“今日はいい日” へ よ う こ そ!
 2000/11/2 創刊             更新2010/0107

長い間ごぶさたいたしました
2009年3月クリニックを閉院しましたが
その後の様子をお知らせしたいと思い再びホームページを始めようと思います   
                                                   2010年1月7日 内田瑛子
        
平日に木々を見られるのはなんと素敵な事でしょう。今まで無かった事です。 先ごろ5日間にわたって浄土ヶ浜周辺を歩きました。朴の木のつぼみから開花までを 観察しました。とても背の高い木なので、又、花は天辺にしかないので、坂道から 見下ろす場所の朴の木を探しました。木々の香りもとても素晴らしいと思いました。 そんな坂道は誰も歩いていないので、広いひろい自分のお城の庭のように思いました。 ウグイスの鳴き声は、裏山の一石さんとは違って、大きくのびのびとこだましました。  平成21年3月をもってうちだ小児科クリニックを閉院しました。定年退職と決めたの でした。開業は昭和62年の春でしたので、22年間の子ども達とのお付き合いでした。  生まれてから以後両親に守られて、自立まで約30年かかりました。その後は、一部 重複しておりますが、夫の庇護のもとで約30年を暮らしました。夫が出家をして宮古 を出た後は生まれて初めて独りで夢中で頑張りました。いつの間にか約10年が過ぎま した。日中は子ども達の診療をし、夜はパソコンを使ってホームページ作りをしまし た。文章を考え、日常の写真を選んではめ込む作業です。患者さんやスタッフに、私 を知ってもらいたいとはじめたのですが、気がついてみると、いつのまにか自分自身 が一番元気になっていたのでした。しかしここ2〜3年、何とはなしに違和感があり ました。この違和感はなんだろうと考えました。 自分の老化と跡継ぎが居ない事、人件費諸経費は増大していく事、少子化もあり収入 は減少する事、テナント料は持ち家と違って何時までも大きいこと、病気や認知症に なってからでは退職金も支払えないだろうこと等々が脳裏に浮かんできました。開業 以来の毎日の日誌から、いろんなデータをグラフ化しました。日誌の記入はスタッフ と私で埋めてきていたものです。すべてのグラフは、早晩クリニックの経営は成り立 たなくなる、と言う事を表現していました。 ついに今年2月結論をだしました。「止めるのは今だ」と言う事です。

         
 閉院した今、人生のおまけの時間について考えています。
生まれてこの方、知らずしらずのことでしたが、常に主役を演じていました。主役で
ある私は、周囲の人々に努力や苦しみを強いていたかもしれない、と気付いたのでし
た。残りの人生はそのお礼に脇役に回っても良いのではないか、と思ったのでした。
 今から3500年前のエジプトの木造船は、板と板の細い隙間には植物の繊維を詰めて
漏水を防いでいたそうです。その船は、プント港との貿易のため、ナイル川ではなく
て、紅海を往復していたと、壁画や遺物から証明されたそうです。そうだ、私はその
植物の繊維の役目をすればよいのでは、と思ったのでした。
   ひとつは授業や講演です。宮古市民自らが意思を持って、医師や看護師に成長する
ように「脳と心をそだてる」と言う題で、小学校や保護者への授業・講演をすること
です。勿論相手によって内容は多少異なります。 これは5年前から細々と始めていた
のですが、小学校5〜6年生は、授業に対して、スポンジが水を含むように吸収して、
感動してくれる事が分かりました。 昨年ファミリーサポートセンター主催の講演の
時は、いろんな分野の方々が聞いていらして、今年は保育園・幼稚園・何校かの小中
学校から依頼がありました。ひと月2回のペースで、今年度分は埋まりました。
もうひとつは医師不足で苦しんでいる県立宮古病院で何かお手伝いができないか、と
考えました。 ほぼ毎週の土曜日と、ほぼ2ヶ月に1回の日曜日(これは医師会から9人
の交代性)に、ささやかですがお手伝いをさせていただいています。救急室は空気が
氷のように鋭くとんがっています。救急車も一日に2回も3回もやってくることがあり
ます。生死にかかわる小児の症例に遭遇したら、と思うと緊張しますが、その時は小
児科の三浦邦彦先生か、外館玄一郎先生にお願いすれば良い事になっております。
さいわい5月から8月まではそういう症例はありませんでした。 又お心遣いにより、
お昼に温かで豪華なお弁当が届けられますので、感謝しております。閉院して子ども
の声から遠ざかって淋しかったので、宮古病院に行く日はわくわくします。それから、
余力があると感じた時には、市の休日診療所へも時折お手伝いに行っております。たい
ていの方が主治医を持っていますので、翌日までの手当てを指導すれば良いのです。
宮古病院とは別の意味で、市の診療所も必要であると感じております。

 そして何よりも平日はフリーになりましたので、以前からの望みであった、歌舞伎
とか、能楽とか、音楽会とかを誰に遠慮する事もなく、楽しんでおります。 
8月14日の平泉の薪能は、夕暮れの中に能舞台が浮き上がり、さらに燃える炎の中で
能「杜若」と狂言「樋の酒」のなんともいえない雰囲気を堪能しました。

人生の残りの時間は、身の丈にあったものにして、静かに幕を引きたいと考えておりす。

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