三月大歌舞伎

十三世片岡仁左衛門十三回忌追善狂言
菅原伝授手習鑑 「道明寺」 一幕
菅丞相 仁左衛門 判官代輝国 富十郎 宿弥太郎 段四郎  苅屋姫 孝太郎
覚寿 芝翫 立田の前 秀太郎

十五代片岡仁左衛門が今年、父十三代仁左衛門の十三回忌の追善狂言で
十三代仁左衛門の当り役、道明寺の菅丞相の役に挑むので久々に舞台を見た。
天神様と慕われる菅原道真こと菅丞相が政敵藤原時平の陰謀により、
筑紫の国に
流罪となる、養女苅屋姫との別れの場が有名。
菅丞相の品位が見せ場だけに、白の衣装が似合う俳優がなかなかいないとされている。
今回の舞台で仁左衛門はその心配を払拭した。

私が十五代仁左衛門の舞台を見たのは孝夫時代の昭和52年3月、
京都南座公演の桜姫東文章、釣鐘の権助を見たのが初めてで、
その後、孝夫は念願の権助と清玄の二役を演じ、その舞台も観劇。
その頃、父十三代仁左衛門から常に芸の継承が自然と行われていた。

そして集中的に私は夕方のワイドニュースで孝夫の舞台を取り上げる事になる。
観劇した演目は、十三代仁左衛門監修の仮名手本忠臣蔵の大星由良之助、勘平、大高源吾、
かさねの百姓与右衛門実は久保田金五郎、二人椀久の椀屋久兵衛
通し狂言 盟三五大切の
笹野三五郎、熊谷陣屋の熊谷次郎直実、
封印切りの丹波屋八右衛門、七段目祇園一力茶屋場
の寺岡平右衛門
勧進帳の武蔵坊弁慶と富樫、助六由縁江戸桜の助六、実は曽我五郎、
源平布引瀧
実盛物語、実盛、初春廓鞘当の不破伴左衛門、
先代萩の仁木弾正と只一回の女形・弾正妹
八汐、
他に義賢最期、御浜御殿、慶喜命乞、沼津、
ハムレット、羅因伝説、眠狂四郎
玄宗と楊貴妃、
二代目水谷八重子襲名披露新派公演 婦系図の早瀬主税、
司葉子 片岡孝夫秋の公演おさん茂兵衛の手代 茂兵衛、
京マチ子公演参加片岡孝夫 冬の蝶で
江戸の歌舞伎役者小谷新太郎他。
上記の演目を見た。

そして近年は二年前に大阪松竹座で公演した、ふすま倒しの義賢最期だ。二度目の観劇だ。
この後何時この舞台が見ることが出来るか不明なので強いて三階席から観劇した。
ふすま倒しを上から見たかったためだ。

以前、孝夫時代にこんな事を聞いた事がある。歌舞伎役者としての責任はと。
すると
僕には責任が無いのです、無責任みたいだけど、とに角一生懸命芝居をするだけ、
お客様に
満足していただける、これが将来の歌舞伎の発展に繋がると思う、という答えが。

御浜御殿の丁々発止の台詞のやり取り、似たようなのが、慶喜命乞で
当時の尾上辰之助が演じる西郷吉之助とやりあう山岡鉄太郎の役だ。

こうしたいろいろの役を演じるのを見てきて、
今回道明寺の舞台を見てはっと感じたのは、

動きの無い静の中での芝居を求められる菅丞相、演じる仁左衛門は決して静ではなく、
静と無言の中に激しい動きと台詞のやり取りを感じた。


菅丞相が出てくる最初の場で下手の障子が開くとそこに菅丞相が、
そしてなんともいえない
高貴な香りが漂ってくる、正に高貴な人を感じさせる一舜だ。
目線は一点を見つめ表情は冷静、正に精進潔斎して勤める役と
いわれるそのままを
仁左衛門は舞台で見せた。
そこには間違いなく崇高な人物の存在を見せているのだ。
語ることなく、表情を変えることなく、しかし心の中で語っているであろう気持ちが
そのまま観客に伝わって来るのが判る不思議さを思った。

そのとき昔、孝夫にインタビューした時、台詞は気持ちで言えばいいんですと
話した事を
思い出した。正に気持ちだ
気持ちを持てば台詞は口にしなくても伝わる。

芝翫演じる菅丞相の叔母の覚寿は気品と凛然とした気魂のいる役といわれ
老婆の大役、三婆の一に位する。

報道ではただ座っているだけで丞相様だと思っていただけないと話しているが、
総てが
芝居をするに当たってはその信念だ。
菅丞相の彫った木像とのすり替わりが、義太夫の語りを聞いていないと判らないが
此れは見る前に知識を持ち込んでいけばいい。


苅屋姫(孝太郎)苅屋姫の姉立田の前(秀太郎)が苅屋姫と菅丞相を会わそうとするが、
覚寿がそれを養母として阻止する場面の三人の動きが興味深い。
そしてそれを止めるのが管だが、
声の先にあるのは菅丞相の木像。
孝太郎の女形も以前より体の形が落ち着いて来た。
表情の作りも変わり、後は体全体から表現される女形としての孝太郎の魅力の出し方だろう。

秀太郎は既に一つの方が出来上がっており、
その中で自分の個性を維持しながら演じているのが感じる。

歌舞伎の女形とはこのような物かと観客納得させている。

仁左衛門の菅丞相は正に考えて、計算され尽くした演技と見て取った。
芝居の作り方は過去何十回と見てきたものと同じだが、それでいてその一つ一つがその役を
十分に表現していくのだから、並々ならぬ努力と精神の集中が要る事がわかる。


義太夫との間の取りかたは、上方役者の本来の天性がないと難しいが
その辺りは
十三代をしっかり継承しているのだろう。
白の衣装がこれほど似合神々しく見せる役者も居ない
立ち姿だけで充分に舞台が充実するから不思議だ。
これが役者に要るアクだろう。


いよいよ出立する場では苅屋姫との別れの時だ。
一心の思いを心の中で思い体全体が爆発しそうな中をぐっと満身の力で押さえながら歩き出す、
そして手に持った扇で最後、苅屋姫と別れの感触を互いに感じると言う所は見せ場だ。
その時、菅丞相の目にうっすらとした光るものが。

その光るものは化粧をした顔に薄い線を伸ばしていくのが見て取れた。
仁左衛門はこの瞬間に芝居の極意を見極めたと私は感じた。
紛れも無い真髄の演技だ、集中力そのものの現れだ。
観客は息を飲んで舞台を見つめている。動きの中に能の所作を感じた。

これからの行く末、宿命を負う思いで花道の揚幕を見つめるようにしますという、
インタビュー記事を読んだが、その通りだ。

この瞬間、観客の目は十五代仁左衛門にだけ向けられていた。
楽屋で終演後見た仁左衛門は冷静さを保っていたが
その中で演じ終わった充実感がみなぎっているかのように見受けられた。
今、菅丞相を演じてきた人とは思えないほどの穏やかさで。

十三代仁左衛門の言葉を思い出した。
60歳 今日見にきた人を満足させたい。
70歳 勤めている役になりきりたい。

十五代仁左衛門は今この両方の年齢の間で芝居をしているのだろう。
この舞台から私は昭和51年から見続けてきた孝夫、仁左衛門の芝居を集大成と受け取った。
そして此処までの舞台を作り上げる裏には博江夫人の影の力あってこそと思った。
観劇後、舞台の満足感が久々に体の中に充満した。

十三代仁左衛門(旧南座楽屋)

十三代仁左衛門の言葉

80歳 何も考えないで、いつものように自然体で役を演じたい。
の言葉のように、この時まで十五代仁左衛門の舞台を見守ろう。


因みに十三代仁左衛門の言葉
20歳 役をもらい見て欲しい
30歳 勤める役をほめて欲しい評価して欲しい
40歳 自分の好きな役者先輩のようになりたい
50歳 何か演じたもので名を残したい

最後に一言、仁左衛門は昨今の形を変えて演じられる歌舞伎ブームについて、
目新しさを狙うだけではいけない。お客様に媚びて芝居をしていると必ずあきられる。
役の性根を押さえ、生き残れるものをしっかりと、身に附けておかないと。
と、日経新聞で語っているが正にその通りだ。
今本当に真の歌舞伎を正当に演じることが出来る歌舞伎役者は数少ない、
仁左衛門はその一人だ。
そしてその正当歌舞伎を継承し演じつづけてきている

 十五代仁左衛門(旧南座楽屋)

おりしも日経新聞に、その時代、時代を楽しませてきたのが歌舞伎、
とにかく面白い芝居をやろう、歌舞伎のかたよった固定概念をぶっ壊そうとやりつづけてきた。
中村勘三郎が話している記事を読んだ。
このときふと何十年か前に道頓堀の朝日座の前で、蜷川幸雄さんにインタビューした時、
歌舞伎を形を変えてしたら、歌舞伎じゃないよと言う答えを思い出した。


観劇 歌舞伎座 2006年3月20日 昼の部11時公演 一階3列11番 15000円 ちゅー太

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