「芸術と美味を求めたベルギー、フランスの旅」
              2005年7月10日〜7月20日

過去にオランダを取材に行くも車でフランスに向う時は何故か高速道路の
ベルギーの
税関をそのまま通過、ドイツを訪ねた時もオランダ、フランス、ドイツに
はさまれた
ベルギーのブリュッセルには縁が無かった。

美味しいベルギーの麦酒が飲みたい、美味しいチョコレートが食べたい、
黒ビールで煮込んだ牛肉のシチュウーが食べたい、クロケットが食べたい。
こんな欲望と、日本航空が4月からヨーロッパ悟空のエコノミー
18万5420円税込料金でのアップグレードが出来なくなる、
普通セイバー料金35万円払わないといけないということが重なり、
エアーポケットになっていた、ブリュッセルの旅を思いついた。

悟空での航空券を3月初めに計画を立てて、7月の航空券を手配した。
勿論アップグレードで。


計画を作り始めなんと関西国際空港からパリに向う日本航空のフライトが
一便も無い事を知り愕然。
新しく出来た中部国際空港に変更に、
関空からはロンドン経由の日本航空しかない現状を知った。
旅程は関空発―ロンドン着―ロンドン発ブリュッセル着、
ヒルトンブリュッセルシテイホテル宿泊、ブリュッセル北駅から列車で
ブリュージュに日帰り、ブリュッセルからタリスでパリ北駅着、
ヒルトンパリス宿泊、フランス革命記念日なので早朝に、サンラザール駅から
フランス国鉄でトウルーヴィルードービラに。ノルマンデイホテル宿泊で
フランスのポスター画家サヴィニャックの絵を街中で見つけてみる事、
サヴィニャックが好んで通っていたレストラン、レ ヴォワールに行く事、
再度ノルマンデイ海岸を見る事、再びパリに戻り、
ルーブル美術館のモナリザの新しい展示室を見学、
オルセー美術館で久々にバジルの絵に再会する事、
そしてモネの絵を見てジベルニーのモネの家を見学、
あとはおなじみのレストランを再訪することだ。

帰国は関空に帰りたい一心でパリ発BDでロンドン着、ロンドン発日本航空で
関空としたのが結果諸々の事を考えると失敗だった。

つなぎ便にルフトハンザ航空やエールフランス航空など使う事も考えたが
マイレージポイントが多くなったり、使えない事もあり止めた。


何故ヒルトンホテルを使用するかと言うと、ヒルトンヴァケーションオーナズの
メンバーで、ポイントを使用すると無料宿泊出来るからだ。

本来、日本人はハワイでメンバーになっている人が大半で、
皆さんはハワイで過ごす為に此れを活用しているが、私の場合はハワイには拠点があり、
ヨーロッパとかアメリカで活用する方がより効果的だからだ。


関空 日本航空421便11時55分発のシップナンバーみて驚いた。
JA8078一番古い機体だ。座席の横に一寸したもの入れも無い奴だ。
2階席15Aに座る、いつもならすぐにシャンパンサービスがあるのに無い。
何か今までと違う雰囲気だ。

後で判るのだが、食事のサービスも内容が低下、ワゴンでサービスした果物、
チーズも料理と込みでプレートで運ばれてきた。

此れは後日パリで聞いた話だが、
ビジネスの乗客がシャンペンサービスがないので金払うからシャンペンくれと
言っても駄目だったという。

聞く所によると今年の4月からサービスの体制が変わったという。
キャビンアテンドの勿論ワインの試飲もない。

面白いのはご飯のふりかけが三種類有ったのが1種類だ。
梅干はない。例のクルーが考えた鼻乾燥防止の、はなたてもない。
食事の時トレイの横についてる小型のコショウ、塩入れも無い、醤油も無い、
はしのなかにある楊枝もない。ないないずくしだ。

勿論他にも沢山ある。厳然と残っているのは機内用の立派なスリッパだ。
しっかり靴べらがついて。
どうせなら、このスリッパを簡素化して靴べらを無くすか、
備え付けにしたらどうだろう?そのほうがかなり経費節減になると思うが?


換気の悪い飛行機でロンドンに向う。既にビジネス客気分は失せている。
この関空発ロンドン行きは何故かオースラリア人の客であふれていた。
聞く所によると、オーストラリア人がこの便を使うとオーストラリアーロンドンが
往復8万円だそうだ。そのためか帰りの便は子ずれ親子のオーストラリア人で
エコノミー席は大半占拠、日本人客は座席でちっちゃく、なっていた。


最近はクルーでも現地の事情を知る人はいない。
ロンドンで手数料無しでユーロ換金できるか?チエックだがと聞いても判らない。
偶然にもこの飛行機にピーナッツアレルギーの子供が搭乗してるという。
その為本日はピーナッツのサービスはありませんと。
誰かが持っているだけでも発作が起こるという。

機長もその際は何処に着陸し様か考えているということだ。
オーストリア人の子供だった。最後尾の席に親族6人で囲って座っという。

12時間25分の飛行時間が一時間早くロンドン ヒースロー空港に到着、
ターミナル1からぞろぞろ歩いてターミナル3に行くバス乗り場に、
でまた延々バスに揺られターミナル3に到着、
乗り継ぎ便はBAの為関空で航空券が発券されているから楽だ。

座席番号32なので前かと思いきやテール最後尾だ。

ターミナル3でユーロに換金手数料無く出来るというブルーのカウンター探すが
手数料はいるといわれ、そのまま搭乗ブリュッセルで換えればと思いきや
到着した時間が午後10時前で、換金所は既に閉まっている。
税関の人にATMに行けと、しかし使えるカードが無い。

タクシーの列に並びはたとタクシ-料金どうしよう?
そこにカード使用可能のタクシ-が現われめでたく不安解消。
カード可のタクシーは街中では二度とお目にかかれなかった。

自宅を朝の7時半に出てヒルトンブリュセルシティホテルに到着は同日の午後11時半
長い道のりだった。


さあシャワーだと栓をひねると熱湯、幾ら何をしても熱湯、フロントに電話。
ナイトが飛んでくるが駄目、部屋変更と深夜に移動、世界のヒルトンもこんなものかなと?

朝パン屋に行きクロワッサン買い食べるが意外に美味しくない。期待していたのに。

泊まったホテルの場所が幸いにも地下鉄ロジェ駅の近くなので
此処は何処に行くのも便利と判明した。

目が醒めたら外の空気は心地よく、乾いた感じがして気持ちがいい。
世界遺産のブリュッセルのグランプラスの大広場に行こうと通りに出ると物凄い人だ。
バーゲンセールも手伝い何だこの人出は?
7月21日はベルギーの建国記念祝賀行事日だったのだ。

とにかくグランプラスに向かう。広場は人で一杯だ。
市庁舎や王の家など見てお決まり
小便小僧に会いに行く。
二度の盗難にあったプチジュリアンはとめどなく、小便をしていた。

次に目指すはチョコレート、この国ではプラリネという。
マルコリーニ Marcolin Place Grand Sablon 39にある。
三階に上がると美味しいアイスクリームをコーンカップに入れてくれる。

店内は宝石店みたいにインテリアがいい。
プラリネは紺色の重厚な箱の中に収まっている。

ここではプラリネは宝石なのだ。

日本には入っていないプラリネの店はガレだ。Galler Rue au Beurre 44にある。
ここのプラリニは長方形したのが、金色の金紙に包まれており、
食べると口の中でこくのある感じでとろける美味しさがある。

プラリネはベルギーの何処で食べても美味しいという。
そういえばワッフルがあった。分厚い感じでどっしりとした味だ。
ヨーロッパという感じだ。


次は黒ビールで煮込んだ牛肉のシチューだ。
マルコリーニの店を更に進むと通りにテーブルを出している店があった。
ル フォルスティ La Foresteirという名前の店を見つけた。

愛想のよさそうな男、名前を後で知るが、ネビルという。
ここでビールと言って飲んだのがレフ、12.5度だが美味しい。
ここでカルボナード フラマンドCarbonnades flamandesを頼むと
予想外の素晴らしい
三角肉を使ったとろっとした牛肉煮込みが運ばれてきた。
大きな肉の塊が10個ぐらいある。美味しさを表現できない美味しさだ。
値段は15ユーロだ。海老入りのコロッケは8.50ユーロ此れも美味だ。
いい店に出合ったみたいだ。


ヨーロッパは着てる色は白ばかり。ポロシャツはヨーロッパで買わないと損と
聞いていたので、白をバーゲンで買いこむ。
夜は10時半まで明るい。

翌日ホテルから歩いてすぐの北駅Gare du Nordに行き、
ブルージュ迄2等の往復切符買う。

電車に乗り気が付いたのは、掲示してある文字が英語、仏蘭西語、和蘭語、独逸語だ。
正に国境を強く感じさせる。
観光客は北のベネチアと言われるブルージュで下車。
駅舎を出ると皆同じ方向に歩いている。人の後をついていけば、目的地にたどり着く。


石畳の道の両側の家の窓はそれぞれの好みでレースのカーテンが掛かっている。
駅の観光案内所で観光ガイドをというと、日本語の観光ガイドを1ユーロでくれた。
歴史的建造物の街、運河の街、静かなブルージュと表現できる。
運河をボートで一時間ぐらい廻り、その後ムント広場に、
途中みやげ物店を眺めレースの諸々を買う。

比較は適当かどうか判らないが英国のコッツウォルドみたいな印象を受けた。
ブリュッセルに帰る時間を考え、帰途、
洒落たひなびた感じの店があり入ると、中庭がある。

そこでブリュージュの地ビールを頼むと3ユーロだが此れが美味しい。
店の名前が、此処で終わりという名前だった。正にそのとおりで駅はすぐそこだ。
ブリュッセルの戻り再び美味しい牛肉煮込みの店を訪れた。
とても日本では食せないお名残だ。


日が暮れるのは遅いが朝はちゃんと早くから明けるから面白い。
タリスに乗るのでGare du Midiに、日本語で中央駅というから判りにくい、
そのままミディでいい、そこからタリスでパリ北駅に向う。

タクシーの運転手にタリスの乗ると告げるとタリスの乗車口で降ろしてくれる。
標識通り行くと待合室があり、通路の掲示板を見ていると
パリ北駅行きのタリスが何番に入るか判るので、ホームに向かう。

1等車はコーチ1とあり、座席の上に自分の番号が書いてある。
荷物はロッカーに入れ、時間が来ると列車は滑り出すように発車する。

やがてスナックサービスだ。サービスが終り料理のつまみが余るとまた配りに来る。
タリスはシニア割引ありだから、かなり安い。
1時間20分位でパリ北駅着、列車は満席だった。

タクシーでヒルトンパリスへ、本当はイルトンパリスだ。
「ジュヴェ アレ ア イルトンパリス エッフェル」

ヒルトンヴァケーションオーナーズのポイントで泊まる。
目の前がエッフェル塔で周辺には、店が多くあり過ごしやすい所だ。
ヒルトンのいいところは、バスルームの備品が完備している事だ。


味覚の目的の店 28 rue de L’Expositionにある「Le P’tit Troquet」に行く。
ヒルトンパリスから徒歩10分の所だから最高だ。
この辺りはスーパーマーケットあり、酒屋あり、カフェあり、パンやあり、
マロニエの木が涼しげな通りを作ってくれている。

猛暑のパリと言うが朝晩は涼しいし、木陰に入ればこれまた涼しい。
日本の暑さとは大違いだ。

久々にマダムと再会、店の道路に面した窓側の席を用意してくれていた。
プロバンスワインでシャンテ。窓から見える外の明るさは何時までもかわらない。

パリの片隅でビストロ料理を食べているという満足感が充満してくる。
此れだけの贅沢したら、当分は日本では
ご飯と、味噌汁と、漬物だけでいいと自身で納得する。


到着翌日がフランス革命記念日で、街中が総てストップするので、
避けてトウルーヴィル=ドービラに行く。

タクシーが街中を走れる間にと早朝サンラザール駅に、駅構内は人が居ない。
テロ直後なので、機関銃を抱えた兵隊3人が警官とは別に警戒してる。

カフェの店が開いたので入るが此処にもセキュリテイが居る、
変な人が入店して客に何かしないよう見張っている。まあ安全だなと感じだ。

乗車する列車の番線が発車20分前にならないと掲示板に出ないので、
掲示板の下は人で一杯だ。


ドービルまで約2時間だ。フランスの列車は犬猫を連れて堂々乗れるから面白い。
犬猫が嫌いな人は、アレルギーの人はどうするんだろうと、考えた。

トウールヴィル=ドービラではパリで買えないバーゲン品をと
パリの有名な広告画家サヴィニャックの絵を街中で見つけ写真を撮り、
彼の行きつけの店で食事を彼が好んで食べた舌平目のムニエルを食すること。

夜、革命記念日ゆえ花火が上がり、たいそうな人出だった。
フランス革命記念日はやはり銃の変わりに花火だ。

行きたい店はあらかじめ、パリの知人に依頼。
この方の好意で総て予約は行く前にしてもらった。
外国に知人が居る事は心強い、感謝、感謝。他の人はムール貝を食べるは食べる事。

サビニャックの絵は予め芸術新潮で調べておいたので、
街の中を歩き建物を眺めているとすぐに判る。
今更ながら街の中は彼の絵だらけを知り驚くね。

観光局で彼のポスターを買う。一枚13ユーロだ。
2002年に亡くなっているだけに残念。

サヴィニャックが何時もきたという店、レ ヴォワール、
天気がいいので外の席を用意してくれていた。
舌平目は30センチぐらいの大きさで身が厚く美味しかった。ムスカデが良くあった。


どうしてもここに来ると、ブリジット バルドー出演の「男と女」を思い出し、
またノルマンディ上陸作戦を思い出すので、海邊まで行く。

此処には老人用レジデンスが有り、居るは居るは老人ばかりだ。
7月のドービラは海水浴客で大繁盛だ。
さすがに水着で歩いている人は居ないが、ビーチで楽しむ品物は小脇に抱えている。

レストランは何処も満席、観光案内所に行き、美味しい店は何処と聞くと、
レストラン一覧になっている小冊をくれ、丁寧に印をつけてくれた。

そして「この町は小さいから何処でも歩いていけるわ」と。

ブランド店が点在こうした店はバーゲンをしてないが、他の店は半額大セールだ。
パリで買い落とした品が此処で見つかるという楽しい所だ。

ノルマンディ風の建物がその風情をさらに盛り上げてくれる。
外国の楽しさはこんな所にもあると感じた。

泊まったホテルはノルマンディホテルでプールも地下にありホテルだと感じさせる。
地下道でカジノへ行けるし、ショウを見せる劇場もある。

以前は無料で貸し自転車ありゴルフの無料レッスンありだったが
今は時代の流れか、無くなっている。


午後の列車でサンラザール駅に、真中の階段を荷物を抱えて降りないと
タクシー乗り場に行けない。変な仕組みだ。

今夜はフランス在住の人が教えてくれた店に。知らない店だけに期待と不安が横切る。
ホテルで乗ったタクシードライバーは、ノープロブレムを言いつつ小さい路地が判らない。
判らないとサクランボを食ながら地図を見て、ノープロブレムだ。

13 rue des Lavandieresnの「La Robe et le Palas」という店が見つかる。
昼定食屋?
ワインバー風だ。コルシカのワインが美味しいのを知る。
味覚は残念ながらだ。地下鉄の
Chateletの近くだった。

偶然すぐ近くにPoit Neufがあり、知人がQuai de Contiに住んでいるのという言葉を
思い出して、食後にその一帯を歩く。車が走れない木造の橋の上では、
敷物を敷いた若者が歌を楽しみセーヌ川から涼を楽しんでいた。
暑いというパリも夕方は気温も下がり空気が乾燥しているので過ごしやすい。

日本には橋はあるがこんな風景は無いから羨ましい生活の中の文化だろう。
気持ちよく歩くうちにオルセー美術館前迄来ていた。
止まっていたタクシーの運転手に
「シルブプレ、ジュベエ アレ ア イルトンパリス?」

日曜日に印象派モネの家があるジベルニーに行こうと、ピラミッドの所にある
マイバス観光所に行くと、それは本日の午後しかないと言われ外人ツア-に申し込む。

それではと開館まじかなルーブル美術館の行列に加わる。
午前9時開館、フランスはシニア料金は無いが18歳未満は無料だ。

すぐに新しい「モナリザ」の部屋めがける。
客は皆目的は同じだ。判りやすく表示もある。
ゆっくり一番前で鑑賞フラッシュ不要の新型カメラで撮影。
すぐにオルセー美術館目指す。
総ての絵はオルセーだと。
レンブラントの絵の横に見たことない女の下半身だけ写実に書かれた絵を発見、
その代りバジルの絵は日本に旅行中だった。

モネの睡蓮など山ほど目の中に叩き込みデジタルカメラで収録。
ゴッホに堪能他にも堪能、当分日本で美術館不要という気分になる。

ランチは近くのカフェでオムレツを、かなりの量だ。

そして各国観光客と混載バスでジべルニーへ、
フォンテンブローの森を抜けて1時間半で到着。
歩いて20分もするとモネの家に着いた。だが観光客で満杯。
団体なので横から、庭園内に、個人客は外で長蛇の列をつくっていた。

オルセーでみた睡蓮の池があった。驚いた事にはモネの家の中仕事場総てに
歌麿、北斎などの版画で埋め尽くされていた。

何事も百聞一見にしかずか。さすがに少々「ファチゲ」
帰ってホテルのバー、サフランでビールを飲む、外のテラスでさらにもう一杯、
そよ風に吹かれ睡魔が襲う。

ハワイのブレーカーズホテルのプールサイドを思い出した。
ヒルトンのすぐ隣が、メルキュールホテルと知る。その隣が日本パリ文化センターだ。

明日日曜日、リドに行こう。コンシェルジュに聞くと午後9時半があるという。
100ユーロでシャンパンハーフボトル付だ。デポジット10ユーロ払う。

思い出してオペラ通りのアメリカンエクスプレス事務所にトラベルチェックを換金に、
ここはチェックだけの換金でないから大変時間がかかるが、
手数料を考えると仕方ないがもう少しなんとかならんか?責任者出てこいと、
アメリカ人の若者がセキュリティに怒っていた。

ブリュッセルのヒルトンホテルは一日100ユーロだけ手数料無しで
チェックを換金してくれる。

この頃カードで買い物したら一ユーロ138.69円
この中にはアメックスの手数料が込みになっている。
日本で現金でユーロ買うと6円ぐらい高くなる。
チェックだと136円としたら、137円で済む。1円ぐらいですむが、
これを換金所ですると100ユーロに7ユーロぐらいの手数料がかかる。


日曜日オペラ通りを歩いていると、
最近阪神デパートに出店したPaulというパン屋を見つけた。

店の奥で食せるのでテーブル座りクロワッサンとショコラパンを
それにグランカフェクレームを注文。
昔の日本のミルクホールのユニフォームみたいなのを着たマドモワゼルが運んできた。

クロワッサン1個1ユーロ8セント、ショコラ1個1ユーロ28セント、
グランカフェクレーム1杯2ユーロ95セント。
味は満足、お腹も満足でした。

日本の土産の残りを持参して、前日世話になり親しくなったオペラ通りの免税店KAM’Sに。
偶然此処で買い物したら10%割引の上、バーゲンで30%割引
しかも税金は初めから引いてくれるから面倒でない。
ただしフランス空港で税関に書類を出さないでいると、店が税金分かぶるので、
とりあえずカードを切らせて欲しいという。念のための店の防衛策だ。


免税店の話によると、最近は韓国人より中国人が多いという。
それに団体旅行。団体行動しか出来ないがロシアの人が多いという。勿論金持ちですがねと。

確かに中国料理店に行くと店の前に、大声で話すな。痰つばを吐くな。
煙草を捨てるなと中国語で書かれた紙が張ってあるが、騒々しい。
そしてブランド店の紙袋を皆持っている。

エッフェル塔周辺の観光バスは皆中国人で、買い物は30年前の日本人と同じで、
ルイ・ヴィトンとオメガ時計だそうだ。

偶然、8月3日の日本経済新聞に中国人旅行客ブランド店席巻と言う記事が出ており、
中国の週刊誌「新民週刊」の最新号は中国人が1970年代の中東勢、
1980年代の日本人に続き、中国人客一人海外旅行で使う海外消費額は987ドル、
フランスでは3000ドル、日本人客の3倍だと報じている。

ヨーロッパの景気は悪そうでありながら活気が見えた。景気はいいんだ。
これはやがて1ユーロ170円ぐらいになるかな?内心ふとそんな予感がした。

リドのショウはリニューアルしたせいか、オーソドックスの中に気品があり、
見せ所は押さえて一段と上品さがでたように感じた。

シルクハットに燕尾宝塚だと思いながらそれ以上のものを感じた。久々に見て良い舞台だ。
アイススケート、馬、手品的見世物、曲芸何れも一品ものだ。

毎回不思議に思うのは同じ舞台が降りて上がると氷、又降りて上がると水と変わり、
その仕掛けに興味深々。

日曜日夜9時半からなので100ユーロでハーフボトルのシャンペンは
2時間半近い時間を充分な気分にしてくれた。

店舗改装中のルイ・ヴィトンとカルチェは大きなカバンで工事現場を覆っており、
当たり前が面白く見えるから不思議だ。


とにかくパリファッションは白。女性は白のパンツで
下にはいている下着の丁字パンツが見え見えなのがパリをエキサイト気分にする。

男も白のシャツの裾を外に出してジーンズをはいているのが妙にセクシーさを感じさせた。

帰国最後の夜は1985年位までオリエント急行のシェフをしていたMICHELが開いた
イタリアン料理店「CONTI」だ。エッフェル72 Rue Lauristonにある。

店内は赤で装飾、サーバーがロレンツォという。
ワインはLACRYMA CHRISTI DEL VESUVIO 2003
自家製のパスタにトマトソース上に火で焼いた海老が妙に美味だった。
ここのカルパッチョがバジル入りのソースとともに最高だ。

帰り際にはタクシーを呼んでくれて行き先も丁寧にドライバーに教えるから心配ない。

ドービラでカルバドス8年もの買い、
パリでプロバンスワインのクルークラッセを買い込み帰国だ。

そういえば、ヨーロッパのホテルのトイレでウォシュレットにお目にかからない。
日頃此れになれてる人間としては、固めの紙で排便後後始末するのはいろいろと問題がある。
早くウォシュレットを完備してほしいと、トイレで考えた。


個人旅行は時には落とし穴がある。
日本航空の航空券にはパリーロンドン間はBDと書かれている。
パリで聞くとオーバーゼヤーだ。そこはA STAR ALLIANCE MEMBERの所だ。
ブリティッシュミドランがbmiとは。
チェックイン開始3時間前まで待ち、女性の職員の所に荷物を持っていくと、
キャビンバゲージに目をつけ重さを量ると言う。
カメラ、酒など面倒なのでこのカバンに総て入れてある。

量ると13キロだ。スリーキロ、ノー、ノーと言われても、デモ、ノーだ。
仕方なくエレベータ横で酒を出して用意してある袋に詰め、
カメラの重いショルダーは肩に掛け、酒は取られないもの陰に置き、
再度カウンターに。これでやっとオーケイボール。
しかも途中でその女性は男性とバトンタッチして居なくなってしまった。


BDの下にBMIと書かれているが、本当はbmiと書くべきなのだ。

パリのカウンターで親切と感じたのは航空券を入れる袋には、
bmi
FLIGHT CONNECTION
FOR YOUR TRANSFSHER AT LONDON HEATHROWと書かれ、中を開けると、
YOU ARE ARRIVING ATと有り、後はターミナル何処についたら
このようなルートでいけと道筋が図式で書かれている。
歩く所は何分とか、最後にARE MY BAGS THROUGH CHECKED?とあり印がついている。

日本航空の仕方とは大違いだ。

ドゴール空港の動く歩道は停止しており、延々歩きで、さらにテロ直後の為か
セキュリティは荷物検査。総て出して検査、裸足で検査、英語喋れるかと聞かれ、
ポケットから財布を更に全身ボデイタッチ、
さらに航空券とパスポート照合。
再度荷物検査、矢張りパリから直行便で帰れば良かったとは、後の祭り。


帰りの航空機はなんとくる時と同じシップナンバーだった。
思わず心の中で叫んだ。パンフレットに載ってる写真の機種に搭乗出来ないのなら、
運賃割り引いてくれ。成田発と関空発では余にも機種に差別がありすぎだ。


帰国して何かノルマンディ上陸作戦を敢行した気分になった。
パリは矢張り花の都だ。

次回はアパートを借り、三週間位気候と時期を選んで過ごすと
別のシニアの新しい発見がありそうな予感がした。



イーストウエストジャーナル誌(ハワイ)掲載

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