| 『伝道の書』の行方 ―ドイツ・バロック詩との関連で― 1.
言うまでもなく、バロックの基本的テーゼである Vanitas-Motiv の表徴であって、その表紙の下の方には ‘Deutsche Gedichte des 17. Jahrhunderts’ と中身の説明がある。そして、その表題と内容説明との間には、純バロック様式の小画像がはめ込まれていて、その図にはわざわざ ‘Keines ohne das Ende’(終わりのないものは無い)という「銘」が付してある。そこまで入念にバロックの無常観を訴えずともよさそうなものだがと、私などは、ふと口元に微笑が浮かんで来るのを押さえようもないが、もとより一般向きのものであるこの書物には、それがいかにも相応しいレイアウトであるように思われて、快い。収録されている詩の選択にも無理がなく、また、巻末の解説も公平で、全体の概観を与えつつ、重要なポイントは的確に指摘している。この種の選集には編者の嗜好がはたらくことが多いので、その嫌味がないだけでも、私にはこの本が愉快なのである。 あらかじめ申しておくが、冒頭の詩句はドイツ・バロックの代表的詩人、Gryphius (Andreas,1616-1664) に由来するものである。ところで、私はどうしていま、改めてこの書を手に取ることになったのであろうか。それは次に記すようないきさつで、他の重厚なバロック文学文献を差し措いて、この軽妙な書を前面に出すことになったのである。 2. 断っておくが、私は Nossack の特殊研究家ではない。バロックについては、専門的解釈学に修練を積んではいるが、私の活動領域は叙事文学であって、したがって、叙情詩を主たる創作活動の場とした Gryphius には、概括的なこと以外、それ程深い馴染みはない。しかし、元学生であると、各年齢層の仲間であるとを問わず、相手がだれであれ、ドイツ語・ドイツ文学に関する論議には好んで参入する。それが生涯の生業だからである。相手から然るべき応答があると、喜ばしいが、時として、年寄りの冷や水は敬遠されることがある。今度の場合は、業績に付された手紙の中に、Gryphiusの詩の解釈をめぐっての質問があったので、早速、それに応ずることにした。そして、そのやりとりの中で、この一文が誕生する機縁が熟したのである。 さて、その Nossack が依拠した元の詩とはいかなるものであろうか。それは、次に示す三節詩である。
悲痛な詩句の列で、もしもこれが現実の個人たる詩人の告白詩だとすると、用語や詩形に関する若干の古めかしさはあるとしても、同じように、私人の抗しきれぬ強大な圧力のもとに、ただ黙して最期を迎えるしかない、やり切れぬほどはかない運命の苦悩をうたったもの、と受け止められるであろう。特に「国内亡命」(die innere Emigrati- on) の一員として、内心の秘事に悶々としていたであろう Nossack には、これは文芸上の友として、三百年前の先達の詩情に触れる、感動の一篇であったであろう。 そういう作品受容の仕方は、それなりに分かるのだけれども、すでに従前の記述からも察せられるとおり、その感覚は基本的には実情に一致しない。いわば、Nossack は、本来の詩とは違うコンテクストでこの詩を読んでいるのである。率直に言って、バロック文学に心得のある者ならば、用語やレトリックから、これが典型的にバロックの Vanitas- Motiv のヴァリエーションであることが分かる。それは一目瞭然と言ってよい程である。その上、この時点ですでに申しておかねばならないが、この三節詩は Gryphius の長い Ode の中から適宜に三節を抜き出して、それに本来の作者とは無縁に ‘Am Ende’ という表題を付けて、だれかが当時、というのは 1920~30 年代、第一次世界大戦直後に、ドイツ人として、三十年戦争の昔を回顧して、同じ戦争の悲劇を共有できるという思いのもとに、広く流布されたバロック詩のアントロギーのどれかに収め、そうしてNossack はそれを読んだのであろう。その編纂の作業の詳細は不明で、だれがその三節を選択したのか、そうしておいて、それに魅力的な ‘Am Ende’ というタイトルを付けたのか、今のところ、分かっていない。 3. そこで、これが文学的トポスに属する、ごく一般的なバロック詩の様式であることを理解させるために、質問者に、Gryphius の詩の中で、このテーゼに属する最も典型的な詩を読んでおくように勧めた。普通、Gryphius と言えばこれだ、というよりも、バロックの Vanitas と言えばこれだ、と称しうるほどに有名な詩である。題名もそのものずばりで、以下にそれを示そうと思うが、全十五節からなる長詩である。 もっとも、ここでまた注釈が入るが、Vanitas(無常)が基本的テーゼであるといっても、それはそれに対立する Constantia(恒常)という概念が厳存しているからの話である。世の中のすべては「有為転変」と「恒常不変」に分かれる。人間に即して言えば、肉体は前者に、魂は後者に属する。当時の著名な哲学者 Pascal によれば、「人間とは不思議なもので、肉体とは何かが分からない。魂が何かとなると、更に分からない。いちばん分からないのは、どうして魂が肉体の中に同居しているかということだ。これが最も奇妙で、しかし、人間にとって最も大切なことなのだ」これがバロックにおける二元論というもので、ここではすでに対立する矛盾の止揚の可能性もまた示唆されているが、こういう分かりやすい言い方で説明してもらうと、子供でも理解できるだろう。ある決定的なバロックの世界観の定義で、近年において最も注目すべきは、バロックの基本理念は ‘Ordo-Gedanke’(秩序の思考)という、神的秩序と、その地上における写し絵、つまり人間における理性的秩序として把握する方向である。4 なるほど、この観点から俯瞰すれば、当時の代表的文化人として、Leibniz の哲学や Bach の音楽の理路整然とした業績も、時代精神の反映として理解される。 ─これはいささか余談となるが、最近、Frühneuhochdeutsch 関係研究の篤学の士によって、日本の独文学界でもLeibniz の『国語論』が翻訳出版されたが、5 これはまことに画期的な意義を有している。 日本のゲルマニィスティクはいかに重要事をないがしろにして来たことか。─ もともと規範的な思考の持ち主であった Gryphius においては、この基本姿勢がもとより詩作の根底にあり、また少し異質なようではあるが、Grimmelshausen (Hans Jacob Christoffel, 1622?-1676) のように、一般には民衆作家とみなされているような作家でも、その大作の末尾は ‘Unio mystica’(神との神秘同盟)の命題をもって終わっている。いまバロックの代表的な「無常の詩」に目を投ずるに当たって、そのことをまず念頭に置いていただきたい。十五節に及ぶ長さも、そのことの強調と関係がある。当然、全部は無理なので、ここでは表題と最初の二節を引用するに留めよう。諸処に書き間違いがあるのではないかなどと、変な現代的感覚をはたらかせないでいただきたい。これは正真正銘の当時の書法である。ただ典雅な Fraktur はこれを断念して、読者のために Antiqua に俗化したまでの話である。
本文のみ、文字通りの訳を付けておくことにしよう。
ここで初めて伝えておく段階に入ったが、実はこの詩は、聖書の『伝道の書』 (Der Prediger Salomo) の内容を、そっくりそのまま詩の形に移し替えたものである。したがって以下に連綿と、十二節に至るまで、名声、知識、富、名誉、権力、美、若さ、健康など、具体的な事象をあげて、その空しさが論じられる。そして第十三節に入ると調子は一変して、だから目覚めて、この世のすべてを笑い捨て、ひたすら主に祈りを捧げて、真の幸いを授かるようにと、説かれる。詩文は流麗で感動的だが、論旨は聖書の教義と完全に同じで、定式的である。 ちなみに『伝道の書』の書き出しの部分は、関係する各言語で次の通りとなっている。
ドイツ語では Vanitas は Eitelkeit が一般的であるが、Unbeständigkeit、Nichtigkeit も、時に応じて同義に用いられる。 4. そう言われてみれば、ドイツ語聖書訳では、当該の箇所に括弧付きでこの語が登場する。全体を示せば “Der Prediger Salomo (Kohelet)” である。従前は内容に関係がないので、注目することはなかった。ただ、ちらりと不審の念を抱いただけである。それがいまは大問題になって来た。この聞き慣れぬ語は何か。そういうことを調べるには、我々には、外来語辞典に頼るのが、まず筋道である。なかんずく私には、こういう語の場合は、手元にある同種の辞典のうちで最古のものが、6 いちばん有益であることが、経験上、分かっていた。その、半ばぼろぼろになった辞典の記述を抜き書きすると、次の通りである。 Koheleth, m. hebr. (eig.
Sammler, Prediger, Versammler od. dergl.,......) ここでお断りしておくが、この評論はここらで文学論からやや離れて、翻訳論の方向に転じている。従前の記述にもすでにところどころ脇道に逸れることがあったが、ご存じかどうか、多様な Ausschweifungen は華美な文体の一種なのである。硬骨難解ばかりが論文の価値ではない。ついでにラテン語にまで足をふみ入れると、Vulgata の用語については、同辞典に、次の説明がある。 Ecclesiastes, m. gr.-lat. griechische Bezeichnung des altt. Buches “Prediger Salomo” (s. Koheleth). そこで、従前の呼称を用いて十分に正しいはずであるのに、わざわざ得体の知れない片仮名を掲げて読者を混乱させる必要はない。こう考えて、その間の事情の究明に乗り出すことにした。その際、インターネットを利用したのは勿論である。こういう場合、インターネットの検索機能は、フルに能力を発揮する。改変の事実は、もとより、指摘された通りであった。 これはどうしたことか。近所に親しい、熱心なキリスト者の老女がいるので、いつも半ば戯れに交わしている教義問答よろしく、今回も尋ねてみたが、知らないという。その老女の所属している教団では、別の版の聖書を使用しているらしい。そこで、日本聖書協会に直接たずねてみることにし、ネット上で探知した然るべきアドレスにメールを送った。いきなりの通信であったので、どうかな、と半信半疑であったが、さすが、すかさず返信があった。その内容から見て、相手は相当の神学者であるらしい。自分は新訳に直接携わったわけではないので私見になるが、変更の理由は、今回の編集方針の柱である原典重視にあるのではなかろうか。従前は英訳等からの重訳に拠る部分が少なくなかったので、多少のずれがあったが、今回はそれが修正されている。『コへレトの言葉』に関しては、「集会者」、「伝道者」で、意味内容は正しいと思うのだが、コへレトなるものの実態が、聖書外資料の不足で、よく分かっていない。そこで、ヘブライ語の原形をそのままに、コヘレトなる人物によって残された箴言というような意味合いで、新訳名を決定したのであろう。これは聖書協会としても、思い切った冒険だったのではないか。 要約すると以上のような内容になるが、疑念を残さない卓抜な説明で、敬服し、感謝している。けれども、問題そのものがこれで解けたということにはならないので、ご本人も率直に宿題を認めておられると拝察する。第一、我々語学者としては、実態が分からないからといって、原語の読みをそのまま片仮名に移して済ますというのでは、およそ翻訳にならない。この面妖なヘブライ語に関しては、ギリシャ語以来の連綿たる解釈の歴史があるのであろうから、なにも日本人がここで意地を張る必要はない。したがって、この冒険には賛成できない。 5. さて、問題の原詩は聖書『ヨブ記』を典拠とするものである。表題はラテン語で、Vulgata から取った一節が、ほぼそのままに用いられている。 ‘Dimitte me! Ut plangam paululum
dolorem meum. Job. 10’ この箇所の独日の訳は以下の通りである。(出典は前と同じ)
全42章から成る『ヨブ記』の、神への問いかけが一段と痛切になり始める部分である。これに基づいて、詩は、1節6行、全11節から成る長詩で構成され、人間存在の無常に関するヨブの愁訴が、具体的事例を掲げて、次々と述べられる。神の返事は、詩には取り入れられていない。その書き方は、前述の “Vanitas!” の詩と、まったく同一である。まったく同じ文言、比喩が用いられているところもある。本来ならば全詩を表示して理解に供したいところだが、ひとつ大切なことを申し添えると、そういう執拗なまでの同一テーマの累積が、バロック様式の特性で‘barocker Wucht’(バロック的重層)と呼ばれるものである。 さて、問題の三節詩は、この長詩の中から第4、第9、第11節を抜き出して構成されている。したがって、それぞれが緊密な相関関係にあるわけではない。第二番目に当たる第9節は、前の Vanitas の詩でも見たとおり、Gryphius が諸方でしきりに使っている文言である。全詩を通じて読むと、第一番目および第三番目は、それぞれの直前の詩句との関連が重要である。ここでそれを見ておくことは、意義があろう。第一番目の前の第3節は次のような文言である。
これを受けて ‘Ich habe meine Zeit in heißer Angst verbracht. Dies lebenlose Leben......’ と続くのである。だから、俗に言えばこれは、だれにでもいつかは訪れてくる死に対する恐怖をうたったものであるに過ぎず、それに対して「日々焼けるような不安を抱いて、この単に生かされているだけに過ぎない生」を送っているという以上ではない。と言ってしまえばそれまでなので、問題は詩句である。そしてそこに秘められた生死の不可思議に対する比喩である。だれがその謎を解くことが出来よう。バロック時代の不断のテーゼである。 次いで三番目の前の第10節は、更に重要な、この詩における根本的な命題を含んでいる。以下にまず原詩を述べる。
この詩句はかなり難解だし、また後の論述とも深く関連するので、少し丁寧に訳しておくことにしよう。ただし、柔らかい調子で。
そして、これに対する自問自答の形として、すでに馴染みの次節に続くのである。三節詩の最終句は、したがってこれとの関連で読まれねばならないが、それが欠けているために、独立の詩句として、別個の解釈の可能性が生じている。大事な箇所なので、これも、ここで主要な前半のみ、上の調子に習って日本語に直してみよう。
「彼は例えば、その方がずっとありそうに見えるのに〈神よ〉とは書いていません。彼は〈君〉Du と書いています。彼は神という言葉を避けました。それは当時でも陳腐な言葉になっていたからでしょう」(Er sagt nicht etwa “Gott”, was doch nahezu- liegen scheint, er sagt
“Du”. Er vermeidet das Wort Gott, weil es auch damals vielleicht
ein Klischeebegriff geworden war, ......)8 17世紀の当時、神がすでに陳腐な概念となっていたというのは、実態としてはあり得ることかも知れない。17世紀が宗教的に規制された時代であったことに異論の余地はないが、それほど勿体ぶった規範にがちがちに縛られていたなどとは児戯に類する考えで、現に、当時の風刺画や世俗文学を見ても、思考形式のほころび、または古い思考形式からの解放が認められる。しかし、当面の、このバロックの叙情詩に関してはどうであろうか。 少なくともこの文面から察しられるかぎり、Nossack は原詩を読んでいないで、この一節を独立の詩句とし、自己の立場から、現代的解釈を施している。その読書行為の正否は、おのずから別の問題であろうが、当評論はまさに、その問題点に触れようと試みるものである。 それは第一番目の詩句に関しても言えることで、「日々焼けるような不安を抱いて過ごした」というのは、万人に共通の経験でもあり得るだろう。それに、ナチ権勢下の恐怖、また Nossack が触れているとおり、防空壕や焼却炉やヒロシマについて考え、更にそれにも懲りずに、次の破局に向かってよろめき進んで行く戦後の時代を考えると、居たたまれない怖れに襲われたであろう。そういう真摯な人々の意向を伝え、更には、それでも逆らうすべもなく、生き甲斐のない生をただべんべんと生きているだけの人生の苦悩を捉えて、確かにこの詩句の最初の二行は、卓抜した感銘を与えている。現代人がその意味で読んだとしても、当然である。ただそれが、原詩の創作の立場とは異なるという事実は、厳然として残る。それを無視しては、研究の欠如が咎められて、却って古典のいのちを損なうのではないか。 6. 幸いなことに私のごく近辺にもう一人、Nossack 研究家の女性がいて、同じ大学の元学生で、私とは時期がずれて直接の師弟関係はなかったが、その有能な仕事ぶりを通じて、いつしか知己を深めている。9 この研究者の場合は、特に文献関係に詳しくて、Nos- sack の蔵書関係の調査、検証などで優れた業績を挙げている。Nossack 自身にも「私の本棚」的なエッセイがあるらしくて、作家の書庫拝見というのは、どんな場合でも有意義なことである。その女性から、彼の近世の詩に対するつながりとして、その蔵書目録に、さる友人から贈られた17・18世紀のドイツ詩集があるということを教えてもらった。しかし、それは1950年代の出来事で、一方、問題の三節詩に出会ったのは戦後間もなくであることがその場の記述から知られるから、10 たとえ、蔵書中に当該の詩があったとしても、双方は無縁である。三節詩の素性は不明であるけれども、Nossack はそれを一つの完成品として受け止めたのか。ドイツ人で教養人であれば、およそバロック詩のあり方などは常識として心得ているはずである。しかし、彼はそれにこだわらなかった模様である。詩人の目で見れば、一節ずつがばらばらのこの三節詩が、にもかかわらず、彼の魂を震撼させたのである。‘Am Ende’(終わりに)という、いかにも現代風の題も、胸を打つものがあったのかも知れない。ここに彼がこれを “Mein Gedicht”(これぞ我が詩)と呼ばせた理由が存在するように思われる。要するに、共感しうる言葉の魅力である。バロック詩が三十年戦役の民族的苦悩の表象だから、第二次世界大戦の苦渋と重なり合いを見せるからという、そういう具体的な事象の同質性が、詩人の心を揺さぶったのではない。三百年の歴史は、その際、物を言わないのである。 これに関して、注目すべき発言が、Nossack 自身の口から発せられているらしい。らしい、というのは、それを知ったのも、かつての教え子から教えられたからである。その文意を要約すると次の通りになる。「否応なく我々の胸に居座って動かない言葉」 (die Worte......, die wir in uns mühsam verdrängen.) を聞くときに受ける感情は、「三十年戦役の困苦と現代の歴史的状況とをいかに比較しても、説明することはできない」(Kein Vergleich des Dreißigjährigen Krieges mit unserer geschichtlichen Situation erklärt......)そして、その後に、例の三節詩の第一番目の詩句が続くのである。これは蔵書問題に関するエッセイの中で述べられている由であるが、11 Nossack は明らかに、文芸に携わる者が古今の書を読む場合、その書から受け取る共感といったものを大切にしていることが知られる。三節詩を「我が詩」と称する例の小評論の中で、問いかけの形であれ、次のように述べている。「詩的な言葉というのは、歴史的時間の外側にあって、唯一の親密な相互理解の可能性を秘めたものではなかろうか」(......,daß das dichterische Wort die einzige intime Verständigungsmöglichkeit
außerhalb der historischen Zeit ist?) 文学における政治関与の問題が囂しかった第二次世界大戦後に、なかなかこれだけ思い切ったことは言えるものではないだろうし、また明らかに、Nossack のバロック詩の受容の姿勢は、第一次世界大戦後のドイツにおけるバロック熱の再燃などとは無縁である。彼が他者の詩文を読むときの感動は、あくまでも、詩的感興の一点に集約されるものである。彼はまた上述の蔵書論議の中で、Gryphius と並んで Homer の“Odyssee” のある記述に触れ、そこで三千年前に流された涙の味は、歴史的、具体的に立証できるものであろうか、という言い方をしている。その味が味わえるのは、同一の感性を持った人だけ、と言いたいのであろう。彼が自己の文学的コミュニケーションの原理として、好んで掲げる 「脱歴史性」 (außergeschichtlich) および「共通体験」(miterleben) という概念は、およそそういう詩的言語の超絶性を意味しているのであろう。 以上は私が、Nossack が Gryphius の詩に接して感動し、「現代のどの詩よりも彼のこの詩が自分の心に響く」12 と述べていることの意義を、Nossack に関する専門的な知識がないながらも、私なりに咀嚼してみた結果である。このような形で古典が現代に甦り、新しい詩人によって新しい生命を付与されることは、文学受容史の新しい局面を呈示している。研究者の目から見れば、いささかまごつくようなところがないとは言えないが、それはこの際、Nossack の側に立てば、二次的な問題であろう。次に叙述する最後の事例は、そのように理解しようと努める私の立場を擁護するものであろう。 Nossack は評論 “Mein Gedicht” の結びで、上述のようなことをよくよく考えれば、作家、詩人たるものが絶えず、昔も今も、身を苛むようなやり方で自己に突きつける質問、つまり ‘Was nutzt mein Tun und
Schreiben’(私の為すこと、書くことが、何の役に立つのであろうか)という質問にも、答えられる、と記している。ここでドイツ語の引用を先に置いたのは、先刻お気付きの通り、これが三節詩の第二番目の詩句中の文言だからである。彼はここで、決定的な文言を Gryphius からの引用に委ねている。そして、この文言は、多感な読者にはお分かりの通り、Gryphius の詩で繰り返し出て来る Vanitas-Motiv の、定式的ヴァリエーションである。そしてこれは、先に紹介した “Vanitas!” の詩、したがってまたその源泉たる『伝道の書』の、典型的な一命題なのである。だから、その前には、 ‘Was nutzt der hohe Stand, der Tod sieht den nicht an!’ (高い身分が何の役に立つのか、死はそんなものに見向きもしない)が立ち、後には、‘Das die geschwinde Zeit / Wird als den Rauch zutreiben!’ (またたく間に過ぎ行く時は、煙のように追い立てて行くであろう)と続くのである。その一連の文意で、‘Schreiben’ という行為も理解されねばならない。たとえそれが、作家の身には殊更の重みをもって響いたことがあったとしても、である。 論述の円滑さを考慮して、いくらか丁寧に訳文を配したが、さて、ようやくここで論を閉じるに当たって最大の重要事は、Nossack が上述の文の最後に、更に次のように付け加えていることである。‘─und zwar ganz positiv.’(─ただしそれも、まったく肯定的に。) ─繰り返す。およそ作家たる者が悲痛な思いで発する永遠の問い、その為すこと、書くことが何の役に立つのか、という問いに、「まったく肯定的に」答えられるというのである。この覚悟の語には、黙して頭を垂れるしかない。 *終わりに いろいろなことが機縁となって、この評論が生まれることになった。はじめ、教室からの依頼では、私が最近に出版した小論集『ドイツ文学遍歴 ─旅路遙か─』に関連して何か小文を書いて欲しいということであった。本の中からいずれか小篇を抜き出してアレンジするという手もあり、また近年の執筆活動についての感想を書くという手もあり、それは容易なことであったが、昨年来のNossackとGryphius にかかわる問題が、次第に膨れて来たという事情があり、またそれに関連して聖書の翻訳の問題が飛び込んで来た。いずれも、バロックの文芸理論を除いては、個別的には私の専門領域からは離れるが、さりとて、そこで入手し得た諸種の知識を、関係者の脳の中に留めておくだけでは勿体ないという気がしてきた。どういう決着が付けられるか定かではないが、とにかく、この線で書き始めることにした。書けば道はおのずから開けて、そして、ここで結びを迎えようとしている。その間には、ずいぶん寄り道も、脱線もあったような気がする。老年文体の特権である。が、無駄な記述は一行もない。それは保証できる。 表題の『伝道の書の行方』というのは、途中の聖書翻訳の問題には適合しても、論全体には相応しくないのではないかと、疑問を持たれる向きもあるいはあるかと思うが、それは残念ながら、論の真意を解さざるものと言わねばならない。この論全体は、実は『伝道の書』に典型的な聖書に特有の ‘Vanitas-Motiv’ の文学的展開を眺望しようとするものである。だからこそ、最後は Nossack の口を通じて、その命題の肯定的結末を目指したのである。このようにして、事は終わった。そして、最後の最後に、個人的感懐を述べれば、現職を去って十年余の私を、ふたたび大学の学問的雰囲気に招じ入れてくれた、独文教室に感謝する。この、おそらく予想以上に長文の論説が、期待に添えるものであることを、祈っている。
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