「恋心」

                                            宮田 達夫
昨夜、日本からニューヨークに着いた69歳の橘紳一は、マンハッタンのホテルから
タクシーでラガーディア空港へ向かっていた。カナダのトロントへ行くには、
ラガーディア空港からエアカナダで行くのが一番便利だからだ。
トロントへ向かう紳一の心は穏やかではなかった。
何故なら学生の頃の彼女がトロントに住んでいることがわかり、
48
年ぶりに再会できるからだ。


学生の頃の彼女、つまり小田凛子と知り合ったのは今で言うセレブの人間が集まり
テニスをする田園テニスクラブだ。当時、昭和30年ごろは、ここに来ている人を
誰もセレブという目で見てはいなし、皆普通の人間だと思っていた時代だ。
テニスクラブのメンバーには、一般人に混じり有名私立大学生とか、
女子は有名私立校の聖心とか双葉とか白百合が多かった。
その中で凛子は白いポロシャツ姿で17歳だというのに、乳房がツンと尖っており、
背筋が真っ直ぐなだけに、余計にそのトンガリが鋭く紳一には見えた。
48
年ぶりに再会する紳一は、頭の中では、あの尖った乳房はどうなっているだろうか、
妙な興味に集中していた。


当時の凛子は妙に歳の割には大人びていて、何事にも率先して行動していた。
紳一が仲間と学生の演劇集団を作り、テネシー・ウィリアムズの作品
『やけたトタン屋根の上の猫』を公演しようとしたときも、
凛子は進んで主役のマーガレット〈マギー〉役を演じた。
凛子がマギー役を演じるわけは、ト書きに早口でそれでいて、舌たるいところがあると
書かれていたからだ。勿論、肉感的に凛子のツンとした胸の形も必要だった。


この頃は、演劇といえば新劇で、今のように、少々形が伴うとメディアに
すぐ取り上げられる時代ではなく、何をあほなことしているかという
異端児的な目で見られていた。
片や各大学ではダンスパーティが盛んで、会場は品川のプリンスホテルか大手町の
サンケイホールと決まっていた。バンドも鈴木章二とリズムエース、バッキー白片と
ハワイアンバンド、大橋節夫とハニーアイランダース、クリスタルシスターズ、
ダイヤモンドシスターズという当時の一流バンドが演奏で、学生は皆ダンスをしていた。
紳一は演劇をやる傍らダンスパーティに行く事にも励んだ。
勿論、凛子もパートナーの一人として同伴、背筋をぴんと伸ばして踊る姿は
会場では形のいい胸の見事さが目立っていた。


学生同士の演劇集団を作っていてもそれでプロになるわけでもない時代で、
大学を卒業する頃には、仲間とも次第に生きる方向性が違うため疎遠になっていった。
紳一も演劇の傍ら落語にも興味を持ち始めていた。
勿論、その頃は若手落語家の公演というと、有楽町の
第一生命ホールというところが
演劇の公演会場のメジャーといわれたところで、
ここで若手落語家の会も開かれていた時代だ。
林家照蔵とか立川談志がまだ小ゑんの時代だ。


その頃、品物を問屋で買えるなんていうと、特別の出来事のようであった。
たまたま紳一の母親が知り合いの伝で浅草のワイシャツ問屋を紹介されて、
母親と一緒に問屋に出かけた。物価の高い時代で、白いワイシャツでもデパートで買えば
結構な値段だ。山の手に住んでいる紳一にとっては問屋のある下町なんて来たのは初めてで、
しかも問屋なんて初めての経験なので、沢山の同じような品物があるので驚きより
興奮していると言ったほうが適切かもしれなかった。たまたま問屋の人と座敷で
お茶を飲んでいると、問屋の若い娘さんが顔を出した。話が弾んで、何かの拍子から
紳一が最近は落語に凝っているんだという話から問屋の娘さんが、
この近くには落語の席の末広亭もありますという話になった。
機会があれば、ご一緒しましょうかというところで、お暇することになった。


それからしばらくした或る日、紳一に滝川雅代という女性から電話が掛かってきた。
「紳一さん?私、先日ワイシャツお買い上げいただいた店の滝川雅代です」
「紳一ですが」
「実は紳一さんが先日、落語が好きだとおっしゃっていらしたので、
明後日ご都合がよければご一緒していただけませんでしょうか」

人形町の末広亭への誘いの電話だった。
「行きます。いいです。何処で会います?」

紳一は雅代が自分の家の問屋の店まで来てほしいというので、約束の時間に再度、
先日
訪ねた浅草の店まで出かけた。雅代は着物姿で店先で紳一を待ち受けていた。
すらっとした背の高い雅代の着物姿は下町のマドンナみたいに見えた。
雅代はしばらく紳一のために、問屋街を案内してくれた。
ここはセルロイド問屋ですよ、雅代は説明した。
紳一にとっては、セルロイドと言われると、すぐに思い出すのは
青い眼をしたお人形さんだった。


「紳一さん、この近くに新派の役者さんが、よくいらっしゃるお店がありますのよ、
花柳章太郎さんとか花柳喜章さん、霧立のぼるさん、石志井寛さんとかが、
おいでになるお店で、まいりませんこと?」

紳一には興味のある名前ばかりだったので一も二もなく賛成した。

店は浜町の路地を入った所にあり、暖簾をくぐって店の中に入ると、
カウンターだけのこぢんまりした店で、すし屋だった。
店の空気がなんとなく新橋演舞場の空気と同じに紳一が感じたのは、
新派の役者が来るという雅代の言葉の魔術に惑わされていたのかもしれない。
時間がまだ舞台の公演中の時間だけに、新派の役者らしい客は見当たらなかった。
雅代は店の親父とも顔なじみのようで、何の違和感もなく店の雰囲気に溶け込んでいた。
紳一はビールを雅代と共に飲みながら、雅代の注文するものをごく自然に口にしていた。


夕暮れ、頃合いのいいい時間となった。
雅代はカウンター越しに店の親父さんに軽く会釈すると
「まいりましょうか?紳一さん?」
紳一は雅代に促されて店を出た。
「末広亭にまいりましょうね、まだお時間が早いから、前座かしら」
紳一は雅代に言われるままに従った。二人の並んで歩く姿は他人が見たら
恋仲のように見えたかもしれないが、肩が触れ合う程度で手はつないでいなかった。


人形町末広亭の番組と書かれたプログラムには、席主 石原幸吉の名前で
こんなことが書かれていた。


『江戸情緒豊かな、青畳の上で心ゆくばかり

御たのしみを戴いて居ります当席へ…
…相もかわらずの御来場を厚く御礼申し上げます。
地下鉄の完成により益々交通の便も倍しました。
又番組などもお客様の御希望に沿うよう組んで参りたいと
思っておりますれば、よろしく御揃いでおはこびの
程お願い上げます』敬白

人形町の末広亭は木造二階建てで瓦葺、入り口は正面にあり、入ると下足番が
下足札と小
さい大きさの真四角の座布団をくれる。
中に入ると、目の前に見上げる感じの高座がある。
ははん、これで高座かと一人で感心。高座に近いところに座布団を敷いて座ると、
小さな火鉢にたどんと、すみが二つ入った手あぶりが運ばれてきた。
冬の公演で今のように暖房完備はないからだ。でもそこが良いところで、
下足札で火鉢の中の炭とたどんをつっつきながら暖をとり噺を聞くところに風情があるのだ。


客席は段々と混雑してきた。和服姿の綺麗どころの姿もちらほらと、紳一は雅代が
自分のお尻のほうに体が近づいて来るのが妙に心臓の音を早くした。
綺麗どころのお尻とお尻が触れ合うのも寄席の醍醐味かもしれない。
高座で古今亭志ん生、春風亭柳橋、三遊亭円生、三笑亭可楽、林家正蔵などの噺を
聞いていると話術の神様のように思えてくる。


愉快なのは幕間に便所に行くと高座で喋っていた志ん生が隣で連れしょんだ。
客席に戻ると紳一は雅代に便所での話をすると、可笑しさをこらえきれないのか
大きな声で笑った。

「紳一さんたら、面白い方」
高座がはねて末広亭の外に出ると夜風は冷たい。
「ねえ、洋酒喫茶にまいりませんこと?」
雅代が紳一にささやいた。

当時は、バーよりこの洋酒喫茶が流行の先端だったのだ。
午後十一時を過ぎると食べ物を何か一つとらないといけない決まりだった。
その代わりお酒はゆっくり飲めたし、店内の
照明は何ルクスと決められており、
結構ムードのある明るさだった。


そこで雅代はカクテルのピンクレディを紳一はハイボールを注文した。
円生の首提灯はさすがだ、あの首を持つ手の間が自分の顔の大きさと同じでないと
いけないそうだ。そうでないと前が見えなし、首提灯に見えないそうだ。
柳橋の二番煎じにしても、見張り番の噺だが柳橋だから出来る話だね。
志ん生の寝床は、さすがあの喋りが彼でなければ出来ないねえ。
何だか本当に酔って喋っているのではないかと思うほどだ。


紳一は雅代を前に高座の興奮をそのまま自分の落語に対してのうんちくを付け加え
感想を喋り続けた。雅代はその話を楽しそうにカクテルを飲みながらじっと聞いていた。
そこには何かしらの寂しさが漂う一方、喋り続ける紳一の姿を
愛おしく見つめる姿があったが、紳一はそれに気づくはずもなかった。


ひとしきりして、話が落ち着いたところで雅代が紳一さん帰りましょうかと。
外に出ると火照った頬に冷たい風が何故か心地よく感じた。
ハイボールだけのせいでもなかった。


「紳一さん、今日は私と一日お付き合いしていただき本当にありがとうございます。
紳一さんとこうして一日過ごすのが私の夢でした。これで私は何の思い残すことなく
お嫁にまいれます。本当にありがとうございました。」

紳一は言葉が出なかった。

雅代は引き続いてこう話した。
「私が嫁ぐ先は家で決めた問屋同士なのです。いわば政略結婚みたいなもの。
家の事情からもそうしないといけないので、私はあきらめています。
でも今夜、紳一さんと私の念願の行きたい所へご一緒できたのは夢みたいです。
一生の思い出です」

雅代は闇の中へ消えていった。

雅代が自分の人生にピリオドを自分なりに打つ、その打ち方が正に
新派調のごとくの見事さに、それを感じずにいた紳一の自分の気遣いのなさに、
情けなさを感じずにはいられなかった。
雅代は男女の心は、互いの精神と心が通じ合えば、最高の仲と考えていたのだろう。
手を握り合うことも、体を触れ合う行為も雅代には関係ないことだったのだ。
同じ環境の中に互いに浸れれば、それが心を豊かに満足にしてくれる、
心の中の知的水準は互いに同一、即ち心は一つに結ばれているのと同じ理屈なのだ。


サラリーマンになった紳一は夢中で働いた。

関西に来たら法善寺横町というのがあり、森繁久彌と淡島千影の夫婦善哉があり、
落語華やかなりし所と思っていた道頓堀の五座といわれた小屋も朝日座、角座、
中座だけだった。法善寺横町には落語家の姿はなく高座も漫才の中に入れ込まれていた。
それでも治安寺という寺で春団治や染丸、米朝、松鶴といった面々が
細々と勉強会を開いていた。


大阪飛田には遊郭が、西区の松島にも遊郭がその面影を残していた。
勿論、今の四ツ橋筋は南北線といい、市電が堂島から境川、築港まで走っていた。
大阪ミナミにも洋酒喫茶は
あった。

紳一は仕事の関係で宝塚歌劇を取材しており、後に宝塚歌劇のトップスターになる生徒を
入団直後から写真に撮り続けていた。十数年後に彼女がトップスターになったとき、
関係者に進められて写真展を開くことになった。
関西で開催、次に東京でしたらと勧められて東京のデパートで開くことにした。
そのとき東京の場所を決めてくれた人が会いたいというので待ち合わせ場所の
有楽町のレストランに行くと、会いたいという人と一緒に来ていた女性の声が
その昔、凛子とともに『やけた熱いトタン屋根の上の猫』で
おばあちゃん役をしてもらった人の声にそっくりだった。


「あなたは林さん?」
紳一は思わずその女性に尋ねた。
林は彼女の旧姓だったので、一瞬驚いた顔で紳一を見て、
「紳ちゃん?なの」と聞いてきた。四十数年ぶりの偶然の再会だった。

紳一は、ずっと気になっていた凛子のことを聞いた。そこで初めて、凛子がカナダに
住んでいること、今は白人の男性と生活していることを知ったのだ。



紳ちゃん

まず、お返事が遅くなったことお詫びします。

持病のリューマチが出て暫くペンが持てず汚い毛筆でごめんなさい。
これならいくらか楽に書けます。

確か四十数年ぶりのことですね。私が今年の三月で五十九歳になりましたから。
多恵ちゃん〈林〉から紳ちゃんに偶然出会ったという手紙を昨年秋に受け取りました。
どうして紳ちゃんとわかったんだろう?
紳ちゃんも四十数年前のご両親の年齢になられたのだと知り感無量です。

写真展おめでとうございます。
会社も退職なさってこれからは、やりたいことの出来る年齢ですね。
つまり我々の出会った十代の終わり頃に戻ったようです。

私は余りにもいろいろなことに興味を持ちすぎて焦りきれない、
あと十年生きればメドがつくのではないかと思います。
ですから十年後が楽しみです。

今のところ日本へ行く予定はありませんが、
次回帰りましたら、ぜひぜひお目にかかりたいと思います。
再開の日を楽しみに。  凛子


凛子の手紙は筆で綺麗な和紙に達筆な字で書かれていた。

ニューヨークのラガーディア空港で搭乗までの待ち時間の間、48年ぶりに会う凛子が
すぐに判るかな?年をとっていて顔が変わっていたらどうしようか。
十代の頃のあの尖った胸はそのままあるのだろうかと、思いつくままのことを考えると
不安の連続だった。


エアカナダ機は凡そ1時間半ぐらいで、カナダのトロント空港に到着した。
税関を出ると外には人がいなかった。勿論、凛子の姿はない。
おかしい?と思ったときこちらに向かってくる東洋人風の女性の姿が目に留まった。
凛子?そうだ凛子だ。


「紳ちゃん?」
怪訝そうに凛子は紳一に声をかけてきた。

48年ぶりの再会はそのまま抱き合って終わった。
言葉はなく48年の時間がタイムスリップした。数秒のことだった。
あれだけ気にしていた凛子の尖った乳房のことはすっかり忘れていた。


凛子の車でメジャーリーグのカナダトロントのブルージェイズの本拠地
スカイドームに向かった。
紳一はシアトル・マリナーズのイチローが試合のとき食事するという
球場内の最上階にあるレストランで球場を見おろしながら食事がしたかった。
それと48年ぶりの再会では互いに変わりすぎている。
何から話し始めたら良いのか探りあい状況だったので、
それなりの時を合わせる場所が必要だったのだ。


紳一はウェイトレスに、イチローは試合の時ここに食事しにくるかと聞くと、
来ますよと答えた。


話を聞いているうちに凛子の現状が段々とあぶり出しみたいに浮き上がって来た。
凛子には今パートナーとしての白人男性と生活をしている。名前はクーパーだ。
互いに再婚同士
で互いの間には男の子がいるがすでに独立しているので、
互いにかまう必要はないのだ。つまり、それぞれが束縛しないで生活できることが
最高だという。凛子はさまざまなことをしてきた今、たどり着いたのは習字だ。
毎朝、7時に起きるとすぐに書を始める。家には和ダンスがあるが中に着物は一つも
入っていない、その代わりに
習字に使う和紙が各段にぎっしりとつまっている。

二人の生活も愉快だ。
クーパーはトロントの代表的ビールのブルーという銘柄が大好きで、ご飯代わりに
飲んでいる。凛子は焼酎だ、そして台所で煙草を吸う生活で満足している。
片やクーパーは夜更かしで野球のギャンブルにコンピューターを使い熱中している。
そんな二人だが、ユーコンまでの旅の計画中だという。
喜怒哀楽の人生を経た凛子が掴んだ今の幸せだという。


凛子のパートナーのクーパーが紳一をナイヤガラの滝に連れて行きたいと言い出した。
約束の日、紳一が泊まっているホテルに中型のかなりガタが来ている中型車が横付けした。
車の中でクーパーが笑って手を振っていた。
ホテルから2時間ぐらい走るとオンザレイクというナイヤガラの町がある。
美しい町で洒落たホテルもある。
ここを抜けるとアメリカ側の滝が、その向こうにカナダ側の滝がある。

クーパーは紳一のためにナイヤガラの滝が見下ろせるスカイローンという
展望タワーの
レストランを予約してくれていた。
何処に座っていても回転式なので問題はない。
滝を見ながらクーパーはビールのブルーを紳一に勧めた。
互いに目を見ながらブルーで乾杯すると、気のせいかクーパーの目が
慈愛に満ち溢れているように感じた。
それは48年前に、今は自分のパートナーの凛子について、
尽くしてくれて感謝の意を表しているように紳一は感じた。
金が裕福にあるわけではないが、クーパーは今の自分が
出来る範囲内で可能な限りの歓待をしているのだ。


帰途、クーパーはオンザレイクの町の行きしなに紳一が口にした
洒落たホテルの前で車を止めた。


「シンイチ、ホテルのバーへ行こう」
クーパーがそういうと車のドアを開けた。

凛子との別れはトロント空港だ。
紳一は凛子と別れ際に熱い抱擁をして別れようと考えていた。
抱擁したらあの尖った乳房の今が判ると。
しかし、神はそれを許してはくれなかったのだ。
何故なら、トロントの美味しいワインを購入して、チェックインしてからと
紳一は考えていて、チェックインの長い列に並んだ。
やがて、紳一の番になる直前に大問題を発見したのだ。
つまり、カナダはチェックインしたらそのまま税関のエリアに
進まないといけないのだ。トロントの美味なワインは凛子が持っている。
といって再び長い列の最後尾に行っては飛行機に間に合わな
いのだ。
思わず叫んだ。

「凛子、ワインを」「紳ちゃん……」

凛子もそれに気づいて紳一の所に来たがそこには仕切りがあり入れない。
ワインだけ受け取ると、「凛子、さよなら」の一言を言うのが精一杯で、
そのまますぐ目の前の税関のところへ押し出されてしまったのだ。


凛子には一人息子のイクマがいる。最近まで凛子と一緒に暮らしていたが、
ある日、ブロードウェイへ行くと言い突然家を出てしまった。
役者のオーディションを受けるためだ。
そしていつしか、イクマには結婚を約束した女性がいたのだ。



紳ちゃん
息子のイクマはニューヨークで役者をやっています。
役者では食べられないので
深夜放送のアメリカンフットボールのレポーターをしています。  凛子


こんな手紙が紳一のところへ来た。
凛子は自分の波乱万丈の過去とクーパーと出会うまでの人生をある日、紳一に語った。

紳ちゃんと芝居したりしているうちに、なんとなくその世界が面白くなり、
あるテレビのプロダクションに入りました。
テレビ全盛時代で、いろいろな企画したものが、面白いほ
どヒットしているうちに、
プロダクションにいた男と同棲するようになりました。
案の定、子供が出来て、それがイクマです。
男もはじめは一生懸命に働いていましたが、
私が先頭きって仕事をするので段々私任せになり、働かなくなりました。
そのうち借金が増えてきて、それでも私は男のために尽くしていましたが、
借金の処理に困り、自分の家を売り借金を全額返済すると共に男とも別れたのです。
そして、以前住んだことのあるカナダへもう一度行くと決めたのです。勿論イクマと共に。


そうして、偶然にクーパーと知り合い一緒に住むことになったのです。
今思えば、イクマが家を出てしまった事、ブロードウェイへ行って
役者になろうという彼の考えは、思い起こせばその昔の私自身の行動と
同じ事をしているだけに息子を責められません。


暫くは手紙のやり取りが年に一回程度続いたが、その後はクリスマスカードを
出しても返信はない。再びリューマチが悪化しているのかもしれない。


只、凛子は、やたらと紙が特に習字に使う和紙が大好きだ。
そうだ今度、凛子が喜びそうな和紙を送ろう。そうしたら返事があるかもしれない。
でも、それでは矢張り田園テニスクラブで見た、きゅんと上を向いた
尖った乳房の行方は判らない。


                 完 

同人誌(四季の会)平成二十二年冬季号〈第23号〉掲載
                  

    (2010年9月22日)

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