3度目の発作 (2001年1月)


 昨年11月の2回目の痛風発作以来、特に病院に行くこともなく、自然治癒を目指すこととした。本当は、「自然治癒」などあり得ないのだが・・・。元からの医者・薬への不信を土台に、とにもかくにも一旦発作が終息したことに、安心してしまったということだろう。
 2回目の発作の直接原因は不明なので、食べ物については従来と同じ対応に止め、酒の方を改善することにした。これまで食事時のビールは容認していた(←自覚不足!)のだが、いよいよ焼酎水割に切り替えたのである。
 いっそのこと酒を飲むのを止めろという声が聞こえそうである。実際、義母はせめてビールを発泡酒に変えろとしきりに勧める。しかし、物事は科学的に考えなければいけない。尿酸塩の元になるアミノ酸「プリン体」の含有量を単位量あたりでみると、焼酎・ウイスキーといった蒸留酒は、ビールの1000分の1近い数値なのである。カロリーを別にすれば、酒が悪いわけではないのだ
 ・・・と自分の都合いいように力説したところで、当然ながらそんなに甘くはなかった。
 再発は早かった。しかも今度は大噴火級である。


2001年1月16日〜17日

 2回目の発作以来2か月足らず。右足に関する警戒態勢は万全であった。防止ではなく、発症したときの自覚という面の話ではあるが・・・。
 この日の朝起きると、足が痛いことに気付いた。しかし、場所は念頭にある痛風発症の地(?)とはかけ離れている。左足の足首なのである。そして、痛みは気になるけれど、まだ歩けなくなるほどではない。そして、私の思考は初めての発作の時と同じコースを辿ることとなった。寝ているときに、足をタンスの角にぶつけたか、夜中にトイレに行くときに、半分寝ぼけて足を捻ったのだと思ったのだ。
 しかし、仕事に行ってからも痛みはどんどん増してくる。その日の晩は禁酒した。
 翌朝には、いっそう痛みは増していた。もうこうなれば明らかだ。これは痛風である。しかも今度は左足だ。しかし、仕事が忙しくて出勤しない訳にはいかない。精一杯痛みを堪えて仕事に出た。
 そこで気付いたのは、今度の患部である足首、これは考え得るかぎりで最悪の患部であるということである。親指が痛いときには、外側部から、中指と足甲が痛いときには、踵から踏み出すことにより、いくらかでも誤魔化すことができる。しかし、足首というのは、歩く以上どうしても力を加えない訳にはいかない。そして、とうとう私は歩行不能になってしまった
 なんとか帰宅したこの日の夜、私はトイレに行きたくなり目覚めた。痛む足を刺激しないように、右足を支点にして立ち上がる。しかし、そこから一歩も動けないようになってしまった。最初の一歩が踏み出せない。痛いだけではなく、完全に足が萎えてしまっている。暗闇の中で途方に暮れること10分程度(?)、片足立った右足も体重を支えて痺れてきた。
 私は、全くどうしたら良いか分からず、ほとんど涙目になりながら、床を四つん這いになってトイレまで移動した。それだけの振動でも、信じられないぐらい左足は痛んだ。しかし、そんな痛みよりも、立ってトイレにも行けないことが情けなく、また努力して解決しようのない事態に直面して途方に暮れるばかりであった。


2001年1月18日

 ついに会社を半日欠勤。病院に行くことにした。タクシーを呼んで移動する。
 総合病院というのは、本当に待たせるもので、私はこの日、8時半から午後1時までかかった。それでいて診察自体は3分である。それと、念のためのレントゲン撮影と血液検査など、随分と長い距離、遠慮容赦なく歩かされた。ある意味では酷い・・・けれど仕方がない。
 血液検査の結果は出ないので、痛風との断定は出なかった。しかし、「まあ、間違いないでしょう」とのこと。鎮痛消炎薬はくれたが、治療薬は次回の診察の結果になるらしい。
 医者の先生からは、前回(初めての発作)以来、受診していないことと、薬を飲んでいないことについて、ずいぶんと意見された。
 「痛風薬というのは、基本的に一生飲み続けなければいけないんです」。「大丈夫だと放っておくと、内臓に負担がかかることになります。そしたら大変ですよ」ということだ。しかし、1か月ごとに、3分間の診察のために5時間近くつぶされるのはたまらない。
 とはいえ、私もけっこう真剣に医者の指導を聞いているのだ。特に
 「痛風というのは立派な病気であることを十分理解するように」という言葉には、改めて胸をつかれた。
 ここ数日、私はまともに周囲の人の同情を引くことに気がひけて(痛風の症状は、どうしても周囲に隠せないし、同情の目を引かずにはいられない)、「どうしたの?」と聞かれれば、「いやぁ恥ずかしながら痛風なんです」と答えていた。まるで痛風は病気ではなく、「飲み過ぎ」の同義語であるかのような態度であった。
 しかし、それは正しい認識ではない。痛風には、原因物質過剰摂取だけでなく、機能的な尿酸過剰合成や排出障害といった原因がある。必ずしも「飲み過ぎ」とか「贅沢」と同義語ではないのである。自身として、病気に対する真面目な姿勢をとらなければならないと痛感した。

 病院からタクシーで職場へ。職場から自宅への帰りもタクシーである。お金がかかって仕方がない・・・けれども背に腹は代えられない。
 歩くときには、できるだけ足首の関節を使わないように、水平方向の力を加えないように歩かなければならない。これまでの体験で身につけた歩き方(「痛風うんちく・体験編」参照)は、足首に発症したケースでは、残念ながら全く役に立たなかった。
 基本的には踵から踏み出すのだが、その時、踵から膝までを一直線になるように硬直させる。一瞬体重をかける間に、すかさず右足を引きつけて小さく歩幅を継ぐ。右足は常に左足の後ろ。つまり、剣道のすり足状態(左右逆だが)になるのだ。これでも十分痛い。バランスを少しでも崩すとさらに痛い。
 この場合、問題となるのは、左足を突っ張るために、どうしても後傾姿勢になることである。へっぴり腰になるため、足は前に出ず、それを何とか前に押し出すと、バランスを崩して足首に水平方向の力が加わり、激痛が走る。
 結局、左足を突っ張りながら、自分の左腿を左手で鷲掴みにし、それに寄りかかるように上体を前に倒しながら歩くのが一番楽であると分かった。スキー初心者のへっぴり腰ボーゲンといった姿だが、この際かっこ悪いなどと言っていられない。


2001年1月19日

 昨夜から飲み始めた鎮痛消炎薬(インテバンSP)の効果が出て、左足首の痛みが大幅に減退した。歩くときにまだ痛むけれど、足首がよれてしまうことはない。これだけでも、普通に生活できるようになるため、実にありがたい。
 職場でもずいぶん楽であったが、念のために午後半休をとる。帰り際に、右足に少し痺れがあることに気づき、頭をひねる。
 夜になると、有り難いことに、左足はさらに快癒に向かっていた。・・・が、なぜか右足の中指・足甲部(2回目発作の発症部位)が腫れ上がり痛み始めたのである。何故だ!
 あまり聞いたことはないのだが、左右の両足同時に発症したら、どうなってしまうのだろうか。まるっきり動けなくなって、本当に寝たきりになってしまう。恐ろしいことだ。
 幸い、夜になると、左足首の痛みはほぼ消えつつあった。右足だけなら、これまでの経験に基づいて対応できるので、全く歩行不能になってしまうこともない。ホッと安心である。それにしても、鎮痛消炎薬を飲んでも、他部位から症状が新たに発生するというのは、どういうことなのだろうか。


2001年1月20日

 翌朝には、左足首は完全回復したようだ。また、右足の痛みは増しているものの、どうやら引き潮に移りつつある様子だ。
 この日は、土曜日である。数日間、無理な姿勢や動作をしているので、身体の節々が痛くなっている。出勤等で移動しないですむのは、本当に有り難い。じっくりと身体を休めることにした。
 夜になると、有り難いことに、右足はさらに快癒に向かっていた。・・・が、なぜか今度は左足、しかも親指とその付け根が痺れて痛み始めた。これは初めての部位である。何でやねん!!
 こんな調子であっちこっち入れ替わり立ち替わり発症していては堪らない。私の両足は尿酸塩漬けなのか?!
 しかしまあ、確かに堪らないのだが、個々の発症の程度は、次第に軽くなっているのも事実である。ここはもう一息、忍耐をもって頑張ろうと決意する。


2001年1月21日

 朝になると、右足の回復は思ったより遅いが、それでもほとんど微痛に変わっていた。一方、左足はますます痛みが先鋭化してきている。しかし、それほど腫れは強くなく、何となく胸突き八丁の状態といったところだ。日常生活には、もうほとんど支障がない。このまま、病院の再診断と治療薬の処方を待つしかないであろう。


2001年1月22日

 鎮痛消炎薬を飲んで本当に楽になった。少なくとも、慎重に歩くことはできる。しかし、相変わらず痛みは消えそうにない。
 右足は、足裏部に凝ったような痛みがたまっている。また同時に、親指も痺れている。もう何でもありなのだ。左足は、薬を飲んでいるにも関わらず、痛みが増してきている。ここ数日間、色々なバリエーションを体験した今となっては、親指付け根というごくスタンダードな患部であるが、だからといって、痛みがいくらかでも少なくなる訳ではない。
 それどころか、平凡こそ偉大なり。やはり親指スタンダードタイプ(?)の痛風というのは苦痛度が高いことに気がついた。つまり、「靴を履いていると痛くて辛い」のである。
 足首タイプは、「歩けない」「動けない」といった問答無用の症状であるため、涙の中にも静かな諦念というものがある。これに対して、親指タイプは、歩けば歩ける。ただし、「痛い」のである。
 「歩けない」という本質的な状況に対して、「痛い」というのは当面的な感覚に過ぎない。この「なまじ動ける」という中途半端な状況が、人間に様々な苦痛を強いることとなる。特に、真面目な人間ほどそうだ。痛いだけでは仕事も休めず、仮に休んでも、後ろめたくて仕方がない。
 私などは、仕事か身体のどちらかと問われれば、もう100%身体だと答える。そんなの当たり前だという声が聞こえそうだが、本当にリアルにそういうのを考えたことのある人は結構少ない。そして、色々と自分には言い訳をつけつつ、なかなか「当たり前」のようにしないのも事実である。
 働き蜂諸君にとって痛風という病気は、自分の人生で「仕事」とは何なのか、冷静に見つめ直してみるチャンスでもあるといえよう。


2001年1月23日

 今日は、午前中は良かったのだが、昼食を食べて午後になると、左足の痛みが一気に急上昇した。いい加減に収まってくれないだろうか。でも、痛いのが左足である場合、車(オートマチック)が運転できるのは嬉しい。今日は、自分で車を運転して通勤した。歩かなくて良いし、何といっても人に足を踏まれる心配がない。


2001年1月25日

 昨日は、仕事の関係でどうしようもなく、あちこち歩き回ったうえ、酒をかなり口にした。相手の多くが、「なにっ、痛風?何やってんだよ、駄目だよぉ」などと言い、「それで飲めないなんて言えないぞぉ」などと叫んでいた。無知な馬鹿どもめと腹の中で笑いつつ、本当に痛風というのは社会的に認知されていない病気だと、改めて確認した。
 日中は良かった具合も、夜半には、左足甲部の刺すような激痛に変わったため、歩くことができず、新宿から家までタクシーで帰った。痛風のおかげで散財である。
 さて、今日は検査1週間目の診察である。仕事を休んで予約を取って行ったら、30分ばかりで順番が来た。馬鹿馬鹿しい。前は一体何だったのだ。
 血液検査の結果、血中尿酸値は8.9であった。痛風患者の資格(?)はこれで十分に確認された。これでやっと、治療薬が与えられた。アロシトールなる尿酸合成阻害薬である。最初の発作時は、排出促進薬も飲んでいたはずだが、今回は与えられなかった。尿検査もしているので、その結果、産生過剰が原因と特定された(?)ということだろうか。
 私は、医者が細かいことまで説明してくれないので、薬についてはインターネットで調べることにしている。まあ、自由に情報にアクセスできるのは良いことだが、副作用だとか処方上の注意だとか、なまじ分かってしまうと精神衛生上良くないこともある。肝機能障害について注意記載があったが、健診ワーストの私は大丈夫だろうか。
 また、2週間後に、検査・診察の旨を言い渡される。当面、真剣に服薬・通院することを改めて決意する。


2001年1月28日

 やっとのことで、発作的痛みはほぼ無くなった。僅かに、左足甲部と右足親指に痛みの気配を感じるだけである。これからがいよいよ「治療期間」だ。長い長い、自制心との闘いとなるであろう。
 最後に、先日幾つかのホームページを眺めて、痛風について興味深い記事を読んだ。その要点を引用してみたい。

 「全ての痛風患者は、高尿酸血症の患者であるが、高尿酸血症患者のうちのごく一部しか痛風患者ではない」
 なるほど。「痛風」という激痛を伴う発作は、あくまでも外部への表出形態であって、病気そのものではないのだ。「高尿酸血症」こそが、この病気の真の姿なのである。「痛風」が発症しないがゆえに、自覚症状のない「高尿酸血症」が進行している場合も、多々あるという。
 私も、「痛風」とではなく、「高尿酸血症」という病気と闘っていく自覚を持たなければならない。
 
 「高尿酸血症の発病に影響を与える因子としては、食事内容がすぐに思い浮かぶ(患者には美食家が多い)。しかし、実際は食事による影響は意外に少ない。尿酸には、体内での代謝に由来するものと食事に由来するものがあるが、後者の全体に占める割合は10数%程度である。したがって、プリン体を多く含む食物を食べても、尿酸値への影響は比較的少ないであろう。逆に、摂食制限により尿酸値を下げることも難しいのである。」
 別に自分に都合のいい部分だけを、積極的に引用している訳ではない。「全て」ではなくても、「主因」であるのは間違いなく、バランスのとれた食に気を配らなくてはならないことは、肝に銘じている。
 しかし、これからの長い闘病を考えると、「無理なこと」を強いられる治療は長続きしないし、そうすれば結果も全く見込めなくなる、ということを考えないわけにはいかない。
 なにもシーソーのように、反対側に全てを傾けることはない。少し重心を反対側に移動して、より良い位置でバランスをとればいいのだ。すなわち、薬で尿酸値を下げつつ、食生活のバランスを改善する。完全な禁酒をしたり、明日から菜食主義者になったりする必要はない。そういう考え方は、かえって百害あるのではないかと思う。
 私の治療イメージとしては、まず何より、「規則的な食事」と「一度の摂食量の減少」である。これがまず基本でしょう。しかし、前者は職業人には困難な場合もあり、後者は食生活の荒廃につながりやすいという問題もある。
 余談であるが、私は、最近の女性にみられる許しがたい「食=料理への無知・無神経」は、ダイエットの流行等に伴う「食の軽視」と不可分のものであると考える。そんな連中が、お洒落なレストランなどへ行っても、ブタがあてがわれたエサを食べているのと何ら変わることがない。
 したがって、私は、豊かな食生活はどうしても維持したい。ただ、それは必ずしも栄養過多のものを食べることではないから、後は知恵の使いようである。与えられた諸条件に沿って、いかに豊かな食生活を構築するか。それはそれで、楽しい作業だと思えばいけるのではないか。
 酒については、肝機能も悪いので、ある意味良い機会である。原則として、週に1〜2日は禁酒日を設ける。そして、ビールは食事時の最初の1本(350ml缶)に止める。後は、食後にウイスキー水割りを1杯
 時折、家の外である程度飲むことや、家でもたまにウイスキーを1杯追加することは容認する。というか、あまり厳しく規制しても意味がないと思う。本当にそこまでやろうと思ったら、明日から永平寺の修行僧にでもなるしかない。

 ・・・というわけで、いよいよ、この「3度目の発作」欄を閉じるときがきた。今後はのんびりと、「ただいま治療中」欄を書き継いでいくこととしたい。「4度目の発作」欄を掲載することの無いよう、祈っていて下さい。


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