「ダッチロールで夢のアメリカ国を旅」

 

            宮田 達夫

 若い時にアメリカ映画で見た場面は青春の火の塊みたいなもので、体の中のエネルギーを燃え上がらすものだ。

『ルート66』はその際たるもので、こんな世界があるのかと。スチュードベーカーに乗ってハイウェイを走る若者、
米国とは凄い所だと憧れの中で見とれていた。

テレビ映画『ハワイアンヴィレッジ』もそうだ。

ハワイはこんな椰子の木の葉で家の屋根を作り、腰蓑をつけた美女達がそこらじゅうを歩き回っている島があると?

見たこともない風景は無性に好奇心を沸きかき立てるものだ。その一つがアムトラクだった。
米国大陸の中を走る姿、そのアムトラクに乗って過ごす生活が夢の乗り物というイメージを心の中に刻み付けられていた。


僕は運転も出来ないのに、広大な米国大陸をアムトラクとレンタカーで旅をしたいという、夢の中の念願が
話の弾みから実現しそうになってきた。


アメリカに住んでいる僕の知人で、あまりに長く住んでいるのでお国に尽くすという誓約をして
米国人になった日本人がいる。米国人だから仮に名前をダッチさんとしよう。
そのダッチさん、運転が出来ない僕に代わって「運転は自分がしてあげるからサンタフェに行かないか」
と声をかけてきた。
願ってもない話だ。僕の望みはアムトラクに乗り、レンタカーで広い米国を走れる事だ。
諸々の不安を考えるより先に行動を選択したのだ。でも、よもや想定外の旅になるとは、その時は思いもしなかった。

出発は、ダッチさんが住んでいるハワイ州オアフ島のホノルル空港からだ。

ここで、ふと思い出したのは『ドクトルマンボウ航海記』だ。北杜夫さんが乗り込んだ水産庁の調査船、
そんな船が本当にあるとは露知らず、ホノルルで港を散歩していたら、なにやら日本人らしき人が乗っている
小さな船が岸壁に接岸していた。

近づくと間違いなく日本人。

「この船、何処の船ですか」と聞くと「水産庁だ」と。

「何をする船か」と更に聞くと「大西洋などで漁船がマグロを規定どおりの量で獲っているのかを監視する調査船だ」
と言う。つまり海の覆面パトロール船というわけだ。ふーん、この船にドクトルマンボウが船医として乗船したのかと
改めて感心。

「どのくらい航海するのか」と聞くと「一航海は半年ぐらい」だそうだ。アロハタワーのある港で偶然出会うなんて
何か不思議なものを感じた。

ダッチさんとの中西北部の米国の旅は、7月ハワイのホノルル空港からだ。

旅の計画は総てダッチさんがAAAツアーデスクにお任せだから、旅の道程は僕にはよくわからない。
NWの22時15分発の飛行機に乗ると、時差が3時間あり6時間半でロスに早朝到着するのだ。
空港まではダッチ夫人が車で送ってくれたが、空港に着くと普通は「それでは旦那をよろしくお願いします」
と言うのだろうが、一言の挨拶もなかった。

席はエコノミーで後部だ。初めはFクラスと言っていたが、寝るだけだからもったいないと僕が断った。
機内ではエコノミーだから飲料、食べ物は総て有料。ダッチさんは、持参の缶ビールをそっと僕に手渡した。

ロス到着は翌日の午前7時14分の予定だが、飛行機はなかなか出発しない。
英語で何か機内アナウンスをしているが、僕には解らない。ダッチさんが「トイレの汚物を取りに来る車が来ないので
遅れている」と教えてくれた。ダッチさんはやっぱりアメリカ人だと僕は変に感心し安心した。


結局、出発は1時間以上遅れたが深夜のフライトだからあまり影響はない。機内は意外と寒く皆毛布で体を包んでいた。
うとうとしているうちに寝たようだ。やがて到着の機内アナウンスがありロス空港に到着した。
後ろからダッチさんが「眠れた?」と声をかけてきた。


乗客はぞろぞろと機内から外へ、僕も機内から外へ出てダッチさんが出てくるのを待った。
ところがいくら待っていてもダッチさんの姿は見えない。
お喋り好きのダッチさん、まだ機内でキャビンアテンドとお喋りかと思いきや、その人たちも出てきている。

ダッチさんは何処へ?ここで、はぐれたらお釈迦だ。荷物を受け取るところへ行けばいるだろうと、
途中の通路をきょろきょろしながら荷物受け取り場へ。でもいない、おかしい?どうしようかと思った時
「貴方がいたこと、忘れていた」とダッチさんが後ろから平然と現れたのだ。
今思い出したかのような顔をして。なんということを言うか、この人は? これはやっぱりおかしい。
「これからは僕の前を貴方は歩いてください」とダッチさんへ厳しく言った。


空港のレンタカーのカウンターで又なんだかんだとお喋りだ。ダッチさん、家ではお喋りしてくれる人がいないのだ。
だから人に会うとお喋りが始まるのだ。旅の行き先それぞれには総て予約してあるとダッチさんは言っていたが、
それも怪しいものだと懐疑心が湧いてきた。

僕はトイレに行きたくなったが、ダッチさん一人で先にレンタカーの所に行かれてはえらい事だ。
「荷物とともにここを動かないで」と厳命して懇願した。戻ると懇願どおりダッチさんは荷物の所にいたので安堵した。
レンタカーは韓国製のヒュンダイだ。ダッチさんはとにかくお喋りが多くて、また車の使用の仕方を聞かないので
ヒュンダイを動かすところから手間取った。


行き先はレーガン元大統領の博物館があるシミバレイへ。
これが米国のハイウェイかと左右の風景を見ながら僕は一人感心している。
ダッチさんの運転は相変わらずお喋りしながらだ。

レーガン元大統領の博物館の入り口にはレーガンさんの銅像があった。大統領が利用したエアフォースワンの機体も展示。
お墓は太平洋を見渡せる丘の上にあった。ダッチさん、はじめはレーガンさんの演説が総て博物館にあるので、
それを聞くのだとか言っていたが、いつしか忘れていた。僕は内心安堵した。

暑い中、ヒュンダイでアムトラクに乗るロスの駅に向かった。駅近くになり、レンタカーを返却するところが
ダッチさんはさっぱり判らず車でうろうろ。よくよく聞くと駅で返却可能と判り一安心する。
ダッチさん、判った振りで実は判っていないということが、だんだん僕にはわかってきた。

プラットホームに行く途中で突然ダッチさんは「米国勤務だった父親が出張する時この駅には送りに来た」
と話し出した。50年以上昔を思い出したのだろうか。
とにかくアムトラクに乗ってしまえば降りるまでは問題ないと、たかをくくったのが大間違いだった。


ダッチさんのお陰で猛暑の中を歩き回らされたので全身汗びっしょり。何とかプラットホームに停まっている
アムトラク午後6時45分発のスリーパー3号車にたどり着いた。早々にシャワールームヘ。
狭いながらもタオルは山ほどあり、大型の石鹸もあり栓をひねると熱い湯が体を心地よく流してくれる。
遠慮なくほとばしるシャワーの湯を存分に楽しんだ。使ったタオルは赤い袋に入れて総て着替えて、
すがすがしい気持ちで今夜の寝所の3号車の430号室へ。ソフトドリンク、ミネラル水は総てフリードリンクで
専用のバーに置いてある。


夕食はウェイターが食べる時間を聞きに来る。普通車の一般の客はそのあとになる。
ダッチさんが急に近づいてきて「あの車掌は何か僕に恨みがあるみたいだ」と突然言い出した。
「恨みって何の恨みが? 何か恨みがある?」返事がないから判らない。
変なことを言うなあと思いながら、指定した食事の時間に食堂車に行こうとすると、
ダッチさんが「恨みがあるらしい車掌がいるので先に行ってほしい」と言う。
四人掛けのテーブルに座ると、しばらくしてダッチさんが席にやってきた。
四人掛けだから向かい合って座るわけにはいかない。突然ダッチさんがウェイターを捕まえて
「どうして向き合って座れないのか」としつこく言い出した。言い出したら、ありったけの豊富な(?)英語で
くだくだ言うのがダッチさんだ。押し問答の末、ダッチさんの提案は却下。

そこに白人の男女二人がやってきた。顔を見ると駅のバーで待ち合わせていた二人だ。
ダッチさんは急に何を思ったのか「この二人は不倫の関係だ」と言い出した。
そんなことは、どうでもいいが、ダッチさんは得意の(?)英語で二人にいろいろな質問を投げかける。
先方はこの異邦人は何ものぞと困惑した態度でいる。挙句に「二人の写真を撮ってあげなさい」
とダッチさんが言い出した。だんだん二人の関係が不倫の仲に感じてきた僕は「写真はやめよう」と言うが、
ダッチさんはワインが入ったせいかしつこい。ではと二人のツーショット写真を撮ると、
次は二人の住所はと面倒なので、イーメイルアドレスを聞いて済ませた。かわいそうにこの不倫(?)の二人連れ、
仲良くご飯も食べられないまま席を立った。


ダッチさんに「あまり遠くへ行かないで。食事の時、探すのが大変だから」と一言。

何故なら列車の編成が長く、しかも天井がガラス張りのパノラマカーや売店のある車両もあるからだ。
次の食事の時間が近づいてきたがダッチさんの姿は見当たらない。売店かと思いきやダッチさん、
パーラーカーでビール瓶片手に気持ちよさそうに酔ってお眠りだ。
「ダッチさん、食事時間だよ」と揺り起こして食堂車へ。席は勿論横並びの席だ。


ここで飲んだ白ワインから、ダッチさんのダッチロールがまた始まるのだ。

どうしたことか、ダッチさんの前にナイフがなかったことから、ウェイターを呼んで文句を言い出したのだ。
理屈に合わない文句だから気まずい雰囲気だ。相席の白人の二人連れはなんともいえない顔をしている。
お蔭で僕にまで被害が及んだのだ。白ワイン4ドルなので10ドル札を黒人のウェイターに渡すと、
おつりが1ドルだ。ウェイターに文句を言っても知らん顔だ。ダッチさんは酔っているからニタニタしてるだけだ。
僕は心の中で人種差別かと思った。同席の白人の二人連れも助け舟は出してくれなかった。


問題は、その次の食事の時だった。

ダッチさんは相変わらず「あのウェイターは何か恨みがあるみたいだ」と言い続けてテーブルに着いた。
黒人のウェイターが、ワインを飲むだろうと思い、僕らの前にワイングラスを置こうとした。
僕はその時、何故か「ワイングラスは一つでいい」と言うと、黒人のウェイターは怪訝そうな顔をして
二つ置こうとするので「一つでいいのだ。彼はいらないのだ」と語尾を強くして断った。


ワイングラスは僕の前だけだったから、そのあとの出来事から運よくダッチさんは逃れられた。
突然、屈強な白人の男が僕らのテーブルの前に立った。そしてダッチさんに「話があるので我々と来てくれないか」と。
ダッチさんの顔色が変わるのが鮮明に判った。僕はワイングラスがなくてよかったと横目で見ながら思った。
屈強な男は列車の警備員だろう。ダッチさんは「話ならここで聞こう」と言う。
結局押し問答の末、屈強な男二人は去っていった。僕の知らないところでビールでも飲んで、くだをまいたのだろう。
もしワイングラスがあってワインでも入っていたら、完全にアウトだった。
米国はこうした面ではかなり酔っ払いにはシビアなのだ。


その時ダッチさんは一言「ここで降ろされたら3日間は列車が来ないからねえ」と呟いた。
僕はそこでダッチさんに聞いたのだ。
「何かで降ろされた事あるの?」
ダッチさんは、飛行機で一度ランプアウトしたのが舞い戻り降ろされたと。
こりゃ、大変な旅が始まるぞ、ダッチロールのと、いやな予感がした。


サンタフェには列車は行かないので少し手前のラミーという駅で下車、そこからシャトルバスが列車代わりに
運んでくれるのだ。遠くには岩山がそびえている。真夏だ。ダッチさんが英語でシャトルバスの中で叫んだ。
「あの山に雪が積もっている!」と。他の乗客は押し黙っていた。岩山の白い部分を雪と錯覚したのだろう。
何で日本語叫ばないのだと僕は思った。


シャトルバスはサンタフェ一の古い由緒あるホテルの玄関前に横着けした。
アドピーという、日干しレンガ造りの家が並ぶ街路、これがサンタフェの町だ。

ダッチさんは一階の部屋に入るとなにやら鞄から取り出してゴミ箱にかぶせている。ビニールの袋だ。
少しでもゴミがずれていると、ちゃんと入れなおす。内庭のプールに何故か出入りできる部屋だが
「暖炉はないか」とボーイに聞くと「夏は暖炉は炊きません」と言われてダッチさん不機嫌な顔をした。


不思議な事は夜中に起こった。

暗闇の中で物音がするので様子を窺うと、どうもダッチさんが何かをしているみたいだが、
気味が悪くて何をしているのか聞けないまま毛布をかぶり寝入った。
朝、トイレに行きたくなり目が覚めたらバスルームが使用中だ。
すぐ出てくるだろうと思いきや、30分経っても出てこない。
1時間位経ったか、ダッチさんが出てきた。
バスルームに入って驚いた。バスルームが綺麗に掃除されているのだ。
家のバスルームと間違ったのかなと? 
バスルームから出るとダッチさん、アイロン台を前に二枚しかないシャツの一枚にアイロンをかけていた。
部屋のゴミ箱のゴミは、何一つ無くなっていて空っぽだった。やっぱり夜中に何処かに捨てに行ったのだろう。


ダッチさんホテルの部屋で、ぼそっとつぶやいた。
「僕、こんな広いベッドで寝るのは久しぶりだ」と。
ダッチさんの家の寝室は僕も知っているので「家でどうして寝ているの」と聞くと、ベッドの端に上向いて寝るそうだ。
「では奥さんは」と聞くと「真ん中に寝ている」と。
「ではベッド二つにしたら」と言うと、ぽつんとこう言った。
「終わっちゃうもの」。一瞬その意味が理解できなかった。


ダッチさん、家では食事が終わると夫人は大好きなマージャン部屋へ、インターネットでのマージャン卓を囲む。
従って食後の跡片付けはダッチさんの役目となる。それゆえ二人の間には会話が生まれる余地はない。


ダッチさんのダッチロールは、既に始まっていたのだった。

サンタフェから少し離れたところにリゾートホテルがある。
山の中に部屋が点在している、それも車でないと行き来ができないというホテルだ。
勿論ダッチさん自身が、張り出したバルコニーが、テラスが天高くメキシコの大空に広がり朝食が食べられる、
と選んだホテルだ。チェックインして車で登る事20分ぐらい、頂上近くの部屋にたどり着いた。
ダッチさん部屋に入るなりいきなり「暖炉がない」と。えっ、又? 
部屋が山の上にあるので水をくみ上げるポンプの音がかなりうるさいが、まあいいかと寝入った。
突然ダッチさんが「こんな部屋ダメだ。部屋替える」と喚き出した。ええっ? 
真夜中にセキュリティーに荷物を運ばせて部屋替えだ。
おいおい! 自分で決めたホテルだろうに何か空想の中の世界と勘違いしているみたいに感じた。
そういえば部屋に入ったとき暖炉がないと喚いた事を。何故か暖炉に執着心が強い。


「サンタフェオペラが50周年なので聴くといい、予約もしてある」と言う。

ホテルにチケットをもらいに行くが、予約はしてないみたいで本人がそう思っているだけの様子だ。
そう思っていただけ、というのが恐ろしい。会場に行くと山のてっぺんでシャトルバスでしか行けないし、
演者はサンタフェの素人集団のオペラだ。出し物はカルメンだが、山の上の野外会場なので寒さが先に立つ。
僕はこれも経験かとあきらめた。
どうもダッチさんの頭の中では現実と空想と昔の出来事が交差しているようにしか感じられない。
いよいよ気をつけなくてはいけないぞ。旅は無事に終われるのかなあと不安が先だった。


そういえば旅に先だってダッチさんから送られてきたイーメイルの文章は総てが空想?想像?妄想?が基となって
出来上がった旅の文章だったなあと?


フラメンコダンスを見に行くことになった時、車の中でダッチさんがつぶやいた。

「娘がね、電話してきて、パパ、お酒は飲んではだめよ。信号はアロウ<>が青になったら曲がるのよ」と言ったと。
僕はそれを聞いて恐怖を感じた。ダッチさんの娘は総てを知り尽くしているのだと。
そういえばダッチさん、こんな言葉をぽつりと呟いた。

「こんな旅するのは初めてだ」
そうか、今までは家族と出かけるのは別にして一人旅は危険でさせなかったのだ。
じゃあ何故、今回はオーケイになったのだろう? 疑問が生まれた。


ダッチさんは物知りだという事は事実だ。不思議な場所をご存じだ。

サンタフェ、ロスアラモス〈原爆開発の秘密基地〉、念願のジョン・ウェインの映画に出てきたリオグランデ、
猛暑と砂塵のタオスに、すでにカリフォルニア州、ネバタ州、ニューメキシコ州を越えてきている。
僕のリオグランデに行きたいという希望で、ダッチさんは地図を見て「砂塵の町タオスを越えて少し横道に入ると、
リオグランデの壮大な渓谷が見られる」と言うのでそこへ向かう。ダッチさんが「向こう側で待っているから、
橋歩いて渡らない?」と声をかけてくれたが、もしそのままここで置いてきぼりにされたらという恐怖心が。
でも意を決して、渓谷の深さ何百メートルという高さと、置いてきぼりの恐怖とを重ねながら震える気持ちで橋を渡ると、ダッチさんは約束の場所で待っていた。


ダッチさんは時々連れがいるという意識が消える恐れがあるから怖い。

小さな湖があるイーグルネストという町に到着。日本人が来たことがあるのだろうかという土地だ。
風光明媚なリゾート地だ。ここで休憩していると「ここからが死ぬほどの山越えだよ、
しっかり湖を見納めしておくんだね」と土地の人が一言。あとでその一言がよく判った。


25号線を走り続けるとニューメキシコ州とコロラドの州境のアムトラクのラトン駅に。
過去は栄えた駅前だろうが荒れ果てたホテルが目に付いた。ここから一直線の道だ。前を見ても横を見ても荒野だ。
山も丘もない、壮大な米国だ。

ふとダッチさんが目を開けて運転しているかどうか心配になったが、起きている?とは聞けない。それは一瞬だった。
僕も瞼がとろんとした瞬間、猛烈な衝撃を感じた。

ガッガッガッガッ。ダッチさんはあわててハンドルを切り返した。次の瞬間ダッチさんの口からこんな言葉が出た。
「僕、今お花畑の中を歩いている夢を見ていた」と。
25号線の道は対向車線だが、道幅広く、道の両側にかなり広くギザギザに波を打たせた側道がある。
たぶん居眠り運転で、ここで目が覚めるようにしてあるのだろう。そのお陰で僕はお花畑に行かないですんだ。


そこから又、延々と道は続くが恐怖の連続だ。

ダッチさんに起きているのかなと話しかけるが話題が種切れだ。運悪く物凄い夕立で前が見えない。
高速から降りる場所は地図には25番と書いてある。25番25番と、過ぎていく番号の中から
25番が早く出てくるのを念じた。


ダッチさん、自分で予約しているにもかかわらず、宿の場所がわからない。
電話で聞いてどうにかたどり着いたところは、なんとコンドミニアムだ。食い物がない! 
近くのセブンアンドイレブンを見つけてサンドイッチを購入、ビールで流し込んだ。
本人はホテルだと思っていたのだろう。場所はコロラドスプリングス。
冷蔵庫がないとダッチさん怒り出して管理人に運び込ませたが役には立たなかった。

部屋はシングルルームだが、心配なのはダッチさんがいなくなるのではないかという恐れだ。
予想は翌日、的中した。

翌日、黙って出て行こうとするので「何処へ?」と聞くと答えがない。
そのまま車で出て行ってしまったきり、いくら待っても戻ってこない。
ダッチさんの表情は、僕がいることを認識してない顔だと思った。
どうも様子を見ていると、朝方に意識が変わるみたいだと判ってきた。


ドアを叩く音がするので開けると、部屋を掃除する女が立っていた。
まだチェックアウトの時間ではないと言い、ドアを閉めるが時間はどんどん経っていく。
不安はいっそう募る。チェックアウト寸前にけろっとした顔でダッチさんは戻ってきた。
「Y君に言われたのでゴルフ場を下見してきた」と一言。勿論Y君はそんなことは頼んでいない。
どこかで妄想が生まれたのだろう。「見て来いと言われた」と言う。
そういえば、旅に出るまでに旅の予定や自分の思いを書いた沢山のイーメイルがダッチさんから来た。
その文面を思い返してみると、総てが妄想の中でのことで、過去の出来事と現在とが混在しているのだと
いう事が判ってきた。


ここで考えた。ダッチさんはここにある有名なホテル、ブロードモウアに泊まり、ペンローズルームという
最高のレストランでフレンチを食べるつもりだったのではと。ところが夜しか開いていないのだ。
或いはそれも妄想の中だったのか? 
うかうかしているとデンバーへ到着できない。急ごうとダッチさんを急かした。


1891年ゴールドラッシュ時代に開業した、デンバー駅前にあるオクスフォードホテルに着くやいなやダッチさん
「今夜はリネンのテーブルクロスがあるメインダイニングルームで夕食を。君はジャケットを着てください」
と言うが着るのをやめた。とにかくホテルのメインダイニングルーム(?)へ。
そこは古いホテルだから、ボックス形でいわばファミリーレストランの形だ。
テーブルクロスがないのでダッチさん
「君がちゃんと上着を着てこないからいけないのだ」と。
自分だって着たきり雀の上着じゃないかと思いつつ上着を取りに行く。
ふと横に丸テーブルがあり、そこにはテーブルクロスがかかっていた。
ウェイターを呼んで悪いが丸テーブルの席に替えてもらう。
そこに座ったダッチさん、初めて気が付いたように「ここはテーブルクロスがない店なんだねえ」と一言。
僕の上着はどうなるんだ。


このホテルで驚いた事は、さすがゴールドラッシュ時代のホテル、地下にトイレが15室、ボウルルームの見事さ。
その昔、金を見つけた男達がここでたらふく食べて飲んだのだろうと思いを昔に馳せた。


翌日、ロッキーマウンテンへ。途中ボルダーに立ち寄り、後は野となれ山となれだ、

ダッチさんの運転にお任せだ。お蔭で残雪のある美しいロッキー山脈を堪能できた。
米国人がこの辺りに住みたい気持ちもわかる気がした。


アムトラクは社名ではなく愛称で、社名はナショナル・レイルロード・コーポレイションだ。
自社で線路を持っているわけではなく借りての営業だ。デンバー発のアムトラクは午前8時5分だ。
英語の堪能なダッチさんは駅のアナウンスを聞いて「線路工事でワイオミング州を通るよ」と嬉々として話した。
こんな時はダッチさんも役に立つ。


ララミー駅に入るとワイオミング州だ。滅多にアムトラクが通らないのか、沢山の人が線路脇に並んで
カメラを手にしていた。テレビ映画の『ララミー牧場』を思い出した。
『わが谷は緑なりき』もワイオミングが舞台だった。


深夜にソルトレイク駅に到着、ユタ州だ。デンバーからのダッチさんはダッチロールはしなかったが、
列車の方が炎天のため線路が曲がり、ダッチロールとなり大幅遅延となった。
お蔭で美しい夕日も夜になったため見ることは出来なかった。アムトラクの終点はサクラメントを経て
サンフランシスコのエメリビルだ。夕方の到着が夜になった。
列車から降りたあと、大勢のお客がタクシーが無くて大弱りのところ、ダッチさんはどこからか見つけ出してくる才能は
たいしたものだ。


サンフランシスコでレンタカーの予約はやっぱりしてないので、行列して順番を待った。本人はしたつもりらしい? 
ここからサリナスへ。車はRV車で、本人は地図が大好きだけに近道で細い山道を行くので、
急カーブであわやの正面衝突をしかけた。再びお花畑に近づくところだった。
ダッチさんもあきらめて広い道へ戻った。


サリナスは作家スタインベックの町で映画『エデンの東』の舞台だ。
サリナスのホテルはまたしてもシティホテルみたいなところで、ダッチさんの妄想とは違っていたようだ。
でも近くに美味な店があり、サリナス特産のアーティチョークのフライを食べる事ができた。
すばらしい味だった。ステーキもだ。


ここにはスタインベック博物館があり、彼の家も残っている。
ダッチさん、突然「アムトラクの駅に行きたい」と言い出した。
列車のないハワイに住んでいるので、列車にはやたら興味深いのだ。
サリナスからバスがモントレーまで乗客を運ぶのだが、そのバスの運転手と話していたダッチさん、
運転手に言われたのか、突然「新聞王のハーストの家に行こう」と言い出した。
そこはここから500キロぐらい離れている、それは無理だと押しとどめるのに一苦労した。

ダッチさん無言で走り出した。行き着いたところはペブルビーチロッジだ。
ゴルフ場は1ラウンド500ドルぐらいかかる。
「夕食はここで」と言うので、再度サリナスまで2時間かけて戻る。常に行き先が僕には不明だ。


今度は暑いのにダッチさんの強い望みで上着を着て、ぺブルビーチロッジのメインダイニングルーム。
なんと食事をしている人を見ると、皆、短パンにポロシャツだ。当たり前だ、此処はリゾート地だ。
またまたダッチさんの妄想に引きずられた。
でもダッチさん、暖炉に火が燃えているのを見つけて無性に興奮して叫んだ。
「暖炉がある。火が燃えている」
何処に行っても暖炉、暖炉の一点張りには異様なものを感じた。


サリナスを発ってカーメルへ。駐車場が見つからないのでダッチさん
「君、ここで降りて歩いてきて。車の止めるところ探してくるから」と。
とんでもない。こんな所で降りてしまったら後の祭り、置き去りだ。


カーメルの街の中に駐車。ダッチさんは「コーヒー飲むから」と言うので、車が見える範囲内で
ウィンドウショッピングを。ここから17マイルスをドライブして、モントレー経由で帰りの飛行機に乗るため
サンフランシスコ空港へ向かう。その間でもダッチさん、あっちに行ったりこっちに行ったりダッチロールの連続だ。
どうにかレンタカーを返却。サンフランシスコ空港でチェックイン。
席は最後部だが、これでダッチさんはどうなってもいい、僕は飛行機に乗ればホノルルへ帰れるのだからと。
ふと見るとダッチさん、ビールをぐいぐい飲んで酩酊気味だ。もう心配はいらない。僕は知らないからね。
テーブルの向かい側で飲んでいるダッチさんが突然わめきだした。


その時、思い出したのだ。出発前のダッチさんの言葉を。

「帰りの飛行機の席は最後尾の席を取るね。貴方にサンフランシスコの夜景を見せたいから」と。
現実は15時発で明るい時間だ。夜景があるはずがない。やはり妄想の中での旅だったのか。

ホノルルまでは5時間半のフライトだ。

でも僕はアムトラクに乗れて、レンタカーでカリフォルニア州、ネバタ州、コロラド州、ニューメキシコ州、
ワイオミング州、ユタ州、アリゾナ州と、ダッチロールしながら米国中西北部20000キロを無事旅できたのだから、
ひやひやドキドキしたけど結果はオーライ、言う事なしさ。


ホノルル空港にダッチ夫人が出迎えにきていた。

出発の時は一言もなかったのに、今度は僕の顔を見て一言「お世話になりました」。

その一言を聞いた時、コロラドスプリングスでダッチさんが
「奥さんから電話が掛かるはずなのに掛かってこない」と呟いた一言を思い出した。
ひょっとしてダッチ夫人は今回の旅を千載一遇の機会と思ったのではないだろうかと。
うまくいけばお花畑を歩いてもらえると。
そう思った瞬間「お世話になりました」という言葉が、「どうして帰って来たの」と僕には聞こえた気がした。


旅の経路は、出発ハワイ州ホノルル〈空路〉ロス〈車〉シミバレイ〈車〉ロス駅〈アムトラク〉ラミー駅〈シャトルバス〉サンタフェ〈車〉ロスアラモス、リオグランデ、ホワイトロック、タオス、イーグルネスト、ラトン、プエブロ、
コロラドスプリングス、デンバー、ボルダー、ロッキーマウンテンナショナルパーク、デンバー〈アムトラクで通過〉
グリーンリバー、ソルトレイク、サクラメント、エメリービル〈車〉サンフランシスコ、サリナス、カーメルベイ、
ペブルビーチ、モントレイ、サンタアクルーズ、17マイルドライブ、サンフランシスコ空港〈空路〉ホノルル空港到着。


通過した州はカリフォルニア州、アリゾナ州、ニューメキシコ州、コロラド州、ワイオミング州、ユタ州、ネバタ州と
中西北部を踏破した。



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