佐々木悠太くん
    の作文 


2001/4/17

 悠太君は小さい頃はお咳や下痢で時々来院しましたが、小学校に上がってからは丈夫に
なってたまに弟さんの付き添いでやって来るぐらいです。背丈も伸びてこの春から中学生です。
作文が大好きで,郵政省主催の第33回手紙作文コンクールで文部大臣奨励賞をもらいました。
 6年生の記念です。 ぜひ皆さん一読ください。 では紹介します。


            題名  「共に輝きましょう、裕人さん」
裕人さん、こんにちは。この前のお話集会、すごく心に残りました。車いすで登場した裕人さ
んが、「ぼくは、手も足も不自由です。 でもこうして話すことはできます。 だから、みなさんと
お話がしたくてやってきました。」と語りはじめた時、心がキューんとしました。
裕人さんは本当にお話が上手です。 いつもならじっとしていられない一年生も、しんけんに
聞いていました。中でも、「笑顔はどんな時でも忘れないで。笑顔でいれば何だって平気,勇気
がわいてきます。」というお話が心に残りました。  「笑顔」なんてだれでもできそうなことなの
に、何度も何度もくり返し語りかけてきます。それは、三才のころから宮古をはなれ、一人で病
気と戦っているうちに気づいたというのです。
 裕人さんの一冊目の本『一人はみんなのために、みんなは一人のために』の中に、「夜になる
と、ホームシックになり、毎日空を見ながら泣いていました。」  という所がありますね。 そして
そんな弱い自分を変えようと、笑顔を心がけたという事も書いてありました。 その「笑顔」が
友達を増やし、つらい訓練をもたえる力になったのでしょう。
 そして、今、司法書士、行政書士、英語検定など、いろいろな勉強を休むことなく続けている
裕人さん、全校の前で、一生けん命マイクを持ち、語りかける姿は、輝いていました。最後に、
「町で、私たちのような人を見かけたら、手伝ってください。 けっしてしらんぷりをしないで」
という言葉、今でもぼくの心に残っています。
          
それから一週間後、宮古養護学校との「夏まつりふれあい交流」が行われました。 このおまつ
りは,お客さんはお店から楽しみをもらい、お店もお客が喜んでくれると嬉しいから。 と、先輩
たちがいろいろ考えを出し合い、たくさんの本を読み、たどりついた企画です。
ぼく達は、まず先輩たちから学ぼうと作文を読み、考える所からスタートしました。  「今まで
は『してあげる』という気持ちが強くて、かたい感じがしていました。 ところが、今年の交流は
だれもがゆったりとやさしい笑顔でいっぱいでした。」という文が、ぼく達の心を打ちました。
そして、ぼく達の手づくり「夏まつり」が始まったのです。  このお祭りを通して、六年生は、
「はてな」「そうかな」などとたくさんの発見をしました。  智紗子さんは、「養護学校のお友達
と一緒に買い物をする人のことを、『お世話係』というのは変だ。 『してあげる』という心がある
からかな。一歩前にいる感じだ。共に楽しむパートナーなはず。手をひくのではなく手をつな
ぐ。」と考えたそうです。宏大くんは,お話集会のとき、裕人さんが、「だれにでも得意,不得意
はある。自分のできることを精いっぱいがんばれるかが大事、そして、その力を人のために役
立ててください。 また、助けてもらったら、心から感謝できる人になってください。」 と言って
たっけ。 ぼくも勇気を出して女の子と手をつないだ。A子ちゃんは、いっぱい笑顔をプレゼン
トしてくれた。一人がみんなのために、みんなが一人のためにがんばったからだった。一人ひと
りが輝くときを大切にしあっていかなければと思ったと,作文に書きました。
  ぼくは,「T君はすぐにトイレに行きたがります。嬉しいのか、体育館中走りまわります。 ぼく
は、T君のそばにずっといて、どうしても困ったときだけ、 ぼくのできることを一緒にするよ
うにしました。」と作文にまとめました。 あの裕人さんの「手伝って」という言葉が ぼくの背中
を押してくれたのでしょう。  裕人さんのお話が、「崎小夏祭り」を一味もふた味もちがったも
のにしてくれました。裕人さんの書いた二冊の本、いろんな人が校長先生から借りて読んでい
ますよ。裕人さんの考えていること、裕人さんのやさしく強い心をみんなが受け止めています。
 ぼくらは、崎小のリーダーとして、笑顔を忘れずがんばっていこうと思っています。 そして、
もっともっと崎小が輝けるよう、ぼくにできることを精いっぱいやりたいと思います。
 裕人さん、ぼく達崎小のみんなを応援してください。共に輝きましょう、裕人さん。

















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