『Happy Birthday present』
低くて。
『For you』
甘い、声。
耳に残る、吐息の熱さ。

それは、1月以上も経つ今も鮮やかに身の内に蘇って。
体の奥がじんわりと熱を持つ。
思考が麻痺して、眩暈がする程。

きっと、相手には他愛のない所作なのに。

















Tpaz
















「…11月になっちゃいましたねぇ…」
カレンダーの月を替え、ダイニングテーブルに着きながら呟く。
手にはコーヒー。
テーブルの上にはキィホルダー。
丁寧に作られたそれには、家の鍵が付けられて。眺める度に溜息が出てしまう。
「どうしよう…」
自分の誕生日に思いがけず貰ったそれ。嬉しくて、愛用して、相手の誕生日には必ず何かを返そうと誓って。
なのに。
相手の誕生日は間近なのに。
渡せるものが何もないことに気づいてしまった。
何故なら。
自分の持つ全ての物が、相手に与えられた物だったから。
服も、食器も、生活全て。
今の自分を構成するもの全て、彼に与えてもらったもの。
「…アルバイトくらい、しておけば良かった」
悔やんでみても、もう遅い。何か─────プレゼント─────を買えるだけの金銭を稼ぐ時間は既にない。
「…ご馳走は作って差し上げられますけど、ね」
苦笑する。いくら、どんな豪勢な料理を用意した所で、労力以外の何も、渡せるものはないのだ。
相手は折角、『形』をくれたのに。
そんな事を気にする人ではないこと位、解っている。人に何かを与え、それの見返りを期待したことなど、恐らく一度もないだろう。
そういう、青年。

でも。

だからこそ。

何かを渡したかった。
向こうにとっては自然な成り行きの、極当たり前のような事が、どれだけ自分に優しかったか。どれだけ心を救ってくれたか。
そのお礼と感謝と全てを込めた何かを。
それは、自分だけが渡せるものでなければ意味がないのだ。

「…労力以外にあげられるものと言ったら…────────────自分…?」
呟いて、瞬時に全身が熱を持つ。熱さで耳が痛い程に。
「な、なんて事を…」
確かに、自分だけが渡せるものには違いない。まして、相手が、自分を憎からず思っていてくれるのを知っているからこそ思いついたものではあるが。
だが、そういう自分を浅ましいとすら思ってしまうのにそんな事が出来る筈もなく。真っ赤な顔のままテーブルに突っ伏してしまう。
「やだなぁ…」
呼吸をゆっくり繰り返し、平静さを取り戻そうとする。一人きりでまわっている自分は、さぞ滑稽だろう。
彼を想うとすぐこれだ。
何も、手につかない。思考も麻痺して。信じられない位バカなことを思いついてしまう。
昔はそんなことなかったのに。
怒りで我を忘れた事はたった一度とはいえあった。だが、幸福に塗れたまま平常心を失う事はなかった筈なのに。
「…大違いだ…。────────────あ」
過去の自分を思い出し、苦笑しかけて止まる。今、何かを思い出した。
大切なもの。
過去の自分。
想い出。
脳裏に柔らかな煌きを感じた刹那、慌しく立ち上がり、自室へと駆け込む。仕舞い込んだ筈の、僅かな遺物を探し出す。
「え…と、────あった…」
漸く探し出したそれを両手に握ると、安堵の息を吐いた。




「すげぇごちそう」
小さく口笛を吹き、目を丸くする相手に苦笑する。今日の主役の為の、料理の数々。好物ばかりを集めた品は、昨夜から丁寧に丁寧に作ったもので。
「今日は特別です」
「なんで?」
本気で首を傾げる相手に白々しい溜息。
「だって、貴方の誕生日でしょう?」
「へ」
吐息とともに伝えてみれば、完全に失念していたらしく、料理と自身を何度も指を指して確認する。
「誕生日、おめでとうございます。同い年ですね」
「あ、うん。…アリガト」
告げた科白に戸惑うような返事に心が暖かくなる。他人の誕生日は忘れないのに、自身の事はすっかり忘れてしまう。そういう人柄に、安堵と微笑ましさを感じてしまう。
心が軽くなる瞬間。
「それとあの、プレゼントを用意したんですが…」
言いながら小さな包みを渡す。
「…開けてイイ?」
一瞬目を見開いて、いつもはきつい筈の目元を柔らかくして楽しげに聞いてくる相手に肩を竦めて了承する。
「─────────…何、これ?コハク?」
「いえ、トパーズです」
手の中に転がった小さな欠片を覗き込んで訊いてくるのを軽く否定する。
目に映るのは、茶色がかった、深い色合い。さり気なく品質を表すような光彩。樹脂の石化とは違う、シェリー酒色の宝石。
「…シトリンじゃなくて?」
「はい。インペリアルトパーズと呼ばれる、トパーズの中でも高品質のものだそうです」
よく混同視される黄水晶とは一線を画す風貌。それは、素人目にも良く解った。
「高いんじゃねぇ?」
「…値段は…よく、知らないんです。昔、姉に貰ったものなので」
悪戯っぽい表情を浮かべる相手に微苦笑を返して。
意識が一瞬だけ過去に飛ぶ。最初の幸福の中のワン・シーン。何も知らずに笑っていた頃。その時の品。
「…わり。貰えねぇわ。大事なもんじゃん」
「…大切だからこそ、受け取っていただけませんか?」
予測された真摯な反応に柔らかく、しかし確たる意思を持って告げる。
大事だから、大切だからこそ、渡したいと思ったもの。
「それには、想い出が詰まってるんです。過去の象徴みたいなものなんです。だから、貴方に差し上げたいと思いました。貴方だから。貴方だけに」
現在の自分があるのは確かに、過去の所為。消したくても、忘れたくても、痛くても、厳然と自身の内に存在するもの。棄ててはならないもの。
そして、目の前には現在の自分をありのままに受けてくれた人。
過去を気にせず、現在を見詰め、全てをそのまま受け入れてくれた相手。
だから、渡したかった。
過去を消すのではなく、抱きとめる為に。共にある為の寄る辺として。
「─────────…それって、過去ゴト俺にくれるってコト?」
「…はい」
長い沈黙の後の科白に頷く。言葉が正しく伝わったかは解らない。ただ、口調の軽さに反して、石の欠片を眺める視線は怖い位に真剣で。
「…じゃ、漏れなく魔除けも付いてくるんだ?」
「え?」
向けられた視線に軽く身構える。
「だからさ。碧の魔除けも付いてくるんデショ?て言ったの」
「碧の魔除け…ですか?」
「そ。俺、ず〜っと欲しくてさ。綺麗だし効果有りそうだし?」
「はぁ…」
相手の意図が読み取れなくて曖昧に頷く。刹那、相手が破顔した。
面白そうに、深く。
「なぁ、解ってる?お前サンのこと言ってるんだけど?」
「はぁ…─────────…ええええ?」
見返すと視線が絡む。動けなくなった躯に、ゆっくりと顔が近付く。
「その綺麗なエメラルド、ちょーだい?」
過去だけじゃ物足らない。現在も欲しい。
そう、続けて。目元を掠めるような吐息が降ってくる。
「ダメ?」
その声に、その熱さに抗う術はない。いつだって相手の思うままになってしまう。
だから。
答えも決まっているのだ。


「ご随意に…」




END






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