草笛雅子さんが演じた・朗読劇「私は芝居がしたいの!
                   原爆に散った元タカラジェンヌ園井恵子」


                             稽古〜本番まで



2013年8月6日に広島の小さなビルの中のスペースで、この朗読劇は初演を迎えた。照明設備は無く音響設備も乏しい、舞台もない
平場で、手作り照明で舞台は開いた。

その後、宝塚歌劇百周年が2014年だという事で、園井恵子さんへの思いも強い宝塚歌劇団の演出家で宝塚文化創造館の
名誉館長の岡田敬二さんから、宝塚で公演をしたいと言う話が伝わってきた。

この朗読劇、誰が演じてくれるか、誰が演じられるか、出会いと偶然は不思議なものだ。

草笛雅子さんは昭和51年<1976年>に宝塚音楽学校に入学、その年に毎日放送は夕方のワイドニュースMBSナウを
スタート、話題として当時、誰も手を付けていなかった宝塚音楽学校の合格発表を取材、その後、宝塚歌劇の稽古場から舞台から
総てを取材、草笛雅子さんと言う生徒が居ることも稽古場での姿を、いつも見ていた。

草笛さんは宝塚音楽学校に首席入学、入団3年目で歌唱賞を最年少で受賞、研3、研5で行われる試験でもトップで入団2年目で
若草物語の次女で主役を「ジャワの踊り子」で寿ひずるさんの相手役アミナを「風と共に去りぬ」では、スカーレットUを麻実れいさん
のサヨナラ公演の「はばたけ黄金の翼よ」でロドミア役を演じた。

気が付くと草笛さんは宝塚歌劇から、さよならをしていた。偶然とは不思議なもので、劇団四季の公演を担当していて
大阪堂島の毎日ホールを改装して、劇団四季の「美女と野獣」の公演の時、オーデイションを受けにきた草笛さんと再会した。

彼女は「美女と野獣の」ミセス・ポット、マダム・ブーシュを演じていたが、その後、すっかり疎遠になっていた。
それが数年前に知人が出るデイナーショウで偶然隣りの席に座ったのが草笛雅子さんだった。

そして昨年、まだ本決まりではない朗読劇を演じてもらう人は彼女しかいないと思い、とりあえずお願いすると、気持ちよく
快諾、その後、彼女の可愛いショウがあり、それに招いてくれた。

そのとき、彼女の歌を聞いて居て、この人は伴奏も無く,すみれの花の歌をアカペラで歌える人だと確信した。歌は
アカペラでいこうと、彼女の歌は間違いないと。

宝塚歌劇百周年を迎える2014年に入り、岡田名誉館長から宝塚市文化財団の主催で公演するという事になった。
それなら、宝塚舞台に協賛をと宝塚舞台の植田 孝社長にお願いすると、植田社長も広島での公演をわざわさ
観劇されただけに承諾も早かった。

草笛さんは、自身が教えている歌のレッスンが多忙で、朗読劇について、二人でゆっくり話す時間もなかった。
その頃、丁度、山崎陽子の世界という朗読ミュージカルを大阪の心斎橋ホールで公演するので、朗読劇とは、こんなものと
彼女の勉強方々観劇した。

呑み込みの早い草笛さんは、これは大変な事だと内心思ったに違いない。

理由は、今度の朗読劇、アカペラで始まり50分間演じた最後に歌で終わる構成になっていたからだ。普通の朗読劇は
30分が限度、今回は途中で水も飲めない。

稽古は、幸いにも宝塚文化創造館、元宝塚音楽学校だから3階に日舞教室がそのまま残っていたので、そこで稽古という事に。
草笛さんにしても、懐かしい場所だ。
5月23日に、初めて稽古、5月30日、6月3日、6月27日、7月18日、7月25日本番の8月10日まで日が開くので
いささか不安で稽古場を都合願い7月31日が最終稽古だった。

稽古途中で舞台で使う椅子が適当なのがない、草笛さんが母親の好きだった椅子がいいのではと提言、翌日運んできたのを
観たら素晴らしい椅子だった。
彼女曰く、いつも何か母と一緒なんですと一言。その心が、この朗読劇にはいるんだと、勝手に合点していた。

朗読劇の稽古は、始めはアクセントから始まり、セリフの切るところは、此処でとか、朗読劇の中にはいろいろな人物が
出てくるので、彼女にこう提案した。

貴方なら判るから、中に出てくる男の人は,專科の男役の誰それを真似したらとか、呑み込みの早い草笛さんは、巧みに
それなりの人物を手本に使いわけていた。

演者という人、役者は単に演じればいいとい、うものではない。本を読んでの読解力が大切なのだ。
彼女の場合は自分が人に歌を教ええ居るだけに、そのあたりの呑み込みは素晴らしいと感じた。

歌に関しては、稽古はじめから問題なく、朗読劇の最後に歌う「会えるそのときまで」については、綺麗には歌いませんよと
それを聞いて安堵、判ってくれているなあと。

あの歌舞伎の13代仁左衛門さんがセリフは歌え、歌は語れと言った言葉が頭の中をよぎった。

稽古の途中で、草笛さん、声が出なくなり精神的なものだろうと、内心不安だったが、出る様になるよと、知らん顔していた。

稽古の途中で彼女の誕生日を奇しくも迎えた。宝塚ホテルで購入した1個のケーキにローソク1本ともして祝った。
アクセント、セリフの切る所、つながるところなど、数回の稽古は、ダメ出しペーパーに書き込むことが多かったが
そのたびに彼女の台本は色々の色で染まっていった。

稽古途中で新聞社が取材に来てくれたので、インタビューなど受けて、ストーリーはと聞くので、説明しようかとしたら
草笛さんが、じゃ一度通しましょうかと、再度50分余りの朗読劇を演じたのだ。
そのとき、見ていた記者の目にうっすらとしたものを感じて、内心、草笛雅子の演じているこの朗読劇はいけると
秘かに自信を感じた。

或る時、稽古場で草笛さん、水飲むと言うと、いいえ飲みません、本番でも飲めないのだからと。彼女は55分にわたる
此の朗読劇をいかに展開していくか、頭の中で既にキューシートが作らていたのだった。

最後の稽古の時に、ふと、退職金を園井恵子が貰う場面を、それまでは立っていたのを、座って演じてほしいと草笛さん言いうと
思う通りの演じ方をしてくれて、互いにこの方が良かったと理解できたのが結果オーライにつながった。

照明は担当者に吉井澄雄さんの白の中の白が退職金の場面では欲しいと特に注文、担当者も照明家の吉井澄雄さんを
知っていてくれてよかったと胸をなでおろした。

そして舞台稽古、本番と8月10日は台風11号が近畿地方を襲い、台風の中で2回公演を強行、でも草笛雅子さんの
熱演が観客の心を捕まえてくれた。
観客の中に、すみれの花をアカペラで聞いて時、宝塚の人の歌い方はあまり好きでないが、あのアカペラで引き込まれたと。

台風の中で見た感動の舞台だけに、忘れられない日になったという観客の言葉がものすごく有難く聞こえた。

沢山の元タカラジェンヌは各方面で活躍しているが、今回の朗読劇を、此れほどまでに演じられる人は草笛さんしか
居ないのではと感じた。それはもの凄く素直に演じてくれたからだ。
それも、不思議と昭和51年に出会ってから、出会いが途切れなかったことだ。最後の出会いが無かったらこの朗読劇は
成立してなかったかもだ。草笛さんに感謝。
この朗読劇は草笛さんの宝物になってくれたら有難い。そして彼女のお蔭で園井恵子さんも魂も故郷の宝塚に
百周年で戻れたと思う。

朗読劇「私は芝居がしたいの!原爆に散った元タカラジェンヌ園井恵子」公演2014年8月10日<日>
作・構成・演出 宮田達夫  出演 草笛雅子 ヘルマンハープ演奏 梶原千沙都<会えるそのときまで>

宝塚文化創造館 11時公演 15時公演
主催 宝塚市文化財団 協賛 宝塚舞台

記 宮田達夫 2014年10月1日



 朗読劇舞台


                 トップページへ戻る