『私の痛風体験談』 その4


 体験談コーナーも、いよいよ「その4」です。投稿いただいた皆様には感謝申し上げます。
 なお、頂いたメールへのご返事がなかなか出来ず、失礼のほどお許し下さい。掲載できなかったメールも数多く、この場を借りて御礼とお詫びに代えさせていただきます。
 どうぞ、今後ともご愛顧の程をお願いいたします。

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【注】 頂いたメールについて、基本的には、氏名等の特定情報は伏せさせていただきます。他の投稿例も参考に、ご自分でハンドルネーム等をご指定ください。メールアドレスについては、ウィルス・メール対策として、原則として掲載しないことにしました。


もつ焼き大好き男子 45歳 男性 (2016/8/31)

 36歳で発症。現在45歳の痛風歴9年のもつ焼き大好き男子です。
 いつも発症するたびに、こちらのサイトを拝見しております。のたうちまわる痛み中で、こちらの同胞ら体験談だけが心の支えとなっております。
 さて、今回の恐ろしい経験は、こちらの過去体験談にもなかったものですから、後に続く後輩たちのためにも、是非後世に残さねばなるまいと決心し筆を執った次第です。

 私の痛風ライフを軽くレビューさせていただきます。
 171cm66kg筋肉質体型ですが、お酒が好きでお肉も大好きです。また、激しい運動(ロードバイク、サーフィン)を結構なペースで続けており、こちらも尿酸値向上に寄与しているものと思われます。
 初発症は右親指付け根。お正月の暴飲暴食後の翌朝に来ました。例のごとく、骨折かと思い救急病院に直行。ヒーヒー言いながら診察(誤診)を受けた9年前の出来事は今でも忘れません。
 それから、年に2〜3度のペースで発症。4年は続いたでしょうか。部位は、足の甲、くるぶし、かかと、足首など大方の足部位を経験。そしてとっても辛かった膝が2回です。
 その後、専門医通院。クリアランス検査を受けて、排泄も生産もどちらも常人以下という体質の結果を知って愕然。しばらくの間は薬の厄介になっていましたが、ザイロリックの副作用が嫌になり、薬投与を4年前に中止。
 それから数年(4年間)はほとんど発症らしい発症もなく過ごしてきました。
 発症がなかったのは、減量を5kgほどして、週に数回はかなりの運動(ロードバイクで週に300km走行)を行い、食生活を改善(酒は週2回、食事を1ヶ月に1度のファスティングと、1日1?2食に)したことが理由の一部と思われます。
 しかし、今年に入り酒量が増えたこともあったのか、3月(右膝)、6月(左足甲の側頭部)と2回発症。久しぶりにシビれる痛みと格闘。のたうちまわる日々(4日間はピーク。5?7日で間外出はできないが痛みは降下。12日間でほぼ消沈)を過ごし、その後は反省して食生活を粗食中心にして過ごしていたのですが。。。

 なんと、8月末に今年3回目の痛風発作がやってまいりました。場所は右手首。
 起床後に軽くシコる感じあり、あれっ?と感じていましたが、翌日には発作と確信。もうこの時点で1週間のスケジュールは全て白紙撤回です(涙)
 二日目の夜には、すでに赤ちゃんの手のようにパンパンに腫れて、痛みも絶頂に。箸を持てないのは言うまでもなく、歯磨きチューブのキャップすら開けられません。もちろんお尻を拭くのは利き腕ではない左手です(爆爆)
 ただ、手ということで歩けるだけマシであり、また聞くところによると手首のような小さい部位は痛みがそれほどでもなく、また痛みの消沈も早いということで、冷や汗をかきながらも楽観視をしておりました。
 ただし、二日目、三日目でも痛みのピークは続きます。飲みたくはないのですが、すでに普通には就寝が不可能な状態なのでロキソニン投与を日に3回で紛らわします。
 それでも三日目午後にはヤフオクで新しい趣味の自転車パーツを物色する状態まで心身ともに回復していきました。(それでも痛みは、以前折った足の腓骨骨折レベル以上でしたけど)

 そして、その絶望は三日目の夕食後、ガリガリ君ソーダ味をペロペロしている時に突如としてやってきました。
 筆舌に言い表せない絶望。闇。真っ暗闇。そう、右足甲がシクシクするのです。ポロリと音もなくガリガリ君がカーペットに崩れ落ちていきました。「嘘だろ?????」と、一人で何度も叫びます。(家族は見知らぬふり)
 痛風持ちが必ず一度は体験する、「これは捻っただけだろう?もしくは家具にぶつけたか?」などと痛風初心者のような自己暗示をブツブツと独り言のように繰り返します。もう、脳みそを麻痺させるしかないので、その日の三日目夜は映画を見て脳と身体を切り離すゾンビになる作戦を実行。それが功を奏したか、その日は右手首はビンビン痛みますが、右足甲は軽く腫れて熱いだけで、痛みは鎮静していました。

 発症(右手首)四日目。
 起床後に「二箇所同時発症か?。」と寝不足まなこで一人つぶやきます。その瞬間。「あれっ?」「えっ!?」「右だったよな?」とまたも独り言。そう、なんと!左足中指の付け根がシクシクというかジンジンします。もう迷いなくこれは痛風発作と断定される見た目と痛みです。
 そう、なんと三箇所同時発症です。これは、どのような書物や論文、そして同胞のブログを見ても過去にない症状です。昨夜すでにかなりの絶望を味わっていたためか、はたまた諦めの境地に至っていたからか、それほどのショックはありませんでした。それよりも、この瞬間に思ったのは、食事と排泄が極めて困難になったことの認識と、その対応策に思考を張り巡らしておりました。追い詰められて、実にシンプルに生きる手段を模索したのでしょう(笑)
 四肢のうちまともに動くのは左手だけという状態です。足だけであれば、松葉杖作戦も実行できますが、その奥の手すらできません。もう笑うしかありませんでした。涙も枯れております。

 その後以下のような状況が把握できました。
1)三箇所同時発作ではあるが、痛みは先発した右手首がもっとも辛い。
2)左右の足は軽く腫れているが、部位はそれほど広範囲ではない。広がったり痛みが移行しない。
3)左右の痛みはジッとしていれば痛みは少ない。そして痛みの種類が変わることがない。
4)ただし、普通に靴を履いて常人の歩行はほとんどできない。ゆっくりかかと中心であれば歩ける。
5)五日目でも右手首の痛みはピークにほぼ近い状態を維持している。
6)身体全体の発熱が4日間続いた。38.5〜37.0℃。これは同時発症で、身体が早く結晶を溶かさなくてはと頑張ったのかも。
7)同時発症でも全ての部位に対してロキソニンは極めてよく効く。
8)残念なことに、六日目朝には左足中指付け根が悪化。さらに歩行困難になったが、黙っていれば耐えれるレベル。

 実はこの話、まだオチがあります。
 四日目の夜のことです。手首以外の左右足二箇所は、息を止めてジッとしていれば、薬なしでもなんとかなる状態でした。
 そんな時でした。驚くしかない出来事が起きるのです!寝返り打つために脚を移動させた瞬間でした。「あれっ?ビクッとしたぞ!」
 そう、四箇所目が同時発症です!!!!右膝です。正確には皿の下でした。ここは過去に2回食らったことがあり、その痛みたるものがどのような地獄をもたらすか把握しているだけに、もう失禁、失神も覚悟せざるをえまいと瞬間思いました。妻もさすがに、真剣に「病院行ったほうがいい。」と真顔で話しかけてきます。
 「もうなるようになれ」です。「痛みと友達になれ」誰かが私の耳元で囁きます。これだけ痛みに強くなるチャンスを与えてくれた神様。。もとい”痛風の神様”に感謝しかありません(笑)
 即座にロキソニンをかっこんでジッと耐えたままま、五日目の朝を迎えました。

 そして現在、五日目の夜にこのレポートを書き始めています。
 四箇所同時発症と痛みは続いています。しかし、右膝はすでに沈静化してきました。右足甲もそれほどんの痛みはありません。左足中指付け根は予断を許さない感じではありますが、経験値的にはそこまで爆発する空気感は感じ取れません。やはりもっとも発症が早かった右手首が今も一番痛いのです。
 いくつかの痛風サイトにコピペしたように以下のような文面が書かれています。「両足同時に痛風発作は起きない。なぜならば、両足が使えないと獲物に捕獲されてしまうから本能的な部分で、人間の身体及び、痛風はそういう面を持っているのだ」
 この文面は私の体験から事実ではない気がいたします。もしくは、もう痛風の神様は「現代の怠惰な人間など滅びてしまえ」と思い、私というサンプルで世にも恐ろしい両足同時痛風発作ということを実戦配備したのかもしれません。
 今のところ、発症は同時ですがピークは一箇所なので、なんとか身体的には我慢できています。しかし、この数カ所同時発生がもっとも恐ろしいのは、どこの部位がいつ爆発し、あの地獄がめくるめく繰り返されるのか?という恐怖を常に意識しながら1分1秒を過ごさなければならない精神的な戦いだと強く感じています。
 今後私のような四箇所同時発症などという地獄を味わう同胞が出ないことを祈りつつ、また五箇所目は勘弁してほしいという願いを切に抱きつつサポートを終了させていただきます。長文駄文失礼しました。

PS:
 いずれにせよ、今回の体験で投薬を再開することに決めました。ザイロリックではなく、新薬(フェブリク)が出たことも投薬を決めた理由の一つです。
 最低でも2年間はフェブリックを飲み尿酸値を下限コントロール、すべての結晶を溶解させてから、薬を続けるか考えた方がいいのだと思います。あとコルヒチンも50錠を自室に常備する体制にしました。
 以上です。

【コメント】
 久しぶりにいただいた体験談ですが、あまりの壮絶さに絶句してしまいました。
 四箇所同時発症というのは、日常生活的な機能をほとんど喪失し、さらに絶え間のない責め苦が続く・・・と、これはほとんど地獄の様です。
 心からお見舞い申し上げますが、やはり一定の投薬が必要ということなのだろうか、と個人的には考えます。
 なお、10月9日付メールで追伸をいただいています。


 こんばんは。「もつ焼き大好き男子」です!実はあの後、後日談がありまして筆をとりました。

 手首はすでに発作から50日を超えましたが、未だにピリピリしていますし、まともに手首を曲げられません。
 また、両足首、両ひざも時々ズキンズキンとし、軽く発症を繰り返しています。(大好きなお酒も週に1〜2回まで減らして節制しているのにもかかわらずでした)
 おそらくですが、フェブリクを飲み始めた頃から軽度発症が始まっている様子で、服用をやめた途端良くなってきております。
 やはり発作が完全に治ってから、尿酸値を下げないと、併発は起こすのだなということ痛感いたしました。
 HIDEPARKさまもくれぐれも痛風発作などにかからぬようご自愛くださいませ。

【コメント】
 2か月近くも続く発作・・・。オソロシイ。
 一度ここまで至ってしまうと、目前で少し節制したぐらいでは、あまり状況は変わらないものですね。
 私は、もう毎日薬を飲み続けてもいいや・・・というところまで居直ってしまいました。これも怠惰な性情なのですが、怖すぎてとても冒険はできません。(笑)


ボルタレンの恋人さん 50歳 男性 (2013/2/11)

 いつも縁日(痛風発作)の最中に、気晴らしに拝見しています。皆さんの(懲りてなさそうな)体験談は、苦痛に顔ゆがむ忍耐の時間中の気分転換、カラ元気を得るのに大変役立っています。自分も同じですけど。
 さて、現在(2013.2.11)縁日を迎えている私ですが、最初にこの痛いお祭りと出会ったのは2007年2月でした。それまで、健康診断の際、尿酸値が毎回9.8〜9.5といったハイスコアを叩き出していた私に、半ば呆れ顔で「そろそろ尿酸の治療しませんか?」と職場の勤務医から言われていたのですが、私は常日頃から「尿酸は人体が合成できる唯一の抗酸化物質である。人類や類人猿が寿命が長いのは尿酸値が高いからである。尿酸は体にいいのだ」とか「古来、高尿酸血症の人の平均寿命は長いのだ!」「俺の血管には赤ワインと尿酸が流れているんだ!」などと豪語していたので医師の言葉を全く意に介することなく、連日赤ワイン2本と肉食を繰り返していたのでした。また、酒は百薬の長だし、人間は野菜じゃなくて肉で出来てるんだから肉を食わなきゃ死んでしまう、山のような草を食べている牛の肉を食べれば山のような野菜を食べたのと同じだとか言って節制は一切していませんでした。
 そしてとあるスキーのレースに参加しようと朝4時に起きて準備をしていた時、不意に激痛が私の左足首を襲いました。最初は捻挫かと思ったのですが、その激しさといい、鋭さといい、全く経験したことのないレベルでした。例えて言うと、5寸釘が2本、クロスするように足首に刺さっているような痛さでした。足首が痛いと足を地面に付けられないので、病院まではマウンテンバイクにまたがって痛くない方の足で地面を蹴って行き、病院内は片足でケンケンして飛び回っていました。
 病院に行って鎮痛剤ボルタレンをもらってきたので、服用してみると嘘のように痛みが引いて、ほぼ普通に歩けるようになりました。この経験がいけなかった。「何だ、痛風って大したことないじゃん。鎮痛剤があれば大丈夫。風があたっても痛いなんて大げさじゃん。」不遜にもそう思ってしまった私。
 そして翌年2月、スキーから帰り大勝軒のチャーシューつけ麺大盛り(洗面器のような皿に山のようなチャーシューと麺が1kg近く出てくる奴)を食べた私は、再度、昨年の記憶を取り戻すことができてしまいました。翌朝に、左足首に釘が刺さったような痛みに襲われたのです。
 この時はひどかった。初めての発作で完全に痛風を舐めきっていた私は、病院に行ってボルタレンをもらい、服用したところ、前回同様に痛みは軽減。夕食時はボルタレンを赤ワインで飲みながらテレビを見て笑っていました。そろそろ寝ようと思った夜12時ころ、突然私の足首は耐え難いまでの激痛と心臓の鼓動に合わせてズッキンズッキンとする血管の躍動に苛まれたのです。酒飲みながら鎮痛剤を飲んじゃいけませんよね。もう居ても立ってもいられないような痛みと苦しさが私を襲い、思わず膝を抱えて「うーっ,うーっ」と唸ってしまいました。心配した妻が救急病院に電話し、救急車を呼ぼうとしたのですが、電話口に出た医師は「ボルタレン飲んでるんでしょ。それ以上に今できることはないよ。」と冷たくあしらってくださったのでした。あとは気絶したかのように布団に入って寝てしまいましたがあまりの痛さと苦しさによく覚えていません。皆さん、ボルタレンを赤ワインで飲むのは危険ですからやめましょう(当然か)。
 その後、尿酸降下薬ザイロリックの服用を始めた私は、もうこれで大丈夫と思っていたところ、ロードバイク(自転車)で富士スバルラインに登って帰ってきた夜に、今度は左膝に激痛が。この年には狂ったように自転車で富士山やら白根山、碓氷峠など山道を走り回っていたので、膝の腱の炎症かとおもいきや、膨れ上がった膝に医師が突き立てた注射器の中から乳白色の液体が。「痛風か?」医師がつぶやきます。後日検査の結果、私の膝はリン酸カルシウム沈着症(偽痛風)と診断されました。なんと私は痛風と偽痛風の二冠王に輝いたのです(輝やきゃしないって)。次はリウマチで関節痛三冠王か?
 こうしてもはや本当の痛風にはならないと確信し、ザイロリックを常時(いや、気が向いた時に)飲み続けていた私に5年ぶり、3度目の縁日が訪れているのです。今回痛むのは右足の親指の付け根です。親指の付け根は初めてです。足首と違って、地面に足を付けられるので、なんとか歩けます。幸いにも今回は2月8日(金)深夜から痛み出したので明日はなんとか出勤できそうです。しかし昨夜は痛かった。布団が足の親指に当っても痛いし、布団から出している足に微弱な冷たい風が当たっても痛く感じました。「なるほど、これが痛風か。」と変なことに感心しながら、夜通し「痛みという物は存在しない。痛みなんて迷信だ。」と自分自身に自己暗示的に言い聞かせていました。
 今回の原因は多分飲酒量の多さと連日の自転車による激しい林道走行と思われます。先日登った奥多摩の風張林道はきつかった。ウイスキーはヘタすると1日ボトル1本近く飲んでますし、ワインは飲み放題の店で3本(近所のレストランにワイン飲み放題のメニューがあったので通い続けたところ、ある日突然メニューから消えていました)、日本酒も1升くらいなら飲んでしまっていました。
 今後は基本的に自宅での飲酒をやめ、新年会とか送別会とか飲まなきゃいけない時だけにし、ザイロリックも毎日飲んで痛風とは縁を切ろうと決心した今日このごろです。お酒やめられるわけ無いでしょうって?大酒飲みは中途半端に飲むくらいならいっそのこと飲まないほうが楽です。ワイン1本くらいじゃシラフですから。以前にも半年以上禁酒をした経験がありますが、適度に節制して飲むよりまったく飲まないほうがはるかに簡単でした。もう酒は飲み飽きてますし。すでに私は普通の人が一生に飲む量を大きく超えるアルコールを水と二酸化炭素に分解していますから、ここらで引退といきたいものです。ただし飲み会では「浮世の義理」で飲むつもりですw

【コメント】
 う〜ん、壮絶ですねぇ・・・。痛風と偽痛風の二冠王というところで、申し訳ありませんが思わず笑ってしまいました。
 ボルタレンの恋人さんからは、この翌日はほふく前進で出勤した旨の追伸をいただきました。それはともかく皆さん、酒と薬の飲み合わせには本当に注意しましょう。
 ところで、掲載が非常に遅れたことを、改めてお詫びいたします。なんとPCがクラッシュしたため、メールを必死でサルベージしました。ご寛恕ください。


47歳 男性 自称・痛風のプロ さん (2012/1/3)

 痛風友の会のみなさん、はじめまして。大阪の47歳、自称、痛風のプロです。
 私の場合、尿酸値が20代のころから8.5からピーク時は10.4もありながら、つい最近まで、発症しなかった(してないと思っていた)ため、いろいろ皆さんの参考になることもあるかと思い、筆をとりました。

@ 最初の発作
 昨夏、毎年恒例の仲間との3泊4日のゴルフツアー、3日連続プレー&飲みの宴の最終日、福岡の花火大会を見ながら至福の時を過ごしました。実は、この1年間で約10kgのダイエットに成功し、尿酸値も9.5から8.4位に若干、下がっていたため、自信満々の日々。一昨年のこのツアーからダイエット宣言をし、『できるわけない』と大笑いされた1年前から、見事、皆の期待を裏切り、ダイエット中のトレーニングも奏功し、飛距離もスコアも10年を超えるツアー史上、最高のものでした。そのまま仲間と雑魚寝。
 周りのいびきがピークに達するころ、右足のアキレス腱から踵にかけて激痛が・・・
 過去から発作はなかったものの、疑似発作をいくつか経験していた私は『やばい!』と思い、翌朝から宮崎、鹿児島、熊本と続く出張の旅へ備えるため、夜中に外に抜け出し、踵がつけられないので、必死にケンケンで、近くにある急患センターへ。逆に左足のふくらはぎがつりました。
 ともかく、痛みを抑えないことには・・・と医者に訴えましたが、痛み止めのボンタレンと湿布薬をくれるだけで、『私は内科なので外科的な処置ができないから、どうしても痛みを止めたければ明朝整形外科に行きなさい。』と指示され、痛み止めを倍量飲みながら、朝、皆が寝ているうちに抜け出し、空路宮崎へ。ボンタレンの効果も2時間を切るようになってしまいました。
 宮崎の友人に相談すると、彼も最近、外反母趾と思って病院にいったら痛風だったと訳わからない事をいいながら、さすが、宮崎!わざわざ私をオススメの整形外科へ連れて行ってくれました。そこでは美人の女医さんが、ニコニコ笑いながら、レントゲンを見て、『どうしてもというなら注射を打ちますよ、でも、相当痛いですよ』と言いました。
 美人のニコニコ顔にすっかり安心した私は、『す、すぐにやってください!』『ブス!』『ギャーーー!』
 確かに、激痛が走っている場所にぶっとい針を刺し、筋肉注射を注入する訳ですから、痛いのなんの・・・しかし、時間の経過とともに、見事に痛みが耐えられるほどに収まりました。当然、続く、宮崎、鹿児島、熊本での地鶏と馬刺し&焼酎の席を、そしらぬ顔でお湯割りセットを抱え込み、自ら皆のお湯割り、水割りを作り続けながら、自分自身は、アルコール1%に薄めた熱湯の芋焼酎香りつきを飲み続けたことは言うまでもありません。

A そういえば、あれも痛風だったのか・・・
・最初の発作が起きて、確信したのは、たまに、朝起きるときに出るふくらはぎ痛(ふくらはぎから足骨までが締め付けられるような痛み)も痛風だったんだと・・・これは、起床時におこり、1時間くらいで収まるので、寝かたが悪かったのかといつも思っていましたが、どうやらこれも痛風発作のひとつで、前兆としてとらえるべき痛み。
・足の指をちょっとぶつけた時におこる、『ちょっとしかぶつけてないのになんでこんなに痛いんだろう』

B 新たな痛み・・・
・クリスマス位から左膝が痛く、走りすぎて膝が故障した時の痛みとそっくりだが、膝を酷使した記憶がない。もしや・・・と思いそのままにしておいたら、4日目に突然、全く痛くなくなった。
・膝の痛みが治まったと思ったら、年の暮れからずっとひざの裏の筋が痛く、大阪から福岡まで運転したせいだろうと思ってたかをくくっていたが、どうも振り返ると、年末の連夜の忘年会、ウナギ登りの飲酒量、正月の不摂生と、『これも痛風か・・・』。今朝になり、また不思議と収まったので、痛風と確信しました。痛風の特徴・・・突然、うそのように痛みがひく。

C 薬について
・尋常な尿酸値ではないので、若いころから、何度もザイロリックを飲んでは挫折しています。どうも、ザイロリックを飲むと、頭の回転が悪くなり、仕事が前向きにできなくなる傾向があることがあり、仕事とのバランスで続かないのです。しかし、今回ばかりは、ついに発作も発症し、偶然めぐりあった会社の近くの先生がとてもおおらかな赤ひげ先生みたいな人で、全て理解してくれ、1日1錠のザイロリックで少しづつ、改善していこうといってくれたので、頑張ろうと思っています。しかし、最初の30日分に45日かかってしまったため、今回の発症になったと思います。痛風かどうかなんて、医者であっても他人にはわかりません。自分が一番、正しい判断ができます。

D 酒について
・これは我が人生、やめられる訳がありません。しかし、ビール、日本酒、ワイン、焼酎と、どうも、醸造酒系をまぜるとダメな気がします。やはり、焼酎のお湯割りに専念するのがいちばんです。宮崎でいただいた金霧島のお湯割り、最高に美味です。

まとめ
 痛風が発症する場所は、身体中どこにでもでます。たぶん、ゴルフの練習で妙に手首が痛む時期があるのも、痛風の一種と今では思うようになりました。また、世に言われるように、関節だけでもありません。身に覚えがないのに、一か所が痛むことがあれば、きっとそれは痛風です。また、痛風発作は、耐えきれないもの、突然の激痛といわれますが、私の経験では、予兆の痛みも、適度な痛みもあります。でも、仕事も、運動も、遊びも、飲みも、可能な限りを尽くすのが我が人生ですので、これからも、パワーを落とさないように痛風と付き合う術を研究し続けたいと思います。

【コメント】
 およそ3年半ぶりの体験談です。掲載が遅れたことをお詫びいたします。m(_ _)m
 まとめはかなり強引にも感じられますが(笑)、痛風の痛みをおそれる心理は身につまされて分かります。パワーを落とさないように痛風と付き合っていくというのは、本当にそのとおりだと思いました。
 ところで、「痛風のプロ」ということは、それでお金を稼げる・・・なんて良い話はありませんね。残念(笑)


41歳 男性 ナマグサ坊主さん (2008/6/14)

 はじめまして。 私は今、猛烈に感動しています! 
 もちろん現在私自身20数回目の痛風発作中です。 今回の発作もなかなか手ごわく、発症からかれこれ10日目に突入しました。

 さかのぼって今年2月、右足首がまずパンパンに腫れ上がり、同時に足首全体に激痛が・・・。
 ですが30代中盤から、年3回のペースで発症し、長い時には1ヶ月の発作期間に耐えてきた私です。 いつものようにかかりつけの内科医院に出向き、いつものように腫れ上がった足を見せれば先生から「しっかり治療しなきゃホントに死ぬよ・・・」と説教を受け、痛み止めを処方してもらうつもりが、意外にも「足の水虫からばい菌が入って『蜂か織炎』になってる可能性が・・・」との診断・・・。
 処置室で抗生物質の点滴を受けつつ、「なにいってんだよ、あの医者・・・ 痛風に決まってんだろ!」といつもの医師に不信感を持ち始めました。

 そして今回、今度は左足首に激痛が・・・。 一月ほど前から左足首に軽い腫れと痛みはあったのですが「前回の発作の時にかばって歩いた影響だろう」とさして気にも留めず、野球や水泳といったスポーツに興じてもいました。 
 ところが週末の野球を終え、痛飲した翌早朝・・・ これまでにない激痛にたたき起こされ、少しでも足首が伸びてしまうとさらに痛いため、全く眠れなくなってしまいました。
 もちろんトイレに行くにも通常の10倍の時間を要し、便座に座れば脂汗・・・。 朝5時半だというのに、いつもの医院が開くまで待てないと、女房に「救急車呼んでくれ」と懇願するほど追い込まれていました。 しかし女房の「みっともないからやめてよ・・・ 痛風ぐらいで」の冷たいひと言に、やはり私も『痛風』という病気の認知度を感じずにはいられませんでした。

 なんとか開院まで耐え抜き、いつもの先生にパンパンに腫れ上がった左足を差し出すと、先生はひと通り触診などをしたあとで私にこう言ったのです。 『整形外科に紹介状書きますから、そっちへ言ってください』
 なんというヤブ医者! 私も整形外科的なケガや障害は何度も経験がありますが、昨日までは足首、今朝になって小指の付け根、明日はかかと・・・、激痛がこんなにグルグル回るようなものは痛風以外に考えられないのです。 おまけにその医者、ハナッからケガと決め付けて検査もしなければ痛み止めの錠剤(ボルタレンです)しか出してくれません。

 「俺、この先どうなるんだろ・・・ この週末には水泳の大会だし、来週は娘の学校の父親ソフトボール大会だし・・・」 本気で病院を変えることを考え、今一度痛風という病気について知っておこうとネットで検索した結果たどり着いたのがこのサイトだったのです。 (ここまで長々と申し訳ありません)
 ここには今まで私が求めてきた「同志」とも呼びたいくらいの方たちの生の声がこれでもかと載っているではありませんか! そしてhideparkさんの卓越した文章力に「俺と同じだよ!」と笑い(すいません・・・)、感心し、大いに感銘を受けました。 たいへん失礼ですが、またhideparkさんに痛風の発作がやってきて、その日記を読みたくなってしまうほどです。(ホントにすいません! それほど面白く読ませていただいたものですから) 
 本当にありがとうございました! 私も痛風に打ち克つ覚悟が出来ました。 ここに来ているみなさんの健康を心からお祈りします。

【コメント】
 まずは半年も掲載が遅れたことをお詫びいたします。m(_ _)m また、温かい声援にも感謝申し上げます。
 それにしても、年3回ペースというのは大変ですね。奥様の「みっともないからやめてよ・・・ 痛風ぐらいで」というセリフにはグッときました。身につまされて思わず涙がコボレました。(苦笑)
 発作中の痛風持ちにとって、医師は地獄の中での頼みの綱です。その後、良いかかりつけ医師と出会えたことをお祈りいたします。


茨城県在住 43歳 男性 タッツーさん (2007/8/30)

 私の父親が痛風で、よく足を引きずって歩いていたのを記憶しております。
 若かりしある年の夏休みに、地方にて怪我で入院したとき、親父が見舞いに来てくれたのですが、丁度痛風発作中らしく、病室に入るなり「足がイテー時に怪我なんかすんな!」と怒られました。(今思えば、痛みで相当イライラしてたんでしょうね。普通は「大丈夫か?」なのにね。)
 そのときは、「痛風なんて贅沢病だろ?ザマーミロ。おまけに足なんか取れちまえ!」なんて心のなかで親父に言い返していました。また、「俺は絶対に痛風なんかナンナイかんな!」とも。

 それから12年後・・・・。遺伝ですな。はっきり言って。
 子供の少年野球の練習中に、右足首がジンジンする、アキレス腱がナンカイタイ・・と思い、帰宅後、湿布など貼ったりしました。
 が、翌日、足首パンパン、足付けない、とんでもない激痛・・。これが、右足首だけでなく、左足首まで同じ状態に。足を床につくことが出来ない、足を上げても痛い、トイレに行けない・・・。勿論、会社も。
 両足首がパンパンに腫れて歩けないため、女房と医者へ。目出度く?痛風と診断されました。

 思えば「俺は絶対に痛風なんかならない」そう誓った若かりし日の頃より、酒は365日欠かさず飲み、痛風に良くない食べ物が大好きで節制したことがない。まさに、痛風にならないどころか、痛風まっしぐらな人生であったのであります。
 痛風と診断されてから、酒は多少控え(懲りないですよねぇ。)食事も多少気をつけるようにし、薬も欠かさず飲んではいたのですが、あっ、いや、ごめんなさい。正直に申しますと、薬、間欠に飲んでおりました。

 それが祟ったのか、今(07.8月)まさに出張中の中国で2回目の発作がでてしまったのです。ワハハハハ・・・
 鎮痛剤が無い、他の鎮痛、消炎剤に類する薬も無い、唯痛みを我慢するのみ。その時自分に言い聞かせました。
「痛みは無視しろ、たっつー。」(同じことを繰り返し念仏のようにぶつぶつ言っていたような)
 痛風の痛みをご存知である諸兄におかれては、この痛みを堪えることの困難さ、地獄の苦しみはご存知でしょう。鎮痛剤が無いんですよ!痛みがピークになったとき、こうも思いました。
「(ちっくしょう〜、痛ぇーなー)足なんか取れちまえ!」
 そう、昔親父に心の中でつぶやいた言葉を、そっくり自分に言っていたのでありました。チャンチャン。

 発作から1週間、腫れは引いてきており、痛みも幾分か治まっております。帰国までには完全に痛みが引いてほしいと願ばかり。
 皆さんも、お気をつけて。

【コメント】
 しっかりとオチがあります。(笑)
 遺伝による痛風持ちの方は、皆さんこんな経験をお持ちなんでしょうね。振り返れば親子の連帯感、みたいな・・・?
 それにしても、外国出張中の発作というのはツラそうです。「痛みは無視しろ」という自己暗示が悲痛で涙がこぼれます。(笑)


46歳 男性 (2007/3/24)

 痛風発作が起きると徒歩能力が三分の一にまで低下します。これは普段なら5分でいけるとこが15分かかるということです。しかもこの15分にはもれなく激痛がついてきます。
 だが15分くらいならまだいい。私は駅まで徒歩20分というところに住んでいるときに発作に恵まれたときがあります。なんと一時間(片道)の大苦行。ものすごくご高齢の婦人がよちよちと私を抜いていきます。「じゃまだねえ」という視線を感じるときすらあります。
 タクシーに乗ればいいのですがそのくらいの距離はワンメーターです。外見はまったく健康なビジネスマンが駅で延々と順番待ちのタクシーに乗れる距離ではありません。ましてや家に呼び出す距離でもありません。私にあたった運転手さんのため息が乗る前にわかるのです。だから帰りは二駅ぐらい前で降りてタクシーを使います。料金は1500円ぐらいわざとかけるのです。
 信号が渡りきれません。中央のところで何度もとまりました。歩行者のためのスペースがないところではダンプがぎりぎりのところを過ぎていきます。「じゃまなやつだ」という圧力を感じるときがあります。
 階段はあがるより下るときのほうが危険なのです。下りエスカレーターは絶対に必要です。健康時代はまったくきづきませんでしたが。
 電車では優先席でも座りたいですし、実際すわることもあるのですが外見がまったく健康体なのでとても恥ずかしいです。満員電車ですと譲れというふうに足を踏みそうなとこまで接近してくる方々がいます。踏んだら私は反射的にその人に暴力を振るう自信があります。または絶叫して精神的に変な人と思われることでしょう。
 発作も両足に同時期にでるようになると末期です。両足にくるとトイレに腰掛ける作業ですら絶叫行為になります。片方発作なら片足と両手で踏ん張れば何とか便座にすわれますが、両足(特にひざとくるぶしの場合)が痛いということは床に座った状態から手の力だけで腰をもちあげて便座に乗らなければなりません。だがこれはできないことなのです。必然として可能な限り足に力をいれることになりますが、これがどのくらいの痛みかは皆さんなら想像可能でしょう。私は便座の前にスーツケースをおいて段階的に腰をのせています。

 今年は春が早いです。私ももう1ヶ月間発作のため外出どころかたつことすらできていません。痛風はなめずにきっちりなおしましょう。
 46歳 病院嫌いで「痛風」として通院歴は一回(28歳のとき)

【コメント】
 本当に、痛風発作時にはバリアフリーという言葉の意味を心底理解します。
 通勤時間帯の駅ホームからの下り階段で、生命の危険を感じたことは多々あります。自分の状態を明示するために、あえて松葉杖を突くという話もよく聞きます。
 しかし、トイレばかりは如何ともしようがありませんね。涙なしにはとても読めませんでした(涙笑)。
 そう、なめずにしっかり病院に行きましょう。一日も早い回復をお祈りいたします。


東京都在住 T.Tさん 会社員 44歳 男性 (2006/9/28)

 こんにちは はじめまして。このあいだ44歳になり、痛風歴約20年になります。
 最初の1年は発作は起きたものの、激痛にまでは至らず、余り気にもとめませんでした。3ヶ月くらいの周期でジワリときていた記憶があります。もちろんそんな痛みなど酒を飲んで蹴散らしていました。
 が、2年めも中盤を過ぎたあたりになると、痛風もその本領を発揮しはじめ猛威を振るいました。私は父親が痛風だったのでこの痛みが何なのか薄々気づいてはいたのです。(認めたくはありませんでしたが・・・^^;)
 痛む足を引きずって健康診断などでいきつけの病院へ行き、あとは痛風患者お決まりのコースをたどることになりました。痛みと腫れが引くまでは鎮痛消炎剤のご厄介になり、その後はザイロリックのお世話になります。それから 晩酌のビールの最初の1杯でザイロリック1錠を飲む毎日となりました。
 しかし 「のど元過ぎれば・・・なんとやら」で、あれほど痛かったのに、数ヶ月もしないうち病院に行かなくなり、薬も無くなり、の状態に陥ります。
 言わずと知れた2回目の激痛発作。このあいだ世話になった病院へは行きづらく、他の病院へ駆け込みました。
 綺麗な女性が受付にいたため、「痛風の発作で苦しんでます」の言葉が言えず、「なんか足が痛くて・・・」などとあいまいなことを言ってしまいました。そのせいで整形外科連れて行かれて レントゲンまで撮られて・・・、痛みから解放されるまでが長くなってしまった記憶があります。
 そういえば こちらのサイトの中でトイレの洋式、和式の使用時の話題がありましたが、私は和式トイレで痛みを堪えながらしゃがもうとして、ひっくり返ったことがあります。痛さと情けなさで涙が出ました。
 さて 病院も行かなくなったり、痛くなってまた通ったりを何度か繰り返すうち、今日に至りました。痛風も長いつきあいになると足首やひざ、肩や手の指にまで出るようです。今では正常なのは血圧くらいなもので、高脂血症、高血糖、高尿酸でコレステロール値も高いです。
 月一回の検査はかかさず、3種類の薬のお世話になってますが、それでも完全に酒をやめようとは思いません。一時的に酒を抜く期間は設けるようになりましたが・・・(1ヶ月くらいですね)。酒と食こそがわが人生の楽しみなのです。
 私の家の冷蔵庫の奥のほうには、いざという時のためのボルタレンの座薬がまるで核弾頭のように10錠ほど眠っています。

【コメント】
 掲載がかなり遅れて申し訳ありませんでした。
 病院又は診療所で、美人の女性が受付にいたときの態度については、確かに微妙なものがあります。内心では、「痛風患者としての誇り(?)をもて!日和るんぢゃない!!」などと思っているのですが、ついついポーズを取ってしまうことがあります。(^_^;)ゞ
 ところで、和式トイレでひっくりかえる・・・というのは、最中だった場合には目も当てられません。皆さん、気をつけましょう。


東京都在住 痛風暦30年! カト爺い さん 59歳 男性 (2006/6/2)

 久し振りの発作を味わった!

 痛風を発症して30年。昔ならとうに死んでいただろうに、医学の進歩のせいで何とか薬で生きている私です。
 思い起こせば小生が29歳の遊び盛り?の頃に発症して、良くもこんなに長生きしているかと自分自身でビックリしています。
 最初の発作はやはり親指の腫れから始まりました。直ぐに近くの病院へ行くと直ぐに痛風の発作だと診断されました。そして其処で初めて痛風手帳なる物を医者から貰いました。其処には食べてはいけない物や薬の効能と付き合いかた等色々と書いて有りました。
 然しながら其の手帳に書いてあるザイロリックなる薬が其の病院には無い。其の時に処方された薬は今となっては解りませんが、痛みはとれても又3ヵ月後には発症と言う繰り返しを続けました。そして痛みは足の指から踵へ、次には遂に膝にまで達しました。其の頃には膝に水が溜まり病院で水を抜いて治療をする毎日でした。其の頃でも未だザイロリックは使って居なかった様に思います。先ずトイレに行っても座れずに(昔は和式が多くて)大変でした。

 そして発作の繰り返しで遂に体が悲鳴を上げて?今まで一度も鼻血等出た事が無かったのに鼻血が出て止まらなくなった。之はおかしいと思い遂に一大決心をして?病院を変えて現在通っている病院に診察に行った所緊急検査の結果即今日から入院をしなさいとの事、そりゃあビックリしたな〜。
 先生から言われた事は今貴方の健康年齢は65歳と言われた!其の時の小生は33歳位である。このまま今迄の病院に通っていたら後3年位で駄目になる所だったと言う。肝臓と腎臓が相当ダメージを受けて暫く安静で居ないと回復しないと言われ1ヶ月の入院である。そこで始めてザイロリックを処方された。そして一ヵ月後に退院をして今現在に至っている。
 昔は無茶をして発作の途中でも午前中野球をやって痛む足を引きずって奈良まで仕事に行き(トラックドライバー)帰って来た事もある。然しながらトイレ等はとても行けずに仕方なく運転席から直接した事もあった。積卸は足を捻挫したという事にして御得意さんにしてもらった事も有った。

 そして今現在は薬をジェネリックに変えて高脂血症 高血圧 高コレステロールと戦いながら命根性良く?頑張っている毎日なのであります。
 然しながら良い事も有りました。それは毎月検査に行く為に色々な検査をする事で小さな癌が発見出来た事です。腹部エコー検査で初期の腎臓癌が見つかり早期に摘出手術をして部品は一個足りなくなりましたが今現在でも元気に暮らせています。
 メタポリックシンドローム?何のこっちゃ?そんなものもう30年も付き合っているわな〜?

 と言う訳でここ暫くは痛風発作と言うものを忘れていた様な気がするが、つい先日足を捻挫して足が腫れあがり、やっと痛みが取れたと思ったら今度は踵のほうに変な違和感が有る。それは痛風歴30年の小生にとってはいち早く感じるものが有る。
 そしたら思った通りあの懐かしい様な?重いと言うかピクッとする痛みが来た。之は発作だなと直感したがやはり余り認めたくなくて湿布をしたがやはり駄目、仕方なく痛み止めを飲んで病院へ、この痛さ!久し振りである。しかしたまにはこの発作がある事で、もう一度生活習慣を見直すと言ういい教訓になるのでは?しかしやはり相当の痛さだよな〜****

【コメント】
 掲載が遅れて申し訳ありませんでした。その後のお加減はいかがでしょうか?
 人生の大先輩であるカト爺いさんの体験談は、とても迫力に満ちています。病気などに負けずに生きていくには、前向きな力強さが大切だなぁ・・・と改めて教えられます。もっとも、痛風持ちはややもすると過剰に「前向き」な傾向もあるようですが・・・ (^_^;)
 最後のフレーズには本当に実感がこもっています。早く回復されることをお祈りしています。


静岡県在住 Jasonさん 50歳 男性 (2006/1/16)

●最初の痛風発作
2002年の5月12日、家族で一泊二日、土日を使ってで芦原温泉に行ったとき、初めての痛風発作が起きました。それまで皆さんと同様、尿酸値は高かったのですが、余り気にもとめず、ふくれあがった左足首をみて「あーどこかでぶつけた。温泉とは良い機会。十分に温めて、マッサージして、ビールを飲んだら治るよね」なんて勝手に判断して、鯨飲して、おいしい物食べて・・・。翌日は未だ腫れが止まらず、ブーツが履けない状態でしたが、<月曜日は会社を休んで、整形外科に行って診てもらおう>とその日は、東尋坊やら、いろいろなところを車で回って、エンジョイ(^_^)。もちろんおいしい物食べて鯨飲Again! 月曜日に整形外科訪問予定。

●整形外科医の心温まる対応
「あのー、足首腫れてるんですが、どこかで足をくじいたようなんですが。すみませんが診てもらえませんか?」 心温まる整形外科医曰く、レントゲン結果異常なし。「あんた尿酸値が高いんではないの」「ハー高いですが、それが何か?」「あんた、バカじゃない。痛風発作だよ。内科医に行くのが筋じゃないの」。。。(彼の物言いに頭にきたけれど押さえに押さえて)「えぇ痛風発作?何ですかそれ?」(説明するのも面倒な様子で)「内科に行って聞いたら」。結局内科医にその足で行って、痛風のなんたるかを教えて頂きました。鎮痛薬飲んでその後尿酸値を下げる薬もらってその場は完治?したように思っただけでした。

●2度目の痛風発作
2005年12月1日、薬も飲まず、三年半以上の間隔が開いているので、痛風発作とはおさらばだと思っていたら、アメリカに出張中到着したホテルで「ドッカーン」と左足首に二度目の発作。翌日の会議は早々に切り上げて、次の日、空港から車いすで最寄りの駅まで。(何しに出張に行ったやら)脂汗をかきながら、空港の中の路面のギャップで車いすが軽く振動するだけで、顔面蒼白状態でした。(でもチャンと空港のラウンジの喫煙エリアに車いすを自分で押していって煙草吸っていたのは良い根性(^^;)かな)
ここで感心したのは、アメリカのハンディキャップの人に対する対応の良さは分かっていましたが、日本も捨てた物ではありません。私鉄、JRとも到着時間と何号車に乗っているかを駅員さんが申し送りしてくれて、乗り換えの時に車いすでちゃんと待っていて下さった事に感激。(あの時の駅員様有り難うございました)夜駅に着いたらそのまま救急病院に直行。(ちなみに英語で痛風とはgout:ガウトと言います。もし海外で発作が出たら通じるかも。私は出張先で連発してました。)

●3度目の痛風発作
2006年1月16日、昨日久しぶりに自転車を整備して、そこら辺を乗り回して、今日又左足首に異常を感じ、足首が痛むなと靴下を脱いだら、骨の外側が又ふくれだしており、2度目のあの恐怖に今苛まれています。あの恐怖から逃げたい一心で、先ほど鎮痛剤を飲んで、ザイロリックも一日1錠をもう一錠追加。明日から、外出、出張、呑み会と痛風には余り良くない状況が続きますが、今後の顛末は又の機会に。

【コメント】
 う〜む、その後どうなったのでしょう? かなりヤバそうです。
 それにしても、外国出張中の痛風発作というのも大変そうです。激痛のため思考も意識も狭まるので、慣れない環境に身を置いているのはツライことと思います。
 車椅子の件もナルホド。発作が起きたときに、必死でチョコチョコ歩いていると酷く邪魔者扱いされますが、いっそ松葉杖をついたら周囲が配慮してくれたという話を聞きます。
 皆さん悪意がある訳ではないので、虚勢を張らずに、いかに分かりやすく周囲に認識してもらうかという観点が必要なようですね。


猫まっしぐら さん 35歳 女性 (2006/1/13)

 私は、35歳の女性です。
 痛風発作は、去年の6月にきて、そのときからこちらのページを拝見させてもらっています。

 中学生のころから、血液検査をするたびに「尿酸値が高い」といわれていました。
 医者曰く「中年オヤヂの血」と。
 その頃の尿酸値は7ぐらいであったと記憶しています。

 一昨年8月に、入院することがあって、そのときの血液検査で尿酸値が10を超えていました。
 そのときから、「これはひどい数値なので」と、ザイロリックを処方していただきましたが、翌年4月に新しい仕事に就いて病院にも行かなくなり、そのまま放置しておりました。

 6月のある金曜日の夜、右足の親指の付け根がなんかおかしいのです。
 「ひねったかな?」という感じでした。
 そのままシップなどして寝ていましたが、日曜日の夜、とうとう歩けないほどになり、救急車にて病院に行ったところ、「痛風」と診断されました。

 それ以来発作は出ていません。
 けれども、ザイロリックを飲んでいると、とても肌が痒くなるので、11月ごろより全く飲まず、12月に血液検査をして、先日病院に行ったところ、やはり尿酸値が9.3と悪い数字でした。
 医者に、「ザイロリックを飲むとひどく体が痒くなるので、薬を変えて欲しい」といったところ、ユリノームを処方されました。
 これが合うといいなと思っています。

 私の場合は、酒は強いですが、月に1〜2度、飲み会などで飲むか、クリスマスなど特別なときに少し家で飲む程度で、とても大酒のみではありません。

 もちろん、閉経しているとかそんなこともありません。

 非常に太っていますが、今のところ血糖値・コレステロール値・血圧等は全部正常です。
 中学生のころは、身長155センチで60キロと、太ってはいましたが、成人病が出るほどのデブではないと思いますが、それでも尿酸値だけは7とかなり高かったので、体質的なものもあるのではないかと思っています。

 食事はかなり問題があるかなと思っています。
 私は、いうなれば「猫まっしぐら」という感じの、たんぱく質の多い食事が好きです。
 肉も魚も大好きです。
 それも、霜降り牛肉より、オーストラリアの赤身の多い牛肉、といように、肉質の多いものが好きです。
 魚も、頭からまるごと食べられるような魚が大好きです。
 もちろん、モツ類も大好きです。
 ウニとかカニ味噌とか白子みたいなものは食べないのですが、普段からたんぱく質過剰なのでしょう。

 「体質」+「普段の食生活」が、「高尿酸血症」の原因だろうなと思っています。

 ただ「痛風」には、ストレスが非常に大きくかかわってると思います。
 体験談を拝読させていただいても、発作の前に、ストレスがあるようなこと(決算で忙しかったとか、組合を説得しなければならないとか)があるようです。
 私の場合も、4月から新しい仕事に就いたのですが、希望していた仕事ではなく、またストレスが非常に多い仕事で、心身の不調をとても感じていたさなかに起こったので、痛風発作の引き金は、ストレスが非常に深くかかわっていると思います。
 今まで、「働き盛りの男性の病気」とされていたのが、だんだん若い男性にシフトしてきて、さらに女性も少しずつ増えてきているのは、やはり、ストレスが関係しているのではないか、と思っています。

 結局、「バランスの良い食事」「適度な運動」「ストレスをためない」という生活を送ることが、重要なのだと思っています。
 なかなか難しいですけどね。

 あの痛みは、もう二度と経験したくないので、できるかぎりのことはするつもりでいます。

【コメント】
 本当に、最近は女性の痛風患者の方も多いようです。食生活やライフスタイルの変化が影響しているのでしょうか。
 体質の面が大きいのでしょうが、薬が合わないというのは、悩ましいことと思います。
 最後に言及されている対処方法は、誰もが心に誓うのですが、やはりそれが実に極めてとんでもなくムズカシイのです。


長野県在住 風太郎さん 59歳 男性 (2004/12/4)

 私がこの病界に名を連ねたのはかれこれ17、8年前ですから、今では金筋入りの痛風持ちでしかも、年代者と自他共に認めている今日この頃です。
 突然、彼に会った時にはその後友達になるなんて微塵にも思いませんでした。何がなんだか全くわからず、まだそれほど痛くなかったので、多分捻挫だろうと思って湿布薬を貼り付けて会社へ出勤しました。
 だが、無類のサディストである彼は、私の右足の親指の第一間接を一日中容赦なく責め続け、とうとう足が脹れて靴より大きくなってしまい、片方の靴と激痛をお土産に情けない格好で帰宅したことが昨日のことのように思い出されます。
 しかし、それは、悪夢のような悲劇のほんの序章に過ぎなかったのです。その晩は、激痛にうんうんうなされてパンパンに脹れ、さすることもできない足を抱えて彼の身の毛もよだつような仕打ちに耐えて、夜が明けました。あの痛さといったら、心臓の一拍一拍が激痛の矢となって一分間に60回以上、足の先から脳天までつき走るのです。

 転げ込むようにし駆け込んだ医院があの悲劇の第2幕の舞台になりました。
 とめどなく襲う激痛にもだえながら待合室で待つ時間ももどかしく、やっと年のころ60歳くらいの院長の前に座ったときには、これでこの逃げ場のない苦痛から開放されるとの安堵感で涙が出そうになりました。しかし、そんな甘い感傷は院長の次の一手で吹き飛んでしまいました。
 なんと、直径20mmはあろうかと思わる注射器の先には太さが1mm以上はある針が燦然と輝いて、それを持つ死刑執行人(まだそんな人に会ったことはありませんが)のようなぎらぎらと光る院長の目に映っているではありませんか。
 院長は、、今にも追い出されようとしているあの友達が居座っている爆発しそうで、真っ赤にすきとおって脹れあがった患部を、やや皺がよった乾いた二本指で無造作に撫でたかと思うと、その一番膨らんだ台風の目と思しき場所に何の躊躇もなく太い注射針をぶすりと突き刺したのです。
 一瞬、後頭部を鈍器で思い切り殴られたような、なんとも形容しがたい痛みの衝撃に思わず足首を両手で押さえつけていました。そうでもしなければ、足が勝手に体を置いていてその場を逃げ出してしまいそうな状況でした。
 注射器の中に半透明な薄桃色の液体がどんどん吸い込まれ、とうとう注射器の目盛りが一杯なったとき、院長は、別にあわてるでもなく、急ぐ様子もなく患部にあの太い針を突き立てたまま針の根元を押さえながら注射器をぐりぐりとねじって針から抜きにかかりました。その痛かったこと、筆舌には表せない苦悶に満ちた形相でただ、大声を出すのを必死に堪えました。
 注射器を抜くと、ステンレスの容器に水鉄砲のように大量の液体を押し出してから、脹れの圧力によってだらだらと体液が流れ出している患部に突き立てられたままの注射針の差込口に空になった注射器をぐりぐりとねじこんで、再び体液を抜きにかかりました。注射器に半分くらい抜くと体液に赤い血液が混ざり始めたので、漸く注射針が患部から引き抜かれました。
 少しほっとしたのも束の間、今度はさっきよりやや細めの注射器が、院長の指に押されて鋭い針先からピッと薬液を飛ばしながら、あの悪い友達が住む水を抜かれて少し萎びた患部に迫ってきているではありませんか。次の瞬間、真っ赤に脹れ上がってボッツ、ボッツと熱と痛みを発散している患部に再び突き立てられた注射針から、無常にも薬液がぐいぐいと押し込まれていくのです。
 その痛さは、針のような点痛ではなく何か立体的に患部を中心に内部から360度全方向に絞り出すような痛みで、これはもう限界だなと思った瞬間、注射器に残っていた薬液を院長は、サービスのつもりかさらにぐいっと押し込んだところまでは覚えています。あまりの痛さに気を失ってしまい、気がついた時にはベッッドに横たわっていました。
 しかし、この激痛注射一発はよく効いて次の日は何事もなかったかのように仕事ができました。

 あれ以来、あのサディスティックな友達とは切っても切れない一身同体の親密な関係をもつようになり、年に数回彼は思い出したように訪れて来ては、暴虐の限りを尽くした後、彼よりさらにサディスティックな院長がいる、あの医院の裏口からすごすごと帰っていくようになりました。
 はじめのころは仕事が忙しく連日遅くまで残業が続くと、彼は必ずやってきました。その後は、仕事も変わり、会議や接待で飲む機会も増えてきたうえ、中年を迎え衰え始めた体の隙を見透かしたかのように、それ以前はもっときつい仕事が続いても見向きもしなかった彼が、頻繁にやってくるようになりました。
 それまで私は何もせずに、彼が来るのを手をこまねいて待っていたのではありません。痛風に関する本を読み漁り、一応の知識を持つようになりましたので、食事には気をつけ、酒はなるべく飲まないようにして薬も毎日欠かさずのみ続けるという、悪い友達に会わないことを中心にした生活パターンに変えてきましたので、あの悪い友達にもだんだんと会う回数が少なくなって来ました。

 ところが、今年2003年8月8日になんとあの忌まわしく、残忍な友達が4年ぶりに訪ねてきてしまいました。
 あれほど注意深く生活パターンを改善して、付き合いもそこそこにして酒もほんの少ししか飲まないようにしてきたのに、毎日欠かさず薬を何年も飲み続けてきたのに、、、、、なぜ。言い知れぬ悔しさとともに、あの悪夢のような治療が待っているかと思うと、足の痛みも忘れて憂鬱な気分になってしまいました。
 しかし、考えてみると世の中は進んでいることだし、何万人もいるこの病界の方々すべてが、あの苦痛に満ちた治療を甘んじて受けているわけがないと思い直して、新進気鋭の若い院長のいる医院に鞍替えしてみました。
 今回は、無理をせずに早めに治療したことも一因だとは思いますが、なんと3時間おきに鎮痛消炎剤を3粒づつ3回飲んだだけでうそのように脹れが引けてまた、普通の生活に戻ることができました。医者には、原因は暑さで血液中の尿酸濃度が急に上がったためだろうと言われましたので、常日頃、水分をなるべく多く取るように心がけ、さらにあの友達には今度こそ永久にグッドバイを言おうと決心しました。

【コメント】
 掲載が遅れてまことに申し訳ありませんでした。
 それにしても、注射の際の鬼気迫る描写は圧巻です。痛みのあまり気絶してしまうとは・・・。
 痛風以上というサディスティック院長のことも気になります(笑)。即座に生命を左右することがない割りに、派手なリアクションが得られる痛風の注射は、医師にとって醍醐味(?)があるのかもしれませんね。(笑)


たらば・ずわい さん 44歳 男性 (2004/7/23)

 はじめまして。3日前に初発作を迎えた健啖男(44才)です。
 鱈腹食べるのを喜びとし、毎日欠かさず酒を飲みつづけてウン十年。162cmの身体もいつしか96kgまで成長するに至りました。

 尿酸値は普段から7.5くらいでしたが、時折、左足親指がうずくことしばしば。
 いつかは、痛風に。そんな予感もないわけではなかったのですが、軽くうずくだけだったので「いや、俺様はプチ痛風だけで、本痛風にはなんねぇ〜ぞ」と根拠のない絶大な自信にあふれていたのも事実です。

 しかし、やっぱり出ちゃいました。
 2004年7月20日。夕食を外食で済ませた頃から、なんだか歩きにくい。いつもは指の付け根がズキズキするのに、今回は足の甲が妙に痛い。夜が更けて11時頃になると、ビデオ屋でビデオを探し歩くのも面倒になるほど痛みが増してきました。

 で、案の定、その深夜から痛みが本格化し、21日には痛みの絶頂に。強者の痛風持ちの先輩がたにその激烈な痛みをお話しても、「そんなの知ってら〜な」と言われると思うので細かな描写は割愛させていただきます。

 ただ私、26才の時にバイク事故を起こしまして、タクシーのナンバープレートが左足の脛に刺さり、骨まで見えるほど巨大な鉤裂きを作った経験がございます。今回の痛風の初発作は、その事故のときよりも遙かに痛かった。まことに「痛風」とは見事にネーミングした病名だと改めて感心しました。

 この体験談を書いているのは、23日。つまり発作から3日目です。22日午前にかかりつけの医院に行き、鎮痛剤の点滴を受け、食後に鎮痛剤を飲み始めたため、痛みは「ズギャン!ズギャン!」からすっかり「ズキン?えっ、ズキン?」程度に変わりました。

 来週の月曜日、5年続けてきた某ラーメンチェーンのPR誌の打ち上げ会があり、幹事の私は発作のピーク時に宴会場探しをする羽目に。鎮痛剤が効いたとはいえ、22日に蟹がなんといっても自慢の海鮮和食の店に自ら会場を決定。予約の電話をニコニコと明るい声で入れました。

 私、じつは趣味が「蟹」なんです。趣味って言い切れるほど無類の蟹好きで、今回予約した店は私にとってお勧めNo.1の蟹スポットなのです。プリン体のことは発作前から承知しています。ビールはそれほど好きではないので大丈夫なのですが、イカと魚の干物、白子も大好物です。そうそう、今回の店にはないけど、焼きトンにも目がなく、「肉はやっぱり内臓だよね!」ってタイプです。

 こんな私が、初発作後6日目に蟹三昧&お久しぶりの酒(たぶん、浴びちゃうかも?)をやって良いものなのでしょうか? まだ、あの激痛が鮮明に記憶に残っているので、ちょっと蟹は控えたほうがいいかも?とも思ったりもします。
 でも、いざ蟹と対面したら、手が無意識に動き、蟹の関節をプロレスラーのように決めてバキバキ折り、スルリと芳醇な脚肉を一気に口で吸い込んでしまいそうです。ンまい蟹は蟹酢なんていりません。そのままスルリとやり、程よい頃に蟹味噌を絡めてまたスルリと頂くに限ります。

 まだ足に違和感やわずかな鈍痛が残る発作末期の高尿酸血症患者が、いそいそと蟹と酒を喰らいに出かけるなんて、やっぱり愚行ですよね。ホームページを拝見すればするほど、HIDEさんだったらどうするんだろ?と素朴な疑問が湧いてきました。やっぱりこんな私は、2度目の発作もすぐって感じですか?

【コメント】
 最後の疑問については、2つの内容に分かれるようですね。
 @私だったらどうする? ・・・ 今の私なら、やっぱり行ってしまうでしょう。
 A2度目の発作もすぐ? ・・・ お見込みのとおりでしょう。(苦笑)
 冗談はともかくとして、私、「趣味が蟹」とおっしゃる人に初めて遭遇しました。世間は広い。(笑)


東京在住 会社員(2年目!)さん 25歳 男性 (2004/5/17)

 本日このページを拝読させていただき、同様に苦しんでいる方がこんなにもいらっしゃるのかとびっくりしている所です。
 そこで、自分のケースはある意味特殊なんで、これと同様のケースに陥った人のために体験談を記述しておきたく。

 最初の発作はおそらく16歳の頃でした。
 別段、食生活も乱れているわけではなく、16歳の頃も大量にうどんを食ってた記憶はあるのですが、タバコなんて当然吸いませんし、父はホルモン好きですが、当時の俺は大嫌いでほとんど手をつけませんでしたし。
 体育祭で突然右足親指の付け根が痛み出し、七転八倒しそうになるほどの激痛の中、テーピングでがちがちに固めて出場したことを今でも良く覚えています。

 ですので、痛風であると病院より教えられ、気づいたのはそれから7年後、23歳のときでした。
 咳が止まらない(実は喘息も持ってた)症状を何とかしてもらおうと病院にて血液検査を受けた結果・・・・・なんと、尿酸値が「10.8mg/dl」という驚異的な値でして。ええ、「いつ発作が起きてもおかしくない」状態でした。
 自分の場合は尿酸過剰生成&排泄障害のハイブリット型。
 今でこそタバコは吸うし、仕事の関係上酒も飲むようになりましたが、当時は酒は「飲めなかった」ですし、タバコもまったく吸ってはおりませんでした。#お酒はビール3缶/年しか飲めませんでした・・
 食生活もちょうど別の理由で改めて1年程度経過していた頃であっただけにショックは大きかったです。正直、泣きそうでした^^;

 何で俺が・・・?その結果は意外と早く分かりました。実は遺伝だったんです。しかも隔世遺伝・・・。
 弟がさらに重大な発作を発病したのです。弟は、消化器系に障害があるため、食事量を大幅に制限させられており、少なくとも暴飲暴食はできない体質だったのです。おまけに食事に関しては実家の両親と母方の祖母が徹底して管理してたので、普通の痛風発作とは原因が違うだろうと。で、病院で調べてみたら発覚しちゃいましたと言う話で。
 唯一の救いは、弟が肢体不自由で足の神経が麻痺しかけていたこと。俺よりも数倍ひどい発作を起こしながら痛みを感じずにいられたのはまさに奇跡としか言いようがないでしょうね^^;

 今でもこの痛風とは仲良く(?)付き合いを続けています。
 先週金曜からちょっと駄々をこねられ、右足が再び大変なことになっておりますが(^^;)

 痛風発症記、読んでて結構グサグサッと心に響くところがありました。今後、食生活だけでなく、薬の飲み方もちょっと考えたほうがいいのかな…と思いました。
 #幸い、上司に一人痛風持ちがいらっしゃったので、職場で恥ずかしい思いをすることはあまりないです。
 お互い頑張って対処していきましょう。これからもちょくちょく拝見致したく。ありがとうございました。
 以上

【コメント】
 なにが大変といって、遺伝的な痛風こそ大変だろうとお察しいたします。
 鯨飲馬食などといって、自ら好んで(?)痛風に陥っている人間として、本当に汗顔の至りです。(^_^;)
 上手く痛風と折り合いがつけられますよう、お祈りしております。


九州在住 Mさん 39歳男性 (2004/5/3)

 私の痛風体験をお話します。

 20代前半の社会人になって初めての健康診断で、医者から「年齢の割には尿酸値が高いねぇ・・・このままだと、痛風発作になるからしっかり治療しておかないと」。若かった私の耳には、この話はあまり説得力がなく、”たいした問題ではない”と心の中の片隅に忘れ去られておりました。
 それから半年に一度の健康診断で毎回、担当の先生から、「治療をしないと合併症など大変怖いことになりますよ」と言れておりましたが、何もしないまま30代に突入。
 初めての発作は、会社の管理職になって、初めてのリストラの仕事をしたときに起こりました。できることなれば、したくはない嫌な仕事(何十人もの面接や組合の説得・・・)を続けるストレスは大変なもので。。。ようやくこの仕事が決着する組合との最終協議の当日でした。
 朝、起きようとしたしたとき、右足の踵(アキレス腱の部分)に若干の痛みを感じたものの、朝食を食べ、車に乗って会社に向かったところ、痛みが分刻みで増大し、わずか15分あまりの通勤時間中で、痛みは耐え切れないものに・・・
 アクセルを踏む右足は痛みで自由がきかず、携帯から会社に遅れて出社することを連絡し、不安全な運転で整形外科に直行・・・額に油汗をかきながら何とか受け付けまで行き、「初診ですが急いで下さい!原因がわからないのですが痛くて目眩がしてるんです!!」 まわりを見ると患者(じいちゃん、ばあちゃん)の数の多さに驚き・・・
 2時間近く待ってようやく呼び出され先生から、「原因の心当たりはありあますか?」と聞かれ、「うぅ〜ん、よくわからないです!痛いです!」と答えたところ、その先生から「君の体格が立派(?)なところを見てるともしかして痛風じゃないかな?血液検査で尿酸が高いって言われたことないかな?」「それはあります、確か尿酸値が10〜11ぐらいだったと」。先生は即答で「うん、間違いないね、今日は会社休めるのかな?」「いえ、今日は重要な仕事があって休めないんです」。
 その日は局部に鎮痛の注射(→息が詰まるほど痛い注射だったことを記憶してます)し、採血検査、それと松葉杖を借りて会社へ・・・組合幹部が松葉杖をつきながら、額に脂汗をかきながら会議室に入る私を姿を見て、事情を知り、「ここまで一生懸命にされている姿を見て、長話はできませんね!会社の提案をのみましょう」と。
 この病気を持ってラッキーだったのはこれが最初で最後です(笑)。

 それから、今まで、毎年のように襲ってくる痛風発作に悩まされております。
 @尿酸値を下げる薬を飲むと必ず痛みが発症し挫折
 A痛みが出ている間は鎮痛・消炎剤を服用(胃が悪くなります)
 B痛みが治まると尿酸を下げる薬を飲む恐怖でしばらく何もせず
 Cチョッと痛いかなぁと感じるとコルヒチンを服用
 仕事が忙しいせいか、完全な治療状態の軌道に乗れず@〜Cの繰り返しをしてます。
 そして、何故か毎年の2〜3月に猛烈な痛風発作(私はこれを春の鬼門と呼んでます)を発症し、今年は3月の上旬に発症してからゴールデンウィークの今まで痛みが治まっておりません。私は、今まで左右の足の踵・甲、それと左膝、右足の付け根に発症した経験を持っております。
 インターネットの契約をしたばかりで早速「痛風関連」を調べ、このホームページの存在を知りメッセージを入れました。似た症例を持つ方々からのメッセージ、励ましをお待ちしております。
 家族はゴールデンウィークにも関わらず痛風の影響で家の中でふつふつしております・・・今も痛いです(→でもこの激痛にも慣れてきました)!!

【コメント】
 尿酸塩が蓄積されている状態では、薬を飲んで急激に尿酸値を下げると発作が起きるケースがあるそうです。
 私も半年ほどは綱渡りでした。薬の飲み方は難しいけれど大事ですね。
 それにしても、粋な組合幹部さんですねぇ。(笑)


埼玉県在住 43歳会社員 ”おやじ”さん (2004/1/4)

 まさに、今(2004年 1月4日)、生涯で3回目の発作に見舞われております。
 1月2日の夕方、右ひざに、妙に懐かしいような怖いような違和感を感じました。
 はて?一昨日の大掃除で、フローリングワックス掛けを妻の「きれいになるわ」のひとことにまんまとのせられ、張り切りすぎたせい(この時点では、外的要因と思い込んでいた)かなと、か〜るく考え、いつものように焼酎水割りを嗜みつつ、レンタルのDVDを鑑賞しておりました。
 生々しい描写のまえにご覧の皆様にこれまでの経緯を把握していただきましょうか。

 わたくしの過去について(異性関係ではありません。痛風の過去歴です)、ご説明致します。
 あれは、今から約7年前(36歳まさに適齢期)の秋口でした。
 当時、わたくしは、通勤にドア トゥ ドアで2時間(帰りは座りたいので2:25)かけて、都内の営業部門に勤務しておりました。週に1回程度の地方出張(主に関西や新潟など)があり、仕事をそこそこにこなしつつ、泊まりの出張などでは、まず生ビールそしておいしい地酒と、旬の肴。厳しいノルマに悩みながらも、出張先では、至福のひとときを過ごしておりました。
 帰りの新幹線でいつものようにナッツで缶ビールを飲み(新幹線ってビールを飲むしかないところですので)、東京駅に近づいて来たころでした。左足、右足とも、親指の付け根がシクッとするのに気がつきました。健康診断にて、”尿酸値高し、痛風の疑いあり”との結果が出ていましたが、「痛風なんて自分にはまったく関係ないもの」と決め込んでいたわたくしには、そのシクッが何なのか解かるはずもございません。まあ、歩くのには、痛みは感じない程度でしたので、そのまま、直帰しました。・・・
 その夜。 左ひざが、痛み始め、朝には、立ち上がれないようになってしまいました。
 前述のとおり、わたくしは、痛風とは、まったく考えなかったので、もしかしたら、ひざに水が溜まったのでは?と思い、近所の病院へ行きました。(妻の肩を借りて)30分くらい待った後、診察室に呼ばれ、ひげもじゃの口が悪い医師の診断を受けました。
 レントゲンも、血液検査もせず、いきなり、象用(としか見えなかった)注射器を持ち出し、予告もなしに、わたくしのかわいらしい左ひざにぶすり。痛いといって涙ぐんでいる患者のひざをもてあそぶかのように、彼は、針先で何度も、わたくしのひざを蹂躙しました。
 そのときの痛みと、怒りは、7年経過した今も、忘れられません。(実名を出したい衝動に駆られています)
 で、結局、水は一滴も吸い出されず、シップのみ出されました。ナースも、気の毒に思ったらしく、「明日は、別の先生が来られますから、もう一度、おいで下さいませんか」と言ってくれました。
 ですが、あんな仕打ちを受けた同じ診察室へ行く寛容さは持ち合わせていないため、「だれがくるもんか」と捨て台詞を、情けなくも胸の中で叫び、逃げるように帰りました。
 すっかり、病院不信となったわたくしは、その後、鎮痛剤もなく、地獄の3日間を過ごしました。
 が、発症から5日目。昨日までの地獄がうそのように、わたくしは、普通に階段が下りられるように(実は、のぼりより、くだりがきつい)なりました。もちろん、約1週間ぶりに会社に出社し何事もない、日常に復帰していきました。自分が痛風とは気づかないまま・・・・・

 それから、2年後。わたくしは、またもや発作に襲われました。
 例によって、”そのとき”は、突然、やってきました。・・・・・・左のくるぶしです。
 まったく、動けません。動かせない。  痛くて。
 丸2日間、我慢しましたが、まったく、状況が変わりません。
 あうっ、うおっ と叫びながら、妻の運転で近くの、整形外科へ。
 事の次第を逐一、その先生に報告しましたが、その先生も痛風には、思いが至らなかったらしく、とりあえず、痛み止めを打っときましょ。 えっ、まさか、と思いましたがまさかは的中。
 涙を流して痛がっているそのくるぶしへ、ずどん。帰宅するころには、左足がすべて麻痺し、痛みは消えたものの、今度は、違うことが心配になるほどの、麻痺状態。
 「俺の脚は、人生はどうなっちゃうんだろう?」 夜、注射の効力が消えて痛みと闘いながら不覚にも本気涙を流してしまいました。
 その後、数日が過ぎましたが、痛みは消えず、会社にも行けず、自暴自棄になって痛みをこらえて歩いてみても、結局、痛みには勝てず転倒。またあの、バズーカ砲を打つ気にもならず、だめもとで、〇〇総合病院へ。
 2時間待って、診察・レントゲン・尿・血液検査を受けてみると、「痛風ですね」
 えっ?つうふう? 「ええ、高尿酸血症。いわゆる痛風です、その痛みは、”発作”ですよ」??? つうふう?  こうにょうさん???
 その先生は、非常にその病院でも人気の先生で、なるほどとその人気ぶりが理解できる程親切に痛風について説明してくれました。
 発作中に排出促進剤等の服用は良くないからと、その日は良く効く鎮痛剤とシップを出してくれ、また2日後にくるよう指示を受けました。
 2日後、インフォームドコンセプトのあと、ユリノームとウラリットUを処方してくれ、日常の留意点なども、親切丁寧に説明(悪化すると、人工透析ですよとの脅しつきで)下さいました。
 しばらく(半年くらい)は、通院し、神の薬(我が家では”ヤク”と呼んでいます)の処方を受けてまじめに服用しておりましたが、のどもと過ぎればなんとやら。ヤクだけでも、2時間かかることを理由に、また、発作もでないことを、自分の努力の結果と勘違いして通院しなくなりました。

 それから5年。シクシクとか、うずうずとかはありましたが、その都度、出来る範囲で自重し、一昨日まで、発作を回避することが出来ていました。これが今回の爆発への序曲とも考えず。
 そして昨年末。なにかと飲む機会も多い季節。12月初めの健康診断では、尿酸値=10.5
 再検査の診断担当医は、「いつ、発作がきてもおかしくない」とのコメント。そんなことわかってるわい。だけど、飲むのも仕事となってきた今日この頃。
 「こりゃ、ちょっと、気をつけないとまずいな」と、思いつつも、せっかくお酌して下さる皆々様のご好意を無には出来ません!(きっぱり)
 そうして無事に新年を迎えました。そう、1日だけは。
 元旦。親戚のところで、宴会。我が家では「ご禁制」の本物のビール。鮭のかまとろ。いくらの塩づけ。もちろん、かずのこ。しゃぶしゃぶ、冷酒。etc・・・
 頭では、「10.5」を理解していても、からだは、我慢してくれません。
 ご禁制のしかも、エビスは、芳醇な香りとともにわたくしを開放してくれました。地獄への門を。
 
 で、いま。 右ひざはシップをはり、鎮痛剤なしではどうにもならない状態。
 昨日、近所の病院へ行ったのですが、発作中は、”ヤク”はだめとの冷たいお言葉と鎮痛剤のみを賜りました。いじめかな?
 いつになったら、ユリノームを下さるのだろう。考えることは、こればっかり。
 この後の経過は、近日中にご報告するつもりです。長文となってしまい、申し訳ありません。
 hideさん、このHpだけが、いまの心のよりどころです。これからも、”健康”で継続してください。

【コメント】
 生々しい体験談をありがとうございました。新年早々に発作というのは辛いですねぇ。お察しいたします。
 しかしまあ、年末の不摂生の蓄積で、正月中に発症する人というのは多そうな気もします。魚卵やエビカニは正月の定番ですしね。
 最悪なのは、大晦日以前に発症して、発作状態で年越しをする・・・というもの。う〜ん、悲惨そうだ。想像したくない。
 この後のメールによると、おやじさんは仕事初めも休み、自宅に届いた冬の美味を目前に苦悶の日々を送っておられるとのこと(思わずもらい涙)。
 一日も早い回復をお祈りします。


aishiさん 49歳男性 (2004/1/2)

 みなさんこんにちは、49才で初めて発病した新参痛風患者のaishiです。
 数年前から年一回の人間ドッグで尿酸値が高いので注意して下さいと言われていたのですが特に自覚症状もなかったので無視していました。
 ところが2、3ヶ月前から右足の甲が痛くなり歩くのが困難になりました。
 そこで整形外科に行ったり接骨院に行ったりカイロプラクティックに行ったりしたのですが一向に改善せず、これは外科の世界ではなく別の原因ではないかと考え直し、毎年の人間ドッグで言われていることを思い出して近所の内科に行ってみました。

 近所の内科には尿酸値9.2という今年の人間ドッグの検査結果の資料も持参して、この痛みは痛風ではないかと先生に言ったところ、痛風の治療薬には体内で尿酸が過剰に作られるのを押さえる薬と、出来てしまった尿酸を体外に排出するのを促進する薬の2種類があるがまずは後者の薬で様子を見ましょうと言われ薬をもらいました。
 そこでその薬を飲み始めた訳ですが、その結果あれほど痛かった右足の甲の痛みがなくなりました。
 現在も薬を飲み続けていて痛みも治まってますが、対応策として食生活のほうも改善しなければと思い、飲食を次のように切り替えました。

 大大大好きなビールは止められませんので、いまはプリン体95%カットを売りにしている某社の発泡酒をなるべく飲むようにしています。また早めにビールから焼酎や日本酒に切り替えるように心がけています。
 食べるほうでは大大大好きなイカ・タコ類をなるべく控えるようにしています。
 完全にやめる訳ではなく心がけている、控えている、という対応が弱いことは理解しているのですが、食生活は私の生きがいの中で大きな位置を占めてますので、それをゼロにすることは出来ません。しばらくこれを続けてみて、そのあと検査して尿酸値が下がっていれば良し、だめな時はさらなる食生活の改善に取り組もうと考えています。

(追伸)
 今回右足の甲の痛みで歩行困難になった時に割と冷静でいられたのは何とか歩くことが出来たということもありますが、5年前に同じように原因不明の腰痛になったことがあり、今回と同様に整形外科に行ったり接骨院に行ったりカイロプラクティックに行ったりしたのですが改善しないどころかどんどん歩けなくなっていき、最後は杖がなくては歩けなくなってしまいました。
 そこまでなると、これは単なる腰痛ではないのではないかと思い大学病院に行き精密検査を行なった結果、MRIの検査でようやく脊髄の中に腫瘍が出来ていることが分かり、脊髄を切り開いて腫瘍を摘出するという大手術を受けて、ようやく腰の痛みがなくなりました。
 痛みの度合いは個人の感覚なので何とも言えないのですが私の経験では腰と足の甲では腰の痛みのほうが辛かったです。みなさんの中には痛風だけでなくもしかすると腰痛の方もおられるかも知れませんが、幸い私は両方がダブルで同時に来ることはなかったですが、もし両方に同時に襲われていたらどうなっていただろうかと考えると恐ろしい気がします。

【コメント】
 お話を読むと、腰の方がずっと大変そうです。そもそも原因のレベルが違う(笑)。
 痛風の方は程度の問題なので、ある意味救われますし、逆にいえば自分に対する言い訳が容易だという面があるでしょうか。
 食生活のコントロールが上手くいくようお祈りしています。


北海道在住 33歳男性 (2003/8/23)

 楽しく拝見させていただきました。
 現在3度目の発作です。私は、北海道東部の中標津町というところに居住している33歳の男です。

 5年前に隣町の別海町の郵便局に採用になりました。大学を卒業し、民間の会社に勤めた後の採用だったので、そのとき既に27歳でした。
 札幌出身の私が、道東の田舎町で手っ取り早く地域に馴染む方法として選んだことはたくさんの人と酒を飲むことでした。この地域には、「北海しまえび」「花咲ガニ」「根室のさんま」「かき」等を安価な値段で楽しむことができるのです。
 赴任後数ヶ月経つと、いろいろな人から招待されたりする機会が増えました。たくさんの海の幸で卓上が華やかになります。都会で暮らす人が高いお金を払ってお店で食べるような物を、この辺の田舎町ではタダで、近所の家で気軽にで楽しむことができるのです。
 人のいい人ばかりですから、「若いんだから遠慮なんかするなよ、どんどん食え、飲め。」とどんどん勧めてくれます。「いや〜いいんですか〜。ススキノのちょっといい店でこんなの食べたらいくらとられるかわかんないですよ〜。」当時の私の口癖でした。
 この町で育った若者にとっては当たり前すぎて食べる気にもならないような物でも、おいしそうに食べながらたくさんビールを飲む、聞き上手の明るい若者(ひょっとしたらこの人から数字をあげることができるかもしれないと思って、そのように演技をしていました)は、たくさんの人から可愛がられました。食べきれないものは当然、お土産としてお持ち帰りです。

 そんな暮らしを続けたので、私も痛風持ちの仲間になりました。
 この町では痛風は贅沢病ではない。

【コメント】
 わはははは、土地柄がよく出ていますね。
 実は、私も先日ご当地を旅行していました。花咲カニやらシマエビやら、本当に痛風に悪そうなものばかり。当然ながら、グイグイ食べて、グイグイ飲んで来ました(笑)。そんな天国にお住まいとは、本当に羨ましい・・・(?)。
 なお、下記のとおり、追伸もいただきました。

 追伸 痛風は贅沢病と勘違いしている方が多く、お客様や知人に「どんな贅沢なものを食べていたんだ。」などと訊かれ、困惑しています。
 この町の人は、子どもの頃から地元の物に食べなれている(食べ飽きている)ので、痛風持ちになる人は少数なのでしょう。

【コメント】
 う〜む、新鮮なカニ・エビ・魚介を食べ放題の方々から「どんな贅沢なもの・・・」と言われてもねえ。そりゃ困惑もします。(笑)


ブラジル在住 男性 Fさん (2003/8/13)

 サンディエゴで、5時頃から10時過ぎまで、ビールを飲みっぱなし、翌日朝出発、
 ロスで乗り換えてサンパウロまで11時間、飛行機を降りるとき、足の親指が痛い。
 恐れていたエコノミー症候群と言う病名が頭をよぎりました。
 3日目に痛みに耐え切れず、夜、救急病院へ。
 医者に見せたところこれは「GOTA」だと言われ、処方箋。
 「GOTA? 分からん。」
 「エコノミー症候群でないの?」と聞きたいけど、これもポルトガル語が分からん。
 水滴のことを「GOTA」というけど、水に関係あるのか?
 水疱瘡? 水虫?????
 「下水はESGOTO」 何か響きが近い。やはり水関係?
 「汚い水みたいなものが、関節を流れる病気」??????
 翌日辞書で調べて、痛風!
 で、痛風生活が始まりました。

【コメント】
 GOTA?わははは、ポルトガル語にも語彙があるんですねぇ。当然ですね・・・(^_^;)
 なんだか妙に不思議な感じがします。
 地球の裏側でも、痛風は仕事熱心のようでした。


長野県在住 男性 前向きロケット団さん (2003/7/6)

 私にとって痛風発作の発症は、自分を見つめ直すとてもよい機会になりました。
 まだ、1ヶ月半足らずですが、お酒はほとんど口にしていません。
 食べる量も腹8分目。毎日2リットルペットボトルに水を入れてご出勤です。
 最近は、午前中で飲み干してしまうほどです(なんでもスーパーモデルと言われる人たちも1日に2〜3リットルくらい水を飲むとか・・・?)
 すると84kgあった体重が77kgまで減少しました。
 間食、缶コーヒー、夜9時以降の食事もなくなりました。
 飲み会は以前と変わらず機会がありますが「オレの酒を飲めねーのか」などと言われることもなく、ウーロン茶がぶ飲みで、相手の話を聞くことに集中しています。

 痛風発作と出会ってよかったことは、体重が減ってきたこと、捨てられずにとっておいた服・ズボンがまた着られるようになったこと、女性から「やせた・・・?」と言われようになったこと、小銭を使わないようになったこと、二日酔いがないので仕事が充実してきたこと(上司からの評価はどーだか分かりませんが)、肉体疲労になりにくく、回復も早いような気がする。

 失敗したこと・・・痛風発作を発症する前に気がつけば・・・。

 ちなみに私の連れ合いは「保健師」という職業に就いており、某病院の人間ドック室で生活習慣病の予防のための指導・・・?とかいうことを生業としているようです。母ちゃん曰く「私の職業なんて関係ないよ。すべてはあんたの自覚なんだからね。」
 夜のつきあいも極端に減りましたが、今のところ仕事や人間関係には支障は出ていません。
 今までやってきた仕事や人間関係は酒を飲まなくてもなんの支障も来さないんだということも実証されました。よかったよかった。
 ということは、もし仕事や人間関係がうまくいかなくても痛風のせいにはできないってこと・・・?
 もっとも私の一方的な思いこみかも知れませんけどね。

【コメント】
 掲載が遅れて本当に申し訳ありませんでした。・・・って、もう聞き飽きましたね。でも平謝り m(_ _)m
 痛風持ちの方は(もちろん私も含めて)、お酒と付き合いの深い方が多いようですが、日頃思っているほど「無くてはならない」ものでないことに気がつきます。これも痛風のご利益といえるでしょう。
 もっともご指摘のとおり、「無くても平気」ということと、「無ければ良い」ということとは、必ずしも同じではないんですね、これが。(苦笑)


神戸在住 shinさん 39歳  (2003/5/31)

 皆さんの体験談、非常に勉強になりまた励みにもなります。日本では現在、50万人以上ともいわれる痛風持ちの方々がおられる中で、私もその一員?であります。今、まさにその真っ只中におり、激痛と闘っております。実はこれが二回目の発作になるわけですが、1回目は2001年7月のある夜のことでした。
 3時間にも及ぶ長々とした会議が終わり、ホッと一息着こうと思い席を立った瞬間、右足首に鈍痛を感じました。アレ?どこかで足をひねったのか?・・・と、いくら考えても記憶に無い。その1時間後、デスクワークを終え帰宅の準備にかかり、ロッカールームで靴を履き替える頃にはもうすでに右足首は左足とはうって変わって腫れあがり、その腫れが足の甲まで及んで靴が履けない状態にまで達していました。
 その夜、時間を追うごとに激痛と化し一睡もできないまま朝を迎え、妻の運転する車で近くの総合病院へ行き、痛風と診断されました。医師の宣告を受けたときはそれがとても信じられず、この歳で・・痛風?・・・!まるで他人事のように思えて仕方がなかったのです。と言うより医師の宣告を自分自身、認めたくなかったのが本心でした。
 そして5月28日が今回で二度目、二年ぶりの発作となったわけです。最初の発作がでたときは初めての経験ともあって医師の指示通りに食事や飲酒に摂生を心がけていたのですが、それも二ヶ月もするとどこ吹く風で、なにもなかったかのように普段の生活に戻っていました。
 アルコールも好きでビール、日本酒、焼酎・・・何でもOK。食べ物では、肉中心で油っこいものから刺身、ホルモン・・・と、思えばほとんどの痛風持ちの方と共通している点ではないでしょうか!今回の二度目の発作の引き金となったのも、ここのところの季節の変わり目ともあって、ビールの摂取量が今までの倍以上、思えば肉中心の食生活が主であったと反省しております(汗)!でも辞められないアルコール!!(今は発作中なので禁酒していますが・・・苦笑)
 今回の発作は左足親指の付け根で、ごくスタンダードなものですがやはり痛い!今は消炎鎮痛剤で痛みを和らげています。これから先もこの厄介な病気を連れそうことになるかと思うと・・・なんだか気がめいりそう。でもこのHPを見て同じ境遇に居るたくさんの人達の人生経験を読ませていただいたおかげでなんだか元気が沸いてきました。
 これからも、このHPで同じ苦しみに悩んでいる人達へ少しでもお役に立てるアドバイスができれば、また、自分自身の慰めにもと、体験談をまじえてアップしたいと考えます。

【コメント】
 掲載が遅れまして申し訳ありませんでした。今頃はいくらか回復されているでしょうか。
 私も絶対に(←強調)酒はヤメられません。特に、すっかり夏モードのこの頃。冷たいビールを飲むなというのは、あまりにもムゴイ!!!。私もついついグビッグビッと・・・。
 夏は痛風持ちにとって、精神的にもっともツライ季節です。そこらへんのご様子などもお知らせいただければ幸いです。・・・プハーッ!!!(と、本当に飲んでいる私)


痛風認定新参者さん 46歳 (2003/5/28)

 痛風認定新参者です 
 46才 身長172センチ 体重77キロ 自称筋肉質 テニスは上級 お酒も上級

 私の場合初めての発作は5年くらい前じゃなかったかなと思います。
 というのは、下手なテニスが趣味で夕方はもちろん週末は必ずと言っていいほどテニスコートで過ごしていたのです。時折草テニス大会に出て大汗をかきかき、そして当然夕方からは、焼き肉やらバーベキューをぱくぱく、生ビールの2〜3杯で始まり、冷酒を少々、あとワインは味見程度にコップに2杯ぐらい、とどめは焼酎ロックでできあがりと云った健康的な週末でした。
 なので1〜2回目の発作は足の疲れからの関節炎だろうと思っていたのです。(今から思えば正しい痛風の突入コースなのだ)当時の痛風の知識といったら、「足先など末端の細い血管内で尿酸が結晶化する 寒い冬など末端の血管は体温が下がるので特に結晶化しやすい 血漿はトゲトゲしているので痛い 相撲取りなどのデブに多い ビールや肝の類が良くないらしい」でした
 ということで3〜4回目の発作の時に初めて整形外科(普通の開業医)に行きました。私の場合は踵だったのですが、まずレントゲン。これがまずかった 両足の踵に骨棘(こつきょく)というトゲがあったのです。そうプロ野球のピッチャー(マリナーズの佐々木など)の肘や(ネズミなどという)マラソン選手の踵などにできる奴です。友人が私の歩きぶりを見たときの返事はいつも「踵のネズミはトップアスリートの宿命なのだ」と云っていました。
 整形での治療は湿布・鎮痛剤とストレッチ これでは良くなるはずがありませんでした。行動的な私は「これは専門医に見て貰おう」と心に決め、まず整形専門といわれる総合病院の整形に行きました。ここでもレントゲン結果を見て当分は保存両方、改善がないならトゲを取りましょうという治療計画でした。手術はイヤなのでつぎは、県内で最高の医療体制を誇る(たまにテレビに出るような医療ミスがあったけど)某赤十字病院の整形外科部長に見て貰いました。同様にレントゲンを見ながら「これは筋力低下と体重増によるものだから手術は必要ないよ」でした。
 5月の始め、某事務所の片づけをしていたところ先輩の一人が足が痛い云い「どっかで打ったかも知れん こんなに痛いのは骨折かも」と云いながら病院に行きました。 整形外科(骨折無し)→肥満体型→内科→立派な痛風という診断でした。
 この先輩から聞きもしかしたら俺も と思い内科で血液検査をして貰ったら案の定、皆さんの仲間入りでした。尿酸値9.7mg/dl (実は3年前の人間ドックでも8.5mg/dlだったのだ)治療はコルヒチンを2日間投与後、アロリン100mg(アロプリノール 産生阻害剤)を一日2錠の生活となったのです。
 目下体重を70キロ目指して減量中。最後にこの先輩には大変感謝しています。

【コメント】
 う〜む、どうやら運動家の方ほど痛風発覚までの曲折があるようですね。(笑)
 それにしても、これで手術までされていたら大変でしたね。医者も患者側の申告を踏まえて診断するのだから、あまり一方的に責任を押しつける訳にもいきませんが・・・。医者の言うことが無条件に正しいと信じ込まないこと。この姿勢は大事ですね。


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