
更なる未来が広がるはずだ。

平日の昼公演でも若い女性の観客で劇場を一杯にするのだから、
営業の力もあるだろうが
若い観客の姿を見ていると、四季の魅力は代々に循環していると思った。


この日の主な出演者
 
ラフィキ 福井麻起子 スカー 韓 盛冶 ナラ 辻 茜 シンバ 石毛翔弥
ムファサ 宇龍真吾 サラビ 小野さや香 テイモン 近藤聡明 プンバア 川辺将大

観劇 2015年9月9日 大阪四季劇場 13時30分公演 1階 I列 12番 <ちゅー太>



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