Hot Chocolate





 寒くなると、甘い物が欲しくなる。

 口癖のようにそう言って、毎冬、アリスは毎日最低1杯はココアを淹れる。
 それも、イニシャルMの付く、天下の二大メーカーの砂糖入りの調整ココアではなく、昔ながらの純ココアを丁寧に。
 それは、火村が知る限り、大学二回生の冬…つまり、出会った年の冬にはしていた、恒例事項。
 たかがココア、とは思うものの、いつだって必死の形相で、でも、どこか嬉しそうにココアを煉るアリスの姿は男のクセにとても可愛い。
 おまけに、温度といい、味といい、見事なまでに火村の舌に合うモノを提供してくれるのだ。
 故に、その恒例行事の裏を知りつつ、特に言葉を発する事は、何年もの間、なかったのである。







 ぱかん。

 二月十四日。世間ではSt.Valentine's dayと呼ばれる日。アリスは、新しいココアの缶を開けた。
 これは、長年の親友にも言っていない、恒例行事。
 たとえ、前に開けた缶の中身が残っていたとしても、この日には新しい缶を開けると決めている。折りしも、本日水曜日。カレンダー通りの連休に、本人の休日、休暇まで加算して(そろそろ春休みの時期だが、この助教授は休講大量生産に因るツケがある)、女子学生達のチョコ攻撃(本人曰く『賄賂』)から首尾よく大阪まで逃げてきた助教授を横目に、鼻歌交じりにミルクパンを出す。
 基本的に料理をしない(出来ない)アリスが、唯一使い込んでいるホウロウのミルクパン。
 ココアと砂糖を適量。それをほんの少しの熱湯で丁寧に溶き、牛乳をゆっくりゆっくり加えて伸ばしていく。そして、ココアと一線を画す為に、刻んだチョコレートを適宜。本当は、チョコとミルクだけで作りたいのだが、味に変化がありすぎると困るので、隠し味程度に。
 ココアに関しては、完璧にマスターしたくて、大学生時代は知り合いの喫茶店でアルバイトまでしたのだ。他の料理全般は親友に惨敗しても、これだけは自信をもって出せる代物である。
「ほら」
「あぁ。Thank you」
 差し出したマグをネイティブ顔負けの発音で受け取ると、躊躇せず、自然な仕草で口に持っていく。火村は、アリスに手渡されたモノに限り、温度を確かめずに口を付ける。それが、最上の信頼に思えて、少し気分が良くなる。
 そのまま、喉仏が上下に動くのを見届けるまで、アリスの動きは止まる。
 そうして、確実にココアが喉を通り食道に到達したと確認すると、アリスは心の中で快哉を叫ぶのだ。


 誰にも…本人にすら言えないことだけれど。


 火村が受け取る義理チョコは、ばあちゃんのだけ(強いていえば、朝井さんやアリスの母のを受け取る時もあるけれど)。


 そして。


 本人が意識しないまでも、本命チョコは自分のだけ、受け取ってくれるのだから。




 本人は勿論知らないし、一生、知らせるつもりもない事だけれど。
 毎年毎年、二月十四日、アリスは本命チョコのつもりで、ココアを淹れるのである。この、今日のたった1杯の為に、一冬丸々使うのだ。『ココアが大好きで、冬には毎日飲む』という習慣まで装って。いつかは途切れてしまうかもしれない、たった一瞬の為に。
 今年もまた、例年通り、火村は当日に飲んでくれた。
 これに満足しないでどうするというのだろう。
「どうや?」
「あぁ…。美味い。本当にお前、コレだけは淹れるの上手いよな」
「当たり前や。毎日飲んどるし。なんたって、ココアは身体に良いしな。あったまるし。それにな…」
 これも毎回の応酬。くすくす笑う相手に、照れ隠し半分、ココアの薀蓄を垂れる。いい加減、火村だって耳タコだろうし、非常に記憶力の良い助教授は、アリスの口から出るココアの雑学はしっかり憶えてしまっているだろう。なのに、毎回毎回…同じ事を繰り返すのである。
「はいはい。有栖川センセイの御高説は何度も拝聴しました」
「…」
 手を振って話を切る相手にちょっと口を尖らせる。今回のこれは、いつもと違う。それでも、確かに同じ事の繰り返しなので大人しく黙る。
「あのな、アリス」
「ん?」
 空のマグを返されて咄嗟に受け取る。綺麗に飲み干されたそれに、この上ない幸福感がある。
「…いつものココアは明日からまた飲ませて貰うから」
 笑いが止まらない、という風情の相手に首を傾げる。…先刻の言葉と違って、今日のはあまりお気に召さなかったのだろうか?それとも、今日はコーヒーの方が良いのだろうか?
 半分硬直したまま、じっと見詰める事数秒。
 いつも以上に人の悪い笑みを浮かべた火村が、低くて艶のあるバリトンを、アリスが初めて聴く声色で、甘く甘く響かせた。


















「今日は、これと同じ味の、ホットチョコレートをもう一杯」


END

しゅうかさんに捧ぐ!
約束通り書いたぞ!
出来はともかく、初火アリだぞ!
どうかお願い。受け取って♪

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