思い出語り


1、大戦後のバレエ界

  1945年8月15日に大戦が終わり、廃墟と化した東京にオペラ、バレエ、演劇など、あらゆるジャンルの文化が台頭してきました。
 私はその時期、バレエ「白鳥の湖」やソヴエト制作映画「眠れる森の美女」に触発され、「横山はるひバレエスクール」に入学しました。横山先生は早稲田大学英文学科を卒業され、バレエ「失楽園」を発表し、作曲家団伊球磨氏、芥川也寸志氏、黛敏郎氏と共に私の憧れでした。

 小牧正英バレエ団から移籍されてきた林陽子さんから、私は或る日「チャイコフスキー記念東京バレエ学校」設立についてのお誘いを受けました。日ソ友好の情勢下で、林陽子さんのお父様林廣吉氏が日本で初めてのバレエ学校を創立し、モスクワ、ボリショイバレエ団から、S.M.メッセル女史とA.Aワルラーモフ氏を教師として招かれたのです。

 ボリショイバレエ学校の教授法はわかり易いものでした。そして、未熟ながらもバレエに興味を抱いてきた私が、両先生の作品「まりも」初演に出演することができました。

 その後、モスクワ、クラッシックバレエ団のM.Nアザーリン先生との出会い、先生のご紹介で白ロシア共和国ミンスクバレエアカデミーのK.N.マルシェイワ先生の薫陶を得ました。

 このバレエ学校に留学した生徒の一人最上恵美子が、旧ゴーリキ市のプーシキン・オペラ・バレエ団に就職した関係でロシアの男性舞踊家が当教室のバレエ発表会に参加し、日ロ間のバレエ友好の絆が続いております。