放送<テレビ、ラジオ>メディア生活


昭和35年テレビが開局して間もない頃。
大阪の毎日放送に入社、この頃は放送界の腸ねん転時代で
今のテレビ朝日とネットを、TBSは当時大阪の朝日放送とネットを結んでいた。
入社時は編成局進行課、当時は番組の間に入るコマーシャルは総て手作業で進行課が担当、
アナウンサーに生原稿読んでもらい、フィルム流してスーパー入れて音楽つけてスライドをという、
今で言えば放送の魔術師のような仕事をしていた。

報道局に移り、大阪府警記者クラブ、大阪司法記者クラブ、大阪市記者クラブ、大阪府庁記者クラブ、
この頃は併合して事件や知事の会見を本社と結んだラインがあり、即現場から電波に乗せていた。
1970年の万国博控え、万国博記者クラブ、1967年カナダのモントリオールのEXPO67取材に、
国鉄の記者クラブ青灯記者クラブ、神戸支局長、大阪府警記者クラブキャップはじめ
各記者クラブキャップを。
大阪の御堂筋、堺筋などの一方通行実施をスクープ。
大阪市番組、中馬馨市長と共にというテレビ番組企画、毎回中馬市長に生で出演を。
万国博開催時会場内の警備に当たる万国博警備隊に記者室創設。
神戸支局長時代に神戸に民間放送記者クラブを神戸市役所内と兵庫県警内に創設。

昭和51年に夕方のワイドニュース「MBSナウ」スタートで
この取材キャスターに宝塚歌劇、歌舞伎、演劇を重点に取材メディアの世界に新風を。
その後報道局と事業局を兼務という当時の常務斎藤守慶の発案で二足のわらじ。、
第一回御堂筋パレードから企画担当を参加。
米国サンフランシスコのさくら祭りの桜の女王を御堂筋パレードに招待、
サンフランシスコさくら祭り25周年でさくら祭り実行委員会から表彰。

劇団四季のキャッツ大坂公演を企画、蜷川幸雄大坂連続公演企画、
大阪城城下町、一万人の第九コンサートなどの企画に参加。
毎日放送50年史に報道部門でニュースとして宝塚歌劇はじめ芸能企画を取り上げた事、
事業部門では劇団四季のキャッツの大坂公演実現した事で記載される。
平成9年10月毎日放送役員待遇事業局長、ラジオ営業局主幹最後に退任。
平成11年6月MBS企画取締役退任。
現在 フリージャナリスト


取材の折に撮影した星組トップスター麻路さきの入団からトップまでの写真展『マリコのデジャブ」を
宝塚、東京阪急デパートで開催。
麻路さき著のエッセー「マリコのデジャヴ」に撮影で共に。
神戸のタウン誌「神戸っ子」に神戸の側面史ともいえる『五線紙の街』連載。
宝塚歌劇の良き時代の劇団風景、稽古場雰囲気など取材で得た事柄を綴った
『夢のアイランドは向こう側」を季刊誌「燦KOBECCO」に連載中。
ウェブサイト「HOT SHEAT」に真実を伝える劇評、
世界の美味しい店紹介「王様のわがままメニュー」
「ハワイでの住み方」米国,ヨーロッパの旅の話など掲載。
震災前の神戸のよき時代とバーボンクラブの経緯を書いた「五線紙の街」
宝塚歌劇の良き時代の稽古場などでのことを書いた「夢のアイランドは向こう側」
ルート66を往く、米国7州かけめぐりの旅など掲載。

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