この部屋は管理人くにひこの目から見た名馬への思いを
一頭一頭紹介していく部屋です!



  • 第1回 ナリタブライアン
  • 第2回 グラスワンダー
  • 第3回 エアグルーヴ
  • 第4回 タイキシャトル
  • 第5回 ステイゴールド
  • 第6回 トウカイテイオー
  • 第7回 エルコンドルパサー
  • 第8回 メジロマックイーン
  • 第9回 メジロドーベル
  • 第10回 サイレンススズカ

    第10回 サイレンススズカを語る!

    第10回目は、僕が一番好きな馬である、サイレンススズカに飾ってもらいたいと思います。 やはり、僕にとっての最強馬は、この馬であり、一番愛すべき馬なんですよ。 それは、記録の面だけでなく、記憶の面で鮮烈なまでの走りを見せてくれたからですね。 けっして、彼がレース中の事故で悲劇の最後を遂げたからでなく、走りの凄さが 僕の心に焼き付いたのです。

    サイレンススズカを語る上で、「逃げ」と言う走法抜きには語れないでしょうね。 「逃げ」とは、馬群の1番先頭を切って走る走法で、メリットとリスクの大きい走法ですが、 逃げる馬のほとんどが、気性的に臆病などの理由で、「逃げ」という走法になっているのが実際です。 しかし、スズカの場合は違いました。彼はたしかに走法で言えば、「逃げ」でしたが、それは 走りの速度が、絶対値が他の馬と違っていたから。俺のマイペースに着いてこれる馬がいないからなんですよ。 だから、彼が走るレースのすべてが、超ハイペース。どんな馬もゴールまで捕らえることの出来ない大逃げ。 あんな凄い馬は二度と出てこないだろうし、リアルタイムで見れた事が凄く嬉しいですね。

    それでは、スズカの戦績を、逸話もふくめ振り返ってみたいと思います。
    デビューは、遅く、3歳の、2月だったと思います。新馬戦でいきなりの圧勝劇。当然逃げ切りの勝ちでした。 いや、逃げ切りなんて甘いものではなく、他の馬は、ついて来れないと言っていい、並の馬には出来ない激勝でした。 そして、2戦目には、普通では、考えられないローテーションで、皐月賞トライアルの、弥生賞に出走登録しました。 このレースでは、新馬戦の勝ちっぷり、並の馬ではないということを、ファンは感じていたのでしょう。2戦目にして、2番人気の支持を集めました。 弥生賞では、ゲート入りから嫌がって、いざスタートでも、ものすごい出遅れ。1秒以上出遅れたのではないですかね、それでも、8着まできたのですから、 新馬戦で見せた走りはフロックではないと、僕は思いましたよ。 このあと、スズカは、ものすごく高いセンスは感じるものの、大きなレースでは、勝てないと言う状態が続きました。結局3歳時は9戦して、3勝2着1回。戦績は、並みのレベルでした。
    しかし、名馬への足がかりとなるターニングポイントは、3歳最後のレースにありました。海外遠征の香港国際カップに、出走。鞍上は武豊。このレースが、スズカの天才的な才能を目覚めさせたと思います。 レース自体は、大逃げで、結局は、いつも通り大きなレースでは勝てないと言う結果が、ついてきましたが、鞍上の武豊は、レース後に、「スズカはこの大逃げがスズカのペースなんだ。」と感じたのです。 天才は天才を知る、と、僕は思いました。この3歳最後の海外遠征がなく、鞍上も武豊でなかったら、スズカの「大逃げ」は、大成する事がなかったと思いました。。

    そして、年がかわり、スズカは、4歳になりました。鞍上に武豊を迎え、4歳初戦は、重賞レースでなく、ただのオープン戦、バレンタインSに出走します。 このレースでの、何とも言えぬ大逃げは、圧巻でした。相手が弱いというのもありましたが、スズカ自身の走りが、初めて本当に、走ったという感じがしたのですよ。 武豊により、海外レースと、このバレンタインSで、完全にスズカの素質が引き出されたのでした!
    それからのスズカは、もはや敵なしの、快進撃を続けます。小倉大賞典で初重賞制覇!レコードのおまけ付きでした。続く中山記念で、G2制覇。 そして、スズカのベストレースと呼び声もある、金琥賞は、いまだ中京の2000メートルレコードタイムを叩きだし、2着に10馬身差つける勝利。 破竹の快進撃で、ついにG1宝塚記念に出走。当然1番人気で、鞍上こそ、武豊がエアグルーヴに先約があったため、南井騎手(現調教師)に乗代わりがありましたが、 この時のスズカには、誰が乗っても勝てたと言える実力が付いていました。(南井騎手が下手と言う意味ではありません!笑) こうして、宝塚記念も圧勝して、ついにサイレンススズカは、G1制覇をして古馬の頂点に立つのです。
    そして、スズカは、夏場調整に当てて、秋に、現役最強馬として、そして海外遠征に向け、天皇賞・秋を目標にします。 天皇賞前に、叩きの1戦に、毎日王冠に出走します。ぼくは、この毎日王冠が、スズカのベストレースだと思いますし、僕の今まで見た数々のレースのなかでも、NO1だと言えるレースになりました。 この時の毎日王冠は、出走馬が、凄かったのです。エルコンドルパサーにグラスワンダーの3歳無敗馬が2頭出走。しかし、そんな強者どもも、スズカの前に後塵を拝するのです。と言うか、 このレースのスズカは次元が違っていたと思います。言葉にするのは難しいのですが、是非とも皆様に見ていただきたいレースだと思います。敗れて2着になったエルコンドルなんかは、この敗戦が 唯一の日本馬同士での敗戦なんですし、のちに海外G1制覇している馬に圧勝したスズカの実力は、計り知れないものがあったと思います。

    こうして、スズカ最後のレースとなってしまう天皇賞になるのです。このレースもいつもの通りハイペースでぶっ飛ばし、いつもの通りの大逃げ、そして誰もが、いつもの通りの圧勝劇を見せてくれると思っていたでしょう。。 4コーナーまではいつもの通りでした。しかし4コーナーでスズカは止まってしまうのです。悪夢のようでした。スズカは故障発生して、二度と走れなくなってしまいました。。

    悲劇的な最期を遂げ、スズカは天国へと行ってしまいました。スズカには、まだまだ先があったのです。天皇賞後は、ジャパンカップ参戦も決まっていました。鞍上も武豊に決まっていました。この時武騎手には、スペシャルウィークや、エアグルーヴらの お手馬もジャパンカップ出走が決まっていましたが、それでも、スズカを選んでいたのです。ジャパンカップ後は、アメリカ遠征のプランも本格的に決まっていました。。すべては、夢、幻と、消え去ってしまいました。。。けれど、残ったものがあります、ファンの、僕の 心の中で、スズカの記憶は生き続けているのです。永遠に色あせることがない、走りを見せてくれたスズカに、心から冥福を祈り続けます。。安らかに眠って下さい、素晴らしい走りをありがとう。。

      

    第9回 メジロドーベルを語る!

    今回は、前回に続き、メジロ軍団の最強牝馬の話をしたいと思います!
    メジロ最強牝馬と言えば、思い浮かべるのはメジロラモーヌと言う人も多いのでは?と思いますが、僕はこのドーベルが 最強だと思っています。当然、ラモーヌよりも記憶に新しいし、リアルで見ていた馬なので、比較は難しいのですが。 ドーベルが、何よりも凄いのは、対牝馬での圧倒的な強さでしょう。勝ったG1、5勝は、牝馬としては最多。 いずれも牝馬限定のG1と言う当たりも、牝馬には負けられない!という凄さを感じます。
    逆に牡馬相手には、勝てないのか?などという考えもありますが、 たしかにエアグルーヴのように、牡馬一線級あいてに互角に戦うのも、凄いですよね。 しかし、競馬という世界では、牝馬は、牡馬相手に勝つことも大事ですが、何よりも大きな勲章をもって、無事に牧場に帰ることが 1番の仕事でしょう。その条件を最高に満たして、G15勝馬の仔という、ブランドの仔馬を、生むことが最大使命であり、それが可能な彼女は やはり、素晴らしい牝馬、だと思いますよ。

    冒頭でも言いましたが、ラモーヌよりも、なぜ上なのか?と言いますと、その足跡の凄さでしょう。 彼女は、2歳から5歳まで、走り続け、毎年JRA賞を取ってきました。これだけ息が長く、一線級の実力を持った牝馬は、 見たことがありません。2歳時の阪神牝馬S、3歳時の、オークス、秋華賞の2冠制覇。4歳時の、ライバルエアグルーヴを破ってのエリザベス女王杯。 5歳時の、不調の中での、執念のエリザベス女王杯制覇。いずれも、負けられない戦いをしっかり勝ち続けた凄さが、彼女のメジロ最強牝馬という理由でしょう。

    ドーベルには、本当に感動的なレースばかり見せつけられました。騎乗は全戦、吉田豊騎手。ドーベルに乗る前の彼はまだ無名でしたが、互いに成長していく、ドーベルと吉田豊の 素晴らしい信頼関係と、成長の物語を、リアルタイムで見れたことはとても、幸せでした。
    最後の、引退レースとなった5歳の時のエリザベス女王杯では、勝ってもガッツポーズすらなし、吉田豊騎手の目には、涙しかありませんでした。それは、ここまで騎手として、成長できた感謝の気持ちと、 そんなドーベルと最後のレースという、寂しさからだったのかと思いました。僕も、このレースは未だに鮮明に記憶されています。感動した!と言えるレースはそれほどありませんが、このレースは、そんな数少ないレースのひとつとして 僕には忘れられないですね。

    そして、引退後の彼女は、どうしているのかと言いますと、当然繁殖牝馬として、メジロの牧場に帰っているのです。いずれターフに帰って来るであろう、ドーベルの仔たちが、吉田豊騎手を背に、今度はダービー制覇。 そんな姿を心から見てみたいですね。。
      

    第8回 メジロマックイーンを語る!

    ちょっと古い馬で、僕自身リアルタイムで見ていない馬ですが、今回はこの馬を語ります。 知識に間違えなどあるでしょうが、その辺はご了承を! メジロ軍団の最高傑作と言われる、マックですが、そのメジロ軍団の熱い想いがこもったマックを、振り返ろうと思います。

    メジロマックイーンは、獲得賞金が、初の10億円を突破した、歴史的名馬ですね。春の天皇賞2連覇や、降着ながら7馬身差を着けて、実力の凄さを見せた天皇賞・秋。 まさかの敗戦で、単勝万馬券を出してしまった有馬記念などなど、記憶にも記録にも残る、これほどの名馬は、そうはいません!

    そのマックの、凄さは競争成績だけではないのです。血統の奇跡を感じずにいられない、、、メジロの執念の血統の奇跡を語ります。

    マックイーンの血統をさかのぼると、父親がメジロの馬で、メジロティターン、祖父がメジロアサマ。3代続けて、メジロの生産馬なんですが、 これが凄いのが、3頭続けて、天皇賞馬なんですよ。メジロの天皇賞にかける執念が、ココに感じられるのですね。
    そして、メジロの執念がもっとも感じられるの話は、メジロアサマは、種牡馬としては、大きな欠点がありました。 受胎させられない、つまり種なしとして種牡馬失格の烙印を押されていたのです。
    そうなると、天皇賞馬であっても、種牡馬としては、当然人気もなくなるわけで、後継馬が出ない、と言う状況になる訳なのですが!しかし、 メジロの総帥北野氏は、メジロアサマの競争能力の高さは、きっと種牡馬として、遺伝してくれると信じ、自家製の牝馬で多数種付けさせるのです・・。 当然リスクは、大きいですし、種付けさせた牝馬は、当然その年は棒に振る可能性もあり、やり直しのきかない世界なのです。そんな執念が、ついに実るときが来るのです。わずかな産駒から、大物が生まれるのです。それがメジロティターン。 つまりマックイーンの父なのです。
    そのティターンが、大物としての力を発揮して、天皇賞を制覇し、種馬となります。そして、メジロオーロラとの間に、ついにメジロの集大成とも言える、メジロマックイーンが生まれるのです。 余談となりますが、メジロオーロラの仔で、つまりマックの兄で、メジロデュレンがいますが、彼も、菊花賞を勝っている大物。。つまり兄弟菊花賞馬なんです。そんな母系の血統背景もあるマックイーン、 父系、母系ともに、メジロの血によって生まれた、まさに最高傑作と言えるわけでしょう。

    メジロマックイーンは、競走馬として、G14勝、期待され、種牡馬となります。彼の種馬としての可能性を、期待して、メジロのオーナーは、自分の手から、マックを手放してしまいます。 最高の環境と、最高の相手(牝馬)が、いる社台ファームに、預けるのです。。期待するが故の決断だったと思います。しかしながら今のところ、後継馬と言える存在はまだ生まれていませんが、 きっとメジロの執念は、きっとまた実を結ぶはず。マックのそんな血統で生まれた、まさにサラブレットなんですから。。


    第7回 エルコンドルパサーを語る!

    ぼくは、やっぱり海外で、強い馬たちと戦う日本馬を、見るのが好きです。競馬好きだからってみんな海外の競馬好きではないでしょうけど、 僕は好きですね。海外というものに、ロマンや、夢を感じてしまいます。サッカーの日本代表を見ると、なぜか愛国心見たいの沸きません?それと同じような感覚がしますね。 その集大成というか、僕が競馬見てきた中で、これほどまで興奮して、(馬券が絡んでないのにって事で 笑)がんばれと応援した馬はいなかったですね。それがエルコンドルパサーです。
    第4回で、タイキシャトルの話をしましたが、そのタイキシャトルが、初の海外ビックレースを勝った翌年、エルコンドルパサーは、世界最高峰のレースに挑むのです。 そうです、、凱旋門賞です!凱旋門賞に挑戦したエルコンドルパサーを振り返ってみたいと思います。

    エルコンドルパサーは、3歳の春に、無敗で外国産馬のダービーとも言える「NHKマイルカップ」を制して、3歳馬の中で、トップクラスの評可をされるようになります。 このころ、すでに、エルコンドルの実力のほどが、凄まじいものがあると、見切っていた調教師の二宮氏は、秋は古馬との対決、しかも3歳馬では勝ったことのない、日本最高峰のレース、ジャパンカップに出走させることを決めていました。 そんな中で、秋の休養明け第1戦こそ、最強逃げ馬サイレンススズカの前に、敗れてしまいますが、次のジャパンカップは、まったく他馬を寄せ付けず、危なげなく圧勝してしまうのです。してしまう、と言う言い方は僕の誤解でしたね。勝って当然の実力、 力が彼にはあったのです。それだけの走りを、ジャパンカップで見せてくれました。このかちっぷりは、海外でも評価され、国際クラシフィケーション(国際のランキングみたいなものです)で、3歳馬2位(世界で2位です)になるのです。

    そんな評価は、関係なしに、ジャパンカップ後に、海外遠征を決めていたのは、この馬のオーナでもあり、生産者でもある渡邊氏です。渡邊氏は、海外遠征を早々に発表します。しかも、今までは、遠征というと、1戦のみ、もしくは2戦ぐらいで日本に帰ってくる、つまりせいぜい2ヶ月ぐらいのものでしたが、 エルコンドルは、なんと秋に行われる凱旋門賞を、征するために、年明けて4歳になってすぐの、2月頃から秋にかけての長期遠征をするというのです。
    長期遠征する、と言うことは、当然費用もかかる、賞金も日本より安い(格段に安いんですよ!)そんなこんなで、オーナーにとっては、なにも利益はない事なんですよね。勝てば名誉と、引退後の馬の扱い等、代わってきますが、負けたときは、ダメージは計り知れないです。 そんな中での、この長期遠征は、オーナーの勇気と、エルコンドルへの信頼が伺えます。

    そして、海外に渡ったエルコンドルは、3月の初戦こそ、2着に敗れますが、続くサンクルー大章典(フランスG1)では、圧勝します。そして、秋になり、凱旋門の前哨戦で、これまた楽勝、とうとう、日本の最強馬が、海外NO1になるときが来たと、僕は確信しました。
    いよいよ、凱旋門賞です。海外でもこれだけの実績を残しているので、評価も凄く高く、2番人気におされました。レースは、スローな展開。そこでなんと、エルコンドルは生涯初の、逃げの戦法にうってでるのです! これには、騎乗していた海老名騎手、度胸がいったでしょうが、素晴らしい判断だと思いましたよ。 そして、最後の長い直線を迎えるまで、終止トップを走るエルコンドル。最後の伸びが、どうなるか、と思いましたが、しっかり伸びて、他馬をグイグイ引き離していきます。勝てる!と思いました。 しかし、地元フランスの一番人気のダービー馬、モンジューが、馬群から抜け出して、一歩一歩エルコンドルに迫ってきます。残り100メートルぐらいで、ついに馬体を合わせる格好になり、 最後の意地をエルコンドルが見せてくれましたが及ばず、半馬身差の2着でした。

    まさか、凱旋門賞で、これほどまでのレースを日本の馬が見せてくれる日が、来るとは思っていなかったので、凄い感動した瞬間でした。と、同時に、勝てたなぁ、とも思いました。このレースでエルコンドルは引退となりました。 この年、4戦2勝(全て海外)で年度代表馬に選ばれ、種牡馬入りするのです。当然、馬産地の期待は大きいという話です。
    引退するまでで、通算11戦8勝、2着3回、凱旋門賞こそ勝てませんでしたが、ほぼパーフェクトな成績でした。
    さあエルコンドルパサー、今度は子供たちに夢を託しましょう!!!
      

    第6回 トウカイテイオーを語る!

    今回は、顕彰馬(競馬殿堂入り)にも、選ばれている、帝王こと、トウカイテイオーを語りたいと思います。
    トウカイテイオーは、5歳まで走って、わずか12戦しかしていません。少なくレース数の陰にはケガとの戦いがあったのです。12戦中9勝を上げていて、デビューから7連勝など素晴らしい成績で、1992年の年度代表馬にも選ばれていまし、G14勝もしています。 テイオーの父は、みなさんもご存じの通り、皇帝と言われた、3冠馬シンボリルドルフ。7つのG1を勝っている偉大な父の前に、テイオーは4つのG1、戦績、勝ち星ともに、偉大な父には及びませんでしたが、 この馬の残した記録よりも記憶の部分は、父と比較しても遜色のないものです。

    テイオーーは、3歳のダービーまでに、皐月賞を勝って、G1初勝利を納めていました。ダービーまでで、5連勝。そして文句なしの快勝でダービーも制覇。親子ダービー馬となると共に、無敗の三冠馬の期待も出来ました。 しかし、その後すぐに骨折が判明、休養を余儀なくされ、3冠は夢で終わってしまいます。その後、4歳の春に復帰して、復帰戦を、圧勝して、天皇賞・春へと、挑みます。ここで、ついに無敗の記録が途絶えてしまいました。 メジロマックィーンの前に、やぶれてしまうのです。
    しかし、これで終わってしまうテイオーではありませんでした!秋の天皇賞こそ、引っかかりハイペースにのまれ、敗れてしまいますが、次走のジャパンカップで、堂々の勝利! この時のジャパンカップは、まだ、日本の馬は通算で2勝しかしておらず、しかも、父のルドルフ以来の勝利だったのです。この辺もなんとなく競馬のロマンを感じずにいられないですね。
    このまま、また連勝街道に入るかと思われたテイオーですが、なんと、再び骨折に見回れてしまうのです。関係者、馬主さん共に、年齢も4歳ですし、引退も考えたと事と思います。 しかし、テイオーの不屈の闘志は、骨折ぐらいで衰えませんでした。一年にわたる休養、一年1ヶ月ぶりのレースで、ぶっつけで向かう有馬記念。当時最強と、思われたビワハヤヒデを尻目に、 復帰していきなりの快勝劇!!圧巻の一言でした。
    けれど、この勝利の代償は大きかったのです。またもや骨折に見回れるのです。また復帰を、目指して、関係者の方々もがんばりましたが、およばず、ついに引退となるのです。

    4度にわたる骨折、奇跡の復活劇、勝ったG1すべてが親子制覇、すべてが、ファンの感動を呼ぶ、奇跡の馬として記憶される馬となったのです。 ぼくとしては、ここまで、ケガとの戦いに費やされた競走馬人生は、かわいそうだと思います。しかし、競馬には、ケガが付き物でもあります。このテイオーの 復活したきた事や、ケガしてしまった原因などが、しっかりと競馬界のノウハウとなっていることを祈りたいです。


    第5回 ステイゴールドを語る!

    今回は初の現役馬(2001年7月現在)を取り上げます。なぜ今語るのかというと、 この馬は、人気あるとは言え、やはり所詮G1ホースではありません。このまま引退していって、そのうち誰にも見向きされなくなって、記憶からなくなられるのが、 嫌なので、ここでひとつ俺が語ろう!と思った次第です。

    ここまでのステイゴールドの戦績は、46戦6勝、それほどすごい成績ではありませんが、獲得賞金がたしか、10億円近かったように記憶があります。 これほどまで、稼いでいるが、勝っていない馬もいないでしょう。そのわけは、ステイゴールドの代名詞ともいえる、2着、3着でしょう。これまでG1での2着は、4回。 掲示板には、たびたび載るほどの頑張り屋さん!馬主孝行なこの馬は、そのうち競馬ファンにも、すっかり気に入られ、みんなのステイゴールドになっていきました。

    彼の父親は、大種牡馬サンデーサイレンス。数多くの名馬を生みだした中で、ステイゴールドは異色中の異色と言われてます。勝てないけど。馬券に絡む。勝てないけど、がんばる。そんな彼は いつしか、そんな馬だと、みんなに認識されていきました。
    しかし、僕はこの馬に対する見方は、ちょっとちがいます。この馬こそ、父親サンデーサイレンスに似ているのでは?と、思うのです!いつでもがんばって走ってしまう姿勢は、勝ち気で、暴れっぽくて、誰でも彼でも、抜き去らないと気が済まないサンデーサイレンスの 気性&性格に似てると思うのです。そうでなければ、毎回毎回、あそこまでがんばれないのでは?と思うのですよ。
    いずれ訪れるだろう引退の時・・・彼には是非とも種牡馬入り、してほしいです。きっと走る馬を生み出すでしょう。。。父親のように。。

    ステイゴールドの話は実はこれでは終わりません!実は彼の競走馬人生でのクライマックスは、2着ではありませんでした!なんと。。彼はものすごいことを今年の3月にやってのけたのです! それは、ドバイワールドカップと、言うレースをご存じでしょうか?世界最高賞金のレースで、開催地は石油で有名な、UAEなのですが、今年からドバイワールドカップデーとして、同日に一気に4レースやっちゃうBIGレースなのです。 メインレースは、やはりドバイワールドカップなのですが、その中の一レースに、ドバイシーマクラシック(G2 1着賞金1億2000万円 芝2400メートル)と言うレースが準メインでありました。そこにステイゴールドは、日本代表として参戦していたのです。 実際参加するに当って、前評判では、日本で勝てないのに勝てるわけがない、と言う声もあったし、このレースでのメンバーがメインのワールドカップよりメンバーが良かったりで、まったく人気がない状態。レースは、大本命馬ファンタスティックライトが、抜け出して、勝ったと思ったところで、 ゴール寸前に、差しきる鼻差の勝利!!感動的でした!(結果知っていて、あとで録画映像で見ての大感動 笑)ステイゴールドだってやれば出来る!と日頃のうっぷんが全部とれた気分でしたね。

    ドラマチックなステイゴールドの競走馬人生。。まだまだもう一花!咲かせてほしいです!がんばれステイゴールド!
      

    第4回 タイキシャトルを語る!

    1998年夏、タイキシャトルという、日本の馬がフランスのG1を勝ったと言うニュースが広がった。
    この馬が現われるまで、日本の競馬史に、海外の勝ちはなかった。海外G1勝利、それは、戦後間もない日本競馬から、長年の夢であった。と同時に、絶対にかなえられない夢のような話、とされていたのです。 サッカーでも、日本がワールドカップに出たことがない、と言うサッカー弱小国扱い時代があったように、競馬界も、そんな時代があったのでした・・

    タイキシャトル、この馬は、1997年に3歳の時して、その年の秋、G1を2連勝して頭角を現しました。その2連勝も、競馬関係者の評価は高く、この馬は、史上最高のマイラー(短距離馬)だと、評価されるほどでした。 そして、その年は、最優秀短距離馬に選ばれ、休養に入りました。迎えて、1998年。この年も現役として、そして、最強馬として、活躍していくことが期待されました。競馬関係者、そしてファンの期待は、国内のG1勝利に留まらず、海外に向けられるほど、シャトルの力はすごかったのです。 1998年初戦は、レコードの圧勝、続く安田記念、ここも圧勝していよいよ海外へ!という声が大きくなったのです。

    この馬を管理するのは、日本を代表する調教師、藤沢和雄氏です。藤沢氏は海外に前から目を向けて、力がありそうな馬、海外向きと思われる馬は、たびたび遠征をさせてきて、海外遠征のノウハウがある調教師です。 当然ファン&競馬関係者は、海外G1、日本馬初勝利はこの馬にしてもらう!というような勢いでしたね当時は。ファンの、競馬関係者の期待を一身に背負いシャトルは、遠征に旅立っていくのです。

    場所はフランス。ヨーロッパで1、2を争う競馬先進国です。シャトルが選んだレースは、ジャックルマロワ賞というレース。このレースはすでに100回を越える歴史ある、そして過去に勝った馬も強者揃いばかりの、正真正銘の海外G1といえるレースです。 僕は、このレースに出ると聞いたとき、思いました。何もこんなすごいレースじゃなくても、もっとしょぼいレースでG1があるのに、、と。しかし、調教師藤沢氏は、臆することなく自信を持って望んだのです。勝つことがわかっているかのように。。
    そして、レースは始まりました。鞍上は岡部幸夫氏。なんとシャトルは、海外でも評価が高く、このジャックルマロワ賞でも一番人気!ファンの期待・・関係者の期待を一身に背負い、見事、というより、当たり前のように勝ってしまったのです。感動がなかった、と、言うのが本音。 というか、勝って当たり前の実力がシャトルにはあったからでしょう。

    しかし、この勝利の陰には、藤沢氏のこれまでの海外の失敗、それに協力した馬主の人たちの協力なしでは、あり得なかったことでしょう。 この偉業には敬意を表したいです。ありがとう、タイキシャトル、藤沢調教師!

    ここまでで、話を止めようと思いましたが、やはり、フィクションだと良くないので、語ります。実は、誰もがタイキシャトルが海外G1初勝利を飾る!と思っていたのですが、その前の週になんと、シーキングザパールという、日本の馬がまさかの海外G1初勝利を飾ってしまっていたのです。 これには、タイキシャトルの勝利の栄光にケチ付けられたって思い半分、競馬ファンとして、日本馬の海外勝利がうれしい半分でした(笑)結果、2週連続日本馬フランスG1勝利と言う、偉大な記録になって良かったです。
      

    第3回 エアグルーヴを語る!

     1997年、年度代表馬は牝馬のエアグルーヴだった。牝馬だからこそ、年度代表馬に票を集めた、 この年はレベルが低かった、などなど、色々な意見が当時あった。しかし、僕は、そんな見方をしていない。 彼女は堂々年度代表馬の、風格、実力を兼ね備えた、まさに名馬だった。

     よく、牝馬で強い馬は、「女傑」やら「名牝」などと、言われる。が、エアブルーヴは、そんな言い方がいらない。 牝馬の枠を越えた、最強馬の一頭といえると思う。そんな彼女を競走馬時代を振り返ってみたい。

     デビューは2歳、僕が初めてみたのは、阪神3歳ステークスでした。その時は、僕はこの馬のことをよく知らなかった。 このレースで2着となり、来年のクラシック活躍が期待された。
    年が明けて3歳になり、初戦は桜花賞トライアル、チューリップ賞でした。このレースぶりが圧巻!すごい末足は、僕は今でも覚えています。 断然人気となるはずだった、桜花賞。彼女はこのレースには出走できませんでした。発熱で回避したのです。
    これによって、彼女はオークスへ、直行しなければならなくなりました。従来の常識で言うなら、大アクシデント、発熱で体調不良、3ヶ月ぶりのレースとなってしまう事、 彼女はオークスに、大きな不利を抱えて出走したのです。
    しかし!そんな不利を乗り越え、彼女はオークス馬となったのです!これで彼女は、親子2代オークス馬(母ダイナカール)になったのです。 本当に強い馬は、不利のデーターは関係ない、思い知らされたオークスでした。そして、血はまた蘇る、競馬って血統なんだって思ったものでした。

     その後の彼女は、秋に骨折により、翌年夏まで休養を余儀なくされます。休養明け後の彼女は、真の実力をみせるのです!復帰戦は、7月のマーメイドステークス。圧勝でした。 そして、8月の札幌記念に出走、すばらしいメンバーの中、これまた圧勝!そして、次走に天皇賞・秋を選ぶのです。牝馬で天皇賞にでないのが、常識でした。勝てないから、エリザベス女王杯に回る馬が、 ほとんどでした。そんな流れに逆らうように天皇賞出走を表明!しかも札幌記念から、天皇賞のローテーションでは、3ヶ月ぶりとなってしまう無理なローテーション。誰もが、強い牝馬だ!とは、思っていたが、天皇賞に勝つほどとは、思っていなかったはず、 そうです!バブルガムフェローとの、たたき合いの末、鼻差の快勝をするのです!これで、また彼女は競馬の常識を、うち破ってしまうのです!牝馬としては、17年ぶりの天皇賞制覇したのです。その後ジャパンカップ、有馬記念と、牡馬王道路線を、 牝馬にして2着、3着という成績で、1997年を終えるのです。そしてこの年に、牝馬では26年ぶりに年度代表馬に選ばれるのです。
    その後はG1勝つことは無かったですが、ジャパンカップ2年連続2着など、すばらしい成績を収め、1998年12月に引退するのでした・・

    エアグルーヴ限らないでしょうが、強い馬は、常識とか、セオリーは関係ないんだと、グルーヴに教えてもらいました。
    最後にこれは言いたい!彼女は間違いなく、歴代最強牝馬です!
      

    第2回 グラスワンダーを語る!

    このページの作者くにひこは、栗毛の馬が好きである。理由は特にない。毛の色が好き・馬体が良く見える・ などなど色々な理由はあるが、なによりも好きな馬が栗毛が多いのである。ミホノブルボンに始まり、タイキシャトル。そしてサイレンススズカ・・・ みんな栗毛です。その中でグラスワンダーは、馬券でもいっぱい投資したし(当らなかったが 笑)思い入れがあるのです。

     グラスは、デビューから圧勝の連続で、2歳時点で4戦4勝(内レコード3回)一気にスターホースの仲間入りしました。2歳馬にして、年度代表馬に10票も入ったのもこの馬しかいません! しかし・・3歳になってすぐに骨折してしまいました。復帰は3歳の秋、毎日王冠。(この時の毎日王冠が僕が競馬を見てきた中で一番好きなレースです)このレースには、のちに凱旋門賞2着になるエルコンドルパサー、 希代の逃げ馬サイレンススズカが出走してきてG1並に、にぎわいました。このレースで応援する馬は2頭いました。スズカとグラスです。人気ではスズカが一番人気で、 グラスは復帰戦にも関わらず2番人気。結果はスズカ1着で、エルコンドルが2着、グラスは6着惨敗でした。僕自身のこの馬への期待の大きさが大きい分、ものすごいショックでした。
     このあと、グラスはジャパンカップ回避してアルゼンチン共和国杯に出走・・4着に敗退。グラスはもうダメなのか?終わってしまったのか?ただの早熟馬なのか? しかし!!3歳最後の有馬記念という大舞台でやってくれました!!グラスワンダー復活です!あの時は、僕はレースを見ていなくて、池袋にいて、新聞の号外で知りました。 その時のうれしさ!心から喜びが沸いてきました・・・

     その後のグラスは、有馬2連覇、宝塚記念、安田記念2着と、すばらしい成績お納め5歳夏に引退するのです。あの3歳時の有馬記念の感動(レース見てないけど 笑) 連覇時の有馬のスペシャルウィークとの死闘、安田記念のまさかの鼻差負け、現役最強をアピールした宝塚記念、どのレースも僕の頭の中で今でも、残っています。しかし、 グラスが一番すごかったのは、骨折する前だったと、今では思います。骨折から復活して、すばらしい成績をあげましたが、もし骨折しなかったらと思うと残念であります。 でも・・あと少ししたら、グラスの仔はターフに帰ってきます!楽しみにしていたいです!!今度はケガをしないようにね・・・


      第1回ナリタブライアンを語る!

     ナリタブライアンと言うと・・みなさんは三冠馬とか、史上最強馬など 思い浮かべるでしょう。ぼくの場合は、特別にとても思い入れがあるんです。 この馬のおかげで競馬ファンになったのです。
     その前から競馬には興味はあったのですが、ブライアンのダービー・・ あのレースが衝撃的ですっかりブライアンファンになりました。 そこから競馬の世界に引き込まれて・・・血統とか競馬の歴史とか 、勉強していく内に、自称「競馬ファン日本代表」になっていました(笑)
     ナリタブライアンにはファンで応援していると言うより・・・競馬の世界を教えてくれた、 競馬の教祖の様に感じています。ですから、第1回には、是非とも「ナリタブライアン」を 語りたかったのです!!
     戦績もすばらしくファンの多かった馬でしたね・・・
    しかし1998年に7歳の若さでこの世をさってしまいました。
    残した産駒は、わずか2世代。 子供達が活躍するのは難しいのが現状ですが、この馬の残した追憶は永遠に色あせることはないでしょう・・
    ちなみに、ナリタブライアンは去年JRAで応募していた「20世紀に伝えたい名馬」第1位でした。


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