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日本誤訳物語(その2)
アンデルセン奇談
アンデルセンは日本名?
アンデルセンといえば、グリム兄弟と並んで、ヨーロッパの童話の君主格として知られ、日本ではだれしも幼少のころから、この二つの名を聞いたばかりではなく、それらに由来するあれこれの作品を読んだことがなかったという者は、まず皆無であろう。それは、世界中、といっても欧米では同じような事情であろう。それほど、この両者の童話は作品の優秀性も含めて、文化史的に重要な意味を持つのであるが、この論説の展開上では横道に逸れるので詳述は避けるが、この二つの童話は、まったく性格の異なるものである。グリム兄弟(兄Jacob、弟Wilhelm Grimm)のそれは、古来からドイツ国土内に伝承されて来た子供用の物語を再生したものであり、学問上は「民族童話」(Volksmärchen)という概念で把握されている、つまりは「民話」である。これは本来は、ゲッティンゲン大学の言語学の教授であった同兄弟が、ドイツ語の歴史的研究の必要から為されたものであった。その後にロマン派の詩人たちの手が加わって、芸術的趣向もかなり色濃く取り入れられることになったが、本来は学問的所産である。これに対して、アンデルセンのそれは、純粋にひとりの文学者が生み出した芸術的所産であって、「創作童話」(Kunstmärchen)と定義されて、伝承文学からは区別されている。 ―アンデルセンがまだ幼いころからいかに詩的空想力に富んだ少年であったか、彼には『我が生涯のメルヒェン』(Das Märchen meines
Lebens)と称するかなり大部の自伝があって、私はかつて―もう何十年の昔のことになるのだろうか―某出版社から依頼されて、その始めの部分の適当量を抜粋して教科書に編纂したことがあって、そういう作業の余慶で、彼の詩人性の秘密みたいなものを見つけ出した気になったことがあったが、いずれそれも、どこかで触れる機会があればよいと思う。因みにこの本は未だに大学の授業で使われていると思う。名作(教科書としても?)である。
ところで、日本ではアンデルセンで親しまれているが、アンデルセンなる人物はいない。(?)―というと、いかにも奇妙に聞こえるが、彼はデンマーク人である。その名はフルネームで、Hans Christian Andersen と綴るが、デンマーク語ではこの
'd' を発音しないから、母国語での本名は ハンス・クリスチァン・アネルセン である。さりとて英語読みで通すわけには行かないから、それらしくドイツ語風に読み慣わしてきたのだが、厳密にドイツ語でいうと、母音の前の〈s〉は濁音になり、〈sa,
si, su, se, so〉は 〈ザ、ジ、ズ、ゼ、ゾ〉であるから、Andersen のドイツ名は アンデルゼン とならねばならない。これは正論であって、発音辞典(もちろんドイツ語版の)には、いずれもそのように記載されている。―もっとも、ドイツ語にあっては,日本語でいうところのサ行音の清濁は、いたって曖昧で、それに地方差もあるから、一概に濁らなければ間違いと、目くじら立てるほどのことはない。これは参考までにお伝えする笑い話であるが、ドイツ語の'6'は〈sechs〉と綴って、発音は〈ゼックス〉であるが、これを〈セックス〉という人も多い。そうすると、いきおい同音語の英語のセックスを連想して、これは日本語では完全に日常語の中に同化しているから、私のように老いて清濁併せ呑む人間でも、一瞬思いが飛んで、なんともどぎまぎしてしまう。それにドイツでもほぼ同じような事情があって、ちょっとした巷のあちこち、また空港などにも、〈sex
shop〉が、平然と看板を掲げている。だから、ドイツの人たちは6をセックスと言って、その際に変な連想に捕われないのかなどと考えるのは、そう考えるほうが変なのであろうか。現に、セックスと言って顔赤らめるドイツ人などは見たことがない。それはともかく、―だから、アンデルセンはそれで十分に通用性を持ちうるのであるが、それが正規に国語内に定着しているのは、日本だけである。だから、アンデルセンは日本名かと問いかけているわけであるが、ここで一転してまじめな話、―これには見逃しえぬ重要な事情がある。それはほかでもない、このデンマークの詩人はドイツ語を通じて日本に紹介されてきたということである。だからドイツ語式で、しかも日本人の耳に馴染みやすい形で、その名が伝わっていったということである。
先に触れた自伝にも見られるとおり、貧しいが詩情豊かであったこの少年は、大志を抱いてコペンハーゲンに来たり、芝居小屋を覗いたりしているうちに、ふとしたことである貴人の知遇を得て、その人の世話で文学の勉強をすることが出来るようになるが、子供のころから最も望んでいた脚本書きの仕事はものにならず、いくつか手がけた物語作品も、デンマークではあまり評価されることがなかった。思うにデンマークではまだ古い時代からの固定的な文学観が支配的であって、それが、いま読んでもなおわれわれの心に食い入ってくるような、この、なぜか分からないが魔力的な力を備えている新奇な文学に対しては、閉鎖的であったのではなかろうか。ヨーロッパの中原においても、いわゆる「ロマン派」の名のもとに総括される新しい時代の文学が目覚めて、やがて勢威を振るうようになるのは、19世紀もかなり進んでからのことである。それはもとより精神界の出来事に留まらず、政治社会的意味合いを多分に持っていて、フランスでもドイツでもその事情に本質的差異はないが、よくは知らないが、デンマークはそういう事情に乏しかったのではないか。それかあらぬか、アンデルセンは生涯、祖国を離れて、諸方を旅することが好きであった。「旅こそわが人生」は彼のモットーであった。そういう旅の始まりが、まず地続きのドイツであった。そしてドイツで、彼の作品は最初に脚光を浴びるのである。ドイツで最初に彼の小品を翻訳、出版したのは、後期ロマン派に属する詩人、例の「影を失った男」の奇談を書いたシャミッソー (Chamisso) であったとされるが、アンデルセンに対して、ドイツ人ではないけれども「あなたは立派にドイツの人気作家だ」と言っている。そういうアンデルセンが、この地で決定的な文名を獲得するのは、例の『即興詩人』(Der Improvisator)によってである。この稀有な作品は日本では森鴎外の名訳によって、つとに有名であって、深い感銘と、異常な興奮とをこの書から得た者は昔の若者には多く、私もその例外ではない。文語体で書かれているせいもあって、いまでは、おそらく読む人も乏しいのではないか。数多い鴎外の訳業の中でも、これは傑出したものだと思われるが、昭和初期の岩波文庫にも収められたこの書の解説で、「原作をドイツ語で読んだ人々は、異口同音に鴎外先生の訳筆を賞して、原作以上だということにおいて一致している」と言っている。適切な賛辞というべきであるが、それはともかく、ここで原作はドイツ語であると、当然の如くに受け取られている。それが日本におけるアンデルセンの当然の受容の仕方であったのだ。くどいようだが、それはそれでいいのだということを、繰り返し念をおしておくが、もとより、原作はデンマーク語である。
幻想の旅:
旅好きの彼には幾編かの旅行記もあるが、いずれも大したものではないらしい。〈らしい〉というのは、私はそれを読んだことがないからで、世評ではもっぱらそういうことになっている。その彼が、メルヒェンの世界では、実にすばらしい旅物語を残している。それは月のする、幻想の旅の物語である。
月は夜毎に世界を回り、地上のいろいろな情景を見聞きする。さてここに、巷のとある屋根裏部屋に貧乏画家が住んでいる。月はその屋根裏部屋へも煌々と差しこんで、ときには雲にさえぎられることもあるが、ほとんど夜毎に自分の経験談を画家に伝える。画家は絵筆ではなくて、文筆を振るって、それを紙に書き写す。このようにして、人の世のさまざまな、いたって微細で愛すべき、数々のエピソードを連ねた、見事なむメルヒェン集が出来あがる。通常の童話集とは別枠の作品として知られている、『絵のない絵本』(Bilderbuch
ohne Bilder) がそれである。この奇抜で、見るからに好奇心をくすぐられる題名も、作品構成の秘密にかかわっている。私は、彼の自伝などを読んで思うのだが、アンデルセンは稀有の詩的構想力の持ち主である。つまり、どこでどういう言い方をすれば、読者の詩情と,更にいえば涙腺とを、もっともよく刺激することができるかを、すこぶる的確に心得た人である。詩人というのはすべからくそうなのだが、彼の場合は、群を抜いている。それが彼を、世界中の詩心をわきまえた人々に、ひろく馴染ませているのであろう。ある意味では少しもどかしいのだが、彼の秀作に接すると、大人になってからでも、いやむしろ大人になってからこそ、どうにもやり切れない、せつない人生の機微にふれる思いにさせられるのは、避けられないのではないか。その意味でも、彼の作品は子供向けの童話というよりは、むしろ、大人になってはじめて、その真意が理解される物語というべきである。子供のころに読んだ話は、大人になるまで、もしその大人がまともな人間であれば、心中にひとまず眠っていることであろう。この『絵のない絵本』は、そういう傾向が特に強い作品である。使われている言葉も決して安易ではない。
私は『自伝』の教科書を出したことが機縁となって、その同じ出版社から、だいぶ昔に出されて古くなったこの『絵のない絵本』の教科書の、改訂版の編纂を頼まれることになった。新装改訂で、付注も一新して欲しいとの注文であった。そんなわけで、私は特にアンデルセンの専門家ではなかったけれども、別に嫌な仕事でもないので引き受けた。そして、日本でもよく知られているこの著名な作品と〈克明に〉付き合うことになった。眼を皿のようにするか、それとも眼を針のように尖らせるか、文意の正確な解釈を探り当てるためには、ドイツ語を必死に見つめなければならない。すでにほのめかせておいたが、この作品のドイツ語は決して易しくはなく、なまじっかな語学力では迷路から脱却できないことがある。童話だからとて馬鹿にしてはいけない。しかもこれは童話であって童話でないとは、すでに述べたとおりである。そんなときは、ひたすら、辞書の検索あるのみである。語学者にとって頼りになるのは、辞書以外にはない。結局それは翻訳の問題に帰するのであろうが、自国語でまっとうな意味が悟れないでは、注の付けようもないではないか。
そこで、当然のことながら、この作業にあたっては、すでに日本で出ている翻訳を参考にした。岩波文庫、新潮文庫からと、更にこまかく言えば、もうひとつのある教科書出版社から対訳選書の一本としてと、合計三つの邦訳が出ていた。岩波文庫、新潮文庫は、いずれも1950年代が初版で、訳者はどちらも私の先生格の年輩の方である。先達を乗り越えて行くところに学問の進歩はあるのだろうから、遠慮は無用で、納得のゆかない箇所について、いくつかの顕著なものに限って、訂正の意見を述べさせていただく。いまひとつの対訳本は問題にならない。だれか下請けのアルバイトにでもやらせたのではないかと疑われるほどの、ぼろぼろの解説である。訳の内には数えられない。こんなもので勉強させられる学生は、気の毒としか言いようがない。
以下に説明の都合もあるので、この本の構成について簡単に述べておくと、最初は「20夜」までであったのが、その後に書き加えられて「33夜」になり、それに前書きが付けられて、いま見るような形になった。 教科書にまとめる話が出たとき、一年間に用いる教材としてはやや分量が多すぎるので、そのうちの幾編かを削ろうと思ったが、取捨選択に大いに迷った挙句、削るのは諦めた。授業で読み残すことはあるにしても、この稀有の名作の全貌を察知させることは、たとえ未熟な日本の学生相手にも、有意義なことであろうと判断した。それは正しい選択であったろう。
アンデルセンの苦笑:〈そんなはずではなかったのに・・・・・・〉
(1)第十六夜
「あなたに欠けているものは何か・・・・・・」(...,was Ihnen fehlt.)
この夜は、イタリア喜劇の道化役ポリチネロと、鷲鼻を垂らし、からだの前と後ろにこぶが一つずつ付いているこの滑稽な男がひそかに憧れる、美しいヒロイン役コロンビーナとの、いじらしい恋物語が語られる。美女コロンビーナは、醜男ポリチネロに対して、優しかった。そして、ふさぎ込みがちな彼にいつも冗談を言って、慰めた。もとより、コロンビーナはポリチネロが自分に恋していることを知っている。その一節である。彼女は彼に対して言う。
"Ich weiß recht wohl, was Ihnen fehlt!" ・・・・・・. "Ja!
es ist die Liebe."
上記ふたつの邦訳によれば、ここは次のように書かれている。
「わたし、あなたに欠けているものが、なんだか知ってるわ」・・・・・・「ええ、それはね、恋愛なのよ」(岩波文庫)
「あたし、あんたに何が欠けているか知ってるわ」・・・・・・「それは恋愛なのよ」(新潮文庫)
似たり寄ったりである。意味の上では、まったく差異はない。
ところで、これを読んだ日本人は、だれしも首をかしげないであろうか。「欠けている」なら、欠けているものが充足されれば、それで解決されるはずである。彼の憂鬱は癒されるはずである。ところが彼は充分に恋をしている。彼女に対して、あり余るほどの恋心を抱いているのに、彼に欠けている、欠如しているのは「恋愛」だというのは、いったい、どういう意味であろうか。まさかコロンビーナが、まだまだ恋が足りないと言っているわけではあるまい。
まさにこれはそのような意味ではないのであって、動詞 'fehlen' の意味の取り違えである。ちなみにこの語を日本の辞書でひくと、たしかに「無い、欠けている」という説明がまず最初に出てきて、例として
'mir fehlt noch die Erfahrung' (私にはまだ経験が欠けている)とか、'Es fehlt mir an Geld.'
(私には金が無い)とかいう文章が必ず示される。それはそれで正しいのであるから、そのまま読めば、あるいはそれだけしか読まなければ、上記のとおり「何が欠けているか」という文意になるだろう。しかし、ちゃちな学生用の辞書でも、もう少し先を読みすすめると、「健康上必要なものが欠けている、健康上欠陥がある」という見出しがあって、そこに
'Was fehlt dir? / Mir fehlt nichts.' (君はどこが悪いのか。―どこも悪くないよ)という類いの文例が必ず出てくるのである。そこまで眼が及ばないというのは、よほどずぼらな辞書の読み方であろう。これを要するに、問題の'Was
Ihnen fehlt' は、憂鬱症にかかっている彼に対して、彼女が「あなたの病気の原因は分かってるわよ。・・・・・・それは恋煩いよ」と言っているのである。もちろん、愛情のこもった冗談で、憐れな相手を励まそうとして言うのである。だからそのあと、会話は次のように続く。
'......fügte mit komischem Pathos hinzu: 'Ich bin es, die Sie lieben!'
(おどけた熱っぽい調子で付け加えて言いました。・・・・・・〈あなたが恋してるのは、このわたしよ!〉)それを聞いて、ポリチネロは大笑いして飛び上がり,憂鬱も吹き飛んでしまうのである。そのふたりの可憐な交友に、作者アンデルセンは次のようにさりげないコメントを加える。 'So
etwas mag man wohl sagen, wenn man weiß, daß keine Rede davon
sein kann' (言っても全然平気だということが分かっているときには、そんなことも口に出せるものなのです)小憎らしいと言いたいほどの筆運びである。これを上述の邦訳では、そろって次のように記している。「恋愛と関係のないことが分かっているときには、こんなことも言えるものなのです」......恋愛を問題としながら、恋愛と関係ないことを前提とする、これではまったく狐につままれたようで、文章の前後関係がさっぱり分からない。日本人の読者ばかりではなく、作者のアンデルセンも、これでは迷惑であろう。それにここには文法的な誤りがある。'davon'
は直前の 'So etwas' を受けるのであって、「恋愛」、つまり 'die Liebe' なる語を受けるのではない。そんな遠いところまで、関係詞を探しに行くわけがないではないか。
(2)第九夜
「瀕死の病人を海へ運び出すため」(damit der Tote zum Meere geführt
werden konnte,...)
ここでは北国のグリーンランドで、家族に看取られながらいま息を引き取る一人の漁師の模様が語られる。妻の問いかけに答えて、男は海に沈めて欲しいと願う。妻はそれに賛同する。そして子供たちは泣きながら窓孔に張った獣の皮を引き裂いたが、それは「瀕死の病人を海へ運び出すため」と、見出しの文章に続くのである。・・・・・・ともかく、我々が問題としている二つの邦訳は、いずれも判で押したように、まったく同じ表現を取っている。
ここで何かおかしいと感じないであろうか。ここの文章をドイツ語でたどると、次のようになっている。妻が海底の墓所はすばらしいと述べる言葉があったあと、文は改まって、"Und
die Kinder rissen heulend die ausgespannte Haut von dem Fensterloche, damit
der Tote zum Meere geführt werden konnte,......"となっている。おかしいというのはここの読み方であって、妻の言葉が終わってピリオドが打たれたあと、「そして」(Und)と子供たちの行動を叙する文章の始まりを告げる接続詞が置かれるあいだに、つまり、文章上のその空所において、男はすでに死亡しているのである。だから子供たちは父の亡骸を海に沈めるべく酷寒の戸外へ運び出すのであって、だれがまだ生きている瀕死の病人を、姥捨山ならぬ「姥捨海」へ、連れて行ったりするものか。現にドイツ語では「死者」と書いてあるではないか。'der
Tote'とは形容詞 'tot'(死んでいる)の男性1格形、「死んだ男」の意味であるなどと、ヨーロッパ語の初歩的基礎知識をここで説かねばならないとは、なんとも理解に苦しむ。まさか訳者がそれを知らなかったわけはあるまい。にもかかわらず、このような理不尽な誤解が生じるのは、ドイツ語たると、日本語たるとを問わず、およそ言葉の有する論理性が分かっていないからである。アンデルセンならずとも、人間ならばだれでも、瀕死の病人を海へ運び込んだりはしない。
「上弦」か「下弦」か? (Der Mond stand im letzten Viertel.)
総じてこの夜話の訳には誤りが多い。書き出しの部分で「月は上弦になっていた」と記されているが、実は「下弦」である。ドイツ語で「上弦」ならば 'im ersten Viertel'(最初の四分の一)、「下弦」ならば 'im letzten Viertel'(最後の四分の一)である。どちらも三日月だからいいではないかと言われるかもしれないが、そうはいかない。この死者の物語では、どうしても月の満ち欠けの終わりのほうでなければならないのである。新月にも、満月にも、死の物語はふさわしくない。漫然と月のたたずまいを記したのではないであろう。アンデルセンの溜め息が聞こえるようである。どうして分かってくれないのかなあ、と。
「死人の魂は、せいうちの頭といっしよに踊らせておけばよい」
(・・・・・・die Seelen der Verstorbenen Ball spielen mit den Köpfen der
Walrosse!)
やがて村人の集いの場面が描かれる。そこで土地の信仰にしたがって、上記のような村人の思いが述べられることになるのだが、さてこれは何を言っているのであろう。'Ball
spielen' は「ボール遊びをする」の意味である。であれば、せいうちの頭をボール代わりにして投げっこをするというのは、動作としては分かる。この「球技」というのは、ローマ時代からの古いしきたりがあって、現在のハンドボールやフットボールが、主として土地の祭りごとに関連して行われ、しかも最後は舞踏めいた所作で終わったという。だから、球技が舞踏に移行するというのは分かるので、現にこの物語でも人々は白い毛皮をまとって輪舞する、その姿はまさに「白熊の舞踏会」(Eisbären-Ball)のようだ、と語られる。ここで私の言おうとしていることがお分かりだろうが、ドイツ語で同形の
'Ball' にはもう一つ「舞踏会」の意味があるのである。「ボール」から「舞踏会」への移行のいきさつは、私の調べたかぎりでは上記のとおりだが、ほんとうのところは不明と、ドイツ版の権威ある辞書でも述べられている。それはともかく、あとで踊りの会になるからといって、無理矢理にせいうちの頭を相手にダンスをさせてはならない。ドイツ語ではそうは書いてないのである。権威ある実例で用法を実証しよう。
'Der Sturm ist Meister, Wind und Welle spielen Ball mit dem Menschen.'
(嵐は傍若無人で、風と波は人間をボールのように投げ飛ばす) 文豪シラーの文章である。まさか風波が人間とダンスをするわけではあるまい。それは英語の‘play
ball’が、どう考えても「ダンスをする」という意味にはならないのと、同断である。
「夜となく昼となくたえず変化する氷山」( wie Tag und Nacht wechselnde Eisberge)
この夜話には気になる箇所が多すぎるが、最後のくだり、男の死後の墓標のことを思いやる叙述も、どうもしっくりしない。'Tag und Nacht' はだれが読んでも「昼となく夜となく」という意味であろうが、それではその前に付けられた接続詞 'wie' はどうなるのであろう。'wie' はこの場合は「比較」をあらわす接続詞として用いられていて、一般に「〜のように」と訳して,ほぼ間違いない。ところがその語意がこの訳文ではどこにも示されていないではないか。'wie' があるのとないのとでは、文意は大違いなのである。
それではこれを「昼と夜のように」と訳してみて、さて「昼と夜のように変化する」とはどういうことであろうか。ここで、またしても権威ある辞書に頼らねばならない。その説明によれば、'wie Tag und Nacht' は「昼と夜のように」まったく逆のものの対比を示すという。日本語では「天と地ほどの差」とは言うし、俗に「月とすっぽん」とかは言うが、「昼と夜のような違い」とは言わない。ところがドイツ語ではそう言うのである。ちなみにフランス語でも 'comme le jour et la nuit' と言うそうである。それをずばり言い得て、しかもうまみのある表現は、日本語では見つけ難いが、問題は変化の「状況」であって昼夜の「時間」ではない。だから、時間的概念はすべて排して、状況語のみとし、「変幻無碍の」というのが生硬であれば、「幻のように変化する」ぐらいの訳語はいかがであろうか。そうすれば、「海に浮かんで幻のように変化する氷山」が、男の墓標にふさわしいという、妻の思いが、いっそう終末の悲哀感を高めるのではないか。
(3)第四夜
「...指をたたかれました」(..., dem Pöbel wurden die Finger geklopft...
)
ここではある小さな村で、喜劇が演じられる話が語られる。馬小屋が急ごしらえの芝居小屋に改造されて、その日は特に、旅行中の若い殿様が奥方と一緒にお見えになるというので、小屋は村長はじめ、村人たちで満員、外には下男下女たちが立って、警官が警棒で脅すのも聞かず、小窓から中を覗き込んでいた。いよいよ開幕のベルが鳴ると、外の連中は警官から「指をたたかれた」と、なるのである。念のため、両文庫の当該箇所を文字通りに引用すると、「のぞいている連中は、指をぶたれました」(新潮文庫)、「下男下女は指をたたかれ」(岩波文庫)、と記されている。
さて、警官は警棒を持っているのであるから、それで「指をたたく」ということがあったかもしれない。しかし、日本の警官なら、警棒でことさら指をたたいたりはしない。そんな叱り方はしない。こんな場合なら、わき腹や腕をこづくか、たたいても精々お尻だろう。わざわざ指を狙ったりはしない。つまり、この訳では、日本人には意味が分からないということである。この文脈からいうと、おそらく実際に指がたたかれることはなかったろう。これは特有の比喩的な言い回しなのであって、昔、学校で子供たちが机に向かって勉強していた。教師はムチを持って、勉強ぶりを監視していた。そして、怠けている者があると、ムチで、机上に出されていた子供の指をひっぱたいたのである。それが後世に転じて、実際の行動としてではなく、「こっぴどく叱りつける」という意味で継承されたのである。一種の諺めいた「決まり文句」(念のため、ドイツ語を示しておこう、〈Redensart〉)である。だから、ここでは、「身分の賎しい者たちは
(dem Pöbel) こっぴどく叱りつけられて」、そして月は、この人間喜劇を共に見物していた、ということになるわけである。
ここでも言っておかねばならないが、この語法にしても、ごく普通の学生用の辞書にも、その用例が載っている。もちろん‘Finger’を見出し語としてである。もう少し丁寧に辞書を引いてもらいたいものである。もとよりドイツ版の辞書には懇切丁寧な説明が記されている。私はそこから取って来たので、ヨーロッパ人ではない私が、そうでなければ、そんな言語習慣を知るわけがない。第一、ここはどうもおかしいなと思わないほうが、おかしいのである。ついでにいうと、第二十四夜にも同じ表現があって、そこもまったく同じように訳されている。
(5)第八夜
「この友人の体験しなかったことが、何かあるでしょうか」(Was hat er nicht
alles erlebt!)
「月にとって、話のできないようなことが、何かあるでしょうか」(Was kann der
Mond nicht alles erzählen!)
この夜は厚い雲がたれ込めて、屋根裏部屋の画家は、月を慕いつつ、さみしくひとり言をいう。その中で、上記の同じ形態の感嘆文が、二度、述べられる。
なるほど、ドイツ語をひとつずつたどってみると、この訳文のように見える。この場合も、問題としている二つの翻訳は、ほとんどまったく同じ日本語をつらねている。なんと堅苦しい日本語であることか。果たして原文は、こんな持ってまわった言い方をしているのであろうか。これは忠実な訳などではなく、実は、原文に見られる‘nicht alles’という定型的表現に関する無知に由来する、苦しまぎれの訳なのである。この訳者たちは、文法上「冗語のnicht〈pleonastisches nicht〉」といわれるものを、習得していないのではなかろうか。なるほど、文字を追うかぎり、‘nicht alles’は「なにもない」ということになって、〈月はなんにも経験しない、なんにも物語れない〉ということになってしまって、具合が悪い。月はなんでも経験し、なんでも物語れなければ困るのである。そこで‘nicht’を生かして、〈体験しなかった、とか、話のできない〉とか、否定的表現をとり、次いで反語的にそれを問い返す形で、辻褄を合わせている。そんな面倒なことはしなくてよい。この‘nicht’はあっさり飛ばしてしまって、月は〈なんとすべてを経験していたことか〉とか、〈なんとすべてを物語れることか〉で、本来の文意は的確に伝えられるのである。他の用例もあるが、この場合のように感嘆文では、ほとんど定型化した形で用いられる。‘Was du nicht alles weißt!’(君はなんでもよく知っているんだね)という類いである。この‘nicht’は挿入されて文意を強調するのだが、冗語とか、無用の‘nicht’とか呼ばれて、辞書によっては、〈標準語では誤用とされる〉などと、わざわざ断り書きが付いているものもある。しかし、生きて現に機能している言葉のどこが間違いだと言えるのだろう。間違う日本の学者のほうが悪いのである。―これまた、言うまでもないが、ごく普通の日本の辞書にも、ちゃんと説明が載っている。先生いじめの学生の眼に留まらなければ、幸いである。
余話:
今般このアンデルセンの記事を書くにあたって、年譜などに齟齬のないように、念のため、日本でおそらくもっとも権威のある百科事典を引いてみた。項目執筆担当者は、ここで述べた二人の先輩のうちのお一人である。そうすると、〈アンデルセン〉の見出し語のところでは〈アネルセンを見よ〉との指示があって、さて〈アネルセン〉の項目をみると、「アンデルセンともいう」という最初の警告のもとに、まあ然るべき記述があった。すべての百科事典がそうであるかどうかは知らないが、日本の事典としては、これは反対ではなかろうか。〈アンデルセン〉の見出し語のもとにすべてが集約され、ついでに、本来はデンマーク生まれだから、本名はアネルセンと発音すると、参考までに述べるのがいいのではないか。百科事典は一般読者を対称としたものである。日本では一般にアンデルセンで通っているものを、わざわざ専門家の領域に連れ込んで、蒙を開く必要はない。混乱するばかりである。草分けの森鴎外もそうだが、現在出版されている文庫本も、すべて作者名はアンデルセンと記されているではないか。事典で学識を披露するのは、無意味であるばかりではなく、衒学のそしりをまぬかれないであろう。
それと関連することでもあるが、この両文庫本の訳者は、揃って、当作品をデンマーク語の原典から訳出したと、解説のあとがきで述べている。両人がデンマーク語に堪能であるかどうかはさておいて、両人ともれっきとしたドイツ語の教師である。前述のように、アンデルセンとドイツ語は深い縁につながれており、立派なドイツ語版が存在しているのだから、ドイツ語から訳すほうが、万事、はるかに自然なのである。無理をしてデンマーク語から訳す必要はない。ドイツ語版を底本として、時に応じてデンマーク語版を参照したというのなら、事情はすんなり、のみ込めぬこともない。
それと、日本における外国文学の翻訳と受容の問題性を指摘するのが、この評論集の趣旨なのだから、どうしてもこういうことも言っておかねばならないのだが、ここで論じてきた二つの翻訳は、両出版社から、1952年と1953年に相次いで出されている。異なる出版社から異なる訳者により、同一の作品の翻訳が出される場合、文体とか、解釈とか、その内容がいささか異なって当然で、そうでなければまた、同じようなものが二箇所から、それも大して時をおかずに出版されるというのは、まったく無意味であろう、と、少なくとも私はそう判断する。ところが、この両書は、上述のように、判で押したように、まったく同じ間違いをおかしている。その様は、まるで同じように間違わなければ義理が悪い、とでもいうようだ。学者仲間がお互いに「護送船団」を組んでいるというのか。それに、更に首をかしげて止まないのは、これほど変わり映えのしない、歪んでいる点でも瓜二つという作品を、どうして出版社が競って出版したのであろう。商業主義か。とすれば、それが日本人の知性の汚濁に、また新たな毒素を注いだことを、反省しなければならぬ。
(2002年4月17日 記)
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