「エンターテイメント業種で顧客満足度2年連続宝塚歌劇団・劇団四季は2位理由を探る」


公益財団法人日本生産性本部のサービス産業性協議会が毎年行っている
日本版顧客満足度指数というもので、かっては劇団四季が常に1位を保っていた。
所がここ数年の間に宝塚歌劇団が上位を占める様になった。

理由は何処にあるのだろうか?
先ず昨年2017年は
顧客満足度で、1位が宝塚歌劇団、2位が劇団四季
顧客期待ブランドへの期待、1位劇団四季、4位宝塚歌劇団
知覚品質品質評価は、1位劇団四季、3位宝塚歌劇団
知覚価値コストパーフォーマンスは、1位が宝塚歌劇団、2位劇団四季
推薦意向は1位劇団四季、2位宝塚歌劇団
ロイヤルテイ将来の再利用意向は、1位劇団四季、宝塚歌劇団は10位に入らず
感動指標は1位劇団四季、2位宝塚歌劇団
失望指標は2位劇団四季、16位宝塚歌劇団

2018年度満足度については
顧客満足度で1位、宝塚歌劇団、2位は劇団四季
顧客期待度で1位、劇団四季、2位は宝塚歌劇団
知覚品質で1位、劇団四季、2位は宝塚歌劇団
知覚価値で1位、宝塚歌劇団、2位は劇団四季
推薦意向で1位、劇団四季、2位は宝塚歌劇団
ロイヤルテイで1位、宝塚歌劇団、2位は劇団四季

顧客満足度は2014年度までは劇団四季が圧倒的に
エンターテイメントの世界では群をなしていた。
2014年というと宝塚歌劇百周年を迎えた時で
宝塚もこれを境に降下線をたどるのではと見れる節もあった。
しかし劇団四季は2015年を境に上昇気流が下がり始め
2016年には宝塚歌劇団と交わるようになり、2017年には
宝塚歌劇団に追い抜かれることになるのだ。

そしてロイヤルテイでも劇団四季を抜いて宝塚歌劇団が
1位を占めた。

劇団四季はミュージカル・キャッツ以来ロングラン公演を旗印に
行ってきている。
更に、スターシステム制度は取らずに各公演ごとに劇団内でも
オーデイションでキャステイング組むというシステムだ。

しかし、2014年より以前には、スターシステムをとらなくても
劇団四季の顔となる俳優が何人か存在しており街中でも
何かの話題でも、ああ、あの人は劇団四季の人ねという
世間の中で認知認識されていた強みがあった。
その人たちがいわば劇団四季のスターだったのだ。

劇団創設者の浅利慶太はスターシステムは作らないと
言いながらも、こうした俳優を秘かに看板にしていた時代が
あったのだ。

片や宝塚歌劇団は東京での公演数が6か月あまりだったのを
12か月公演にする為、花、雪、月、星、に加えて宙組と
5組作り、そこには常時、宝塚歌劇の目玉である男役の
トップスターが5人存在、ファンはそれぞれのトップスターに
トップが変わればまた次のトップ男役に、宝塚の魅力は
男役トップスターの彼女の中に潜む女性性を表向きに
現れる男性性の,あやしいせめぎあいこそが男性にない
魅力の男性像を求めているのだ。

過去に、こんな話が、ある男役トップスターが
コンビニでネギをかって居たらそんなものここで買わないで
夢が壊れるからと言われたと。

宝塚歌劇のファンは何処に魅力を感じているか?
人の心の琴線を震わしてやまない魅力に満ち溢れてる。
シーンによってはジャニーズの曲,童謡、懐メロ、シャンソンと
入り混じる。
生徒の個性、衣装、化粧、かつら、装飾、ダンスと
独特な空間が90分の芝居と55分のショウの中にあることだ。

正直、劇団四季にもそういう俳優は存在していた時も或る
その時は劇団四季の格調高さとともに好感度は高かったのだ。
もう一つ、アヌイ・ジロドウばかり公演していた時、浅利慶太は
未来を見つめてウエストサイド物語、コーラスラインに
手を染めた。劇団が躍動するためだ。そしてロングラン公演が
生まれた。
それから何十年か経ち時代も人の趣向も大変わりしたのだ。

百週年後は宝塚歌劇は消えるのではと言われたが今
観客数は伸びている。その観客も若いアヴェックが目立つ。
若い観客はトップスター以外の生徒にもアイドル的眼差しで
舞台のごひいきの生徒をオペラグラスで追い続ける。
ファンクラブも盛んだ。
デイナーショウしてもファンクラブで即日完売になるのだ。

一方、劇団四季は正直ミュージカル一直線で来てしまい
創作劇・ストレート芝居をおろそかにしてきた。
その為、ダンスは出来る歌は歌えるが、その中で芝居が
演技があるという事がおろそかになっていたのだ。
過去、演出者は浅利慶太だったが体調不良から劇団を去り
ミュージカルは外国の演出家が、結局プログラムに有るように
演出スーパーバイザーという名前だけで演出家不在演技を教える
演技指導者が不在のまま今に至るのだ。

五輪の新しい委員に選ばれた人がトラデイショナルのスポーツは
いつの間にか五輪の中心に五輪が終わると何も残らないと。
それゆえ若者が五輪離れしていくと。やはり都市型スポーツ
アーバンスポーツがサーフィンやスケボの時代だと、これからの五輪は。

劇団四季の今の形は五輪の形に当てはまるのではないだろうか?
ミュージカル一直線で走っている。ロングラン公演で。
世帯が大きいから直ぐに、かじが切れないが
ここで大転換をかって浅利慶太がミュージカルに目を付けたように
ミュージカルと創作劇の両輪で発想の転換が大切なのだ。
維新から鹿鳴館までの壮大な日本の物語とかゴールデンポンドの
様な芝居をアトリエ公演でするのも可能だし、目新しく感じる。

方や、宝塚歌劇団は座付演出家は20数人いる。芝居を書く人
ショウを作る人、当たりはずれもあるが、エリザベートすれば
ファンは見に行く。今回4回目のファントムは歌える雪組という事
トップスターと娘役スターも人気があり舞台の作りも演出家が
映像を上手く使い特に宝塚大劇場は銀橋という客席にせり出した
舞台があり、そこでっ見せる芝居をさせるだけに観客のまじかに迫り
いう事なしの感激を観客は与えられるのだ。
多分このファントムという演目は、宝塚歌劇団の油脈になるだろうと」
言う作品だ。
宝塚風に創り上げたからだ。演出家が多々いるだけに話題のマンガを舞台に
洋画から舞台化を、でもそこに存在する大切なのはトップスターが5人
居るという事だ。

もう一つ宝塚歌劇団の強みは千秋楽の公演、トップスターの
サヨナラ公演時など東宝系の映画館を使いライブ中継が出来る
する事だ。
その昔は、大劇場のロビーにテレビセットを置いて入場できない
ファンの為に見せていた。それが今やライブ中継の時代で
高額の料金を取るが満席になる。

かっては劇団四季という一つ別の大看板を掲げていたのだが
次第にその格差が感じられなくなってきたのだ。
その一つは劇団四季に今いれば経験豊か芝居ができるだろう
人材が居ないのも原因の一つだろう。
居れば演技指導もできたはずだ。

今、五輪が様変わりするように劇団四季もストレート劇創作劇が作れ
劇団の演出家が育つまでは外部から招いてその間にノウハウを身に着け
当面は劇団稽古場でストレート芝居をアトリエ公演として行い演技指導者を
招いて強化することが大切だろう。
宝塚歌劇団も生徒育成室なる物つくり生徒の演技育成をはかるそうだ。
宝塚歌劇団で欠落しているのは生徒に芝居を教える人がいない事だ。

かっては宝塚歌劇の演出家の植田紳爾さんは和洋物をわきまえたOGに
演技指導という役割を与えて生徒に刀の差し方、ハカマのさばき方
演技の仕方を教えていた。
演出家に出来ない部分は演技者に指導を任せればいい、それでいい作品
良い演技者が生まれればいう事なしだ。

好感度は勿論、今回はロイヤルテイ部分も劇団四季を抜いて宝塚歌劇団が
1位になった事は劇団四季に至急発想の転換が求められる時が迫っていると言える。
劇団四季創立時代から見てきているものとしては本来の魅力ある舞台を見せてほしい。

ジャーナリスト 宮田達夫<2018年11月29日>


                    トップページへ戻る





                ちゅー太の公演劇評


              
 宝塚歌劇団 雪組公演 「ファントム」


         脚本 アーサー・コピット 作詞・作曲モーリー・イエストン 脚色・演出 中村一徳 翻訳青鹿宏二
         照明 勝柴次朗 振付 KAZUMI-BOY 鈴懸三由岐 衣装監修 任田幾英 衣装 加藤真美


2018年日本版顧客満足度指数で2年連続1位に宝塚歌劇団がなった。
久しく見てなかった宝塚歌劇特に今回は4度目になる(ファントム)公演なので
観劇した。

演出は宝塚歌劇団の演出歴は最古参になる中村一徳。
どちらかというとショウ作家だ。
今回はファントムが4回目なので映像も使い舞台を作りたいと歌劇の座談会で話していた。

幕開けから映像で入り舞台奥のファントム役の望海風斗が現れる。
クリステイーヌ役は真彩希帆、ファントムはオペラ座の地下に住む怪人だ。
この怪人の父親が実は元オペラ座の支配人という筋道。

舞台の進行は劇団四季公演の、オペラ座の怪人の様に
ファントムがクリステイー^ヌに歌を教えるとこから始まる。
歌える雪組の公演、特に望海がファントムを、クリステイーヌを真彩が
演じるとあって切符は売り切れ、連日立見という人気、しかも若い二人ずれの
姿がやたらに目についた。

振付はKAZUMI-BOYと鈴懸三由岐、鈴懸は入団当初からダンスでは秀でていた生徒だった。

芝居の中で使われるダンス場面で彼女の振付は大勢口でも、まとまりが良く
芝居の邪魔にもならないで宝塚のファントムという雰囲気に合致していた。

特に芝居終わりのフィナーレでロケット、トップ二人のダンス、大階段から
降りてくる男役だけのダンスといずれも宝塚に相応しい迫力を感じさせた。

ファントムで目についたのは銀橋で演じるファントムと下級生の彩風咲奈演じる
実はファントムの父だという事をファントムに知らせる場面は彩風が見事に演じきり
涙を誘う場面となるだけに素晴らしい。

ファントムの望海は女性ファンには、女なのにそこからにじみ出る中性的
男を感じさせる男役、クリステイーヌは可憐さを感じさせる娘役で、共に
歌唱力は素晴らしいだけに、この演目はこれからも宝塚の主演目となるだろう。

照明は勝柴次朗で紫色の明かりの中で真っ白なスポットを使うなど
物語の神秘性に照明が更に宝塚歌劇の舞台の雰囲気を創りだしていた。
流石照明家の吉井澄雄の流れを受けてきた人だ。

演出の中村一徳がこれだけの舞台を創りだせるのも長年のショウの舞台を
作ってきた結果と言えるだろう。
彼の初舞台から見てきているだけに、今回のファントムは見事な舞台と言える。
ついでに言うと1幕の終わりはファントムが船にクリステイーヌを乗せた所で幕。
2幕は船に乗ったままで幕が開くという所と、映像が舞台の照明と上手くあい
効果的に使われたことだ。

いずれにしてもカルロッタ役の舞咲リンも雰囲気を上手に演じていたのを始め
雪組全員がしっかり演じていたのがいい。


観劇 2018年11月24日 宝塚大劇場 1回15列21番 8300円 <ちゅー太>



                 トップページへ戻る



                       ミュージカル「ロマーレ」
                                Romale
                        〜ロマを生き抜いた女カルメン〜


演出・振付 謝珠栄  台本・作詞 高橋知伽江 原作 小手伸也
音楽監督・作曲 玉麻尚一

カルメン 花總まり  ドン・ホセ 松下優也  スニーガ 伊礼彼方 ガルシア KENTARO
ローレンス 太田基裕  ジャン 福井晶一  老人 団 時朗


この芝居を観劇する前にプログラムに書かれている演出振付の謝珠栄さんと

台本作詞の高橋知伽江さんの2つの文章に興味をいだいた。

謝さんはプログラムに「日本に生まれ育った私の国籍は台湾である。
両親が
亡くなり、今、私は日本人としての国籍取得を申請している。
私が幼いころの日本は現在のようなグローバルな社会ではなく
私の日本滞在の証明には指紋が取られ幼心に嫌な気分になったものだった」と。

高橋知伽江さんは「カルメンの女性としての苦しみや葛藤に光を当てると同時に
差別を背負って生きる重い宿命という影の分部に踏み込んだのが、
本作の演出家、謝珠栄先生です。既成概念にとらわれ惑わされず
カルメンの真実に迫っていく…そう、本作の語り手であるジャン・メシャールは
私の頭の中では謝先生です。略

謝先生の熱いお話をうかがいながら台本を書いては書き直し…略」とある。

これから見ても女性の目から見て作り上げたというロマーレのカルメンのイメージは
謝演出家の幼心の嫌な気分になったと言う当時の思いが、
かぶせられているのではないだろうか。

ジャン演じる福井昌一さんと老人を演じる団時朗さんが狂言回し的な役割を演じているが
老人とジャンとの台詞の掛け合いがかみ合わない為、
説明的になり1幕を判りにくくしている。

しかし、そこがプログラムにあるように演出の謝さんがジャンを自分の写し絵に、
そこで自身の考えを打ち出したかったのでは。
それだけに高橋さんが謝さんの熱い話を聞いて書いては書き直しての、
その台詞をジャンが老人の台詞を上手く受け取れなく舞台は進行したため
物語を複雑にしてしまった感がある。

カルメン演じる花總まりさんは、従来の燃え上がるようなイメージのカルメンでなく
楚々たる感じの中から炎がほとばしる感じのカルメン像を創り出して
男たちを翻弄させていく歌も踊りもロマ、ジプシーの多情感を上手く表現していた。

余談だが、花總まりさんが25年前、宝塚音楽学校での文化祭公演の稽古の時
当時の田邊校長から、この本科生の中で誰が将来トップになるかと聞かれて
花總さんの名前をあげた記憶がある。

そして今なお、こうして存在感を舞台で出し切る事ができるのは立派だ。

ところで花總さん演じるカルメンとホセ演じる松下優也の芝居が
カルメンの楚々たる感じの中からほとばしるカルメンの台詞を受け切れないまま
舞台は進行するので舞台が断片的になる感じを受け、
カルメンを引き立たせることが出来ていなかった。

矢張り、台詞の受け渡しがいかに重要か、演技の仕方と表現方法を学んでほしい。

謝さんの心の中にいだく幼いころに抱いた嫌な気分と
ロマの放浪民族が受けた偏見と差別、そこにいるカルメン、
かなり台本にそれを求めたのではないだろうか?
台本では、そのあたりの表現の仕方に苦労したと思う。

それと共に、演出家が抱く諸々の感情をカルメンに求めすぎてしまったのでないだろうか?

ミュージカルだけに歌えて芝居が必要なのだが、この両方が出演者に不足しているため
折角の台本も歌も活かせていなかった。
舞台では台本を活かすも殺すも役者なのだ。

最近のこうした舞台は、宝塚歌劇、劇団四季、2.5次元それぞれの世界からの
人たちの寄り合い所帯で演じるだけに舞台演技力、歌唱力他がアンバランスとなり、
統一性に欠ける傾向にあるのではと危惧する。
個人個人で舞台を演じてしまうのが今の舞台から感じられる。

観劇 2018年3月22日 シアタードラマシティ 13時公演 ちゅー太


                     トップページへ戻る