第十四試合・外伝 マイアー 対 ヒエン 『if』 担当MS:チアキ |
−リプレイ− |
午前十時四十分。 マイアー・オクスタンの敗北が決定した。 試合開始時刻より十分の経過した現在、試合会場の白砂は依然その白薄さを保ったまま。 だが、それでも。 マイアー・オクスタンの敗北は決定された。 観客たる百旅団長たちも、突然の通達に動揺を隠せなかった。 試合による敗北ならば解る。しかし当の試合はまだ行われていない。それどころか両選手がまだ試合会場に見えていないというのに。 第十三試合は終わりを迎えてしまった。 果たして第十三試合前に何が起きたのか。 何故、マイアーは負けねばならなかったのか。 その謎を紐解くには数日前に遡る必要がある。 ◆担当女教師の証言 その1◆ 「彼――マイヤー君はとても良い生徒でした。そう、あの日までは・・・」 ●学舎狂華 彼女に会ったのは2年に進級した時だった。 この学園に新しく赴任してきた教師として、僕のいる教室に配属されて。 新規配属されてきた教師が、受験を控えた2年生の担任に配属されるのはおかしいと考える人もいる事だが、この学園の特色を考えればそうでもなかった。 この学園はやる気が無かった。 生徒全てが、である。 生徒たちには向上心という物が無く、今やっている事が出来ていれば良し、と考える者が大多数だった。 その後の進路に付いても、今の自分が行ける無難なところを目指すという者が大半を占めていた。 それでいて学校全体の成績レベルも低くもないのだからタチが悪い。 向上心が無い空間にいると人はどうなるか。 答えは簡単。心が死んでいくのだ。 その空気は生徒たちではなく、やがて教師にも広まっていく。 最初は80年代ドラマよろしく、熱血に溢れる教師などが現れて生徒たちと交流を深めようとしたが、逆にやる気の無い生徒に感化され、教師たちも次第に何も言わなくなった。 成績は悪くない。素行も悪くない。就職率も進学率もそこそこの数値を出している。 だが、やる気がない。 そんな特色を持った学園だった。 そんなのだから新任教師が現れる事も珍しくない。 学園側の目論見として性根を入れ替えるため、2年生を担当させると言う事もこの学園ならばこそだった。 教師の入れ替えなど何度もあった。 今回の教師も同じだろうと僕は心の中で思った。 だから、その教師が挨拶をしていても、僕は机に突っ伏して寝たままでいた。 教師が自己紹介しているがそんなもの意味はない。 どうせこの教師もやる気溢れているのは、今だけなのだから。 くだらない自己紹介をBGMに、心地よい惰眠が僕の身体を犯していた。その快楽に身を任せ、僕は深い眠りへと落ちていく。 と、そのとき子守歌が急に止まった。 眠りに落ちる直前での寸止めだったので、僕は少しばかり不機嫌になった。 だがどうでもいい。ここまで来たのならばあとは自分だけで眠れる。意識を更に落とそうとしたとき、僕の頭は持ち上げられた。 パンッ!! 甲高い音が教室に響いた。 僕には何が起こったのか解らなかった。その内、ジンジンと左頬が痺れていく感覚に、左頬が打たれたのだと理解した。 その女は振りきった右手を腰にあて、微笑んだ。 「先生の話はちゃんと聞きましょうね」 それが、僕とヒエン先生の出会いだった。 叩かれた頬も張りつめた空気もそのままに、僕は教室を出て街を歩いていた。 目的はない。ただ、あの教室に居るべきではない、と感じたのだ。 叩かれた音が響いた瞬間のクラスメイトの顔が滑稽だった。 普段大人しい僕だが、実は結構武闘派で通っていたりする。 ムカつく奴はそれこそ血の海に沈めたし、二度と街を歩けなくした奴も数え切れないほどいる。 クラスメイトたちはそれを知っていたからこそ、あの教師の行動と、それから起こるであろう惨劇を想像したのだろう。 だが、僕は何もせずに教室を出た。 だからクラスメイトたちはまるでハトが豆鉄砲を喰らった様な顔をしていたのだ。 しかしその行動が何より意外と思っていたのは他でもない、僕だった。 今までは手を出されたなら女子供問わず、人生を後悔させてきた。 例え先輩でも遠慮無くボッコしてきた。 でも、僕は何もしなかった。 腹が立たなかった。 その代わり、胸の奥が詰まったように圧迫されて気持ち悪い。 こんな事は初めてで、自分でもこの感覚が良くわからなかった。だから、教室を出た。気持ちを整理するために。 目的もなく街をぶらついてみたが特に進展も無し。 それもそうだろう。考えも無しに歩いたところでこの気持ちが解るわけもない。 太陽が真上に昇ろうとした時、普段は来ない街の広場まで来てしまっていた。 休み無く歩いて疲れていた事もあり、僕は広場のベンチに座り込む。 喧騒が響く広場を行き交う人をぼうっと見つめる。 何が楽しいのかニコニコしている人。手品の腕前を見せるピエロ。歌を歌う女。屋台を出す熟女。 客も店も様々な人が行き交うそれを見ても、どうとも思わない。いつも通りだ。 つまり、先の女教師と会った時に感じた不思議な感覚。 アレは特に、僕の考えが変わった為に発生したものと言う事は無いわけだ。 益々わからない。僕はどうしたんだろう? 椅子に座ったまま太陽を直視しないよう、天を仰ぐ。 胸の奥だけ、詰まったような感覚のままだ。 「お兄さん、一曲いかが?」 不意に、僕に声をかけてきた女がいた。 先程歌っていた女だろうか?天を仰いでいた僕はその女の方を見るのも面倒なので、そのままの姿勢で答えた。 「いや、別にいい」 ぶっきらぼうに、だが声質だけは低く。ドスが聞いた声。大抵の人はこの声を聞いただけでそそくさと逃げ出していく。断りの上等な手段だ。面倒な事はしたくない。 「そう言わずに。ね、一曲どう?」 予想外な事に女は立ち去らなかった。それどころか尚もセールスしてくる。 僕はもう何も答えなかった。そうすれば女は勝手に去るだろう。 「ね、一曲どう?・・・んー、わかったわ。私もここで歌い始めたばかりだし、お兄さんには一曲サービスしてあげる!」 そう言うと僕の返事も待たずに女は勝手に歌い出した。 立ち去ろうかとも思ったが、この女の為に動くのも面倒臭い。僕は天を仰いだまま目を閉じた。歌いたいなら勝手に歌わせれば良い。そんな思いで。 熱心に聴くわけでも頑なに聴かないわけでもなく、僕は女の歌に耳を傾けていた。 女の歌は何処か他の地方の歌なのだろうか。 聞いた事も無いメロディで、楽しげで、寂しげで、どことなく・・・儚かった。 女の歌を聴きながら何故か僕の脳裏には、あの女教師の顔が思い出されていた。 春を迎えたばかりの風が、痺れた頬にツンと滲みた。 ◆担当女教師の証言 その2◆ 「でも、決して根っからの悪、と言うわけではないんですよ。クラスメイトの事を真剣に考えていますし・・・それに、私が勧めたクラス委員も率先して務めていました。だから本当は、良い子なのかも知れません・・・」 ●狂気 クラス委員の仕事は嫌いだった。 クラスメイトなんてどうでもいいし、このクラスがどうなろうと僕には関係ない。内申点がついて進学に便利だから。だからやっていたに過ぎない。 決してあの女教師の勧めだから、ではなく。 4月の赴任以来、女教師―――ヒエン先生は何かと僕に接するようにしてきていた。 それは端から見ても明らかで、クラスメイトも「遂に目をつけられたか」的な目で僕を見てきた。 それもそうだろう。 発言は殆ど無いが、このクラスは僕を中心に動いている。誰もが僕の機嫌を伺い、僕の言葉一つでみんなが動く。まさに僕はクラスの頭だった。 ヒエン先生はそれを突き止めた。今まで他の教師が全く検討も付かなかったというのに。 みんなからしてみればヒエン先生の行動は、クラスの頭をマークする行動に見えただろう。 まぁそれも含んでいるだろうか・・・実際の所、ヒエン先生は押さえつけるような事はしなかった。 僕にクラス委員にならないかと持ちかけ、僕も内申点を得るために承諾。ヒエン先生は様々な手伝いを僕にさせる。そして僕はそれに答える事により、内申点を得る。 唯単に、二人の利害が一致しただけだ。 それ以外には、何も、無い。 ある日、ヒエン先生が新しい話を持ちかけてきた。 「マイヤー君、生徒会に興味ないかしら?」 「・・・生徒会、ですか。さぁ、どうでしょう」 正直僕にはどうでも良かった。生徒会なんて。 「先生ね、マイヤー君にはピッタリだと思うの。責任感あるし、包容力もある。何より・・・上に立つ者の気品もあるしね」 先生は嬉しそうに語った。なんだか僕まで気恥ずかしくなる気がする。 「先生、マイヤー君を生徒会長に推薦しようと思うんだけど、どうかしら?」 生徒会長に推薦。つまり彼女は、この学校を統治しろ、と。この、学園、を。 「いいんじゃないですか?」 僕は二つ返事で答えた。他人事の様に。 でも先生はとても喜んでいた。 「マイヤー君ならきっと生徒会長になれるわ。きっと、この学園を変えられる気がするの!」 先生は、とてもとても、喜んでいた。 僕は街の広場にいた。 ヒエン先生と初めて会ったあの日以来、先生との仕事を終えた後はこのベンチでゆっくりする事が習慣となっていた。 天を仰ぎながら先生の言った言葉を反芻する。 先生は言った。「生徒会長に推薦しようと思う」と。 この、僕に。先生が。 頬が歪む。鋭く歪に。 ヒエン先生の言葉が頭の中を駆け回り、渦巻き、解け染み込む。 先生の言葉が僕の中を満たしていた。 「お兄さん、一曲いかが?」 不意に声をかけられた。その声には聞き覚えがあった。ヒエン先生と会ったあの日、この広場で頼みもしないのに歌を歌ったあの歌売り。 「お兄さん、今日は良い事会ったみたいね。ちょっと微笑んでるみたいに見えるわ」 「微笑んでいる?」 言われて気付く。この頬の歪み、胸の奥から沸き上がる感覚。これが・・・微笑んでいる、なのか 「ああ、そうか。そうだね」 僕は、微笑んでいるんだ。 何故微笑んでいるのだろう。ヒエン先生にあんな事を言われたから?先生に、生徒会長に推薦されたから? ・・・そうかもしれない。 だからきっと、僕は微笑んでいるんだ。 ・・・僕の心とは裏腹に。 どうしてこんな事を考えるようになったのだろう。去年の今頃はこんな事を考えなかった。 一体僕にどんな変化があったというのか。今年に入ってからの僕はおかしい。今まで決して感情を出さず、昆虫の様に生きてきたのに。 変化の要因はヒエン先生だろうか。彼女に会ってから、僕の心に変化があったと思う。 きっと、ヒエン先生が僕の心を・・・。 「そう。じゃあお祝いに一曲、プレゼントしてあげる」 思考の海に潜っていた僕は、歌売りから話しかけられていた事も忘れていたらしい。 彼女は僕にお祝いだと、歌を歌い出した。 ヒエン先生と初めて会ったあの日に、聞いた歌を。 あの後調べてみても結局なんの歌か解らなかったこの歌。 聞いた事も無いメロディで、楽しげで、寂しげで、どことなく・・・儚い歌。 歌に身体を預けていると、またもやヒエン先生の事が思い出された。 ヒエン先生の事が思い出されたから、僕はようやくわかったんだ。この心の変化の原因を。 ヒエン先生に会ったのは発端に過ぎない。 先生に会った後、あの歌を聴いた時に、それまでの僕の心はうち砕かれたんだ。 あの歌を聴いて――― それから僕の中で、ヒエン先生の事が渦巻いているんだ。 いつもいつも。先生が渦巻いているんだ。 怒る姿が美しい先生。スラリとした肢体が輝いている先生。仄かに、はにかむ笑顔が可愛らしい先生。 様々な先生の姿が、彼女の歌に乗り思い出され―――いや、引き出される。心の奥から。 そして僕は反芻する。先生への感情を。想いを。欲求を。 ああ、そうか。 だから僕は たいんだ。 頭の中を先生が駆け回る。意味はわからない。考えられない。 聴こえてくる歌に身を任せすぎて、思考がはっきりしなくなっている。 どうしてだろう?良くわからないや。 でもこの身を任せる感覚は、とてもとても気持ちが良い。 頭を駆け回る言葉も気にならなくなるくらい。この言葉が僕の心に喰らいつき、浸食してこようとも気にならない。 だから僕は、今このとき、敢えてどうでも良い事を歌う彼女へ問いかけた。 「そう言えば、君はまだここで歌っていたんだね」 「私はいつでも、何処でも歌っているわ。だって・・・私は何処にでも居て、何処にも居ないのですから」 急に声のトーンが鋭くなった気がした。 その急な変化に僕の心は驚いた・・・気がするが、もうどうでも良かった。 この歌を聴いているだけで。心が洗われて、全く違う自分が現れる様な感じがしているのだから。 心の奥底の、僕の原初とも言うべき。素晴らしい自分が。 彼女の歌は古い僕を粉微塵にうち砕き、新しい僕を引き出してくれた。 純粋でどす黒い、僕を。 ●選挙は血が舞う 選挙に受からなければならない。 だって先生が勧めてくれたんだ。 圧倒的大差で打ち勝たなければならない。 だって先生が認めたんだ。 必ず生徒会長にならなければならない。 例え―――どんな手を使っても。 「あら、今帰り?」 うん、そうだよ。 「随分早いのね。・・・余裕の表れ?」 そんなんじゃないよ。ただ早く帰りたいだけさ。 「ふ〜ん・・・ま、いいわ。そーゆーことにしといてあげる。それにしても君も大変ね。でもそのぶん今度の生徒会長選が楽しみだわ」 ああ、そう言えば君は立候補者だったっけ。 「あら、覚えてなかったの?ひどいわね・・・ええ、そうよ。こう見えても二番人気なんだから!・・・ま、一番は言わないわよ、いやみになるから」 そうだね、一番はもうわかりきってる。 「・・・随分ストレートに言うのね。でもね、今の人気には差があっても、選挙当日にはどうなってるか解らないわ。まだまだ逆転の余地はあるのよ!」 君の言うとおりだ。逆転の余地はある。だから・・・今の内に手を打たないとね。 「・・・え?」 一人の生徒が階段から転げ落ちた。 幸い命に別状はなく、足の骨と腰を悪くする程度で済んだのだが、それでも数週間の入院を余儀なくされる事となった。 本人が階段を下りている最中、足をかけた段が老朽化しており崩れ落ちるという災難だった。学校側も比を認め生徒に多額の治療費を払う事となる。 何処の学校にもありえる他愛もない事故だった。何処にでもある不幸な事故。 その生徒が生徒会長に立候補している点を除いては。 「やあ、どうしたんだい?こんなところに呼び出して」 済まないね、忙しいのに来てもらって。 「気にするなよ。他ならぬお前からの呼び出しだ。対応しておいて損はなさそうじゃないか?」 ははは。・・・まぁ、話というのは今度の生徒会長選の事なんだ。 「・・・少し歩こうか」 うん。僕もそのつもりだよ。 「彼女は・・・不幸だったな。折角の二番人気だったのに」 無理をすれば選挙にも出られたみたいだけどね。でもしなかった。 「どうしてだろうな?」 さぁ?僕に言われても。 「・・・そういやそうだな。いや、スマン。お前なら何となくわかると思っちまった」 そう?・・・そうだね。 「選挙で負けるならともかく、戦う前に負けるってのは辛いよなぁ」 そうだね。君も気をつけて。・・・特に車には、ね。 一人の生徒が交通事故にあった。 幸い命に別状はなく、腕と肋骨を悪くする程度で済んだのだが、それでも2ヶ月程の入院を余儀なくされる事となった。 見晴らしのよい横断歩道を渡っている最中、突如飛び込んできた車に跳ねとばされた。運転手は飲酒運転だった。 何処の学校にもありえる他愛もない事故だった。何処にでもある不幸な事故。 その生徒が生徒会長に立候補している点を除いては。 「やあ」 お久しぶりです。 「聞いたかい、例の話」 生徒会長へ立候補している者に不幸が続いている、というアレですか? 「うむ、そうだ。全く自衛団は何を・・・おっと失礼。君の友人が自衛団所属だったな。うむ・・・ま、まぁお互い気をつけようじゃないか」 ええ、そうですね。気をつけましょう。選挙まであと1週間ですから。それじゃあ。 「ああ、気をつけて」 僕の目の前をゆっくりと。 無防備に歩く。 危ないな。そんな無防備に歩いていたら。 今、生徒会立候補者たちは原因不明の怪我や不幸な事故が続いていると話していたばかりじゃないか。もし何かあったらどうするんだい? あの十字路から今にも飛び出してくるかもしれないのに。上から石が落下してくるかも知れないのに。 後ろから、通り魔に刺されてしまうかもしれないのに。 一人の生徒が通り魔に襲われた。 意識不明の重傷だという。 犯人は依然捕まっておらず、官憲による警戒態勢が地域には展開されていた。 何処の地域でもあり得る悲しい事件だった。何処にでもある不幸な事故。 その生徒は生徒会長に立候補している点を除いては。 ●疑惑 「恐ろしい事件ですね。マイヤー君、大丈夫?」 今月に入って青春学園では事件が多発していた。階段崩れ事件、交通事故、そして通り魔による刺傷事件。いずれも学園内及び近辺で起こっている。被害はいずれも生徒。教師たるヒエンがマイアーを心配するのは仕方がない事といえた。 そのヒエンの問いにマイアーは「大丈夫ですよ」とだけ答えると選挙事務所から出て行く。この後3−B教室でインタビューの予定が入っていたからだ。 ヒエンがマイアーを心配する理由は他にもあった。 彼が生徒会長に立候補しているから。 事故・事件にあった生徒たちは皆、彼と同じ生徒会長に立候補していた。 これが全く別の時期に起こっていたならば問題にもならなかったであろう。しかし、タイミングが重なってしまった。生徒会立候補という、このタイミングで。 単なる偶然なのか、それとも魔術めいたものなのか。考えるだけでヒエンは不安になった。マイヤーには立派になってもらいたい。その教師の確固たる思いが、今のヒエンの躍動源なのだ。 そう考えると居ても立ってもいられなくなり、ヒエンはマイアーの選挙事務所から飛び出した。 彼の何気ない姿を見れば安心できる。自分はただ不幸な事件の連続に、不安になっているだけなのだ。そうに違いない。ただの偶然の事故に。 そう、偶然。きっともう起きない。だってそうじゃないか?5人中3人が事故にあっただけだ。そんな偶然が。 ―――いや、いい加減自分を騙すのを止めよう。今自分が言ったじゃないか。5人に3人が事故にあっているのだ。もしこれが人為的なものだとしたならば、残り2人が危なくないなどと何故言える? 私は急ぐべきなのだ。マイヤー君の元へ。 負傷者の様子がとても気になっていた。 見舞いに行ったときのあの怯えよう。一緒に行った教師に対する―――いや、金髪に対する畏怖の感情。 彼らは金色の髪を恐れていた。 金色、といわれ、私には一人しか思い浮かばなかった。 彼らが恐れる可能性がある対象―――マイヤー君。 出来ればそんな考えを持ちたくなった。だが一度考えてしまうと止まらない。何度も考えてしまう。 だから私は、彼の安全な姿を確認したかったのだ。 絹を引き裂くような声が聞こえた。 誰か女生徒が発したものだろうか。恐らくその現場を目撃してしまったのだろう。私も見てしまった。ちょうど進行方向だったために。 校舎のすぐ近くを歩いていた生徒の上に花瓶が落ちてきたのだ。花瓶は生徒の頭を直撃し、生徒はそのまま倒れこんだ。 生徒は、生徒会長に立候補していた。 花瓶という凶器に襲われた。 ガラス製に加え高度・速度が加わればそれは十分人を殺しうる。落下物が直撃しても事故というには曖昧で、狙いというには不確かだった。 しかし、確かにいえることがある。何者かが落ちる前の花瓶の近くにいた、という事。落下位置から考えるに右から二連目。速度を考慮すれば三階以上。となると――― 私は位置を確認し、すぐさま走り出した。疾風の如き速度で。 見てしまった。見たくなかったものを。居ていないで欲しいと思った者を。 花瓶が落ちてきた真上・四階、3−B教室。その場所に。 マイヤー君の姿を。 ● ヒエン先生に見られた? ・・・かもしれない。だけど、気にする必要も無い。だって先生は・・・僕を信頼しているから。 だから僕は―――いつも通りしていれば良いんだ。 ●乖離 階段を駆け上る。マイヤー君のいる四階まで早急に行かねば。先ほど目が合った気がする。彼はその場を移動してしまうかもしれない。そうなっては詰問できない。急ぐ。急ぐ。飛ぶが如く。 途中速度を出しすぎたためか、三階の踊り場で降りてきた男子生徒とぶつかってしまった。 「痛っ!」 男子生徒は勢いに負け尻餅をついてしまった。 「ああ、ごめんなさいリオン君大丈夫?先生、ちょっと急いでたの。本当、ごめんなさいね」 ぶつかった生徒は2-B教え子だった。私は謝罪もそこそこに階段を駆け登った。 勢い良くあけた扉の先に、マイヤー君は佇んでいた。 「マイヤー君・・・」 「やあ、先生。どうしたんです?もの凄い勢いで駆け登ってきて」 彼は窓枠に腰掛けるようによしかかり、私の方を見つめてきた。 「解っているでしょう?聡明な君ならば」 「さぁ・・・心当たりがありすぎて、どれの事だかわかりませんね」 ニヤリと笑う彼の顔。普段はクールに見えるその笑いも、今の私には憎たらしい笑みにしか見えなかった。 「ならば率直に伝えます。もうこんな狂行は止めなさい!」 声を荒らげた。普段物静かなヒエンにはありえぬことだった。それ故に言葉の強さが感じられた。 「狂行・・・?狂行ですって?貴方は何を言っているんです?僕はただ、最善を尽くしているだけですよ・・・貴方が進めた、生徒会長になるために、最善を」 今度は彼が声を荒らげる番だった。彼はその目で私を射抜きながら続ける。 「先生、敵は強力なんです。どうしようもないくらい。この学園を纏めようと立ち上がるくらいです。それくらい強力でなければ後が持たないでしょう・・・だからね、先生。僕はもう、手段を選ばない事にしたんです。僕が生徒会長になるためにはどんな手段でも構わず取る!生徒会長になる。目的のためには手段を選ばないようにしたんですよ!!僕は、生徒会長にならなければいけないんです!」 それは彼の、完全なる宣言だったのだろう。彼は完全に―――歪んでいる。 目的の為に手段を選ばなくなり、そして手段の為に目的を忘却してしまった。今の彼にはもう、学園の平和を誓ったマイヤー君では無くなっていた。ただただ、生徒会長になるために動く、狂気そのものだ。 「マイヤー君、貴方は間違っている。生徒会長の立候補を辞退しなさい」 「間違っている、だって?何を言っているんだ先生。僕は先生の教えどおりやってきた。なのになんだ。今更・・・今更何を言ってるんだ!先生こそ変わってしまった。・・・そうだ、変わったのは先生だ!!」 「これだけの事件を起こしておいて何を言っているんです!」 「これっぽっちの事でガタガタ抜かさないで貰いたい!」 睨み付けてくる視線が痛い。視線は怒気を孕み、言葉は狂気を生み出していた。もう、完全に私たちは分かり合えなくなっていた。もう、あの頃には戻れなくなっていた。 私は一旦目を閉じ、再び開けた。深い瞬きをしてみても世界は変わっていなかった。 私はマイヤー君に静かに説く。 「わかりました。ならば―――これから私たちは敵同士となります」 「・・・!!・・・そうですか、わかりました」 そう言うと彼は初めて窓際から移動し、 「今までありがとうございました」 別れの言葉を告げた。 ●崩壊 ヒエン先生と決別することになるなんて。 一体何が悪かったんだろう。僕は、僕は 生徒会長になるためだけに、全力を尽くしてきたのに。 何が、悪かったのだろう。 方法は悪くなかったと思う。生徒会長になるために障害をとき払ったのだから。 じゃあ何が問題だったのだろう? ・・・まだ相手が生きてること、かな?生きているなら立候補するチャンスはある。だったら完全に息を止めないと。そうか、ヒエン先生はそう言いたかったのかもしれない。 だったら僕のすることは一つだけだ。 生徒会長に るために。 ヒエンは独自の包囲網を布いていた。これ以上マイアーに犯罪を起こさせないために。 あれが全てマイアーの手によるもの、という証拠は無い。何一つ―――いや。ヒエンは自分にウソを付いた。 証拠は見つけているのだ。例の生徒会室で。血まみれの刃物が。 恐らく通り魔事件の時に使われたものだろう。あの決別の日、マイアーが出て行った後に生徒会室を家捜ししたのだ。そして出てきた。完全なる証拠が。 しかしヒエンはこれを官憲へ提出する気がなかった。 これを出せば犯人としてマイアーは捕まる、もしくは任意同行を求められるだろう。ヒエンはそれが嫌だった。 決別したとしても教師と教え子。ヒエンの心にはまだ、説得すれば答えてくれるという思いがあった。 そのヒエンは今、自らが発起した自衛団を引き連れ街を見回っていた。正確には街ではなく、マイアーを、だが。 出来れば無実と思いたい。だがそれはもう無理なのだ。ならば確固たる証拠を突きつけ、彼を更生させたい。自主させたい。 ヒエンの教師たる心が突き動かしていた。 ヒエンは第一被害者の病室へ見舞いに来た。もしかしたら狙われるかもしれないという不安から。マイアーを監視しているメンバーからは連絡無し。動いていないようだから恐らく大丈夫だろうが・・・念には念を、である。 しかし病室に入ったヒエンは己の考えの甘さを悔いた。 その場所が地獄絵図と化していたから。 天井は赤く彩られている。 壁も赤く彩られている。 床も、家具も、その部屋の主たる住民も、監視につけていたメンバーも赤く彩られている。 切り裂かれた喉からの出欠により。赤く赤く、彩られていた。 其処に一本の連絡が入る 「・・・なんですって!?第二、第三被害者が・・・殺された!?」 他の被害者の方にも数人の護衛をつけていた。だがその護衛を掻い潜って次々と被害者が殺されてしまった。何たる事か。だがしかし。 「マイヤー君は?マイヤー君はどうです!彼に付けた監視員はどうしたのです!?」 殺された今の時間帯にマイアーの動向が確認できていれば、証拠は固まる。彼には腕利きのメンバーをつけているのだから。その班からの連絡が無いという事はマイアーは動いていな――― 「・・・気絶、させられていた・・・?監視員が、ですか?・・・それじゃあマイアー君は!?マイアー君は・・・」 連絡口で叫ぶヒエン。だが帰ってきた答えは希望を打ち砕くものだった。 マイアー、消息不明。 「残る一人、四人目の彼はどうなのですか!!」 連絡員曰く、まだ無事との事。 「大至急近隣のメンバーを派遣しなさい!私は一旦事務所に戻り、装備を整え次第そちらに向かいます!急ぎなさい!!」 緊急に駆られたヒエンの声が道に響いた。 何てことだろう。最後の被害者だけは、被害者だけは護らねば――― 彼らを殺す事は意外と簡単だった。 急所さえ攻撃してしまえが本当に、あっさりと死んでしまった。 彼らに付いていた監視者たちも。所詮人間だ。急所は皆同じ。攻撃すれば死ぬだけだ。それは誰も変わらない。 ―――今、目の前にいる四人目の被害者も。 護衛も縊り殺した。あとは君を殺すだけだ。ああ、別に泣き叫んでくれても結構。声を張り上げてくれても結構。僕の気は変わらないし動揺もしない。僕はただ、君を殺すだけなのだから。 四人目の彼の首を切り裂いたとき、部屋に男が飛び込んできた。 「・・・やはり君だったのか。もう止めるんだこんなこと!誰も望んでいないんだ!先生だって!」 男はわけのわからない事をいう。先生が望んでいない?そんなことあるものか。 先生が望んだんだ。先生が・・・・・・何を望んだんだっけ? 思い出せないや。だって手が、赤く、染まっているのだから。 僕が考え込んでいると男は飛び掛ってきた。力が強い。僕はあっという間に押さえ込まれてしまった。 「ちくしょう、チクショウ!」 男は泣いていた。何で泣いているんだろう。わからないや。僕にはもう、わからないや。 悲しいの?何が悲しいんだい?この状態が?それともヒエン先生が?悲しい事すらわからないのかい? じゃあ僕と・・・同じだね。 僕もわからなくなってしまった。確か最初は の為だったはず。 って誰だったろう?ヒエン先生かな?・・・違う気がする。そうだ、ヒエン先生に聞いてみよう。先生は物知りだから、きっと教えてくれる。僕が 誰の ために 動いていたのか。 僕の頬に熱い何かが落ちる。僕を取り押さえ、首を絞めている男の涙、だ。 彼も悲しいのかな?僕も悲しいんだよ。 なら・・・その悲しみから開放してあげよう。 僕は男の首を切った。 ●結末 増援の監視者が到着したときは既に事が終わった後だった。 部屋は今まで発見された第一、第二、第三被害者の部屋と寸部違いがなく、赤かった。 床に倒れる被害者、そして監視者。彼らの血で赤く染まった部屋。 だが今回は一つ、違っていた事があった。 男の死体が一つ増えていたという事。 犯人と争ったのだろう。彼の周りは乱れていた。 監視者たちは取り敢えず現状の把握に努めようとした。 結果、犯人が殺人に及んでいる最中にこの男が現れ、犯人と格闘した末に喉を切られた。そして犯人は逃走した、という事がわかった。 しかし事がわかったとき、監視者たちはまた一つの疑問が生じる事になる。 逃走した犯人は誰なのだろう? 監視者たちは皆、物言わぬ首を切られた男性死体―――マイアーの死体を見つめ、首を捻った。 突如開いた扉にヒエンは身を竦ませた。 だが開けた人物の顔を見、その緊張を解いた。 「ああ、貴方でしたか。驚かせな―――」 緊急的に事務所へヒエン先生が戻ってきた方を聞き、体育教師は差し入れを持って行くことにした。 彼の目から、いや、誰の目から見てもヒエンは働きすぎだった。だから偶に事務所に戻ってきたときくらいゆっくりした方が良いだろうと気を利かせ、彼はお茶を持って事務所に向かう事にしたのだ。 彼女の教え子も先ほど来ていたようだし、少しは話に花が咲くかもしれない。 そんな淡い期待を胸に。 扉を開けた途端、鼻腔を擽る鉄の香り。 赤い色彩に体育教師は目を細めた。 そうしてようやく、その光景の意味を理解した。 「ああ―――ヒエン先生になんて事を!!リオン!!!」 ―終劇― |