ハワイの近況<2017年>


ハワイのホノルルに作家の「陳舜臣文庫」と「タカラヅカ レビューライブラリー」を
ボランティアで1998年創設して20年になる。
毎年、この時期には宝塚歌劇のDVD、ブルーレイなどライブラリーに運び込む事にしている。
かつては陳舜臣さんの病後の療養をかねてご一緒だったが、既に御夫妻とも鬼籍へ。


あっという間に昔のハワイの名残り少ない姿は消えてしまった。
カラカウア通りに面してあったインターナショナルマーケットだ。
あの独特な、カラカウア通りから一歩中に入ると、そこはハワイのごちゃまぜ文化が漂っていた。
異空間と言えた。が今はその姿は思い出したくても思い出せない、
コンクリートで出来た高級ショッピングの町に姿を変えてしまった。
インターナショナル マーケットプレースだ。

何十年も間のハワイはホノルル空港に降り立つと、そこにはフラダンサーが待ち受けて
レイをかけてくれて、パイナップルジュースのサービスがあった。
動物園近くのコダックフラショウの所では朝、コダックフラショウが無料で公開されていていたが
コダック60周年でこれも幕を閉じた。
クヒオ通りも一新されて貿易センタービルはホテルに様変わり。
通りりも総て綺麗にされて、若干夜間は治安が悪いとされていたクヒオ通りも
その点では安心できる通りに変化した。
インターナショナルマーケット プレイスの中にはSaks Fifth Avenueもできて
最上階と言っても3階だが、ここはレストラン街になっている。

もう一つ大きな変化はホノルル空港の名前が変わった事だ。
5月30日ホノルル空港でセレモニーが行われて
ダニエル・K イノウエ国際空港に正式に改名された。
故井上上院議員の功績と名誉を称え命名された。

が着陸時の機内のアナウンスはホノルル空港だった。

ホノルル行のデルタ航空のサービスも変わった。年々メニュ―の降下線を感じさせる。
和食が以前は前菜が陶器の容器で運ばれワインを楽しむはずが、
テーブルセンターを敷いたところに、ワンプレートで和食が載せられた。
ご飯とみそ汁の容器は昔で言えばベークライト何の色合いもない黒だ。

三か月ごとにメニューは変わるが、内容は町中の安い和食というか
食堂で一品づずつ取り寄せたような内容みたいと感じた。
豚のやわらか煮とか大根煮たものとか、デルタは日航より和食は優れLと思っていたが
意外の質低下を感じた。

かっては食事後はワゴンサービスでケーキ果物がそしてコーヒー、コニャックが出たが今は無い。
理由をいろいろと調べたが今の客は乗るとすぐに寝てしまう、つまり旅の楽しみ方を知らない。
では早々に食事を出してしまうのが逆にサービスにという考えになったようだ。
つまり乗客ここがサービスを要としないのでいう事だ。
折角の旅の楽しむ権利を放棄しているのと同じだ。

最も今の若い人たちは機内での楽しみ方も知らないまま育っているし、知ろうともしない。
眠ったまま日本からハワイへ否、日本へ向っているのだ。
楽しめた機内販売の免税品もデルタはない。
理由をいろいろと聞き探ると、デルタは機内免税品販売はそれ専門の人がしていたと思うが、
どうも使い込みがあり、それが理由で再開しないようだ。
再開してほしい。
機内でないと買えない品があったし、それを買うのが楽しみだった。

デルタ航空自体、危機感を感じているのか搭乗後イーメイルで細かいアンケートが来た。
アンケートの公開もしてほしい。

アメリカは入国に際して80歳を過ぎていると写真指紋は免除とあったが、現実には素通りだった。
きわめて楽。
しかし、荷物持ち外に出る時は今までは申告書を渡すだけであったが一人一人チェックを。
やはりトランプ政権の雰囲気を感じさせられた。

そういえばESTA申請も以前はインターネットですぐ取れたのが今は72時間かかる。
訪れる少し前にハワイは大潮高潮に見舞われた。
海岸線を見ると以前より大きく浸食されている。
特にリーフホテルのショワーバードの前は目の前まで浸食されて、
砂の盛り砂が堤防の様に積み上げられていた。

ピーチパラソルを立てて商売していた人も場所を浸食されたので他の場所へ移動していた。
カラカウワ通りに面したショピングプラザの地下がワイキキ横丁という名前に変わり
名前の通りの、いろいろの店が横丁風に設けられていた。

ここに東京の日本橋で並んでも食べるという天丼の店半之助という店があり、
ここだけは、いつも繁盛、レギュラーが9ドル95セント、シュリンプが12ドル余り、
さらに上もあるが、此れだとエビが4つと小柱あげ、のりなどついていてかなりの量だ。

 レギュラーサイズ


隣で食べていた日本から夫婦の観光客が「東京で食べれなかったからよかったね」
と会話が聞こえた。
支払いは勿論サービス料のほかチップが15%はいる。

聞く所、ここで働いていたアルバイトの日本人が皆観光ビザだったので、
移民局が入り摘発され人手が足りないという。
ここにおにぎり屋があり、とめどなくおにぎりを握っているが
横から2ドル50セントのおにぎりが売れるのが妙に思えた。

ふと昔テレビで放映されていた「此処はハワイ、日本じゃないよ」を思い出した。
今の50代60台あたりはハワイへ来ても気持ちは日本と感じているみたいで
ホテルでもフロントにいる日本語の彼らにスタッフに向かって「ただいま」という所が
妙に此処は外国日本じゃないよを感じさせられる。

もう少しそのあたりの感覚を意識した日本人になってほしいね。

ワイキキの異空間と言われる、ザ ブレーカーズホテルは相も変わらず
夏休みで来たアメリカ人家族がプールサイドで食事をして楽しんでいる。
それがこのホテルの長年の魅力で、じっと見つめているのがジェネラルマネージャーのエセルさんだ。

 ジェネラルマネージャーのエセルさん


ブレーカーズホテルに泊まると、もうほかのホテルには泊まれない不思議な魅力あるホテルだ。
理由は異空間ホテルとホテルのスタッフのファミリー的雰囲気だろう。

その昔は、大きなタコノキが魅力売りだったが朽ちてしまい切り倒された。

私も数年前にプールサイドバー喰海と名付けて、ここで夕暮れからそよ風に吹かれて
ワインを楽しんでいると俗世界を忘れさせてくれる異空間だ。サスペンデット!

私がここに到着するとハワイの友人たちが持ち寄りで集合して、
楽しいプルサイドでの宴が始まるのだ。

此処には、長年慣れ親しんだ猫が二匹居る。
茶色色の方はMaile(マイリー)180ポンドある。年齢は10歳。
慣れ親しんでいて、少々のことでは動じない。
ハワイにクレージーシャツというのがあるが、そこの柄の猫に良く似ている。

  Maile(マイリー)


もう一匹はWhitey(ホワイティ)3歳だ。こちらはいささかおびえ気味の性格だ。
ホテルのゲストに可愛がられている。

 Whitey(ホワイティ)


日立の木で有名のあの木何の木を見たいという人がいて見学に、モアナルア・ガーデンにある。
木の種類はモンキーポッド高さは25メートル、最大枝幅は40メートル、
俗称はアメリカネム又はサマンの木で入場料は3ドルだ。
結構観光客が見に来ていた。因みに木は日立が購入している。

そう言えばバスの値段が2ドル30セントから2ドル45セントに値上げとか。

ピンクホテルのロビーにパン売り場が誕生した。
結構繁盛しているが、なにか、昔のダイエーを思い出した。
ゆとりの場所がどんどん浸食されていく。
此処にヘレンという素敵な店と素敵な経営者の夫人がいたのはもう昔話か?

 故ヘレン


外に出るとパナマハットの店NEWTニュートがある。
此処に元海軍のジムという男がいる。
頭も髭も今は真っ白だが数年前までは白くなかった。
もっと若いころの写真を見るとアランドロン風の風貌だ。
彼とも長いお付き合いだ。
店の中には、パナマハットを購入した人の購入した人の写真が貼り出してある。

 パナマハットの店NEWT(中央がジム)


ハワイの景気?お店の人に聞くと決していいとは言わない。
お金を落とす人が少なくなってきたという。
GALLERIAをのぞくとバーゲンの真っ最中だ。
30%引き、中にはこれ言更に2つ買うと20%引くという店もある。

ハワイは特に野菜が高い。キャベツ半分で2ドル強だ。
中国人、韓国人の観光客が目立つようになった。
免税店やブランド店はこの人たちで賑わうようだ。

ヌアヌに行く途中にある天地文庫、この中に私がボランティアで1998年に創設した
「陳舜臣文庫」と「タカラヅカ レビューライブリー」。
今年で20年、今では陳舜臣文庫は400点以上の蔵書が、
タカラヅカ レビューライブラリーはVHSやDVD含めると1000点を超える。
DVDに関しては阪急電鉄の大橋太朗相談役のご協力のお蔭が大きい。
何時もドネーションして頂き私が運んでくる。

今回は、DVD、ブルーレイなど大量に持参。
ハワイではブルーレイが見られないのでタカラヅカ レビューライブラリーに
ブルーレイが見られるポータブルの再生機を毎日放送の松島裕治さんのご協力を得て寄贈した。

此処の館長にも美馬さんが就任。
従来ここを総括面倒を見ている岡田法夫さんレナさんのお陰で
会員1500人、来館者1日50〜60人という。
1998年頃は1日数人という有様だった。

 

岡田さん(左) 美馬館長(中央)     右から二人目が山中庁長


カエルハにあるBAZZ'Sといステーキ店に、昔は現金商売の店もカードが使えるように
オバマ前大統領がハワイに来たときは必ず来る店だそうだ。

そう言えば、数十年前からリーフホテルのショワーバードで働いている、本人が言うには
ポルトガル他4か国混血というジュリアという女性が結婚したのかと思いきや、
そうでなく女の子を産んだと言って、また働いているのに再会した。

 ジュリア


ハワイの楽園は変わりないが、それは青い空と青い海それと心地よいそよ風だけになるかもしれない。

ハワイの変化は続いています。ドン・キホーテがタイムスを買収、すでにマルカイも買収しています。
何十年か前には、ハワイで暮らそう年金でという言葉が流行りました。
今のハワイは住みにくいそうです。平均収入が40030ドル日本円で
444万円です。全米で10位だそうです。
しかし税率は全米3位の高さ、生活費はアメリカの66%高いそうで7年連続最下位だそうです。

そう言えば街路樹の根元のグリーンが人工芝に、そして自転車のレンタルが
始まりました、
BIKIというそうで自転車のBIKEとハワイ語の早いWIKIの造成語です。
とにかく、ここはハワイ、日本じゃないよの言葉を忘れないように。

世界何処に行っても昔の良さは求めらえない時代になりました。


                    トップページへ戻る