休息万命


────────…出来悪ぃな…」
 校舎内に与えられた個人の研究室で呟く。目を背けたくなる程に酷い、学生たちの非常に出来の悪いレポートに頭を抱えかける。いくらなんでも、ここまで出来が悪くなくても良いのではないだろうか。
 確かに、自分はまだ講師になって日が浅くて。ベテランの教授・助教授たちに比べたら講義も下手だろうとは思う。
 しかし、だ。担当は宗教学。しかも専門は陰陽道。今、一番人気の科目の筈だと思ったのだが。
「…なんか、お粗末なファンレターか感想文でも読んでる感じがするな…」
 …確かに流行してるんだろうな、とは思う。映画の感想文としては長いし、まとまりも特に悪くない。だが、期末のレポートとは言えない。なんとなれば、積んであるレポートの殆どが安倍晴明(あべのせいめい・平安中期の陰陽師)絡みの内容で、しかも自分なりの人物観…というより妄想大爆発のキャラクター設定のようなものでは彼ならずとも落ち込むだろう。
「…ったく。あの時代に金髪の日本人がいるかよ。茶髪のくせ毛だって殆ど人外扱いだったのに」
 一人で愚痴を零してしまうあたり、随分と疲れているのだろう。大学講師としては若い筈の背中が疲れきっていた。
「…もっとも、安倍晴明本人が読んでるとは思ってないんだろーなー。読み方は違えど、一応表記は一緒なんだが…」
 そう。先刻から落ち込んでいる彼の名は安倍晴明(あべはるあき)。平安期随一と謳われた安倍晴明の子孫にして…本人だったりする。
 日本人にしては色素の薄い髪、くせのある猫っ毛。実家にある肖像画と、自身の記憶とを照らし合わせても、平安時代の容貌と何一つ変わった所はない。強いて言えば、髪が短いことと、陰陽師である事を隠している点だろうか。
 まぁ、表の職業は大学講師だし。
「…朱雀、お茶」
 …人目がないことをいい事に、式神使い放題なのは平安から全く進歩がない所か更に悪化している男である。




"コンコン"
 軽いノック音と共にドアが開けられる。
「…失礼致しますわ、安倍先生」
 涼やかな、しかし非常に不機嫌そうな声に振り返ると、院生の小野紫が立っていた。不出来なレポートの中にあって唯一のまともな内容だった人物だ。
「不機嫌そうだな、姫君は」
 一般的に表情の変わらないと表されている彼女の、あまりの不機嫌さに思わず苦笑が漏れてしまう。
「うるさい」
 ドアを閉め、人目を遮断した瞬間から口調が変わる。二人きり(式神含む)の時には敬語が使われたためしがない。もっとも、彼女も晴明と同じ境遇で、しかも時代的に完全な年上なのでそれも仕方のない事だろう。
「如何した?篁」
 隠す必要のない式神に紫用のお茶を命じてから訪ねる。
「別に────── くしゅんっ」
「風邪か?」
 可愛らしいくしゃみが狭い室内に響く。
「…ちょっとな」
 一度くしゃみをしてしまうと中々止まらないらしい。立て続けにくしゃみをする紫に軽く眉を寄せる。
「何があった?」
「…閻羅王のお供で焦熱地獄と氷結地獄の見回り」
 言いたくなさそうに、それでも答えた内容に納得してしまう。紫の前世であり、また先祖でもある、小野篁(平安初期の官僚)は冥官だった。現代においても、本人である以上、彼女は冥官である。昼間は一般の生活をしているが、夜間は定期的に冥府の閻羅庁へ訪れている。平安当時から閻羅王の覚えもめでたかった「篁」である。閻羅王の供をすることもあるだろう。
「…そら、風邪もひくわ」
 一晩に灼熱と極寒を体験してしまえば、いくら丈夫な者でも風邪くらいひくだろう。
「…辛いか?」
「……少し」
 いつもの毒舌も出せない程にくしゅん、くしゅんと続ける紫が痛々しくなってくる。
──────── ふむ」
 ほんの数秒の思案の後、立ち上がると紫に寄る。顎を掴み、軽く顔を上げさせる。
「休息万命急急如律令」
 間近でぽそ、と呟き、唇を合わせる。
 口移しの呪言。
「…くしゃみ止めだ。少しはマシだろ」
 一時凌ぎに過ぎないから医者に行けと続ける。
「…感謝、しておこう」




ちっとだけコメント。
平成十三年師走 脱稿

…会社のサーバーダウンで予定していた
『Pre―陰陽道事典』が落ちそうなので、大慌てで書いてみました。
…つまり、ただいま仕事納め日の職場です。
では。


…と、言う訳で、サイトにも載せることにしました。
その昔、コマ割りして描いたものの書き直しです。

目次