民事訴訟 審議公開願  

(平成13年4月24日 旭川地方裁判所へ提出済み)

今後、私の提訴した本訴訟に関し、通常の「公開」の形で審議して頂きたくお願い申し上げたいので、以下記します。

 去る1999年7月、私は勇気を振り絞り民事訴訟を起こしました。一般市民である私にとり、提訴を決意することだけでも、それは非常に勇気を必要としました。
また、私は、今日迄何とか生き延び訴訟を継続してはおりますが、提訴せざるを得ないところまで追い詰められた体験が、私にとり未だ信じたくない程忌まわしく恐ろしい限りである性暴力であったことにより、その苦痛・心身への負担は到底言葉に表せぬものでおります。
自分が被ってしまった性暴力の被害を公の場に訴えることは、原告である私本人にとり、前述した様な死を思った恐怖の記憶を何度も思い出さざるを得ないことです。
加えて、残念なことに未だ社会に根強く残っている性暴力そのものやその被害者に対する偏見・中傷・誤った認識などを通しても、自分の被害を思い出し、ともすると自分を責めざるを得ない状況にすら置かれがちと感じております。
自分の心身の調子が思う様にならないことに加え、この様な社会状況のなかで裁判を継続する事は、私にとりまして決して簡単なことではございません。
しかし、偏見・中傷などの存在とはまた別に、現在まで周囲の多くの方々が私を温かく支えて下さり、そのお陰で私は今日まで自らの生命を絶たずにいられたばかりか、訴訟も継続することが出来ている次第です。

 現在迄、私のプライバシーを保護して下さるという裁判所のご配慮で、訴訟を非公開に近い形で進めて下さっていることを、私は心より有り難く思っております。
そして同時に、今後の審議過程と私本人への尋問に関しまして、私の希望によりそれらを通常の法廷で行って頂ければと思っております。

 現在までも、私への直接的・間接的な形での偏見・中傷はございます。
とても悲しく、辛い思いで暮らしております。
しかし、涙を流すと同時に、私という人間が被ってしまったこの性暴力に関して、何か人間として恥じるべきところがあるのだろうかという思いも改めて強くしております。
当然ですが、私は決して完璧な人間ではございません。未熟であり、今後も精進を続け生きていきたいと思っております。
そのうえでしかし、私は根本的には皆さんと同様「人間」であります。
被告が扱った様な「モノ」では決してありません。
そして私は、自分が何か人様に顔をお見せ出来ぬ様な事をした覚えはございません。
私は、私という個人の思いとして、私が原告となり提訴した訴訟に関し、自らの記憶と感情を法廷という場で私なりに精一杯述べさせて頂きたいと強く望んでおります。

 性暴力の被害者にとり、その被害は決して一生忘れられぬものです。
私自身も、自分が性暴力を被ったというその事実を、この先一生決して忘れられません。
事件の後、私はずたずたに引き裂かれた心身を抱えながら、どうか刑事事件として取り扱って下さる様にと自らの意思で警察へ出向き、現在も捜査をして頂いてはおります。また、民事訴訟も同様に提訴して今日に至っております。
しかし、仮にどんなに被告が刑事罰を受けたとしても、どんなに損害賠償が認められたとしても、私にとり、被害は永遠に消せないことです。
その事実を、記憶が少しずつ戻ってきている現在、私は認めざるを得ません。
事件そのものは勿論のこと、時間の経過などを認める過程においても、私は苦痛に打ちひしがれるばかりです。
「お願いだから、私を元の『私』に戻して下さい。『私』を返して欲しいのです。」その思いは決して消えません。
私にとりましては、刑事罰やお金では「私」は決して返らず、また、代えられるものでは決してないのです。
これは、捜査を続けて下さっている旭川地検の検事の方にも直接申し上げました。

 しかしそのうえで私は、自分自身の思いを法に問い掛け続けたいという気持ちに何等変わりはございません。
私はこの裁判を、私という人間が回復し生き直す過程の一つとして捉えております。
人権を、私の、「人」として生きる権利を守ることが出来るのは、最後は法しかありません。
誰よりもまず私自身のために、私は可能な限り精一杯訴訟に臨む所存です。

 同時に判例はまた、その過程・結果が私の回復につながるばかりでは無く、社会そのものが未だ持っている性暴力・性犯罪への誤った認識を少しずつ変えていきます。
私は、私にとり理不尽としか言い様の無い被害から今日の生活を含めて、私にとり最後の問い掛けである訴訟という手段を通して、法律が、私という人間の人としての意味をどう判断されるのか、静かにその問い掛けを続けていきたいと思っております。 

 被告は昨秋に既に大学へ復学し、白衣を着て医学生として病棟実習へも参加しており、また、元気にクラブ活動や飲み会などにも出ていると聞いております。
被告にとり、事件は何等苦痛でも何でも無いのでしょう。
そればかりか、何故私が、口止めをしたのに被害を口外したのかと怒りすら感じているのではと私は推測します。
学業や就職をあきらめざるを得なかった私の現状や、事件を境に日常生活が崩壊し自殺を考える日々を送った私の時間、そして、未だ日常生活そのものに支障を来している私の状況など、決して想像も出来ないと思います。
被害を被った人間・辛い思いをした側の人間は、決してその事実を忘れられもしないのにと、私は、性暴力の理不尽さに改めて呆然とします。

 そして辛いですが、私はこの被害のうえで、生き続ける所存です。
訴訟が例え終結しても被害という事実は消えませんが、私はその被害のうえで、被害を認めたうえで生きていきたいし、生きていかねばなりません。
殺されずに生きて帰れた事を誇りに思い、訴訟を、自分が生き続ける力にもしていけたらと思っております。
私にとり、自分の提訴した訴訟を通常の法廷で審議して頂く事は、「私」の生きる力を繰り返し確認する事でもあります。

 以上、昨年12月4日の第8回公判の際、私が申し上げた事・その気持ちを文章に致しました。
どうか、原告である私の意向を今後も考慮されて審議を進めて下さいます様、重ねてここにお願い申し上げます。