『私の痛風体験談』 その2
沢山の体験談メールをいただき、ありがとうございます。
ファイルが大きくなってきたので、その2を切り分けました。
私の症状が一時安定してきているので、新規情報はこのコーナーが頼りです。(^_^;ゞ
今後とも、ご愛顧の程をよろしくお願いいたします。
【注】 頂いたメールについて、基本的には、氏名等の特定情報は伏せさせていただきます。他の投稿例も参考に、ご自分でハンドルネーム等をご指定ください。メールアドレスについては、ウィルス・メール対策として、原則として掲載しないことにしました。
男性 ねんこうさん (2002/4/4)
こんにちは!はじめまして。ねんこうといいます。
皆さんの体験談を読みながら頷くことしきり、「ああ、同じだ!」とか、「こんなこともあるのか」と改めて痛風に対しての知識を深めております。
私の場合、発作がでたのは3月23日の夜明け頃でした。
5歳になる息子と就寝中に右足の親指に激痛が走りました。狭い部屋なので壁にでも足をぶつけたかとその時は思いましたが、特に外傷もないのにも関わらず痛みがひかず、最終的には歩行が満足に出来なくなってしまいました。
学生時代にバレーボールをやておりましたので捻挫、骨折など幾度となく経験しておりましたが、そのどれとも異なる痛みで、恥ずかしながら近所に住んでいる弟に運転を頼み急患として診察いただきましたところ、「痛風ではないですか?」との言葉・・・
血液検査、尿検査において尿酸値が比較的高いと言われまさしく痛風だとのこと。
いやほんと激痛ですよね。
私は上記のようにケガも多いですが尿管結石もやっていて、今までは尿管結石が最大級の痛みと知人にも話していたんですが・・・、改めます、痛風が一番に痛い!!
で、皆さん一週間ほどで痛みが退いておられるようなんですが、私は発作が出て今に至るまで痛みが退きません。
痛風の診断から一週間後にユリノーゼを調合頂きまして4日目ですが3日目となる昨日はメッチヤクチャ痛かったです。
まあ、担当医さんからはユリノーゼを飲むと一時的に発作がピークまで上がってそれから痛みが下がると言われていたので覚悟はしてはいましたが・・・、はやく普通に歩行がしたいです。(ちなみに今は松葉杖をついて通勤しています。)
考えてみればこの3年間程で体重が10kgほど増えましたし、足の裏がつるような事が何度か合ったんですよね。これが危険信号だったのですね。
仕事中に皆さんの体験談を読みながら勉強?している毎日です。
【コメント】
確かに、投薬とともに痛みが嵩じるという話はよく聞きます。
安定してから、長いスパンで尿酸値をコントロールする段階に入れば、ずいぶんと楽になるかと思います。
多くの人が、その段階で「投薬停止」したい誘惑にかられるところですが、本当に大事なのは、そこから先のようです。
一刻も早いご回復をお祈りしています。
横浜在住 36歳男性 tottoさん (2002/4/3)
はじめまして。
横浜在住のtottoです(36歳男性)。
私は過去3年間で5回ほどの痛風発作を経験しています。
以前は前職の激務にかまけてて、しっかりとした治療を施さないままでおりました。
転職を機にしっかりと治そうと3月中旬に、職場の近くの医院にかかり(このときは発作なし)、血液検査等を行いました。
すっ、すっ、すると・・尿酸値が10でした!愕然としました。
立派な痛風と再度診断され、ユリノームを処方してもらいました。
しかし、服用後1週間ぐらいで再発作・・・。痛さのあまり、自宅近くの医院に再診し、
ユリーノームでは効きすぎるとのことで、ザイロリックを処方され服薬しました。
そっそっ・・そしたら・・今度は4日後に蕁麻疹・・・。
痒さが激しく、また再診。蕁麻疹を抑える薬を3日間処方され、また、ユリノームを1日朝だけ0.5錠ずつ処方され服薬しました。
結果・・・・また蕁麻疹・・・。
ゴールデンウィーク明けまで投与を中止し、薬の過敏症経過をみましょうとなりました。
薬を中止しても、たまに痒くなるので、たまらんな~というのが今の感想です。
こうしていると、かかった先生の「痛風治療には、ユリノームかザイロリックぐらいしか薬がないからなあ」
と、医薬品添付文書のファイルを眺めている姿が目に浮かびます。
妻とも食事・運動等でなんとかこの場をしのぐしかないか・・と、いっています。
薬で苦労された方々にメールでもいただければ励みになるのになあ、なんて勝手に思ってる今日この頃です。
では、また近況報告したいなと思います。
【コメント】
ザイロリックで副作用が出るケースもあると聞いてはいましたが、実際には初めてお話を伺いました。
正直、これはたまらないですね。心情お察しいたします。
必然的に、発作危険をはらんだ治療期間が長くなるのでしょうから、精神的な負担も大きいのではと思います。
苦労を同じくする方はメールをお出しあれ。
横浜市在住 36歳男性 会社員 mataさん (2002/3/30)
たまたま、インターネット喫茶で暇つぶしをしていたところ、HPを拝見しました。
細かく日記として記録されている事には脱帽です。
私は現在36才ですが、始めての発症は思い返せば、たしか24才位の頃だったと思います。最初は足首の部分に激痛が走りました。
しかしそのときは、ただの捻挫と思いそのままにしておりました(当時若かったこともあり定期的にサッカー等激しいスポーツもしてましたので)。
それからも同様の痛みは、年1回程度はあったかと思います(捻挫だと思っていたので記憶は薄いのです)。また会社での年に一度の健康診断では、必ず尿酸値の高さが結果として出ていました(しかし通風との因果関係は知る由もなく...若かった)が、高血圧の方に関心は高く(18才で入社以来、150-100くらいでしたが、かといって対処はしませんでした)、暴飲暴食の日々を続けていました。
そして最初の痛風としての自覚症状は29才の時にやってきました。しかもとんでもない場所に激痛が...。
なんと『右膝関節』に水が溜まったのです。このときも始めはサッカーで痛めた膝が炎症を起こした程度に考えていました。町の整形外科に掛かってもそのような診断でした。
当時は一人暮しをしていたこともあり、会社は長期休暇をとり(何せ膝なので松葉杖をついていなければならず、且つ仕事が接客業なので仕事にならずということなので)、療養していました。
2週間ほど経ち、膝の腫れも引いてきたかなと思った頃、なんと左足首に激痛が走り出したのです。『これでは松葉杖でも歩けない...』。途方にくれてしまいました。ちなみにこの数日前、私は自家用車で人身事故を起こしていました(膝は曲がらなくとも足首は動く!)。
どうしようもなくなった私は救急車を呼び(家の前の道路まで四つんばいで出て行く惨めさよ)総合病院へ入院となりました。その後、血液・尿検査やなんとMRIまで行い医者も『はてナンだろう?』という状況でしたが、結論としては『左足の症状と尿酸値の高さから、右膝も痛風から来るものだ』と診断されました。
結局2週間ほど入院し検査値や炎症も収まったころを見計らい退院となりましたが、なんとも惨めな日々を過ごしました。
会社には医者が『膝関節炎症』という診断書を出してくれたことから『痛風』ということは言わずにすみましたが、次はいつ出るのか不安で仕方なかったことを覚えています。
当時の状況としては、一人暮しの気楽さと、発症の10日前に父が亡くなったことから心労もあったことから『酒は飲め飲め』『飯は好きなものだけ食え食え』という状況だったことが主要因だったかと思います。
またすべてを外的要因にしてしまう悪い癖もあったかと思います。このときも捻挫、関節炎と思っていましたが、他にも『腰が痛い』と思い当然サッカーで捻ったと思い整形外科に通い理学療法なんか受けて『気持ちイイー』なんてやっておりましたが、数日後真赤な血尿がどばっとでて実は『尿路結石』だったなんてこともありました(なんか悪いところだらけのようでしすが、その通りです)。
そんなこんなで、当時は喪に服す時期ではあったものの、半年後に結婚を控えていた事もあり、食生活も悔い改めようと心に誓っていました。しかし次の発症は2年後にやってきました。
時間がなくなったので続きはまた。
【コメント】
私の怠慢で掲載が遅れて申し訳ありません。m(_
_)m
それにしても、かなりハードな体験談ですね。(笑)
痛風というのは、心理面も含めて、やはりその時の状況・環境に大きく影響されるものだということに、改めて気づかされます。
私もこの4月から勤務地が変わったので、少し心配です。
続編をお待ちしています。
女性 ヒロヒロさん <痛風持ちはご主人> (2002/2/12)
はじめまして。<(_ _)>
この度、痛風夫の妻の仲間入りをすることとなりました
ヒロヒロと申します。
実は私、結婚前は検査技師として病院で血液検査など
しておりました。勿論、尿酸も!
しかし、知識として分かっていながら主人の尿酸値は
正常値ギリギリと言うことで油断しておりました。
「野菜をもっと食べた方がいいよー」とか
「少し運動した方が…」等と言ってはおりましたが、
まさか痛風になる程とは思ってもいませんでした。
長引く不況でストレスが減ることはないが、お酒は
ほどほど(休肝日は週2~3日)。しかし早食い大食い
肥満傾向にあるのですから、よくよく考えれば納得!
【2月7日(木)】
朝、主人が突然「いたぁぁぁぁーいっ」と吠える。
左膝を押さえもがく姿は勿論心配ではあるが、やはり
我が家でもご多分に漏れず「捻ったかな~?」と
始めは軽く考えた。がしかし、その痛がり方が、
いくら、オーバーだとはいえいやな予感がした。
そこで念のために 翌日、病院に!
(見事、勘が当たることになろうとは)(^^;)
【2月8日(金)】
病院での診察を終えた主人から電話が!
「痛風かもしれない」って言われた~と。
(ショックが隠しきれない様子。)
しかし、私は中途半端な医療知識のために?と思って
しまう。だって、膝でしょう?痛風と言えば足の指!
検査結果が出れば無罪放免になる。大丈夫(^^)と。
まだまだ強烈な痛みはあるものの楽天的な夫婦でした。
【2月9日~11日(土~月)】
楽しい楽しい三連休。病院の鎮痛剤が効いたのか、
時間の経過とともに自然に痛みが引いたのか?
「痛い・痛い」と言いながらも明るく過ごす。
「きっと、ちがうよね~」と。
【2月12日(火)】
主人は結果を聞きに病院へ。のんきな私は、
痛風のこと何かのっているかな~と軽い気持ちで
このホームページを見てビックリ!!
楽しく明るい文章の中に隠された真実が。
“痛風だ”この時、私の心に確信が…
そこに、主人から電話が。ハイ。痛風決定!(^^)!
尿酸値は7.4mg/dl!ヨッシャ~改革だ~!
世の中、構造改革のまっただ中。この際我が家の
生活の構造改革を実行するぞー。
『痛風日記』に出会えて、前向きに痛風と付き合って
行けそうです。貴重な体験談をありがとうございます。
一病息災。仕方ない、私もビール好きだけど
控えるようにして。(まさか私だけ飲むわけにはネ~)
今回の病院には少々?の所もあったので、
(簡易検査では、9mg/dl以上で、外注の検査結果は7.4?)
これって、誤差範囲越えてるよ!再検査もしないで薬決定?
尿検査だって必要でしょうヨ!
ま、尿検査は、家でもできるけど…。待ち時間も長いし…。
尿酸値を下げる薬を使用するかどうか、微妙な値だしね。
もっとよく説明してくれる先生、近所にいませんか~。
一生モンだからお医者さん選びは大切ですもの。
では、痛風の皆様そして、痛風のダンナまたは彼氏と
ともにがんばる女性の皆様。明るく楽しく行きましょう!
痛みは代わってあげられませんが
『愛は痛風を救う?』(*^_^*)
【コメント】
妻に少なからぬ迷惑(?)をかけている夫軍団の一員として、心からお見舞い申し上げます。
明るい姿勢に感服いたしました。「愛は痛風を救う」、是非がんばって下さい。
ところで、私の妻は、私の目の前でグイグイとビールを飲んでいますが・・・。(笑)
もちろん私もグイグイ・・・。我家では、構造改革への抵抗勢力が勝利を収めた模様です。(^_^;ゞ
大阪市在住男性 36歳 H.Tさん (2002/2/5)
早いもので初めての発症から1ヶ月近くが経ちました。
今日は再度の検査がありましたので、前回の続きとしましてここにご報告致します。
いや~、しかしここ最近は私にとってはホンマに辛い日々でした。
大好きなビールはもちろん?好きな食べ物までかなり自粛の毎日が続いてましたです。ハイ。
(まあ全くビールを飲まなかったとは言えませんですが・・・。)
私は仕事柄外での食事が非常に多いのですが、それに対してもかなりな気の使いよう・・。
例えば今まででしたらカレー専門店では「カツカレーがやっぱり王道でしょ」って感じで食しておりました。
しかしあの地獄を見てからはカレーは野菜カレー!
もちろん別にサラダも付けてなどとかなりな内容変更になりましたです。
それに加えコンビ二弁当を食べる場合はそれにもサラダを追加して購入!
などの「出費よりは健康!」ってスローガンに基づき行動した次第であります。(涙)
それに、カバンの中に「ケール青汁粒」っていう補助食品を常に携帯!
食事の度に飲んでおりました。
当然医者から貰っている薬は朝夕必ず飲むという
今までの私にとっては考えられない禁欲生活(もとい規則正しい生活)でしたよ。
そんでもって今日(2月5日)・・・。
「ああ~先週は水曜日は2件梯子・・・、木曜日は焼き鳥屋・・・、金曜日はお好み焼きで屋酎ハイ2杯・・・。
土曜日は禁酒できたが日曜日は缶酎ハイ5本・・・。
こんなんで尿酸値下がってるワケ無いよな~。」って感じで検査に挑みました。
血液検査を終えてから1時間後にお医者さんとのご対面!
医者「う~ん、薬出そうかって思ってたんやけど、尿酸値が下がってますな~。」
私「えっ、そうなんですか?」
医者「前まではかなりヒドイ食生活してはったんですか?」
私「確かに偏った食生活とかなりの飲酒はしてましたです。」(苦笑)
医者「そうですか。しかしこんだけ数値が下がっていたら薬を出すにも出せませんな。」
私「えっ、数値はいか程なんですか?」
医者「前回は8,1でしたが、今回は4,4ですね。」
私「ありゃま!」
医者「これ以上下げる薬も出せませんから、とりあえず3ヶ月様子を見ましょう。」
私「ホンマですか~(ニヤリ)」
医者「でもね3ヶ月経ってから再検査で数値が上がってたら一生薬と付き合ってもらいますよ。」
私「そうですか、でもこれからは今の様に清く正しく頑張りますから大丈夫ですよね!」
医者「それはその時の結果次第ですな。」
私「分かりました、頑張ります!では3ヵ月後にまた宜しくお願いしますっ!」
医者「ではお大事に。」
以上が今回の内容でございます。
もちろん喜び勇んで帰宅しました。
そんでもってただ今焼酎のお湯割りにて祝杯をあげております。
まあしばらくはご褒美にお酒を補給し、また摂生しようかって今思いを深く噛み締めている次第であります。
【コメント】
追加報告、ありがとうございます。
早々の服薬停止ということで、おめでとうございます。
何だか、皆さん結構すぐ下がるみたいですね。
上がるときもすぐみたいですけど・・・(おどかす訳ではありませんが、笑)。
再検査の好結果をお祈りしています。
男性 36歳 サラリーマン さん (2002/1/28)
はじめまして!私は36歳のサラリーマンです。
当HPに沢山の体験談が送られているのを見て、私も体験談を送りたいと思います。
私が痛風発作の洗礼を受けたのは、11年前の25歳の時です。
当時ほとんど毎日、野球とバレーボールの練習をやっていて、
最初右足の親指付け根に少し痛みの出た日は「どこかにぶつけたかスポーツのやり過ぎ」と思っていました。
その日、温泉に入りビールをガブ飲みした結果、翌朝やって来ました
「風が吹いても痛い」まさにその通り!
その日、病院へも行かずバファリン飲んで(今思うとバカですね)、湿布張って1日地獄の痛みを耐え続けました。
翌日病院へ(整形外科)行き、関節へ直接痛み止めの注射!するとウソのように痛みは治まりました。
血液検査の結果「尿酸値が高いので痛風です!次回から内科へ行ってください」と言われました。
(実はこの一ヶ月程前に健康診断で初めて高尿酸血症と診断されていたのです)
その後1ヶ月間処方された薬も飲まずビールをガブ飲みした翌日やって来ました!
二度目の発作前回と同じ部位。
この時は病院で痛み止めの座薬をもらっていたので、地獄の苦しみは無かったと記憶しています。
以来、約11年間ユリノームとウラリットを欠かさずのみ続け、
2週間前の血液検査では、尿酸値4.6で安心していたのにもかかわらず、
1週間前に11年ぶりにあの痛みがやってきました。
何故だろう、酒も飲んでいないし思い当たることが無いのです。
(強いて言うなら、ストレスが発作が起きる原因であるならば、思い当たることがあるのですが・・・)
そこで、Yahoo!で検索して当HPにたどり着きました。
他の検索結果はどれも、痛風患者として一般的な当たり前のことしか書かれていないような気がします。
今回は痛み止めの座薬を使い時間が無かったので病院には行ってません。
まだ少し腫れて痛みますが、やはりきちんと病院へ行った方が良いのでしょうか?
ちなみに発作以来アルコールは一滴も飲んでいません!
あと、今の主治医さんは、毎回必ず患部(右足親指付け根)を診ます。
もうあの痛みはこりごりです!!
【コメント】
私の不精で掲載が遅れまして申し訳ありません。
薬を飲み続けていて、あまり酒も飲まなくて、ということになると・・・
私のように酒を痛飲して足が痛くなるのであれば、
思い当たるところもある訳ですし、気持ちとしては楽(?)なのですが、
理由も分からずにあの痛み・・・というのは、精神的に苦しいですね。
大阪市在住男性 36歳 H.Tさん (2002/1/16)
ワタクシ36歳の独身サラリーマンで御座います。
実は1月13日をもちましてどうやら痛風の洗礼を受けてしまったようなんです。
その為に体験談を送りたいと思い、筆(キーボード)を取りました・・・。
では、聞いて下さいませ。
実はかなり昔から尿酸値が高いとのご指摘を健康診断及び35歳から始まる人間ドックで受けてました。
しかし2000年は尿酸値が7,5で要再検査。
2001年は7,1で若干の変化は見られるが、今のところ異常なしだったんです。
よって楽天的な私は、「これって全然大丈夫やん」って事で相も変わらずの生活を送っておりました。
もちろん今までに何回か痛風かな?って思うような事態が全く無かったわけでは有りません。
そのときには、ヤフーから検索したこのHPを詳しく読んで「まだ大丈夫」って無理やり納得してたのです。
当然、焼肉(生レバー大好きです!)とビールは止める事ができませんでした。
ましてや、去年の12月で尿酸値が下がっていたのですから余計に楽観的になっても、誰が私を責める事が出来るでしょうか?
そして大晦日に実家に帰り、両親からビールの引換券を貰ってからが、この話の発端になってしまったような気がします・・。
普段はもっぱら焼酎派の私なんですが、折角もらったビール券を使わないはずはありません。(もちろん大好きなのはビールなんですが、健康を考えた上でなんです)
焼酎の代わりに年末年始には、ビールばかり飲んでました。
そして1月13日の事です。
前の12日に早く寝てしまった私は休日にも関わらず、午前9時に起床!
一人暮らしの私は、当然洗濯もしなければイケません。
しかし洗濯機が動いてる間は当然ヒマなんですよね!
そこでビール!
気がついたら350ml缶を3本飲んでました!
洗濯が終わり、外に干したら今度は腹が減っていつものラーメン屋さんへ・・・。
そこで中瓶を1本!
帰宅してからは、ほろ酔いなんでそこから昼寝・・・。
そして晩の10時に起きました。
そしたら何となく右足が痛いんですよ、それも足首が・・・。
これってヤバイって思いながら、チャットで遊んでました。
そして喋ってる相手に「足が痛い」って書いたら。「痛風ちゃうん?」って返事が・・・。
「そんな事有るかいな(怒)」ってその場は終わり再度就寝へ・・・。
しかし13日に起きた時は既に地獄に落ちてました・・・。
足を動かさなくても痛いんです・・。
おまけに足首が腫れてるし。
スグにパソコンを起動し、このHPを再読!
体験談では殆どが足の親指からって書いて有りましたが、中には足首もって記事がありました。
そこから、タクシーを呼んで救急病院へ・・・。
しかし、内科の先生はお休み(祝日ですもんね)で整形外科の先生の応急処置しか受けられなかった・・。
先生に「尿酸値が高いから痛風かも?」って話したら、「痛風は普通親指の付け根からやから違うやろ」って言われました。
しかし納得のいかない私は、「でもね、今日ここに来る前にHP見たら、足首が腫れるときも有るって書いてたんです」と言いました。
そしたら先生は、「とりあえず今日は痛み止め出しておくから、今日は我慢しなさい」って・・・。
やっぱ医者って専門外はアカンのですね~。
ほんでもって、「明日の火曜日に再度整形外科に来て下さい。」やって・・・。
これってまた整形外科かいな?って思った私は看護婦さんに「それって違うんちゃうん?」って聞いたんですが、看護婦さんは「そのように指示が出てますから・・・。」って。
だから私は今日(15日の火曜日)仕方なく会社に電話し、遅れる事を伝え、また病院に行きました。
ほんでもって今回も先生はまた、「これって関節炎かな?」って・・・。
だから私はまた尿酸値が高いって事を改めて伝えなければいけませんでした。
そこでやっと先生が「じゃあ血液検査しますか?」って事に。
1時間待って出た結果が尿酸値8,1・・。
「これは痛風やな~」・・・。
これが私の痛風初体験です。
ちなみに今も足は痛い・・・。
しかし、医者と言ってもここまで話さなきゃアカンのやなって事が良く分かりました。
これからはこれを教訓に、頑張ります。
ちなみに今、焼酎飲みながら書いてます。
これから痛風とは長い付き合いになりそうなんで、今後とも一つ宜しくお願い致します。
【コメント】
新年早々の発症、本当にお気の毒さまです。
誰もが最初は、「これはやはり痛風ではないのでは?」と悪あがきするものですが、
要領を得ない医者に自分から申告していく話は初耳でした。(笑)
整形外科が痛風を扱うのは、最初は打身だと思って病院へ行くケースが多いので、
「事実上」所管になってしまったという話のようです。
痛風のマイナーな立場がよく分かるエピソードですね。
東京都在住男性 38歳 T.Nさん (2001/11/21)
HIDEさんへ、続報を報告します。
2001年9月13日 …
発症から約100日が経過しました。本日午前、病院で検査結果を聞いたところ、尿酸値は“4.1”でした。
医者も「もう、大丈夫でしょう。薬だけは今のペースで飲みつづけてください。」とのこと。
しかし、この医者は、初診から今まで、一度も患部を見なかったナ~。
体重はその後変化なし。69キロです。もう、2カ月以上変動がありません。
やはり、酒の影響でしょう。ここいらが限界か?
イヤ イヤ 頑張るぞ。9/20は健康診断!!!
2001年9月20日 …
本日、定期健康診断。やったぞ 67.5kg!!!!!!!!!! 最終目標である62kgまであと、5.5kgだ。頑張るぞ。
何だか痛風の投稿ではなくダイエットの投稿のようになってしまって申し訳ありません。
2001年10月9日 …
過日の健康診断の結果が出ました。
ザマァー見ろとでも言ってみたい心境です。尿酸値は“4.6”です。もう大丈夫でしょう。
しかし、総コレステロールと血圧が“E”評価です。
血圧はここ2~3年の数値より下がっているのにE評価にランクダウンしてしまいました。
基準がわかりませんが、今回は再検査に行こうと思っています。
ところで、痛風の発作箇所のわずかな違和感が消えないのはなぜでしょうか。
完治していないから???
決して痛くはないのですが気になります。しかし、もう大丈夫であろうから通院は止めました。
ここのところ週末に肥える傾向にあります。気をつけなくては。
しかし、自分より太っている人を見るにつけ「ナゼこいつは痛風じゃないのだろ~(本当は患っているのかもしれないが)」と
軽微な憤りを覚えるのは痛風患者共通の“症状”の一つではないでしょうか。
【コメント】
およそ4か月ぶりのメール、お久しぶりです。
ダイエットも・・・、いやいや治療も(笑)経過良好のご様子で祝着です。
通院しないということは、薬も止めたということですかね。
尿酸値の変化については、しばらく追跡をした方が良いと思いますが。
私も第二回目の発作がそんなパターンでした。おどかす訳ではないのですが・・・(^
^;ゞ
それにしても、痛風というは、自分の健康全般を見なおす良い機会でもありますね。
(でもこんなこと、発作がおきていない今しか言えない)
まこっちさん (2001/11/12)
(前メールより経過抜粋)
先週発病して最初は何故痛いのか解らず、
足でも踏まれたか、打ち身だろうと思っていたんですが、
一向に痛みが治まらず、腫れてきたので骨折でもしたかな? と思い、病院に行きました。
レントゲンを撮ってもらい、骨には異常が無いとの事。
その時、初めて「痛風」ではないか? という医師の言葉を聞きました。
聞いたとき、かなりガーンときて贅沢病になってしまった…なんて思ってしまいました。
まぁその後、色々な文献や貴方のHPを見て認識の間違いに気付きましたが…
そんなこんなでもう一週間もこの痛みと付き合っています。
明日、病院に行った際に血液検査の結果も出ますので本格的な治療が出来ると思いますが…
これから地道に治療していかなくてはいけないと思うと、気が遠くなりそうです。
しかし、もう足の指とかに注射を打たれたくないので、ここに書かれている事を教訓にして
頑張って症状を押さえつつ、やっていこうと思います。
貴方も頑張って下さいね!
(以下本文)
早速ですが私の病状・体験談を書きたいと思います。
発病は10月27日の夜で、何だか左足に痛みが感じる程度だったので
打ち身か何かだろうと思いそのままにしてました。
次の日の朝、目を覚ますと同時に激痛が走り、見事に左足の親指の付根が腫れていました。
これはおかしいと思い病院へ行き、レントゲンや診察をしてもらった結果、
痛風ではないかと言われ、痛み止めの注射を足に打つという初体験までしました。
この日は前々から知り合い(東京から転勤)の不動産巡りに付き合う約束をしてたので
足を引きずりながら歩き回り、何とも言えない苦しみを味わいました。
それ以後、痛みは次第に和らいでいるんですが、今現在まで痛みが無くなる事がありません。
それどころか足の腫れが酷くなったような気配さえあります。
これはやっぱり無理やり靴などを履いてる所為なんですかね?
日記などから察するに2~3日で痛みはひくみたいな感じがするんですが…
今度、医師に相談してみようと思います。
【コメント】
経過補足のため、前にいただいたメールを抜粋させていただきました。m(_
_)m
その後の調子はどうなのでしょうか。
「無理やり靴を履く」ことができるだけでも、大変な精神力だと思います。
薬も飲んで、長期間かけての治療になると思います。
マイペースでお互いがんばりましょう。
新潟県在住男性 H.Mさん (2001/10/23)
home page楽しく拝見しました。
痛風患者のよさは、知的な好奇心がある点だと思いますし、暴露的なりますが
自己生活を他人に見せずにいられなくなることも、2次的な病気の影響なのかもしれません。
ならば私もその仲間。
アトランタオリンピックの年は、私の一生の中でも記念される年になりました。
この年の真夏に、一回目の発症。そしてアトランタの時に、駄目押しの2回目。
1回目のときは、心やさしくお付き合いいただいた家族も、2回目の時は「マタナノ?」の厳しい目線。
2回目の時は、深夜の2時頃から惨事がスタート。
「階下への移動」これは必要なことです。
1回目の悲しい体験から、尻を突きながら2階より降りる。
後は、皆様と同じ、自己流の癒しの時を経てやっと復活。
その後は、色々注意はしています。
通風に関して知ったことをランダムに書いてみます。
・尿酸は体の中で、どのような位置にいるのかは不明であるが、体にとっては尿酸の存在は
番犬を飼っているのと同じ。
ただ、この優秀な番犬が、噛み付くと物凄い。
・痛みの表現は、普通の痛みが「ズキ、ズキ.」なら、通風の痛みは「ズ~~~~~~~~~」
(永遠に続くと思われる)(痛みが休まない)
・風で痛むと書きますが、実際には、些細な音・声でも痛む。
丁度、世の中の音・声が全て、「漫画のセリフの中の吹き出し」に感じられる。
音・声が、活字になって、痛みの箇所にブツカル感じ。
また、自分のオナラの音で痛くなって、泣き笑い!
・痛風患者は,癌が少ない。
これは統計学の、失敗例だと思います。
100人に1人が、痛風または予備軍とのことですから、数字的に単純に薄まっているのでは?
女性は、100人の患者中に1人位とか。
(神様、是非「男女平等を実現してください!)
・患者は知的レベルが高い。
これは最高の嘘です。
でもそうと思いたいくらいの「選民思想」が出ても良い苦難・受難です。
通風になる、パレスチナ・ユダヤ問題がわかります。
・原因は、美食によるよりも偏食
遺伝より偏食的な食事生活の遺伝が大きいのではと思っています。
又、偏食によると思うのは、南太平洋で「タロイモ」ばっか食べているところでも、痛風アリとのこと。
始めは、風土病と思われていたらしいです。
更に、我が故父君は60過ぎてから、発症。
大正元年生まれの父の大好きな食事は、御他人様から見れば哀れな粗末な食事ではありました。
ただ、欠かさずにいたものは、日本酒二合、ご飯一杯、カッパえびせん、これでも発症。
哀れでなりません。
絶対、偏食です。
・恐竜スーを知っていますか?
先年,カナダの発見されて有名になった恐竜化石に付けられた名前です。(発見者の名前から)
これを、マクドナルドだったか、ケンタッキーだったか有名な食肉の外食産業が落札し、
ある博物館に寄贈しました。
話しはこれからです。
化石のくるぶしの所の尿酸値を測ったところ、とんでもなく高尿酸値が発見されたそうです。
そう、恐竜は痛風だったのです。
ですから、ジュラシック・パークの恐竜のあの痛みに耐えかねているような鳴き声は、
本当に泣き声だったのです。
・治療法でおひとつ
はれた場所は、原始的ですが、氷を入れた盥でも持ってきて、そこにタオルタオルを入れて絞って冷やす。
これが一番。
ハレているところは、皮膚が弱っているので、化学的に冷やすと別の痛みが出るときがあります。
兎に角、冷やすと痛みが少し和らいだ感じがしました。
・偏食の注意
①雑魚,じゃこ、小女子、白魚はイワシの幼魚です。食べたらアキマセン!
②ホンマもののカレーを食べるのは注意しましょう。
恥ずかしながら、家族にはいえないのですが、私の2回とも最後の晩飯はホンマもののカレーでした。
③ラーメンを少しやばい時もあります。
特定店に入れ込み、過食しなければ、大丈夫。
そして現状
痛風とは別に私は、年間180日(15日/月)の断酒日を作っていました。
今は、通院はしていますが(ユリノームは呑んでいます)、数値は安定しています。
酒は、焼酎メーンにしてます。(吉四六のフアンです)
一本くらい(四合ビン?)はイッテマス。
魚卵関係が、もともと好きでなかったのが幸いしているようです。
友人と「痛風友の会」を作って、年に2回くらい物凄いご馳走を食べ散らかす会をやって、発散しています。
【コメント】
痛風に関する知識への情熱に頭が下がります。
どうみても、痛風を楽しんでいるとしか思えません(?笑)
「痛風友の会」ってのは良いですねぇ。近くにお仲間がいるのは羨ましいかぎりです。
なおこのメール、掲載が遅れまして申し訳ありませんでした。
実は追いかけメールもいただきました。(笑)
新潟県在住男性 H.Mさん (2001/10/25)
痛風の血液検査時に、「炎症度」.が判るようです。
私は、確か11くらい、陣痛が9くらいで、通常が0.003.
物凄く痛かったです。
リウマチの人と比べても勝ちました。
年に2回の「痛風友の会の」会食は、始めは隠れキリシタンのように行われていましたが、
現在は公然活動に変化しました。
一昨日、血液検査、尿酸値7!!!
危うし、鞍馬天狗!
【コメント】
わははは、そうですか。陣痛よりも勝ちですか。
オンナに陣痛があり、オトコに痛風あり
・・・ってなところでしょうか。少し不謹慎ですかね(笑)
M.Oさん (2001/8/29)
痛風の痛みを本格的に経験し、今までの不摂生して来た生活を後悔している今日この頃です。
最初の痛みは2000年11月頃に痛みだし、その時は3日ほどで腫れも痛みも引き病院にも行かず済ましてしまいました。
それが本年2001年8月17日(この日は一生忘れる事が出来ません)早朝、なんとも形容しがたい、いてもたっても我慢の出来ない激痛に見まわれ、病院に飛び込みました。
その日来院した病院は大変忙しかった様子で、朝8時30分に診療の手続を完了してから実際に診療してもらえた12時までの間3時間半も待たされ、本当に辛い思いをしました。
病院でもとても歩ける状況でなく、生れて初めて車椅子のお世話になり、同行し車椅子の後ろを押してくれた家内に改めて感謝しました。
診療の結果は採血後1週間再度来院してくれとの事でしたので、痛み止めを処方してもらい帰宅しました。
座薬の痛み止めは大変効果があり、痛みは軽減しましたが腫れが1週間全然引かず、指定された日時に病院へ行き結果を聞きました。
そのとき痛風の知識が全然なく、言われている事の重大性が理解できず気にしなかったのですが、尿酸値のレベルが11との事でした。
その後知合いのやはり痛風を持っている人と話をし、自分の尿酸値の高さにビックリしインターネットや書物などで調べ食事など対処方法を考える様にしました。
今日現在(8/29)まだ歩行は全然出来ません。
しかし痛風に関する世間の意識は一様に冷たい物ですね、必ず「贅沢病だね」との感覚でばかりものを言われ、又病院でもいきとどいた説明もなく、2週間も歩行できない現状にほとほと不安は積ばかりです。
出来れば痛風に関する対処療法、食事、その他専門的な病院など教えていただければ幸いです宜しく御願いします。
【コメント】
本HPの読者であれば、誰もが分かります。お気持ち、察するに余りあります。
まずは、生成過剰型か、排出障害型かの判別が第一ですね。
特効的な療法というのは無いと思いますが、医学知識や食事等については、
本HPからリンクしている「田島病院のホームページ」の一読をお薦めします。
東京都在住男性 S.Uさん (2001/8/9)
ここ1ヶ月半、いらついています。
私も痛風の仲間になりました。皆には金持ちの仲間に入った、と言っています。
しかし、実態は火の車の我が家です。(財務大臣談)
私は、2月の入院ドックで尿酸値が9.0と言われました。
それ以来ビールはコップに1~2杯とし焼酎のウーロン割りへ、お茶を飲んで尿の排出を促す、
プリン体の多い食べ物(雲丹・海老・焼き鳥
etc)は食さない、の涙ぐましい努力をしてきました。
しかし、6月の中旬に左足親指の付け根が痛み、「おかしいな?」と思っていましたが、
「筋肉痛と思うことにしました」。このとき2日で痛みは消えました。やれやれです。
しかし、甘かった。痛みは6/29(金)の朝、突然やってきました。
やはり、左足親指の付け根です。会社へは何とか行ったものの一日大変でした。
夕方には予定があり少し飲みました。(ウーロン割り3杯)
次の6/30(土)に70m離れた病院へ行くのも大騒動です。
奥様に車で乗せていっていただいて、「蚊が入るから早く乗って、早く降りて」とか言われ放題です。
病院へ行って「痛風が出たみたいです」と言って診察を受けたところ、間違いないでしょうと言われ、
採血をして座薬(我慢できない痛みではないので使用せず)と鎮痛剤と軟膏をもらって帰りました。
幸い、土日で痛みが和らいだので月曜からは会社へバス(小生の町はHIDEさんの隣町です)で行きました。
早速ホームページを漁って参考にしたのは勿論です。そこでHIDEさんに出会えました。
very,very参考になります。(医者の言うことと殆ど同じでした)
7/4ぐらいには普通に歩けるようになりました。
そして、7/6(金)に採血の結果を聞きに病院へ行きました。尿酸値は8.5でした。
薬もこの時からアロシトールを毎朝飲むように、と言われて「これで安心だ」と
この日少し歩いたり、飲んだりしました。勿論、この時もビールは飲みません!
そしたら、7/7(土)七夕と共に同じ所に鈍痛のぶり返しがやってきて、土日は何もできませんでした。
幸いなことに歩ける程度であり生活に大きな不便はありませんでした。
これが大きな過ちでした。何とこの鈍痛が7月の末まで続いたのです。
そして、何とか痛みが治まった(7/26頃)後は、軟膏のせいなのか、
足の甲に水泡が多数できてこれでまた、痛痒い生活です。
そんな時、7/29(土)今度は右足親指の付け根が痛み出してきて、現在に至っています。
ここ1ヶ月半、まともに歩けません。
家のことも何もできず粗大ゴミ扱いされるし、会社へ行ってもいらいらして周りに当たるし、
何よりも6/29からアルコールらしいアルコールは体内に入れていないので、禁断症状が出始めるし、
このクソ暑い夏にビールは飲めないし、良いことは1つもありません。
ありました、酒と食い物(肉類は殆ど食べていない)に注意してるし、で
血圧が低値安定(80-120程度)して、体重も4Kg程度減りました。
(ちなみに、身長169cm、体重は現在減って61Kgです)
痛風と付き合うのは良いのですが、いつになったら完治するのでしょうか?
今月の22日からカナダ・アメリカ旅行を予定していますが、行けるか心配な毎日です。
早く直る方法はありませんか、国立市の矢川の針治療がきくという話も聞いたことがあります。
そんな方はいませんか?
【コメント】
お気持ちお察しします。旅行前は焦りますね。
早く直る方法・・・、(回線を通じて息を呑む気配が多数・・・)
知っていたら苦労はしません。(笑)
忍の一字ということでしょうか?!
東京都在住男性 37歳 T.Nさん (2001/7/26)
HIDEさんへ、東京都在住男性 37歳 T.Nです。続報を報告します。
2001年7月26日 …
発症から約40日が経過しました。本日午前、病院で検査結果を聞いたところ、なっ何と、尿酸値は“2.1”でした。
これまでず~っと“ユリノーム”を飲み続けた甲斐と、少しばかりの節制と、少しばかりの運動が効を奏したようです。
ちなみに、私も血圧が高めなので、減量大作戦を展開中です。
歩け村 村長さんのようにはいかないと思いますが、169センチ78キロが今は69キロまで落ちてきました。
しかし、私の身長だと62キロ程度が妥当とのことなので、あと7キロを年内に達成できればと思っています。
ところが、今はスランプなのかここ10日ぐらいは体重に変化がありません。
何やら自慢話めいて大変心苦しくはありますが、これもHIDEさんのHPと出会ったことが私にとってのインセンティブになっており、お礼を申し上げます。
【コメント】
経過良好のご様子で何よりです。
尿酸値2.1というのはまたスゴイですねぇ。
こういうご報告をいただくと、飽きずに綱渡りを続けている自分が情けなくもあります。
(といいつつ口だけ)
広島県在住男性 ガッチャマンさん (2001/7/23)
広島のガッチャマンより
私の痛風体験談をお話します。始めての発作は今から5年前のことです。
痛風という病気名も知らない私は、足の腫れと痛さにびっくりして病院へ行きました。
そこで聞かされた病名は「痛風」でした。
医者から痛風に良くない食べ物や飲み物の一覧表を渡されました。
またしても大ショックでした。私の好きなものばかり・・・。目の前が真っ暗・・・。
これから先、私は何を楽しみに生きていけば良いのだろうと落胆してしまいました。
ビール・たらこ・うに・イカ・もつ肉等など・・・。
そうこうしているうちに発作も約一週間で良くなりました。
それからは月に一度、病院へ行くようになりました。
病院では採血とおしっこの検査で、これといった治療はしませんでした。
薬をもらい一日に2回飲みました。
その後、病院へ行くたびに、異常ありませんね・・。また薬を出しておきましょう・・の連続でした。
病院もあいも変わらず混みます。そうこうしているうちに、通院を止めてしまいました。
2年くらい通った記憶がある。
その後も、会社の健康診断では尿酸値が高いと指摘されつつも、
発作がぜんぜん起こらなかったので、何もしませんでした。
毎日毎日、ビールやプリン体の多いものを食しました。
この病気を認めたくなかった私は、ひょっとして直ったのかな・・と思っていました。
しかし、7月21日より病魔が襲ってきました。5年ぶりの来襲です。
やっぱり、病気には正面から付き合っていかなければいけないのかな・・と今となって反省しています。
このHPを見て思ったのですが、みなさん、ビール好き、プリン体が多い物好きのようですね・・。
昨日、私の母が、北海道旅行から帰ってきました。
今日、宅配便で毛がにやうに、いくら・たらこがどっさりと届く予定になっています。
みなさんならどうしますか・・・。ビールに毛がには心ゆすりますよね・・・。でも、まだ歩くのも痛い・・・。
なぜこの病気は男性が多いのでしょうか?女性の人は聞いたことないですよね・・。
ではまた近況報告します。
【コメント】
忘れた頃に・・・というヤツですね。お気持ちお察しします。
北海道からの宅急便、私なら食べてしまいそうです。
(真に受けないで下さいネ!?)
歩け村 村長さん 57歳 (2001/7/15)
初めまして、自称歩け村の村長です。
私は現在57才です。
今から15年前に、朝起きたら、右足の足首に違和感が有りました。
足首を返してネンザでもしたのかな?という感じでした。
その頃の生活は暴飲暴食で身長168cmで体重が78kgでした。
その日も日帰り出張で呑んで帰宅しました。
翌朝、右足のくるぶし、腫れて、歩けなくなりました。
検査の結果を待たずに、痛風の薬物治療に入りました。
検査の結果は尿酸値が7.5でした。
薬物治療と食事療法、アルコールは飲みました。
すぐに足が痛くなりそうに感じたら、飲酒後水を良く飲みました。
1年間位、違和感と不安感が継続しました。
その後、血圧が下95で降下剤も同時に飲むようになりました。
痛風と血圧の薬を飲みながらの暴飲暴食を12年程していたら、血圧の降下剤が効かなくなり、
薬を飲んでも、100で薬を飲まないと120位になります。血圧の下の数値です。
主治医も困っていました。結果10kgのダイエットに挑戦!2ヶ月で12kg減量に成功。
検査の結果、血圧、尿酸値、もちろん、ガンマーGTP、コレステロール、全ての数値がOK!!
3年前に薬と縁を切り、現在は毎日なんでも食べて、ガンガン飲みます。
秘訣は1日2万歩以上歩く事です。
現在は4時50分から速歩きで、1時間歩きます。
その後通勤の往復と会社での作業で2万歩~3万歩になります。
雨が降っても、二日酔いでも歩きます。3年間休みは有りません。
それは、薬を飲まなくても、コントロールが出来るし、食べたい飲みたいからです。
【コメント】
う~ん、参りました!敬服いたします。
最後のセリフ、本当にその通りですよね。
分かっちゃいても、実際には出来ないのが大多数です(勿論私も)。
私も運動しようかなぁ、とその場では思うのですが・・・。(反省)
東京都在住男性 37歳 T.Nさん (2001/7/6)
私の「痛風友の会入会」の体験談を時系列で紹介させていただきます。
2001年6月2日 …
娘の通う小学校でPTAソフトボール大会があり、そこに参加したときです。
私は、レフトを守っていました。学生時代結構マジに野球をやっていた関係上、そのフライは捕れるはずでした。
ところが、37歳という年齢からか、イメージと実態に著しい乖離が発生し、
「ヤバイ!このままでは捕れない!!」と思い筋肉のアクセルを踏み込んだとき、その悲劇がおとずれたのです。
右足太もも裏に妙な感触が走りました。
“グニュムリ”
足がつったわけではなさそうなのに、かなりの痛み。そう、“肉離れ”でした。
この時、予定された3試合のうち、1試合目でした。人数をギリギリでやっていた関係上、交代が許されず、
激痛を我慢しつつ(後に訪れる痛風の30%ぐらい)、試合に出続けました。
2001年6月5日 …
あまりに痛みがひかないので医者に。この時は右足太もも裏ほかが紫色に内出血していました。
先生いわく、「肉離れの強いやつで、いわば肉切れですな。筋肉が断裂し、出血しているんですよ。全治1ヵ月だね。」
途方にくれ、勧められた松葉杖も断り、“まるで痛風患者のような”歩き方を余儀なくされました。
2001年6月13日 …
夕刻、「何か左足の人差し指と中指の付け根が痛む。どっかぶつけたかな~、あッ、右足をかばって歩いている影響が出ているのか。」
一人合点し(勿論、勘違い)、そそくさと布団へ。
2001年6月14日 …
運命の朝がやってきました。
午前5時目が覚めました。普段は6時半で十分間に合うのですが…。左足の人差し指と中指の付け根に尋常ではない痛みが………
まともに歩けない。トイレまで10分はかかったでしょうか。(後にHIDEさんのHPで知るが、30分かかった人もいたのは納得)
間違いなく会社に行ける状態ではないようです。とりあえず、上司にメールを送りました。
早朝一人で、この痛みを分析してみました。「どこかにぶつけたわけではない。やはり、肉離れの影響であろう。ウン、間違いない。」
そのころ妻が起きてきました。「どうした~」 「左足が、とんでもない激痛だ」
「あれ~、肉離れは右足じゃなかったけ~」 「どうやらそれをかばって筋を痛めたらしい」
「痛風なんじゃないの~」 「ドキッ (゜o゜) 」
とりあえず、チャリンコはこげそうなので、近所の都立病院に行くことにしました。
症状を書き受け付けの女性に出すと、いともアッサリ 「痛風ですね。整形外科に行ってください。」
医者でもないくせに断定的な言い方をされ少々立腹したものの、結果として、この受付嬢の発言は100%正しいものでした。
待たされること3時間。若い男の医者はろくに見もせず「痛風ですね。念のため検査をしましょう。」
診察時間は1分ぐらいだったでしょうか。
2001年6月16~17日 …
先日の肉離れをしたときの仲間の何人かに会い「どぉ~」と聞かれるたびに、右足太もも裏を見せ、足を引きずる理由を説明しました。
一部の人は「PTAの活動なんだから保険を申請しなさい」と強烈にアドバイスするオバチャン・オジチャンもいましたが、
なんとかいなし、笑ってごまかしました。
2001年6月18日 …
皆さんの体験談だと、アッいう間に痛みがひく方もいたようですが、私の場合、痛み止めを飲んでも、1週間ぐらい、かなりの痛みを伴いました。
まだ、痛みが取れず足を引きずりつつ歩く生活が続いてる私が上司に呼ばれ、「異動」を言い渡されました。7月1日付けの異動です。
「待てよ。このままでは、転勤先の新しい仲間に足を引きずる自分をさらさなければならない。何とか直さなければ。」
まだ検査結果は出ていないものの、痛風を前提に治癒に取り組もうとした私の目に飛び込んできたのがHIDEさんのHPでした。
さっそく、お気に入りに登録しました。
酒三昧、常に腹12分目まで食べる卑しさ、ほとんど運動しない(仕事も内勤の事務職)、
怠け者を地で行くような生活におさらばしようと決心した………のもつかの間、送別会のオンパレード トホホ
2001年6月28日 …
検査の結果が出る日です。死刑宣告。尿酸値は“8.2”でした。先日の若い医者が「ハイッ、痛風です。」
まるでおめでとうとでも言いたげなその医者は、その後も色々言っていましたが、
内容はHIDEさんのHPに書いてあることの復唱でしかありませんでした。
2001年7月2日 …
新しい勤務地で、だいぶ良くなってきた私を待ち受けるはずの節制生活は訪れず、
代わりに、歓迎会が待ち受けていました。また、ジワッとアイツが来ています。
また、変化があれば報告しようと思います。
【コメント】
運動や怪我が呼び水となって、発症することがあるとは聞いていましたが・・・。
本当にお気の毒さまです。しかも、そのタイミングで転勤とは!!。
痛風という病気の特徴は、発症した時点から、それまでの日常であった社会的生活そのものが
自らの健康に「敵対」することにあるのではないかと思います。
そういう意味では、人生観を揺さぶられると同時に、己を見直す好機でもあります。
うまく再発せずに時期を切り抜けられますよう、お祈りしています。
茨城県在住男性 33歳 yoyoさん (2001/6/8)
私、33歳の男性でございます。茨城県つくば市に住んでいます。
このたび痛風持ちの仲間いりとあいなりました。
会社に入社してから、酒を教えこまれかなりの酒豪で通っておりました。
しかし転勤となり酒の量こそ減ったものの家でかかさずビール500mlカン3本は最低飲む毎日。
また肴も出身が北海道なものですから
自分や妻の実家から大量に送らされてくるタラコ・イクラやその他干した魚などを毎日食べてました。
前は運動もそこそこしていたのですが仕事も忙しく
土・日の家庭菜園か子供達を連れて公園にいくのが関の山でした。
前からたまにカカトが痛くなることがあり、これは学生時代バスケットをやっていた後遺症だと思ってました。
2・3日歩くことに気をつけると自然に治ってましたし....。
突然激しい痛みがやってきました。
まぁそのまえから「あれれ?」と思う痛みみたいな、違和感みたいなものはあったのですが。
説明しますと忘れもしない6/2~4までの出来事でした。
6/2土曜、家庭菜園をしておりその日は草むしりと作物の間引きをすることになりました。
さっそくしゃがんで草をブチブチむしりその後作物の間引きをしました。
「あーなんかこのまま捨ててしまうのもったいねぇなぁ...」
間引きしているのは春菊・ニンジン・シソでした。
しばらくすると同じ家庭菜園のベテラン女性がやってきて
「ここにウドの木があるから新芽をつんで天婦羅にでもしたら?
あ、それとズッキーニとサヤインゲンもあまってるからおすそわけ」といってきました。
たしかにウドの木が茂みにあり新芽がかなりありました。
心の中では「今日はウドとシソの天婦羅!それとズッキーニと春菊の肉野菜炒め!
それでビールをグイグイ飲んだら.......ふへへへへ」と心弾ませせっせと新芽を摘んでました。
夢中で採ってた時には気づかなかったのですが車に乗り込む時になぜか左足の裏がハレぼったいような気が...
「まぁいいや早く帰って天婦羅じゃ~♪」と家に帰り、
冷蔵庫を漁りサツマイモ・イカ・エビ・ホタテを追加ネタとして5時前だというのに天婦羅を揚げはじめました。
妻も「今日はパパが食事に後片付けネ♪」といって子供達と一緒にテーブルについていました(笑)
まずウドから揚げて1つつまみ食い...「うめぇ~!!!」ウド独特の味とちょっとしたエグミが絶妙でした。
揚げ物しながらビールは飲めないので天婦羅鍋を2つ用意して急ピッチで揚げていきます。
台所とテーブルをピストン移動している時にズッキ!!と足のカカトが痛くなりました。「グオォォ!」
でも食い意地がはってるのでさらに作業は進めます(笑)
やっと終ってビールを一気に.....「ゥグゥグゥグ.....プファーやめられませんなぁ!!!!!」
子供達も「そうでんなぁ!!!」とジュースを一気飲み(笑)
待たされたこともあり一気に食べました。しかもかなりの量です.....。
一息ついて子供達を風呂に入れようとテーブルから立つとやっぱりカカトが痛い。
「なんかさぁカカト痛いんだけど」「ふーん...太りすぎじゃない?」とあっさり返されました(笑)
まぁ歩けない程ではないので子供達を風呂に入れまたビールを1本飲みその間に子供達を妻が寝かしつけました。
しばらくして「台所の後片付けぇぇぇ」と妻が言いました。
「カカト痛くてたてねぇよ」というと「えぇぇやってよぉ~」と妻がふてくされてるので仕方なくやることにしました。
洗っている時もカカトが痛いのでつま先立ちしながらやりました。
やっと終って(たいした量でないですが^^;)ソファーに腰かけるとカカトはもちろん足の甲や裏がなんかむくんでいるような気がします
「なんか足へんだぁ」「今日変な体勢で草むしりしたんじゃない?」
「あぁ~そういえば車に乗る時も痛かったからそうかもしれない」と根拠もなくそうだと決めつけました。
日曜日、家族で公園に行きました。足のほうは全然なんともありません。
朝から夕方まで遊んでいたので晩御飯を作るのは面倒だということで、焼肉にすることにしました。
カルビ・レバー・ホルモン・タンそして野菜類を買いこみ家へ。
ご飯を炊いて網焼きに火をつけて焼肉の開始!!当然ビールはスタンバってます(笑)
どうせ子供達は最初のほうでお腹いっぱいになるだろうとビールばかり飲んでました。
子供達が食べ終わったらいよいよ私の番です(笑)
やはり子供と妻にはレバーとホルモンは人気がないらしくこれも計算済み(笑)
一人モクモクとTVを見ながら食べます。「幸せだなぁ~」と至福の時を楽しみます。
ですが今日は朝から公園にいて疲れて早々に寝ることにしました..........。
夢を見ました...。足の裏にサバイバルナイフがたくさん刺さってる夢--;
抜きたいが余りの激痛にナイフ自体触れない....。
しばらく考えて足を思いっきり振ってみるが激痛が増すばかりで全然抜けない。もう汗だくになっている。
血がハンパじゃなくこのままだと止血できず死ぬと判断して手に持っているナタで思いっきり足を切断しようとした時に目が覚めた。
「ふぅ~夢か....」と安心しましたが足に激痛が走ってます
「ウォいてぇ・・・・なんでこんなに痛いんだ」と思いながらもまだ夜明けなので我慢して寝る、っていうより声を殺してうずくまてるといったほうが正解。
ちょっとでも足になにか触ると痛いので足を布団から出して転げてました(笑)
みんなが起き、私は妻を呼び寄せました。「足が痛い....ハンパじゃなくて...足を見てくれ」
「えぇ~どうしたの?......えっ?パパ大変!!足が、足がグローブになってる!!!」なにを言ってるのかわかりませんでした。
鏡を2枚もってきてもらい自分の目で確かめます。「うぉ!!なんじゃこりゃ!!!」みると足全体が風船のように膨れています。
足の指まで膨れていて妻がいうようにグローブそのものでした(笑)
「ダメだこりゃ痛風だ.....」突然ひらめき言いました。
「え?マジ?やばいじゃん」「う~んこのままじゃ会社いけないから病院つれてってくれ」と頼み妻の肩を借りて立ち上がろうとした瞬間
今まで体験したことのない激痛が足から頭の先まで駆け巡りました。
そして自分の体重を支えきれず妻と一緒に布団に転げまた足をどこかにぶつけ今度はさっきの数倍の痛みが全身を駆け巡ります(号泣)
四つんばいになりなんとかソファーに座りました。あまりの痛さになかなか行動できません
「パパ早くしないと病院混むから早く支度して!」と妻がいいます。こんな痛みがあるのに普段の行動なんてとれるわけありません
「うるせぇ!!!動けないんだからしょうがねぇじゃんか!!!なんか着替えもってこい!!!」と怒ってしまいました
「なにさ!!!」といいながらも着替えを出してきました。が、持ってきたのはジーパンでした。
「これは絶対穿けないから半ズボンもってこい!!」と着替えましたが恰好は"夏先取り野郎"でした(笑)
やっと着替えいざ病院へと行きたいところですが、ここの住居構造は変わっていて外にでるのは一旦階段を下がっていかなくてはなりません。
普段はなんともなくいつも子供達にさっさと降りろ!!と言ってる自分には試練の道....。
でもここから出ないとどこも行けないので第1歩を踏み出しました。「ぎゃぁぁぁっぁあああ~」
自分でまさかこんな奇声を上げるとは思ってもいませんでした。風が吹くだけで痛いとはよく言ったものです。
妻もどうしていいかわからずちょっと不安顔です。すると「ケンケンしておりたらぁ~♪」と長女があっさり
「なるほど、頭いいねぇ」と手すりを使いながらケンケンで降りていきます。振動で痛いですがさっきの痛みにくらべたら屁でもありません(笑)
なんとかエレベータにのって車に乗車これまでかかった時間は40分、その間に子供達は近くに公園で一遊びしてきたくらいです(笑)
病院について一応外科で診察してもらいました。
みなさんと同じ内容の検査でした。そして結果はやっぱり痛風でした....。尿酸値9.5mg/dl立派なもんです(笑)
医者から尿酸の事は食事、ビールはダメよんという話しを聞きさっそく禁酒と腹八分目してます。
つらいかな?と思ったのですが全然へっちゃらです......。ってウソです
どっかの異常犯罪者でないですが、できることなら昔に戻りた~いってのが本音です。
でも全部”身からでた錆び”と思って諦めます。
まぁこれを食べたら死んじゃうってことでもないですし、ちょっと肥満ぎみで見苦しいのでダイエットのつもりで頑張ろうかなと思います。
現在大発作から3日目ですが痛みはなかなかひかないですね.......。
【コメント】
痛風発症時の夫婦のやりとりというのは、心理学的に面白いところがありますね。
なお、「へっちゃら」と思うのは、悲壮感のエネルギーが保たれているうちです。
時間の経過とともに、凄絶な悲劇がコメディと化してきて、
自分でも緊張感を維持できなくなってしまうんですね、これが・・・(経験者談。笑)
それにしても、ナイフの夢は恐ろしいですね。がんばってお身体ご自愛下さい。