| 第二のふるさと |
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『龍談義』でお馴染みの絵葉書のコピー。 旧村役場のステンドグラスからの切抜き。 下に、 「かつての独立自治体 フライブルク近郊のザンクト・ ゲオルゲン 768-1938 の思い出」 と記されている。聖者の名前 (St.Georgen) を取って 村名としている。 市から約5キロ離れたこの村落に、私は 1958-60 の 二年間居住し、この地は、ドイツにおける第二の故郷となった。 |
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1959年の五月。 近くを走るスイスのバーゼルに通じる鉄道の土手から撮った。 ゲーテの名詩にあるとおり、 「とろけるように美しい五月」である。 残念ながら、フィルムが相当に傷んでいる。 |
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これは集落に一軒だけあった料理旅館。教会の塔を取り入れて、裏側から撮った。 ここの料理屋は水曜日が「屠殺日」であった。 味か良いので、評判を呼んでいた。諸方から人が集まった。 貧乏留学生も、ときには、ご馳走を食べたが、確かに、日本の牛肉を偲ばせる味があった。 。 |
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素朴な村の教会である。 気取りがない。優しさがある。 |
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門前に聖者の像の噴水が立っている。 妙な話だが、颯爽たる足さばきで歩いて行くドイツ娘は、未だにこのまま、歩き続けているような気がする。写真の良き点景である。 |
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村の新開地。住宅街が次第に造成されていた。 |
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それでもすぐ横には牧草地が開けていた。 向こうの並木道はスイスに向かうバーゼル街道。 |
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ジムシュ (Simsch) 家。この家の二階の裏側の部屋に下宿していた。 その後、渡独のたびに何度か訪れたが、これは数年前、最後のときの写真。 樹木が繁茂して外観も変わり、玄関の表札を見ると、知らない人の名が並んでいた。 |
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二階の自室の窓から下の庭を写した。 裏庭には野菜畑や果樹類があった。 佇んで、上を見上げている少女は妹娘のレナーテ (Renate) ちゃん。 夜、両親が留守にすると、よく兄と二人で私の部屋へ遊びに来ていた。下図はそのような夜の二人である。 |
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兄はヴェルナー (Werner)
と言った。体格も良く、やんちゃ坊主であった。 両親は毎晩のように出掛けたが、あるとき、予想外に早く帰って来たとき、その物音を聞きつけて、二人は脱兎の如く、廊下を隔てた自室へ飛んで帰った。見つかると、親父さんの鉄拳が飛んで来た模様である。 |