『私の痛風体験談』 その3
ついに体験談メールも「その3」になりました。皆様の情報提供に感謝申し上げます。
最近、多忙により頂いたメールの掲載が非常に遅れていることについて、お詫びを申し上げます。
我ながら、口ほどにもない・・・。m(_ _)m
どうぞ、今後ともご愛顧の程をお願いいたします。
【注】 頂いたメールについて、基本的には、氏名等の特定情報は伏せさせていただきます。他の投稿例も参考に、ご自分でハンドルネーム等をご指定ください。メールアドレスについては、ウィルス・メール対策として、原則として掲載しないことにしました。
埼玉県在住 gakuさん 35歳 (2003/5/19)
以前にメールをしたことがあります、埼玉のgaku(35)と申します。
その後半年に一度の発作を定期的に繰り返しながら過ごして参りました。ところが今回のはいつもとは大きく違いました!
痛くならないと医者に行かない!もし発作が始まっても仕事が忙しく、医者にいけなければそのままにし、痛みが引ければ医者に行かないというとんでもない患者の私ですが、ご多分にもれず決算後の特需的な売り上げのあと片付け当で、忙しくしていた4月の前半に奴はやってきました・・・・・
しかも、いつもは前日ぐらいに兆候があるのですが、2日前にすでに前兆がありました。コルヒチンもユリノームも切らした状態で「これはまずい」と思っていた前兆からきっちり2日後の朝起きると親指の付け根に激痛が!しかもいつもよりかなり痛い・・・・・・ 足がつけないぐらい痛いのだ、親指の付け根の場合、踵で歩くと楽なのだが、踵が着地するたびに痛みが親指から発せられるのだ。
しかも本当に仕事が忙しく、しかも3月末で人員が減ってしまったせいもありなかなか病院にいけない!(仕事より身体のほうが大事なのですがね)状態で1週間半痛みは少しは引いたもののやはり痛い!で4月中旬に仕事中に病院に行きました。
いつも行っている病院は、前の営業所のそばなのでそこまで行ける時間もなく、会社のそばの病院に行ったのです。
前にも痛風での通院歴があることと、痛風の発作のようだが今までこんなに痛みが続いたことがない事を告げると患部も見ずに「痛風だね、じゃあ薬出していきます」とのつれない返事。血液検査するでもなく、レントゲンを撮るわけでもなく、痛み止めと胃壁保護薬とウラリットを処方されました。ウラリットは痛みが引いてから飲んでくださいと言われ痛み止めと胃壁保護薬を2週間飲みましたがまったく変化なし・・・・困りました。
ゴールデンウィークには大型納品があり、私の会社のような小企業は蜂の巣を突付いたような騒ぎで、とても本社から応援を頼める雰囲気ではなく・・・・・ゴールデンウイークに突入足が痛いなかで納品の手伝いで神奈川県のとある都市にて仕事を3,4,5日とし!夏風邪までいただき7日に本社から応援に来て貰い、ようやくいつもの病院に行く事が出来ました!
レントゲンは異常なし、血液検査では尿酸値が8.9をみて「異常だね、内臓が心配だよ」と言われました。確かに4月のはじめからこの数値が続いていたのだったら・・・怖いです。その場で親指を固定されて痛み止めとユリノームを処方されて今では何とか痛みがやんできました!
実は、痛みが長引いた原因がもうひとつあるのですが、最初に病院に言った6日後仕事が長引いて深夜になり健康センターに泊まったのですが、このときに実は韓国マッサージなるものを経験したのです(汗)
足が痛いので足はマッサージしないでねと伝えてたのですが、うつぶせになり背中を踏まれ、だんだん下にマッサージ箇所が移って幾たびにひやひやしていたそのとき!激痛が走り頭が真っ白に・・・・痛みのあまり声が出ない!!!「ごめんなさ〜い忘れていました」・・・・・・・・・
こんな状態の中マッサージを受ける私が悪いのですがね・・・・・本当に痛かったです(汗)
hideさんも痛風発作中のマッサージにはお気おつけてくださいね(笑)
【コメント】
痛風と仕事との折り合いは、本当に悩ましいものです。
ところで、マッサージについては私も経験があります。新婚当時、妻がよく足をマッサージしてくれたのですが、やはり痛風発作時に刺激を与えるのはマズイ・・・との事実が判明。以来、痛風発作の有無に関わりなく、妻の足マッサージの習慣は消滅しました。(^_^;ゞ
64歳の大阪人 さん (2003/4/30)
治療薬の副作用をあれこれ知るにつけ、思うはこの難解な痛風をいつ完治させることができるかの一念。
そういう私もGWが来るとやたらと焼肉とビールにお付き合いする機会が多くなり、結果、入梅の頃に激痛に悩まされるのが毎年の行事みたいになっている。
経験的に申せば、いろいろな原因が複合的に作用するように思う。
1、先ず、夜更かしして深酒するのは直行コースとも言える。時差のある海外へ飛行機で旅行や出張するのも同じ効果があるのを皆さんご存知か?
2、食べ物は、世間でよく言うプリン系の食品はよくないようだ。特に食べる量が人並み以上の私の場合、本気で直す気があるのか?と言われそう。
3、疲労を足に貯めるのもよくないようだ。傾斜地で長時間、重労働するのは覿面のようだ。
4、人に怒り散らして、カッカ、カッカするのは高血圧症のみならず痛風にもよくない。帝王病とか言われて有頂天になっている場合ではない。
5、湿度が高い時節も多発傾向あり。
とにかく、この新緑の季節にガーデニングとか言って、傾斜の畑で作業を長時間した後、冷やしたビールで焼肉バーベキューでもやって、酒に酔った勢いで政治家の悪口でも言ってカッカ、カッカすれば、発作が起きること間違いなしの私です。
20年以上も痛風と付き合っている64歳の大阪人です。
【コメント】
大先輩からの体験談、ありがとうございます。ご指摘の点、まったく同感です。
私も旅行がらみでの発症、暑くなってきた時期に運動・激務をした後に痛飲したことによる発症などなど・・・心当たりがありますね。(^_^;ゞ それにしても、最近、カッカとして酒を飲みたくなる機会も多い世相ではありませんか。心静かに、痛風とも折り合う生活をしたいものです。
なお、返事のメールをお出ししたところ、改めて以下のとおりメールを頂きました。
64歳の大阪人 さん (2003/5/2)
今回、私の痛風体験のごく一部をダイジェストにしてご紹介しましたのには理由がございます。
一つ目は、このH/Pのヒット数がすでに29万(20001年から)回にも達していることです。結構、皆さん痛風に悩まされておられる方が多いように感じてます。それなら、20年以上も痛風とお付き合いしているものとして何か参考になればと考えた次第。
二つ目は、薬でその場をしのいではまた痛い思いをしておられる方も多いのではないかと思うわけです。この薬の副作用もシッカリ勉強せねば自分の命を縮めるだけと知って欲しいこと。
三つ目は、体験談3の最終の投稿者が昨年の12月で終っていることです。そちらもお忙しいため掲載が遅れ勝ちなのかとは思いますが、これだけファンがいる人気H/Pを絶やしてはならないと思ったからです。
若いときの仕事が貿易関係でしたので、海外の生活もしており国内だけでなく海外の生活なら痛風にどうのような影響を与えるのか?というようなテーマも検証しました。時差なんかも有力な因子ですし、皆様の経験しておられない体験を順次ご紹介したいと思っております。
いずれにしましても、これなら絶対大丈夫と思っていても突然発作に襲われますし、前にも言いましたように難解な代物と思っております。お忙しいとは思いますが、今後とも宜しく御願いしたいと思います。
ところで、「痛風友の会」なんて集まりはなさっておられないのでしょうか?
【コメント】
励ましのメールを頂戴し、本当に感謝申し上げます。投稿は頂いているのですが、私の方が不精なもので・・・。
今後出来るだけマメな更新を心がけたいと思います。自分の発作ネタだけはイヤですけどね。(笑)
なお、あまり楽しくなってしまうのも心配なので、「友の会」的なものはしておりません。あしからず。
沖縄育ち さん (2003/4/22)
はじめまして!
本日4月21日に病院へ行って「痛風」の診断をもらい痛風について調べてこのページを見つけました。私は「酒」が大好き(~o~)で酒の文字がたくさんあるので共感をもち思わず体験談を書いております。
診断を受けたその日で飲んでいる私はオバカさんだと自分でも思っております。足は少し痛いですが・・・・・峠はこしたからと自分で判断し・・・
私は、2年前より健康診断のコメントで「痛風の兆候があります」の文字が書かれていました。しかし、そんなコメントもどこ吹く風で毎日大好きなビールと泡盛で晩酌、食事と言えば野菜など見向きもせず「肉、肉・・・・」の生活を送っておりました。しかも職場で痛風の人がおり、靴が履けないほど腫上がった足も見て風が吹いても痛いとも聞かされていました。
私にも突然やって来ました!4月20日の朝でした。
足の痛みで眼が覚めました。しかし、激痛ではなく我慢出来る痛みでしたので足が痛い!なぜ??私の頭の中で原因を探します。一番最初に頭をよぎったのは「健康診断のコメント」でした。妻に話すと夕べ子供と遊んだときに捻挫したのではと言われ納得して、我慢し、会社へ出勤しました。
しかし、時間がたつにつれて痛みがどんどんドンドンまして来ます(T_T)昼を過ぎるころには、足を引きずらないと歩けません!そんな私を見つけた別部署の人が足どうした?と聞くので急に痛くなった返事すると「痛風だよ!」と言ってのけて病院で注射してもらうと直るよ!僕は痛風持ちだから歩き方を見るとわかるとアドバイスをもらいました。
でも!心の中では捻挫だよ!自分に言い聞かせてましたが。そんな私の気持ちとは反対に帰る頃は車のアクセルを踏むのも激痛で冷や汗をカキカキ帰宅しすぐに寝ました。「ビール」1本飲んで!痛みで何度も眼が覚めましたが!
4月21日 病院で診察室に入るなり「痛風って聞いた事ありますか?」私は心の中で「オイオイまずは痛いとこを見てから話をしろよ〜」と叫びながら「はい」と答えると淡々と痛風の説明を始めるではないか!
一通り説明後、足の触診をし90%間違いないですね!検査結果は1時間では出ますと言われ結果が出るまで読んで下さいと渡されたものは痛風に関する資料でした!
酒はやめられない!あの痛みは嫌だ!自分との格闘の日々に突入です!つまらない事ですが焼酎は、程度を守れば良いようですが沖縄の酒「泡盛」はどうなんでしょうね〜
【コメント】
そう!!! 痛風とは、酒との闘いでもあるのですね。
私はといえば、すでに白旗を掲げて降参。酒をやめる努力すらやめてしまいました。酒を飲まないストレスが痛風発作を呼ぶかもしれないのだ・・・などと理屈にならない理屈を弱々しく吐きつつ、妻にギロリと睨まれていたりします。(^_^;ゞ
ちなみに、私の妻は飲兵衛なので、それなりに理解があって助かります。これが飲まない人であったら・・・、やめざるを得なくなるのでしょうね(苦笑)。
なお、焼酎でも、泡盛でも、アルコールの多量摂取はやはりダメらしいですよ。(←でも私は飲んでいますが)
東京都在住 32歳男性 YASさん (2003/3/12)
HIDEさん始めまして!
友人のHIDEさんのHPを紹介して頂き、とても励みになり、あと同じ悩みを持つ方が多い事がわかりまして、とても救われた気がしました。特に、HIDEさんの壮絶な武勇伝?には今後生きていく意味で、とても参考になりました。
同じ悩みを抱える方はこれからも確実に増えると思います、大変かと思いますが、HP末永く続けてください、また心の支えになってください、心からお願いします。
私は初めての発作で、大した内容はありませんが、体験談を記載させていただきます。
私にも、静かなる悪魔が訪れました。忘れもしない3月8日(土)の朝方4:00頃です。
典型的な症状?である、右足の親指の付け根を思いっきりハイヒールで踏まれたような?激痛で起こされました。
松田優作バリに「なっ、なんじゃあこりゃあ〜」って起きた感じです。やはり私も皆様と同じくスジをおかしくしたのかなあと思ったのですが、お恥ずかしながら、ここ2日間は重度の風邪で会社を休んで静養していた事もあり、心当たりが・・・どうも違う!何か起こったなあと思いました。
ですが、土曜日はテニスの試合と重なっていたため(病気なのにテニスする事自体間違い??)、こんな痛みに負けるわけはいかんと、熱〜い風呂に入ったり、抗生物質を飲んでいながらビールを飲んだり、痛いのを我慢して無理やりストレッチしてみたりとできる限りの無駄な努力をしました。(笑)
ですが、結局序々に増す痛みには勝てず欠場を心に決めて会場へ、なんとか車を運転し、メンバーに事情をお話ししに行き、「それ、多分痛風だよ」と言われて、俺に限ってそんな事があるはずない!!と思いながら病院に行きました。
病院につく頃には痛みもピークで、患部はパンパンに腫れて「歯痛なんて比にならん」と思いながら、普通に歩いたら2分くらいの距離を10分くらいかけてようやく到着、初診だったため受付で長い事待たされ、診察を受ける時には、体力、気力の限界、あと生涯体験した事がない痛みで、言いすぎかと思いますが廃人寸前みたいな感じでした。
レントゲンと血液検査を行い、レントゲン写真を見ながら「血液検査の結果が出ないとわからないけど、症状的に痛風だね、親はどう?」とあっさりした言葉で病状を報告され、血液結果はどうであれ、痛風薬は別に飲んでも支障ないからと言う事で、痛み止めのロキソニン、尿酸値を下げるザイロリックを出しておくからと言われ、薬をもらいその日は帰宅しました。
でも、痛み止めがどうも効かない・・・・その後家は、痛風家系である事も発覚したのでありました。ちなみに私は185cm、78kgで男はみな180以上の長身家系です。
3日後に検査結果を聞くために再び病院にいきました。その頃にはかなり痛みも無くなり、親指の付け根付近に体重がかからなければ歩けるくらいに回復しました。
ですが、数日間痛みによる睡眠不足と、痛風薬投与により、風邪薬が効かず(マジで効かなくなるそうです)病状が悪化、違う意味でぼろぼろな感じはありましたが・・・
肝心な結果ですが、尿酸値7.8で「痛風」と診断させれました。「まっ、まじ?夏の健康診断では、中性脂肪がやや高いだけで、尿酸値なんて言葉は一言も言われなかったのに、なぜ??」と思いながら。で、なんだか、検査結果で腎機能が悪いねとかどうのこうのと言われて、このままほっとくと貴方は確実に死ぬから、一生薬物投与しないとダメだからとのコメント付き、俺の人生は一体、まさか死ぬなんて事を言われるとは・・・と思っていた時にHIDEさんのHPを見た訳です。
よくよく考えてみたら、27歳まではやはり夜中まで飲み歩く生活が続き、私も基本的にお酒好き、おまけにビールのみと言っていいくら
いビール党なんですよ、おまけにもつ煮込み、お肉も大好き、とどめに海産物には目がないときています、当然かもしれませんね。
で、28歳以降は太った関係もあって、これではいかんとテニスを始めて飲み歩く生活からおさらば〜・・・って感じではあったのですが、毎晩晩酌(缶ビール2本)と休日はモーニングビール(略して、モービー)と言いながら寝起きからビールをあおる生活だったので、結局は今となんら変わってなかったのかもしれませんね。
でも、HIDEさん武勇伝で大丈夫なら俺は死なない??な〜んて変に前向きな気分(笑)になれましたので、ホント感謝感謝です。これからは気にしつつ、全壊では無く、全快できる日を夢見て、ほどほどに?暴飲、美食を続けて行こうと思います。
あと、HIDEさんは最近は悪夢がご無沙汰との事ですので、ホントに良かったですね、陰ながら完治する事を祈っています。また症状に変化がありましたら報告いたしますので、今後とも宜しくお願い致します。
【コメント】
まずはなにより、異常に(!)掲載が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。〈(_
_)〉
それにしても、私のは武勇伝などではありません。一種悲惨なコメディとでも言いましょうか・・・。本当に、痛風というのは、本人以外にとっては滑稽極まりない病気です。
全壊せずに(笑)、1日も早く全快するようお祈りしています。お互いにがんばりましょう。
大阪府枚方市在住 36歳男性 さん (2002/12/3)
大阪府枚方市在住の36歳(サラリーマン)です。
痛風とは8年目のお付き合いです。先週発作が起こりました。これで、都合5回目の発作です。前回の発作から2年ぶりです。私の発作は足首にくるもので、2年間は上手に付き合ってコントロールしてました。
その方法は一日2L以上の水分を補給し排出することと、プリン体の多い食品を避けるものでした。
しかし、1ヶ月ぐらい水分補給を怠けてしまい。(特別に大量に摂取していませんでした)その代わり毎晩焼酎三合を飲酒を続けていました。仕事がきつく、人間関係も上手くいってなくて不整脈が激しくなり、酒(焼酎)に逃げ道を求めて毎夜2〜3時まで一人で飲んでいました。
すると、尿量が減ったことから、尿臭がきつくなっていることに気づきました。何日かして、足首が捻挫のような痛さが徐々にましてくる状態になり、そこからまた水分の補給を開始しましたが時すでに遅し。状態は改善しません、痛みが増すばかりです、これは発作が起こる!
内科院にいき、痛風の発作が起きたことを告げ患部をお見せしました。血液検査を実施。その日は消炎剤と座薬(歩けなくなったら使用)を処方していただきました。それから3日後、検査結果は尿酸値8.6でした。足首の痛みが残っていたため、消炎剤の治療を継続。間接痛がなくなったら薬物療法を実施するとのことで、さらに、3日待ちました。関節痛があるうちに薬物療法を行うと一時的に尿酸値が上昇するため待ちました。本日やっとザイロックス100mgとインテバン(消炎剤)服用を開始しました。
今まではプリン体の多い食品をさけ、水分を沢山とるだけでしたが、今日からは投薬を併用しかつ、ダイエット(現在:身長172cm体重68Kgなので肥満だとは思いませんが・・)のため食事制限と減酒で気長に改善を行います。ただ、私「空手バカ」なのです。(これだけはやめられません・・・)大好きな空手を一生続けるためにも、改善するぞ! 押忍
【コメント】
こちらも掲載が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。〈(_
_)〉
寒い季節になると、水分補給が難しくなるという話は、多くの皆さんから寄せられています。ましてや、酒を飲む機会も多くなり、また酒と食べ物の美味しい季節・・・。これは危ない時期です。
運動の好きな人に痛風が多いことも、よく耳にするところですが、それにしても、「空手」と「痛風」という言葉の組み合わせに、背筋の寒い思いがするのは私だけでしょうか。痛風の足で蹴りを放つ・・・とか、突きや蹴りを痛風の足又は腕で受ける・・・とか。ゾクッ、想像力過剰ですね。(笑)
43歳男性 懲りない男 さん (2002/11/10)
はじめまして、都内在住43歳 懲りない男です。 このHPにはお世話になっています。
2002年3月生まれて初めて痛風の発作と言うものを経験しました。場所は左足首。今思えば2年ほど前に左足裏全体が引きつったような痛みを憶え会議場所から直で帰宅したことがあり実はコレが初回発作だったのではと思っています。
ただその当時は健康診断の尿酸値も5.0くらい むしろγGTPなど肝機能値の心配ばかりでUa値には関心がなっかたのです。2002年10月の健康診断では尿酸値が10超で再検査マークがついていました。それでもあまり気にしてなかったです。日頃から鯨飲鯨食がモット−?(健康体であることをアッピール) 早メシなんとかはサラリーマンの必須科目(昼飯5分! でも私の上司は3分で席を立てます!!) 無理は押し通す。というのが信条ですので。
2月に自分の部署でちょっとしたトラブルがあり そのために結構忙しい思いをしました。で3月某日帰宅途中で左足首がなんか引っ掛かるなぁ。体重落とさなきゃなぁ。とそのまま風呂入って就寝 で朝起きたらもう立てなかった。腫れはそうでもなかったのですが内側の踝を金属棒で強打されたような痛み、体重がかけられない。
その日は前述したトラブルについての打ち合わせもあり革靴に足を押し込んで出社。いつもなら徒歩5,6分の道を20分かけて満員電車へ乗車。電車のゆれなどはあまり問題でないのですが駅の階段を下りるのが辛い!! 手すりにつかまって一歩一歩。皆いそぎの通勤客で邪魔になるのでしょう「なんじゃ このおっさん! 邪魔。邪魔。」という視線がつらい。(日頃 公共施設のバリヤフリー化など考えてもみなかった罰か?) 革靴のヘリが踝にあたるのがつらい。
なんとか出社し業務。先輩諸氏から「痛風ではないか。」とからかわれたり「実は俺は痛風もちで詳しく教えてやる。」などというとんでもない人まで現れたり なんとか業務を終え病院に直行 診察の際ドクターに「実は会社の健康診断で尿酸値が10くらいありまして」と言ったら血液検査もせず「あ 痛風だね。」で病名決定。「薬だしておくね 水飲んでネ。1日2リットル2本。最近は低所得 高カロリー病でサラリーマンに多くなってる。」で診察終了。(出された薬は痛み止めのボルタレン錠とユリノーム錠それとシップ貼り薬でした。) 帰って藁にもすがる思いでボルタレン服用しましたが全く効果なし。)
翌日から2日ほど会社休みました。全く改善せず。3日目の朝に会社から呼び出しの電話で妻に車で会社まで送ってもらいました。会社で上司から「なんだ治ってないじゃないか。」と言われ特に急ぎの仕事でもなかったんで心の中で「ふざけんなぁ。」と叫んでました。
結局1週間もの間発作に襲われてました。それからは毎日ユリノームを服用しています。このHPもその時痛風に関して勉強していて知ったんです。でもこの病気は摂生、養生の継続でしか抑えられないんですね。発作の直後は「もう二度と酒は飲むまい。うまいものは食うまい。」と考えていたんですが(ちなみに私は北海道出身! 今まさに秋味のうまい季節ですねぇ。) 誘惑、付き合いなどありますからなかなかねぇ。でも「飲酒の実感は時間経過に比例する」というのは明言ですね。正直感動モノでした。
実は今 3度目の痛風発作に襲われていて日々の生活態度、我ながら学習機能のなさを反省しながらこのメール打っているんです。今度は右足首 おそらく今までで最も痛い状況です。季節柄あまり水飲まなかったなぁ。酒なら1升飲めても水は飲めないもんなぁ。と反省し また妻に「男は出産機能がないから痛みに対する我慢 根性がなってないんだ。」と言われ 「痛風のほうが痛いわい。」と憤慨しながら。
そんなわけでキーボード打つ激痛に耐えながら書き込みましたので 乱文となってしまいました。 この発作がおさまったら また投稿させて頂きます。
追伸:どなたか足首に発作がでた時の効果的な歩き方を教えていただけませんか?
【コメント】
本当に掲載が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。このコメントをもってお詫びと御礼に代えさせていただきます。〈(_
_)〉
それにしても、今年の3月から3度の発作!!これはツライ。コップの縁まで溢れかけた尿酸塩の水位をある程度下げるまでは、ちょっとした原因ですぐ発作が起きてしまうので大変です。ザイロリックなどの生成阻害薬は飲まれているのでしょうか?
以前の体験談にあったと思いますが、陣痛より痛風の方が痛い!というデータがあるようです。しかし、真面目にアピールするのもまた情けない・・・というところが悔しいところですね。(苦笑)
42歳女性 マダムQ さん (2002/8/9)
はじめまして、私は珍獣なみに稀少価値があるといわれている女性痛風患者でございます。
この前42才になっちゃいました。皆さんの手記楽しく読ませていただきました。
自分の経験もなんか発表したくなってきましたので恥ずかしながらメールさせて頂きます
その1 兆し編
はじめての発作は、2000年の7月12日のことでございました。のっぽなのでほとんどぺったんこ靴ですごす私がめずらしく5cmヒールパンプスをはいて通勤した日でした。
会社帰りふと右足の親指のあたりに鈍痛というか、熱感を感じました。(????????またどこかぶつけたっけ?)
その時は慣れないヒールを履いた為の関節痛だと思うことにし、その時はたいして痛くも無かったので忘れるコトに、、、実際家について晩御飯を作ってたべる頃にはほとんど気にならなくなってました。
実は私は末端肥大症の反対というか、身長が170cm超えているのに足のサイズは23cmしかなく(だって深田恭子なんか160cm強で26.5cmですよ)、胴体やふとももなんかには肉がつくのに足首は細くて安定の悪い足なんです。そのせいかよく転ぶし、足をぐねる(関西人しかわからないかな?捻挫するという意味です)事もたびたびだし、その頃は大変太ってたし、足にはずいぶん負担をかけてしまっているという実感はありました。
本当は、あまりにもステロな痛みの発現に(痛風?)という疑惑が頭をよぎったのは事実です。ただ、(あれはおっさんの病気私には関係ナイナイ)と無理矢理信じこもうとしてました。ロス博士の「死の瞬間」にいわく"病気の否定"ってやつですね。
、、、、、、、、その晩痛みで目がさめました、親指は腫上がってなんか足首もゾウみたいになってます。湿布を張り、痛み止めを飲みました。(痛くて眠れないかも????)と思ってたのもせいぜい2,3時間、、、、熟睡してました。
多分その頃から次ぎの日の朝までくらいがまでが、私的には痛みのピークだったと思います。でも、テーピングしてぶかぶかスニーカーをはき会社には定刻通り電車通勤して残業もこなしてました。
どうも私の経験は、皆さんの迫真のレポートに較べてわれながらおもしろ味に欠けるとは思うんですが、実際私の場合"何とかガマンできる""気合を入れればまぁ歩ける"程度の痛みしかあらわれないようです。また、そのコトが受診を遅らせる結果になってしまいました。
また、はじめてインターネットで痛風の事をしらべたのもその晩です。「痛風患者は男性99%女性1%」とありました。まさか、私は1%じゃないよな、、、、その発作は週の中ごろにはじまり、日曜には自然に治ってました。(やれやれやっぱり関節炎かよかったよかった)
次の発作は8月の31日でした。前回発作より一月半後です。
その時ははっきりした発作の予兆がありました。足先が冷える感じが半日ぐらい続き、あとは前の通りです。痛みは徹底的に冷やす事、テーピング、かかとに重心をかけて歩くことで前よりうまく対処できたと思います。前に効かなかった経験から、今回は薬も飲みませんでした。
実はこの時身内の人間の個展がありまして、妻のいない彼の為そのパーティーのまぁホステスっちゅうか、おもてなし役を務めるという予定がありまして正直あせりました。不細工な靴(保険の外交のおばちゃんがはきそうなEEEのウォーキングシューズ。)を隠す為に幅広の黒いパンタロンを裾長にはき、リサイクルショップで購入した黒檀のステッキを突いて会場で愛想を振り撒きつづけました。ええかなり優雅にふるまえたと思います、痛風患者の太ったおばはんにしては、、、、、、
2回目の発作の時は、"これは痛風かも"と思う気持ちはかなり大きくなっていました。ただインターネットで調べても、閉経していない女性で、普段酒を飲まず(私は大変に酒が強いのですが、会社の宴会で年に何回かとかフレンチレストランでワインをたまに飲むぐらいです。要するに酒があまり好きじゃないのでしょう)、特に最後にビール飲んだのは2年くらい前、10ヶ月前の健康診断でも女にしては尿酸値高いけど(5.9)基準値内、コレステロールとかも高め正常範囲だし、肉も好きだけど、魚も野菜も好きで、料理が大好きなのでほとんど家でごはんを食べる。という私には、危険因子は肥満しか思い当たりません(後生ですからその時何キロあったかはきかないでぇ〜)
そして、多分その時読んだ情報が古かったせいでしょう。「女性の痛風患者は閉経後の老人か、重度の腎疾患に限られる」とありました。
ガーン、ガーン、ガーン、、、、、、、、じゅうどのじんしっかん、、、、、、目の前が暗くなりました。私は小学校から社会人になっても、健康診断等の尿検査でひっかかかる事があり、再検査はもとより、精密検査になったこともあります。その度に結果はなんでもないOR経過観察のみだったりするのですが、自分の腎臓があんまり上等じゃないことは知ってました。漠然と自分の死因は多分腎不全だろうなとは子供のころから思っていたのです。とうとう来たのか、と思いました
腎臓病の悪化、食事制限、入院して腎生検、そしてしまいには血液透析、なまじ中途半端な知識があるだけにいろんな事を考えます。はては、残有給数から、入院保険の申請まで想像は及びまさに痛風病んで夢は枯野をかけめぐるぅ〜状態でした。
で、普通はここで病院に行ったとおもうでしょ。ところが、そうでもないんですねこれが
なぜなら私は病院がだいっ嫌いで、すごーくお医者さんが怖い大人げないやつなのでした。子供時代の悲惨な入院体験がベースにはなってるんですけど、まぁそれはいいわけにしか過ぎないし、要するに重度の病院ギライ。別に注射が死ぬほどコワイとかそういう単純な理由では無いですよ、なんせナースになったお友達の練習台を志願して、一万円稼いだこともあるくらいなんで
でも、病院にいくのは嫌だって、病院にいくとどんな検査、処置されるかわからないし、疑問もさしはさめない感じがあるでしょ。大抵説明されないし。その、理不尽さがヤダ。ちゃんと説明してほしいし自分で判断したいんです。本来、対等でなきゃいけないはずの医療現場では、医者の立場のみ強く、患者、看護婦でご機嫌を伺うあの雰囲気の不条理さがヤダ。
そして診断されたら最後普通の人の岸には戻ってこれない、病人という名の彼岸の住人になってしまう恐怖で、この時は結局行かなかった。そのかわり菜食中心にし、体重を減らし、2度とアレがこないように努力した。いまから考えるとバカみたい&無駄な努力なんですが(というより尿酸値をさげることにより尿酸結晶を動かし発作を呼んでいたかも、、、、、とは主治医談)
「神様いい子にしますから、2度とあれを来させないで」、、、、"神との取引"ってやつですね。、、、、、、、で、結局願いは聞き届けられませんでしたね
その2 3回目の発作と診断編
9月27日(水)の晩、悪魔のようなあいつはやってきました。前回発作からわずかに一ヶ月あの名状しがたいひんやり感、、、、、まちがいなくアレです。あたしはアセリました。何故ならその週の金曜日9月29日から、ダーリン(腐れ縁のオトコとか、アンタのアレとか人は呼びます とりあえず夫じゃないです)、とその親戚のお姉さんと3人で近場の温泉に一泊旅行の予定があって、そこであたしの病気がばれると大変なことになるのです。
なぜなら、そのお姉さんはお金持ちですごく親切で気前がよく、代替医療 & オカルトのフリークで、まえまえからあたしにいろんなこと勧めてくるというか、誘ってくるというか、まぁホント、肥満しかウィークポイントのない今でさえ断りにくくなってるのに、痛風なんてわかったらアンタ、どんな怒涛のお誘いが押し寄せてくるか、、、、、個人の波動をいれた水に、針による瀉血に、気功に、怪しい中国の薬に、大腸洗浄に、アーユルヴェーダに、、、、、もうタメ息ですわ、、、、何しろあいては気前のいい金持ちなので「そんなお金ないもん!!」っていういいわけも通用しないんです。何より手荒く断って傷つけたくないんです、善意からいってくれているのはわかるので、、、、
当然朝を迎えるころには、右親指付近は腫れあがってました。というわけで私は、この際西洋医学におすがりする決心をかためました。会社の同僚、パートのおねえさん、アルバイト大学生君たちへの情報収集の結果、次ぎの条件にあてはまる病院がひとつだけありました。
・ 会社から近い、できたらあるいて4,5分以内
・ 痛風OR関節炎を考慮にいれ、内科も整形外科もわかるところがのぞましい
・ お昼休みにいって帰りたいから、すいているところ
・ 清潔で綺麗なこと、できたら新しいこと(汚い病院って気が滅入りません?)
・ 先生が爺さんじゃないこと(5年くらい前ひどい風邪で受診した爺さんの医師が、ほとんどモウロクしていて、39度5分も熱があったのになんの処置もしてくれず、おかげで帰りの道で倒れた)
会社の近くに新築されたマンションの中に、いつのまにかひっそり開業していたそのクリニックのドアをあけるアタシは、死刑判決を受ける罪人のココロモチでした。
問診表に症状とか既往症とかこまごま書き入れてなんとなくファンキーな看護婦さんに渡して4,5分待つと診察室のドアが開き、30代くらいの爆笑問題の太田によく似た若白髪の兄ちゃん(あとで実際の年聞いたら全然若白髪じゃなかったんですが、その時はそう見えた)が、ニコニコしながら(こっちの精神状態によってヘラヘラにもニタニタにも見えるかも)私を手招きしました「こんにちはー、ゆっくりここまであるいてこれる?」(すごく若いな〜大丈夫か?) よろよろしながら診察室にはいると、爆問医師(以下B医師)は、まだアタシの書いた問診表をみながら笑っている。(ムカ、何がおかしいんじゃ)
B医師「ちょっと足見せてくれる?そっとさわるからね〜 腫れたの今回で3回目だって?可哀想によくガマンできたね〜」(アタシは子供か)
アタシ「、、、、、、」
B医師「あーもういいよ これすごく典型的な症状なんだよね」
と言うなり彼はアタシの顔を妙にキラキラした眼でのぞきこんで、「Qさん痛風って病気知ってる?」(や、やっぱり)
あまりにも簡単にかつシリアス味無く下された診断に少なからず気分を害したアタシは思わず反論してました
「あの 女性はほとんどならないんじゃないんですか」
B医師「たしかに1%っていわれてるけどそれは統計上のことに過ぎないし。発病した本人にとっては、罹病率100%でしょ。それに僕Qさんぐらいに若くて他に何の病気もない女性の患者さんあと2人知ってるよ。男性の患者さん300人も知らないし僕の実感では女性の割合もう少し多い感じだしさ、それに100万人に一人の難病にかかっちゃう人だって世の中にはいるんだしね」
「じゃ腎臓病から来てるもんでもないと?」(あんた楽天的すぎるんちゃうん?)
B医師「そんな重い腎臓病の人だとそんなに元気に働いてられるとは思えないしね。それに去年も今年の健康診断でも蛋白も潜血もないし、腎機能だって何の問題もないじゃん。自分の弱いところを警戒するのはいいことだけど、今現在それを疑う所見はなんにもないよ」
「うー 健康診断といえば尿酸値そんなに高くなかったんですよ〜ねここ見てください なのになんでこんなことになっちゃったんでしょ」(なんか少しムキ)
B医師「去年5.9にその前6.3か確かにこれだけ見るとね、、、でも数値には個人差あるしね〜、、、それにさ〜これは女の人に多いんだけどQさんって健康診断の前とかすごい摂生するタイプじゃない?」
「う〜(図星じゃ)」
B医師「検査の時だけ数値が良くて、あとの何ヶ月かずううっと悪かったとしたら今回こうなっても僕は全然驚かないよ」
「う〜」(すべての根拠を論破されてあえなく撃沈)
B医師「診断の為にすこし血をぬくからね Qさん注射苦手な人?できるだけ痛くないようにするからこれだけはガマンしてね」
「はぁ(もうどうにでもしてくれ)大丈夫です」
私の血管は細い上にすごい奥にあって(太ってたし)、かって採血が一回で決まったためしが無く、健康診断の時なんか小娘の看護婦に腕出した途端舌打された経験さえある。今回も結果的にはうまくいかなかった。ファンキー看護婦、B医師ふたりがかりで両腕計6回くらい針をさされ、ニューヨークの麻薬中毒者みたいになってようやく採血終了。が、にもかかわらずファンキー看護婦(以下F看護婦)さんには好感がもてた。自分の言葉であやまってくれたからである。
F看護婦「痛い目あわしちゃってごめんね。でももうQさんの血管の位置覚えたから、次回は一回で決めるね。だから許してね」
そのあと、私が腎臓関係をしきりに気にしていたせいで尿検査をする事になった。待合室の大勢の人のなかで「Qさん このコップの中におしっこ取ってきて!! いま出る?」とか大声で言われて恥をかくこともなかった。病気なんだからしょうがないといわれるかもしれないけど、女にはというかアタシには結構大事なポイントなんですよ、プライバシーに対する配慮って。なので、採尿をすませて診察室にもどるころには、(この看護婦さんはアタリだな)とおもうようになっていた。
B医師「さて、飲み薬はあとで出すけど、問題は今のこの痛みをどうするかなんだよね。痛みを速攻で取るには、関節に直接痛み止めの注射を打つんだけど、はっきりいって凄い痛いよ(ニコニコ)痛み止めの注射がまた痛いのは凄く理不尽な気がするけど事実痛いしね。ただあとはラクになると思う」
F看護婦「先生患者さんおどかしてどうするんですっ!!」
B医師「だって、僕は研修医時代に重い機器足の小指に落として、ヒビ入れたことあってね。仕事休めなかったから応急処置だけで、同僚にこの注射されたんだけどね」
私「どうだったんです」
B医師「大人なのに泣きそうになった。ぼくは注射の経験はあるけど痛風の経験は無い。だから今Qさんがどれくらい痛いのかわからないんだ。結局つきはなすようだけど注射うけるかどうか、Qさんが決めるしかないんだよね。どうする?ただでさえ痛い患部に直接薬入れるんだから想像するだけで痛いけど、Qさんが今凄く苦しいならやっぱりガマンしてやったほうがいいと思う、どうしようね」
アタシ「あー今はそんなに痛くないし、、、、やめときます」(怖いんじゃないからな)
B医師「そうだね、注射も薬もできるなら無いほうがいいんだしね。」
F看護婦「今日は十分すぎるほど針刺されちゃったしね、ごめんね」
そのあと、発作がおさまってはじめて尿酸値をさげる治療をはじめられる事、発作がおさまってから継続して薬でコントロールする事が大事なこと、皆さんがお聞きになった事とほとんど同じ内容だと思いますが、本当に詳しく説明してもらいました。
「治療しないとこういう事になるんだよ。見とく?(ニコニコ)」と、腎臓にギッシリ歯石みたいな結石のつまったやつの写真とか、人間とは思えないほど変形した手足の写真とか奥から本出してきて見せてもらいました。このころから(意外といいやつじゃんこの医者)と思いはじめていました。ずっと心の中で文句言ってて、(少しは)悪かったわ、と。
その時だしてもらった薬は、コルヒチン、ボルタレン、腫れを引かせる薬(名前忘れた)でした。
コルヒチンについては、「今副作用関係で割と人気ない薬なんだけど。予防的にずっと飲むんじゃなければ、問題は少ないと僕は思ってる。Qさんみたいに発作がひどくならないタイプは発作中から飲みはじめても結構効いた経験もあるし、あと、治療の初期発作を連発する人がいるんだけど、その時この薬もってるとずいぶんラクだからね」との解説つきでした。
あと、検査結果は次ぎの日検査会社から送られてくるし、その後の様子も知りたいから新幹線のなかでも、携帯からでもなんでもいいから一回電話してきてね。それに一応ここは、6時半までだけど今夜どうしても痛みが取れなかったら、一応電話してみてね、結構遅くまでいる事もあるし、僕がいれば注射をしてあげるので、一応あきらめないで電話してみて、、、、、、じゃ来週から治療がはじまるからがんばろうね。
(わかりました、わたしがんばります!!!!!先生)
待合室で会計を待ってると、F看護婦が寄ってきて耳うちしてくれました。
「さっきQさんが気にしてたから私も気になってね。さっき簡易尿検査紙でやってみたんだけど、たんぱくも潜血も糖もなんにもなかったよ。ちゃんとした検査結果は明日先生に聞いてもらうけど、99%心配ないと思うから安心してね」
なんかここまで親切にされると、期待に答えてちゃんとしないとダメだなとつくづくおもいました。実を言うと痛みさえなくなったらばっくれちゃおうかなと受診前は思ってたりしたんですが、、、、
で、薬局でくすりもらって、すぐさま第一回目の薬をのんで、午後の仕事をこなし午後七時ごろ退社。
薬めちゃめちゃ効きました。その頃にはまだ腫れはしてるものの、親指の方に力を入れて歩けるようになってました。なんか私だけ症状ラクで皆さんにもうしわけないんですが、、、、
次ぎの日、無事に旅行に出立し、移動中隠密裏に携帯でB医師に連絡。
尿酸値 8.2 おもいっきり立派な痛風でした。白血球及び炎症反応以外、目立った異常値もなく、肝機能なんか僕と変わってほしいくらいと、B医師は上機嫌でした。もうほとんど腫れも痛みも無くなったことを報告すると、「薬のよく効くひとだねぇ」と笑いながら、ボルタレンは自己判断でやめていいけど他の2つはとりあえず飲みつづけるようにと指示がありました。
かくして、おとといまでの悲劇ムードはどこへやら、他のところはまったく異常ないけど女なのに痛風になっちゃった、という人に言いにくい喜劇的な患者生活が始まったのでした。
旅行は、滞りなく終わりました。
両腕は赤、紫、濃紺、薄黄色のマダラに変色してるし、足もひきずってましたが「健康診断行ったら失敗されちゃって〜」「中学生の時バスケで痛めて疲れると少し腫れるけど全然平気〜」と何とかごまかし、行き先が海の近くだったので、内心ひやりとしながら、かつお、まぐろ、うに、さより、赤貝、などなどをあやしまれないようにほどほど摂取。怖かったけど旨かった〜。
その3 継続的治療編
月曜日は足取りも軽く病院へ行きました
B医師「痛くなくなったのによく来たね〜えらいえらい」
と、軽くなめられてるかなーという感触を感じつつ、投薬の説明を受けました。
B医師「高尿酸血症の治療には大きく分けて尿酸を押さえる薬と、尿酸を出しちゃう薬と2種類あるんだけど、Qさんにはまず尿酸の生成を押さえるザイロリックという薬を朝晩1錠のんでもらおうと思う。尿酸無理矢理だしちゃう薬の方が効き目は早いんだけど、僕は出来たら使いたくない理由があって、ひとつには肝臓への副作用が報告されていることと、尿管結石を警戒する為に通院のたびに尿検査をしてPHをはかる必要があるんだよね。で、酸性だったらまたアルカリにする薬を飲んでもらう。ザイロリックだけなら尿酸値が安定してきたら、2,3ヶ月に一回血液検査するだけで済む。だからシンプルに行きたいんだけど、それでいいかな?もちろん再検査の時うまく尿酸値が減ってなければ、考えるけど」
発病した直後にこの説明に対して異議もしくは、懸念をさしはさめる知識のある人は医療関係者しかいないと思いますが、わたしも当然うなずきました。
B医師「食事制限なんだけどね。昔みたいに厳格な食事制限はあまり意味が無いと今はいわれてます。特にQさんの場合普段の食生活の聞き取りからして(Qさんが大嘘つきだったら保証しないけど)、暴飲暴食の為に尿酸が溜まったとは考えにくいんだよね。だから、食べ物に関して僕はあんまりクドクド言いたくない。ただ、おいしい物をガマンするストレスと、高プリン体を含む食品が自分の体に与えるリスクを天秤にかけてできるだけ理性的にふるまって下さい、って言う感じ。あとで表あげるけど旨いものは大抵プリン体が多いと思ってね。」
で、質問なければ2週間分の処方箋もらって、じゃまたね。で診察おわりになりそうだったんですが、結局指摘されなかった、いつも健康診断の時にいわれていて自分でも内心とっても気にしていた肥満の事を自分から持ち出してました。
私「今回のことはやっぱり肥満が原因なんでしょうか」
B医師「一因では有るかもしれないけど、はっきりそうとはいえない。だから、尿酸下げるため何キロ痩せろとか、僕の口からはいえないね。ただ統計からして標準体重に近いほうがいろんな成人病にかかりにくいとは言える。ただ、体重の管理は大人の場合あくまで本人の自覚だからねぇ。医者がガミガミいってもしょうがないでしょ。それにもっと病的な肥満だったら僕も問題にするけど、Qさんぐらいだとね〜。難しいね、それに無理な減量はリバウンドが恐いし、、、、最悪現状維持してそれ以上体重増やさないでね、としかいえないなぁ」
みなさんの中にも健康診断とか、人間ドックとかの連絡表で"体重オーバーです、カロリー減を心がけましょう"などの指示に(そんな簡単にいったら苦労は無いんじゃアホ!!)とか心の中で毒づいた経験がある人もいるんじゃないかと思いますが、私は毎年そうでした。気にしているし、痩せなきゃいけないのはわかっちゃいるけど指摘されたら腹が立つというか、、、、、でも、今回病気になってしみじみ(やせなあかんなぁ)と思いました。
まるで期待していないB医師の言葉にかえってやる気がでたのかもしれません。
で、できるだけ菜食、魚中心、カロリーは1300〜1500ぐらいを心がけ、でも食べたかったら別に鶏キモでも、エビマヨでもガマンはしない。それほど厳しいダイエットでもないですが一ヶ月後の再検査のころには5キロは体重が減っていたと思います。で、お待ちかねの尿酸値は5.2でした。
さらに、1月後の再検査、、、、これで4.5以下になってたらザイロリックを一錠にするはずだったのですが、、、、残念ながら5.1という微変化にとどまりました。B医師の予想どおり私のは食物由来の高尿酸血症ではなくて、そういう体質としかいえないケースらしいです。
それから、2年あまりで結局私の体積は三分の一ぐらい減りました。もともと、料理好きだったのでたいして苦しい減量ではありませんでした。でも、尿酸値は劇的に変化することもなく4.8から5.4ぐらいでどうも私は一生薬と縁は切れないようです。ただ基準値内高めを推移していた血圧、コレステロール系、血糖などは本当にかなり低くなりました。自分が首が長く顔もどちらかといえば面長だったことを再発見できましたし、負け惜しみですが、あの時痛風になって自分の体を見つめなおすことができてよかったな、と思います。また、いいかげんに選択した病院で思いがけず相性のいいお医者さんに出会えてラッキーだったと思います。
ただ、なんでも好きなものを不安なく食べていた日々、イノセントな輝きにみちた日々はもう自分には帰ってこないんだな、と思う事はちょっと寂しいです。さらば青春よ、大人の分別こんにちはって感じですね。まぁ、いいかげん中年なんだから青春の日々がきいてあきれますが。
あと、痛風なんか発作が起こったら薬のめばいいや、一生薬のむなんてとんでもない派のひとは結構いるとおもいますが、B医師の話によると7年くらいで結石から腎炎、腎不全、透析になっちゃった患者さん実際に知っているそうですよ。恒常的に薬のむかは結局個人の自由ですがくれぐれも定期的な尿酸値チェックは怠りなきようご用心ください。
その4 私の疑問
このサイトは全部読んだはずなんですが、女性患者は一人もいらっしゃらないのでしょうか?
私ちょっと寂しいです。その後、勤続××年という事で病院で1泊2日入院してやるかなりきつい人間ドックに行ったのですが(本当はばっくれようとおもったがB医師に説得され泣く泣く)、私本当にどこも悪くないみたいなんですよね。腎機能とか女性ホルモンレベルとか含めて全部。私みたいな人他いないんでしょうか。
あと、B医師の知っている他の女性患者さんもわりと長身のひとみたいなんですよ。「おたんこナース」という看護婦マンガにでてくる女性の患者さんも二十代のモデルの女の子で、モデルというからには背は高いはず。肥満との関連は当たり前だけど、身長に関係あるのでしょうか?
女性の方いらっしゃいましたら聞きたいんですが、あなたも背が高いですか?(ちなみにマンガの中の女の子は利尿剤によるダイエット+ストレス溜まっての高プリン体食品のバカ食いで発症しました)
B医師の印象によると「痛風の人は若く見える」「基本的に機嫌のいい働きモンで元気モンで律儀モンで前向き。一言でいうといい人」らしいんです。自分の性格を自分で分析するのはやめときますが、若くみえるのは当たってるんです。B医師との会話でも察しがつくように、私は独身のせいかどうも言動物腰に重みが無く若くみえるので、デカ女の割に子供みたいにあつかわれがちなんです。飲み会とかで本当の年言うと結構相手に引かれるし。もっとも「暴飲暴食で体をいじめている人はプラマイゼロ」とも言ってましたが。
みなさんも若くみえるタイプですか?一応老化の主な原因である活性酸素に、高尿酸が有効であるという理屈はあるみたいですが。
すみません、長々と書いてしまいました。
暑くて脱水状態になりやすく患者には不利な季節ですがみなさんお元気で
【コメント】
つ、ついに、このコーナーで初めて、女性患者の方からメールをいただきました。しかも、ものすごい大作!
私は、思わずB医師のファンになってしまいました。う〜ん、素晴らしい!
最後の疑問にも書いてありますが、女性患者の方も(特に最近は)結構多いそうです。男性以上に言い出しにくい面があるでしょうが、どうか頑張っていただきたいものです。
貴重な体験談を寄せていただいたマダムQさんには、心から感謝を申し上げます。
49歳男性 ノンアルコール さん (2002/8/3)
初回発作6年前で、以後昨年の5月までに4回発作経験、現在の所1.2年間発作なし。
以上、痛風経験者の自己紹介でした。本HPを見つけたのが約1.5年前でした。貴重な体験談が多く、ヒデさんのボランティアに報いるべく、是非とも私の体験談も投稿しようと思っていました。しかし、皆様、大作が多くなかなか筆をとる気になりませんでした。しかし、本日8月3日に3ヶ月ぶりに(?)本HPが更新されていたの見て、重い腰を上げる決心をしてこのメールを書いている次第です。
本HP、一度見た読者はその特性上(完全に直る見込みのない病気?)、継続的にアクセスしていると思います。「少なくとも一ヶ月に一度は更新して欲しいなー」と思っている読者が多いのではないでしょうか。読者の方は協力しましょう。
さて、前置きが大分長くなってしまいましたが、本題に入ります。3点ほど、私の経験談を紹介します。
一点目、実は私はアルコール類を全く飲みません。会社の宴会で飲むとしてもビールをコップ一杯程度です。飲めないのです。たぶんアルコール分解酵素みたいなものが少ないのでしょうか、すぐ頭が痛くなり気分が悪くなってしまいます。アルコールが好きな人は、「最初のビールの喉元をとおる爽快感はなんとも言えない。」といいますが、「あの苦いビールのどこがうまいのか!!!」、痛風経験の無い人が痛風の痛みを知らないのと同じように、アルコール好きな人がアルコールを飲めない人の苦痛を理解できないと思いますが、本当に「苦痛」です。
こんな私が何故痛風となるのか?痛風発作が出る前、会社の定期健康診断では、尿酸値が5年近く(たぶん5年以上前から継続していたと思います。発作がおきてなかったのであまり気にとめていませんで覚えておりません)8.3付近で推移していましたが、発作やその兆候など何もない普通の生活をしていました。
ところが、転勤辞令が出て、単身赴任を始めました。半年後、右足くるぶしに皆様ご存知の違和感→激痛が発生しました。たぶん食生活の変
化(前述したように、アルコールは飲みませんが、今思うにイカの薫製などの珍味が好きで、独り身の生活からよく食べた気がします)が痛風の「臨界点」を越えさせたのだと判断します。
しかし、その後、家族と一緒の生活に戻り食生活も前の状態に戻りましたが、痛風発作は何回か経験しています。一度「臨界点」を越えると尿酸値が6くらいでも発作が起きてますので、体の特性が変わってしまうのかな?
二点目、大分古い話になりますが、ベストセラーとなった「脳内革命」という本を知っている方が多いと思います。「痛風などの成人病を抜本的に治すには運動や食生活による体質改善しかない。」というようなことが書いてあったと思います。
過去3回の発作を経験し、「運動をしよう!」と思い立ち、忘れもしない昨年5月の連休の日、近くの河原に行き、四日間連続で、1時間近くのジョギングを行いました。その一週間後、右足親指に激痛が走りました。過去の発作は足のくるぶしでしたが、今回は痛風の典型的場所である足の親指でした。今までのくるぶしに比べてその痛さは比にならず、「のたうち回り」、初めて座薬を入れました。痛風も場所によって、痛さが違うのかなー?。
その時行った病院の先生曰く、「適度な運動をしないと。たぶん、運動で汗をかき、水分が少なくなり、尿酸濃度が高くなったのでしょう。」ということで、皆様、適度な運動を!。なお、現在も1回/週のジョギングは継続しています。今夏真っ盛りで、適度な運動でも相当汗をかきます。運動後はビールでなくスポーツドリンクで水分を補っています。
最後の三点目、確か日経新聞と思いましたが、以下のような記事が載っていました。「尿酸をあまり下げすぎてもいけない。尿酸には、あの悪玉、活性酸素を抑える効果がある。」痛風患者にとって初めて見た「朗報」です。この記事を信用してよいのか?どなたか、関連情報をご存知の方は本HPに投稿して下さい。
大分長い文章となってしまいました。現在、発作無しを1.5年継続中です。ただし、ザイロリックを飲み続けていますが。運動と食生活で薬を絶つことを目標にがんばっています。
最後に、ヒデさんへ、ボランティアご苦労様です。痛風発作がなくても本HPの更新を一回/一ヶ月程度でお願いするしだいです。
以上
【コメント】
力強い励ましをいただき恐縮至極です。m(_
_)m
ルーズな更新態度につきましては、全くもって返す言葉もございません。(^_^;ゞ
さて、尿酸には活性酸素を抑える効果がある・・・という話は、私も聞いたことがあります。元々体に含まれる要素なのですから、何か良い役割があるのでしょうね。やっぱり。
日頃から目の仇にしてしまい、少し気の毒ではあります。(笑)
福岡県在住 33歳男性 たまお さん (2002/7/23)
題名:痛風患者の痛風論(新説)
東京に生まれ、東京の大学に通い、その頃からラーメンとフランス料理(特に安かろうが高かろうがフォアグラ命)にはまり、痛風デビューは26歳の春、当時尿酸値は7.2。
それから大阪に転勤、食い倒れとともに尿酸値は確実に上昇を続け、現在の転勤地・人呼んで「痛風患者育成の街」(ほんとは誰も呼んでない)福岡にいたり、尿酸値は遂に10を超えました。=だって福岡の上手いもの=ラーメン、モツ鍋、その他内臓系=これを外して福岡食文化は語れないとよ。(語る必要特になし)
そんな私が最近発作の間隔が以前と比べて極端に狭くなってきた事に恐れをなして、いよいよこの痛風界から足をあらう事を決意しました。
つまり、いままで、私、そして数多くのこのHPにたどりついた方々が決心し、いつのまにか忘れていった「長期薬品治療」にはいることを今度こそ決心したのです。(今度はいい医者に出会った。本当に今度はやります。)
そこでたとえ一時でも(実はもう7年)この世界に身をおいたものとして(既に過去形、しかし現在の尿酸値は9.1)、この世界を去る記念に「なぜこの病気がなんとなく他の病気と違う感じがするのか」ということを私なりに分析してみたのでお付き合いください。
ちなみに医学的見解は一切なし、お気楽に読んで欲しいのですが、実はこの中に本質が隠されているかも・・・(そんな事はまずない)
まず尿酸値は長期の薬品治療を続ければ必ず下がるし、尿酸値が低ければ当然痛風は起こらない・・・これは紛れもない事実であり大前提である。なのになんでこんなにたくさんの人がこの病気に苦しむのか?(=数日だけだけど)
「のどもと過ぎれば」という発想の典型的な病気であり、また発作という形以外では自覚症状がないという点は大きな要素だがもう一つどうしても私が感じざるを得ない痛風の「特性」とは・・・・
それはこの病気のどこかに「またやっちゃたよーへっへっ」みたいなお茶目な感じ、しかもそのほとんどの経緯が相当笑える(前の体験談のとんかつ週5の人なんて、あれだけで友だちになれそうな気がしてくる。)、そしてそれがエスカレートしてくと「こんなおれってちっとかっこいい?」なんて感じまで。「病気でかっこいい」そんな病気他にありますかい?すくなくとも永遠のライバル「糖尿病」にはないよねその感じ。
「性格も思い込んだらって感じで熱いタイプ〜、お酒も食べも超豪快で〜こっちが食べすぎだよ〜って心配になっちゃうぐらい〜んで、料理作った時とかは必ず残さず食べてくれてその上でまだラーメン行くかだもん〜笑っちゃうでしょ〜」彼氏の事をこんな風にしゃべってる子を前に十人中9人が「あ〜また豪快系のろけ始まった〜」って思ってる中、私は一人で「彼氏、尿酸値いくつ?」などとまじで聞いてしまう始末。
つまりこの病気はのろけにも使われるほど「かっこよく」、しかもそれって贅沢病?なんて聞かれるほどいまや失われつつある「バブリーな感じ」な病気なのです。
だって「糖尿病」=「へー甘いもん好きなんだ〜(甘いものなんて男のくせにちょっとキモ〜)」、
「痛風」 =「うまいもんばっか食ってんでしょー(この男遊んだら楽しそー)」
どっちがかっこいい?(相当無理がある???)
それに普通、病気のHPってこの十倍は暗いよ。はっきりいってほんとに面白いし、みんなも楽しんでるもん。旅行のHPで「〜行ってきました」みたいな感じで「いま発作中で〜す」ってな感じ。
つまりこのHPが全て語っているようにこれが私の思うこの病気の「落とし穴」ほんとに怖いところなのです。
と、ながながくだらない事を書いたけど、そのことに気づき、その魅力を惜しみながらもこの世界を去っていくのは大変辛い。でもこれ以上まわりに迷惑はかけられないでしょ、というわけで、明るい病気の皆様へ、「かっこいい」人間性に生まれてしまったことを恨みつつも今後も楽しくHPを盛り上げていきましょー。(結局まだこの世界の人?)
*追伸
俺の大好きな金城武が痛風って聞いて「カッコだけじゃなく性格もいけてんだなー」とさらに好きになりました。(この感覚、変?)
【コメント】
ワハハハハ、読んでいて思わず笑ってしまいました。
確かに、痛風であることを人に話すときに、心ひそかに感じる「ウケのよろこび」はありますね。
本当に、痛風もちの人というのは、何につけどこか大仰で、しかし明るくあけっ広げで、愛すべき方々が多い!(と自分たちで言うのも仕方ありませんが・・・)
名残惜しいですが、無事に痛風界から離脱できるようお祈りしています。(←内心、きっと無理だと思っている!?)
神奈川県在住 27歳男性 geoshyさん (2002/5/14)
初めまして。神奈川県在住のgeoshyと申します。
このHPを本日見つけて、先ほどから熟読しました。
私と同じような思いをしている人は沢山いるんだなあ、とちょっと心強くなった気持ちです。
しかし、皆さんに比べるといささか私は年齢的に「この歳で?」という年齢かもしれません。
でも体験談を見ると意外と若いときに発生している方も多いみたいですね。ホッ。ε=ζ`)
因みに現在私は27歳の男性で、今回で5度目の発作になります。
「今回で」というのもただ今私は発作と格闘中なのです・・・。23才での初発に始まり再発の期間が加速度的に縮まっています。
私は尿酸値のほかは身体に異常な部分はないみたいだし、身長171cm、体重59kgと痩せ型ですが、見事に発生しています。「体格」でなく「体質」のほうが問題なんでしょうね。
また問題があるとすれば不摂生、偏食、運動不足です。「あるとすれば」というかそれが問題なんですよね!もっと自覚しなければダメですね!ホントに!
でも自分は今年に入ってから常に頭の中で食べ物・飲み物の制約を考えながら生活してるにも関わらず、自分よりよっぽど不健康そうな人達が何も考えてないような感じでうまそうにビールを飲み、刺身をつつき、肉をほおばる姿に「世の中、間違ってる!」と思うことも多々あります。
しかしこれも自分の運命なのだと受け止めるしかないですね・・・。(と、ボルタレンが効いてきて心に余裕ができた故のコメント(?))
また何かあったら参考にさせていただきます。
因みに今回は「ひざ」に来ています。
「ひざ」はまじでキツイっす〜。
【コメント】
20代発症の方は多くなっているようです。某医療機関系MLでも、そのようなことが話題になっていました。
周囲を見て「間違っている!」とは私もよく思いました。しかし、「痛風持ちの他病しらず」というコトワザもあります(←ウソ!いま私が作りました!!)。
痛風というハードルをもって節制を続けていれば、人よりも健康に生きられるはずです。(説得力ゼロ?)
30歳男性 たいち さん (2002/5/14)
こんにちは、はじめまして!たいち(30歳)といいます。
みなさんの体験記を「ほほぉ〜」「むふふ」「・・・(自己嫌悪中)」と感慨深く読ませて頂いております
私も痛風持ちになり、早や4年、最初の発作は結婚1年目の冬でした。
当時、私は地元のバスケ部に所属しており、その日はたまたま見学に行った時バスケットシューズを持っておらず、しかたなく裸足で友人と遊んでおりました。その夜、なんだかシクシク左足親指の付け根が痛くなり、「あ〜、裸足で遊んでたし、きっと打撲かなにかだろう」と思い、そのまま床につきました。
次の日、痛みは驚くほど増大し、もはや引きずりながらでしか歩けなくなっていました。「これはいかん」と外科医へ駆け込みレントゲン&尿検査&血液検査(あとから思えばなぜ?尿検査?)をし、5日後再び行くと「若いのになにやってんだぁ〜痛風だよ」。
私は「へっ!痛風ってなに?」と驚いた顔をしていると、先生が紙と鉛筆を持ってきて「日頃の食生活を書いてごらん。そうだなぁ1週間分」と言われ、書き始めました。
その内容は(もっと詳しく書いたが覚えていない)
朝 昼 夜
月 パン トンカツ定食 嫁さん料理+ビール1L
火 パン トンカツ定食 嫁さん料理+ビール1L
水 パン トンカツ定食 嫁さん料理+ビール1L
木 パン ハンバーグ定食 嫁さん料理+ビール1L
金 パン トンカツ定食 嫁さん料理+ビール1L
土 パン トンカツ定食 嫁さん料理+ビール1L
日 ぬき 外食(焼肉) 嫁さん料理+ビール1L
と、書いてみて本人もびっくりの週5のトンカツ生活&(このころはミゾレとんかつに凝っていたので地元のトンカツ屋をローリングしている状態でした)毎日のビール摂取量にちと驚き、先生からもお叱りを受け痛み止め+尿酸値を下げる薬を処方していただき帰りました。
と、そんなこんなでその後トンカツ生活にピリオドを打ち、ビールも終了(といっても焼酎に変換しただけ)。その時、嫁の姉が健康医療機器の会社に属しておりその伝で血液をさらさらにする電磁波?治療機を薦められていたので買っておいたのを思い出し、その夜から治療機に毎晩かかるようになりました。
痛みは一度きりでおさまり、次の夏には、トンカツは辞めたものの、ビール爆飲生活は完全に復活しており・・その後なんと4年間一度も再発する事はありませんでした。
2002/4/25
つい先日、4月25日なんだか足がシクシク(ん?懐かしい痛み・・?)と思っていたら、次の日「ぐわぉぅ」ヤバイ再発や・・・とおもい今一度、外科医へGO!今回は処置が早かったのかなんなのか軽くすみ薬を服用しはじめ1週間ていどで収まり、ホッとしていました。
これなら大丈夫とたかをくくっていたら、5月10日に東京出張があり、5時間の講習のあと、懇親会でビールを1杯、チューハイを3杯、帰りの新幹線でチューハイを3缶飲んでご機嫌で家に帰ってきたら、次の日の朝「ぐわぉぅ」・・・(なぬ?もう?)
本日5月14日外科医でもう一度処方箋を頂き帰ってきました。
このHPに書いてある『油断大敵』を心に刻みこんでがんばりたいと思います。
また、近況を報告します。
お酒はホドホドに・・・トンカツもね!
【コメント】
わはははは、トンカツ生活はよかったですね。いやいや笑い事ではない、申し訳ありません。(といいつつ笑)
ところで、薬は飲み続けていますか?
「油断大敵」などと自分で書いていて恐縮ですが、やっぱり油断には勝てない!(←開き直り)
結局私は、薬で痛風との折り合いをつけながら、好きなように飲み食いをしています。(←確信犯)
33歳男性さん (2002/4/21)
私は33歳の男の子です。この度、私もついに「痛風」の診断を受けちまいました。
今まで自分がそんな目に遭う何て夢にも思わなかったデス。
「hide」さんのHP大変楽しく(?)読ませていただきました。
まだパソコンを始めて間もないので誤字、脱字が多いかも知れませんがカンベンして下さいな!(単にバカっつう事もあるカナ?)
まず、私の「痛風」第1歩は25歳の時でした。ある日突然右足首が痛くなり、日増しにその痛みが強くなりついには歩けなくなり「整形外科」へ。レントゲンを撮るが異状無く、湿布と痛み止めを貰うのみ。
その後2〜3日であの激しい痛みは消えうせたので、何事も無くモトの不摂生な生活に戻りました。(暴飲、暴食、暴寝前食、無運動、ete)の日々が8年程続いた。
2002年4月1日。右手首に軽い痛みを感じる。前日パチンコで大ハマリして、台をバンバンぶっ叩いてやったのでかな?と、思った。しかし痛みは加速度的に増してグラスさえ持てない状態。湿布をして、2日程我慢すると痛みはあるが何とか通常に動かせる。
すると、この夜左足首に違和感が。嫌な予感が的中してしまった!朝起きると左足首が痛い。しかもハンパな痛みじゃ無い!動かない!イヤ、正確に言うと痛くて動かせない!手首が痛い時は「手が使えないって事は最高に不便だ!」と思ってた2日前が幸せな程ツラい!
立てない、動けない、歩けない、これは日常生活の全否定である。今までノウノウと「五体満足」で暮らして来られた「幸せ」と共に「五体不満足」な人達の「辛さ」を少〜しダケワカッタ様な気がした。「バリアフリー」の有り難み、親、友人の優しさなど等。俺なりにね!?
そして1週間「激痛」と闘い私は勝利したのだが今度は腫れが引かない。皆様の激しい意見により仕方なく病院へ。すでに「痛風」を意識していた私は迷わず「内科」へ。採血、診察、待つ事トータル4時間以上。結果は尿酸値8.3で、痛風の疑い大有り。アルコール、食生活の乱れを指摘される。返す言葉はモチロン無い。一生背負う病気だと脅された。
あの激痛がまた襲って来るのはタマラン。だが「痛風」の発作は「腎臓に負担がかかってるぜ〜」っつう体からの訴えだと思って素直に受け止めるしかないと私も「hide」さんの意見に賛成。
今、現在もアルコールはヤメられない。が、ずいぶん自分の体の事に気を使う様になった様な気がする。自分の体は自分で管理しなければ、と思う「事件」ですね!
【コメント】
掲載がとても遅れて申し訳ありませんでした。
私、ここのところ毎日ブッ倒れるほど飲み続け、レバ刺しなどの危険種(?)食材をムサボリ続けていたもので・・・。
「自分の体は自分で管理しなければ・・・」。まさに同感です。
いや、返す言葉もありません。(汗笑)
39歳男性さん (2002/4/24)
はじめまして、私は39歳の男性です。
今夜中の3時ですが、あまりの痛さに眠れず発作的に投稿しています。
実はこれが4度目の発作です。7年前に会社の健康診断で“要再検査”に引っ掛かり、改めて総合病院に行って調べてもらうと、その先生は私の検査数値をしばらく眺めながら、”久々ヒットの大ホームランという感じですね〜、こんな数値は久しぶりに見ました。明日から歩けなくなっても不思議じゃないですよ〜”と妙に明るく言われたのです。
当時、痛風というものに全く無知であった私には何の実感もなく、実際の症状やあの痛みもどこか知らない世界の事でした。その1年後に初めて発症して以来、6年間で4度目が今回の発作なのです。”もう十分に判りました、神様お許しください”というのが現在の心境です。
さて、今回の予兆は子供の入学式の頃でした。
何となく左足にむず痒いような違和感を覚え、既に経験者である私は、”くるぞくるぞ”と思っていました。案の定17日に痛み始めたのですが症状は軽く、20日までは子供の自転車の練習に付き合った程です。”あー、今回は今までで1番軽いなー“となめていました。
しかし!21日の夜から痛みは激烈なものへと変わっていきました。最初は”またぁ〜”と覚めた目で見ていた妻が仕舞いには怒り出し、”とにかく何でもいいから飲め!”と言って、バファリンやらナロンエースやらを持ち出してきたので、仕方なくナロンエースを飲んで翌朝を待ちました。
次の日病院に行くと、看護婦さんが開口一番”痛風ですかぁ?”。4度目ともなると、さすがに憶えられてしまった様です。
ところで今回は、結果的には1番ひどい症状でした。あまりの痛さに足指が何度も断続的に攣ってしまったり、熱が37度6分まで上がったりしました。たかが足指の付け根の痛みで、全身に熱を持つとは信じられません。
病院でもらった薬を飲んで2日になりますが、まだ痛みは引かずしばらくは付き合うことになりそうです。
【コメント】
眠れずに投稿・・・というのがリアルです。私が当HPを作り始めたのも、同じような状況でした。
発熱というのは、確かにあまり聞きませんね。でも私も、痛みによる断続的緊張と神経負担により、大量の冷や汗をかき、全身虚脱状態に陥っていたので、ひょっとすると熱が出ていたのかもしれません。
東京都在住 37歳男性 アシクビさん (2002/4/16)
皆様初めまして。私は東京都37歳男アシクビと申します。宜しくお願いします。
私も今痛風で苦しんでいます。足首のかかと廻りが腫れ上がり、今日4/16病院に行って参りました
一般的にはやはり親指付け根が多いと医師にも言われました。足首の時は一概に痛風と診断は出来ないらしいです。細菌感染もあり得るとか。
取りあえず血液検査尿酸値7.0で高いと診断されました。他の値は基準値越えて無い。でもまだ痛風と診断は下さないとの事。
3日後再度血液検査。半日潰れるが自業自得です。歩くときに足を付くなと言われ松葉杖を貸して貰い保証金\7000。廊下で看護婦さんと歩行練習。いきなり転けそうに。看護婦さんに絶対転ばないでと言われるが自分は体重100s、なかなか難しい物です。
私は以前かかと完全に足の裏部分がやはり痛くて違う病院に行きました。その時は即刻痛風と診断され尿酸値は10を越えていて、すぐに尿酸値を下げる薬を処方して貰いました。今回は尿酸値下げる薬処方してくださいませんでした。
他の方の体験談を読ませていただきましたが、発作時尿酸値を下げるとさらに痛みがますとありましたが、聞くだけでも恐ろしいですね。
発症から4日目。未だに収まる気配なし。仕事も出来ません。ダラダラとした文ですいません。又機会がありましたら投稿させていただきます。
【コメント】
いろいろな方の話を伺うと、初診時に痛風と断定することはまずないようです。
すなわち、血液検査の結果が出るまでは、薬も無くノタうつばかり・・・。これはツライ。
やはり、行きつけの診療所を確保することは、痛風持ちには切実な問題です。
42歳男性 会社員 gawaさん (2002/4/16)
はじめまして 私は42歳の会社員です。
はじめて痛風が発症したのは29歳の時です。その当時は毎晩浴びる位ビール、酒を飲んでいました。
ある朝右足の親指の裏側に違和感を感じ、関節付近が赤くはれてきました。その時は足にばい菌でも入ったくらいに考えていたのですが、いつまでも腫れが引かず痛みが出てきたので病院に行きました。
その結果尿酸値9、4mgの立派な痛風でした。看護婦さんには二十代で痛風になるなんて悲惨ですねなどと言われ、とても落ち込みました。
それから今まで4回の発作が私の足を襲って来たのですが、尿酸を排出する薬を飲むとよく日にはうそのように楽になるパターンを繰り返してきたのですが、つい先日大爆発が起きてしまいました。
備蓄しておいた痛み止めの薬を飲んでも、少しも痛みが引かず、親指の関節の痛みより腫れ上がった足の甲が猛烈に痛み、痛いと言うよりものすごく熱いと言った痛みが襲ってきました。(焼け火箸をおしつけられたような痛みでした) あまりの痛さで足を切り落としたい衝撃に駆られました。
かかりつけのお医者さんはあるのですが、不摂生をしかられるのを恐れ、別の病院に行きました。そして親指の付け根に初めて痛み止め注射を打たれました。(医者に相当痛いから覚悟するように言われましたが痛風の痛みより楽な感じでした)
それから11日たちましたがいまだに足が腫れ痛みもあります。
今回は本当の地獄を見た思いです。
【コメント】
淡々と書いておられますが、かなりハードなご様子です。
13年間で5度目の発作。このインターバルが、痛風最大の難点だといえますね。
痛風は、忘れた頃に・・・といったところでしょうか。