C.D.フリードリヒの絵の世界


                         (Caspar David Friedrich 1774-1840)



                


        山頂の十字架    ドイツ・ロマン派の精神を象徴するような作品である。
                 十字架は地を睥睨し、無限の天空を希求する。






                         


      山上よりエルベ渓谷を望む  フリードリヒはバルト海辺のグライフスフェルト生まれ、
              画家としての生涯をドレスデンで過ごした。彼の絵は、故郷や居住地
              近辺の風景を素材としたものが多い。



            
 これはドレスデン近郊の光景である。しかし、主役は山上の槲の木の
              ように見えるのに、表題に示すとおり、主題は、はるか下方に細い帯と
              なって流れる、エルベ渓谷である。たえず近くの実態の向こうに、遠くの
              真実を見つめている、画家の眼差しであ
る。



                                      
          

         霧海の上に佇むさすらい人  何のためにこの男は、霧の立ちこめる山岳の
                  崖の上に立って、何も見えないものを見据えているのであろう。
                     
                  フリードリヒの人物画は、殆どが背面から描かれている。そして、
                  我々には見えないものか、手の届かないものを見つめている。
  





                           
      

        月を眺める二人の男  遙かかなたの月を眺めている。月もか細いが、二人の男を
                 取り巻く山地も荒涼として、もの寂しい。
               
                 フリードリヒに特徴的な画風であるが、同時に、ロマン派的「夜の思想」
                 の代表作である。

                  



                       


        虹の架かる山岳風景  彼の絵は、つねに前景を暗く、遠方を明るい色調で描く。
             そして、人物はつねに背面から描かれ、鑑賞者と共に、はるか彼方を眺める。
             周辺の現実は陰鬱でも、遠くには、果たして、明るい未来があるのだろうか。


             なお、ここに現れる虹は、いわゆる「月虹」(げっこう)と称されるもので、夜間、
             弱い月光により白い帯となる。土俗信仰で「これを見た者には幸せが訪れる」
             と言われる、夜の讃歌の一種であろうか。




                 
                       


      孤独な樹  
この絵も前方は暗く、山の彼方の空は、魅惑的な明るい光彩を放っている。
         手前に、頭のちぎれた奇異な樹形で立つ樹は、ヨーロッパの近代化の中で、独り、
          旧体制のままに立ちすくむ、ドイツそのものの姿ではないか。


          その比喩は、多くの識者によって指摘されているし、作者自身は、明らかにその
          意識をここに託したのである。


          一般にフリードリヒの絵は、ドイツ・ロマン派に固有の、強烈な政治的意図を無視
          しては、 その存在理由が考えられない。彼の昵懇の友人で、彫刻家であった、
          某フランス人は、彼を評して「自然における悲劇の発見者」と呼んだ。至言である。
        




                       
       

       氷の海 (潰えた希望)  バルト海は氷結することが多いのか。その海岸近くで、
          氷塊が瓦解した様を描いている。これは、フリードリヒにしては珍しく具象性の
          強い作品で、なるほど砕けた氷は異形ではあるが、明瞭に、ある事柄の最後を
          示している。副題の「潰えた希望」がそれである。彼が生きた十九世紀の前半、
          挫折したドイツ共和制統一国家の夢を、この絵は示している。 




                                 

                                 


        
リューゲン島の白亜岩壁  この絵もまた、政治的含意を抜きにしては、構図の
          意味がまったく分からない。女性の服の赤と、海面の青の色と、白亜岩の白は、
          何を意味しているのであろう。 この三色の組み合わせから、十九世紀初頭の
          ヨーロッパ史を知る者は、ただちにフランス国旗を想起するであろう。


          まさにその通りで、画面の手前に、山高帽をはね飛ばされて倒れ伏している
          老人は古いドイツの比喩、そして、右端に腕組みをして彼方を遠望している
          青年は、おそらく、作者自身であろう。


        
 この絵も、前方は暗く、遠方は明るく描かれる。青年が見据える彼方にたゆたう
          ものは、当時のドイツにあって、すでに見果てぬ夢であったであろう。


          蛇足であるが、フランスの三色旗は青、白、赤で、「自由、平等、博愛」を現し、
          それに触発されて当時ドイツで考案された三色旗は黒、赤、金で、「名誉、自由、
             祖国」を示す。当時ドイツでは、その祖国が存在しなかったのである。ちなみに、
          第一次世界大戦以後、ナチ時代を除いて、ドイツ国旗は、この昔の革命時代の
          三色旗が使われている。


          この絵の舞台になっているリューゲン島は、バルト海に浮かぶ最大の島で、
          フリードリヒの故郷の沖合にあり、またこのあたりは、ケルトの古代からの言い
          伝えの豊かな地域である。
            
   




                                


         テッチェンの祭壇  最初に示した「山頂の十字架」と同じ画材であるが、
                 教会の祭壇画の形式を取っていて、すみずみまで、 周到な
                宗教的比喩が込められている。


                枠と絵とが一体となっている珍しい形態で、これは、おそらく彼もその
                一員であったフリーメースンの関係であろうと、考えられている。
                 ここに息づくのは、内密の光明の秘儀であろう。

 
                        

                                  
     *注 フリードリヒは多作と言えるであろうか。入念な作風にもかかわらず、完成作だけで
     90点を超えている。ここに抽出しうるものは、そのごく一部に過ぎない。それでも、ドイツ・
     ロマン派の代表的作者としての特性を十分に察しうるであろう。つまり、いくつかの概念に
     要約すれば、まず、形而上学的、神秘主義的、情感的であり、次いで、美的活動における
     すぐれた論理性、抽象性、宗教的アレゴリー性、等であろう。


     しかし、これらの作品に内包される意味のみが、芸術作品の意義を決定するものではない
     のは、勿論である。美的作品には、美的価値が優先する。 フリードリヒの絵を見た場合、
     構図と言い、彩色と言い、描写の確実性と言い、その出来映えの見事さに感嘆せざるを
     得ない。私などは、殆ど、どの作に対しても、息を呑む思いである。けれども、このよう な、
     あまりにも精神的にぎすぎすした感じの絵を好まないという人も多いであろう。 芸術は
     良い意味で、趣味の問題であるから、その点から言うと、好悪の別れる画家であろう。


    
                                               (2007.12.24)                                                 

                                                                  
                                                 
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