さやさやという葉擦れの音が耳に心地好かった。 「…平和というものが動乱と紙一重とは、良く言ったものだ」 幼少の頃は、世の中が平和すぎて「戦争」というものが無縁のものだと思っていた。しかし、歳を重ねるにつれてその平和が「尊ぶべき存在」である事を知った。 「…でなければ、俺は此処にはいない」 好きで士官学校に入った訳ではない。他人と違い、「やるべき事」が見つからなかっただけで放り込まれたに近かった。しかし、事の他居心地が良くなるとも思わなかったのも事実だった。 「空が高いな…」 遠くで生徒達による模擬戦の音を聞きながら、ただぼんやりとしていた。 「……スケ」 「キョウスケ・ナンブ」 声に驚いて目を覚ました。自分とした事が不覚にも、転寝をしてしまっていた。 見ると、最近やたら馴れ馴れしくなったクラスでも嫌われ者のあいつだった。 「…何か、用か?」 身体を起しながら不機嫌さを隠さずに言う。しかし、等の本人はいつもの事と気にも留めていない様子だった。 「お前と一緒で『おさぼり』しにきた」 「俺はサボっている訳じゃない」 月の選択科目のカリキュラムを殆ど終了させてしまい、やる事がないだけだった。 「あ、ほらっ、あそこに居る。エクセレン・ブロウニングだ」 指差す方を眺めやると、模擬戦を終えた金髪の少女がPTから降りて来るのが伺えた。 「…そうか」 さほど興味を持つ相手ではない。女の事を見るくらいならPTの操作マニュアルを見ていた方がましである。 「お前さあ、いい加減覚えろよ。エクセレンの顔ぐらい」 「…顔は覚えたが?」 毎回毎回言われ続ければ、遠巻きにでも顔を覚えてしまうだろう。 「やっぱすっげぇ、美人だよな。あんな美人とペアを組んで模擬戦やってみたいよな。そうだろ?キョウスケ?」 「俺は、興味がない」 「まあそう言うなよ。一手交えたいとは思わないか?」 「思わん」 にべもなく言う。 「第一、PTは一人乗りだ。ペアを組んだ所で相手と連携が取れなければ意味が無い」 「…お前、まさかそっちの…」 反論するのも面倒くさくなった。 「嘘々、冗談だって。でも、美人だよなぁ。卒業したらやっぱ、第一戦に行くのかなぁ」 「PTに搭乗しているんだ。本人はそのつもりだろう」 授業としてある程度の実戦訓練は課程とされていた。しかし、実戦に程近い模擬戦は、将来PT搭乗志願をした者だけが行うものだった。 「あー!!PTだっ!!しかも見たことも無い機体!軍の開発用の試作機じゃないかあれ?」 突然、大声を上げて立ち上がる。 ゲシュペンストシリーズとは明らかに異なった機体が、演習場に降り立つ。 「ああ、そうらしいな」 流石に女よりもそちらの方が興味深い。 「どうしたんだろう。軍の試作機なんかがこんな所に…」 「さあな。だが、何らかの目的がなければ来ないだろう」 「まあ、そうだけどよぉ。でも、1機だけならまだしも、2機だぜ2機」 「……………」 眼を凝らしてじっと見つめる先、パイロットが降りて来て誰かと話をしているのが判った。 「…あれは、イルム?」 「知り合いか?」 知り合いといえば知り合いである。しかし、幼少の頃に親同士が知り合いでたまに遊んだという程度で、交流が断絶して久しく、現在、彼とは殆ど会話もしていなかった。 「…何の用なんだ?」 軍の試作機といえども、最高機密である。それを彼は一体何のために士官学校に持ち込んだのだろう。 「どうみても、ゲシュペンストじゃないよな」 あいつと言えば、フェンスに噛り付きながらはしゃいでいた。 と、こちらに向かって歩いてくる人影があった。 「よお、キョウスケ。俺と模擬戦、もとい実戦訓練やらねぇ?」 いきなりの申し出である。 「…少尉、何年か振りに逢っていきなりそれですか?」 流石にキョウスケも腰を下ろしている訳にはいかなかった。フェンスの側に歩み寄る。 「いやぁ、今そこで教官に聞いたら、接近戦で1.2を争うのは全校の生徒の中でお前らだけだって聞いたんでさ。ちょっとデータを収集に付き合ってくんないかな?」 遠まわしではなく単刀直入なのは物事を理解するには都合が良かった。 「付き合ってって…、許可を得てるんですか?」 「もらってるぞぉ。それも、ここに降りる許可だってきっちりもらってから降りたからな」 「どうだか…」 「人聞き悪い事言うなよ。正当的にもらったぞ」 「データ収集って事はこっちも試作機に乗れるって事?」 その反応に、にやりと笑う。 「そう。だから、俺につきあってくんない?俺は付き合ってもらんなら、女性なら年齢問わずなんだがこういう事させらんねぇし」 「あなたって人は…」 溜息が出る。プレイボーイもここまできたら立派だ。しかし、真意は女性相手に本気は出せないという所なのだろう。 「…判りました。俺が相手になります」 「だ、大丈夫かよキョウスケ。相手は、俺達より実戦を積んでいるんだぞ?」 イルムに聞こえない様に小声で言う。 「お前が相手をした所で、恐らく数分も持たない。それでは、データ収集にもならん。それに…分の悪い賭けは、嫌いじゃないからな」 偶然を装うのは何時ものこと。最初から、彼は俺とやる為に来ているのだろうから。 「んじゃ決まりだな。手加減なしで頼むぜ、キョウスケ」 「こちらこそ、お手柔らかに。少尉」 「…これが、前進。これが…メインパネルの切替スイッチで…。ここをこうすると、背後モニターに切替るのか」 基本的な操作方法はゲシュペンストと変わらない。だが、この武器が気になる。 「少尉、この機体は一体何を装備しているのですか?」 「ああ、それな。キャノン砲だ」 「キャノン?」 「そうだ。正式名称は『ブラックホールキャノン』といって、長距離攻撃用なんだが、まだ威力が判らないんだわこれが」 「…なるほど。だから、ここに来たという訳ですか」 「な?」 「公の場所では、試作機を出す事はできない。かといって、威力を試さずにの大量生産は、軍からの許可が下りない。それならば、政府が完全管理の全寮制の士官学校で試すのが一番。そうなんじゃないですか少尉?」 子供のクセに、こちらの手の内が完全に読まれている。イルムは肩を竦めて見せた。 「キョウスケ、お前鋭いな。当たりだ。…で、この場に及んで模擬戦を中止するか?」 「…射程が結構あるみたいだな。…だが、初期段階ではエネルギーが足らないのか…」 「……聞いちゃいねぇ。…んじゃあ、こっちから仕掛けるぜ!ロシュ・セイバー!!」 言うなり、攻撃を仕掛ける。 「!!」 ブースターを吹かして左に避ける。間一髪の所で交わす事が出来た。 イルムも思わず舌打ちをしてしまう。 「運動性はかなり高いみたいだな…。少尉、この機体の正式名称は何て言うんですか?」 間合いを取りながら問いかける。 「改良されて実戦投入されれば、ヒュッケバイン006とヒュッケバイン007になる」 「ヒュッケバインか」 どうりで、ゲシュペンストシリーズにはない長距離攻撃用の武器が主流になっている訳だ。 「少尉、お願いがあるのですが宜しいですか?」 次の攻撃に移ろうとした瞬間に問いかけられ、戸惑う。 「あ?どうしたキョウスケ。実戦訓練はまだ始まったばかりだぜ?」 「自分は、この機体ではなくゲシュペンストを使用したいのですが…」 「べ、別に構わねぇけど。要は、戦闘データが取れりゃ問題ないから」 キョウスケの言葉を疑問に思うのも無理は無かった。普通ならば眼に触れる事の無い軍の試作機に搭乗しているのである。にも関わらず、それから降りて何時でも乗れるであろうゲシュペンストを使いたい等と言っているのだから。 「少尉は、近距離戦を得意としている自分達に声を掛けていらっしゃった。…という事は、同機体に乗っていては良いデータは得られないと思います。ですから、自分は通常で使用している機体で行います。宜しいですよね?」 「キョウスケがそうしたいって言うのなら、それで構わないが…」 ヒュッケバインからさっさと降りると、そのまま格納庫にあるゲシュペンストに乗り込んだ。 「模擬弾しか積んでいないが…まあ、何とかなるだろう」 起動させながら、残弾のチェックをする。 「少尉、データが取れれば問題無いんですよね?」 「ああ。より実戦に近いデータを御所望だからな」 ゲシュペンストとはいえ模擬戦用、つまりは士官学校仕様である。制御されている部分も多い。それをいかに動かして対等な戦闘を行うか。キョウスケの腕に掛かっているのである。 「要は相手に、キャノン砲を使わせない様にすれば良い!!」 加速をかけて距離を縮めつつ、M950マシンガンを撃つ。 「お前、射撃下手だなキョウスケ。避けられてちゃ意味ないだろう」 交わされるのは判っている。自分が射撃が苦手な事も把握している。反撃のリープ・スラッシャーをぎりぎりの場所で交わしながら、次の攻撃を考える。 「…スピリット・ミサイルは、意味が無い。だが…!!」 相手の懐に飛び込んで一撃を与える囮には丁度良い。 「甘いな、キョウスケ。懐に飛び込もうって魂胆だろう?そう簡単には、懐に入れさせてはやらん」 バルカン砲のシャワーが襲い掛かる。相手も手の内を読んでいる。そうだろう。近距離戦を得意とする人間を相手にする為にわざわざ来たのだから。 「多少もらった所で…致命傷にはならん!」 避け切れなかったものが機体に当たる。だが、まだ戦える。 ゲシュペンストが一瞬の隙をついて、懐に飛び込む。 「とった!!」 「させるか!!」 両者の剣と拳が合わさり、互いに食い込む。 が、キョウスケの拳の方が数秒早かった。ヒュッケバインのコックピットに程近い部分がジェット・マグナムによって大きく破損していた。しかし、ゲシュペンストも無傷ではなかった。ロシュ・セイバーが左腕に突き刺さっている。 「相撃ち…かな?」 この俺が正直圧されていたとはな…と小声で呟きながら各計器のチェックを行う。 「ですね、少尉」 張り詰めていた緊張の糸をゆっくりと解くように深く息を吐いた。 「良い腕してるぞキョウスケ。これから先が楽しみだ」 「あー、俺だ。どうだ?良いデータ取れたか?」 『ばっちりです、少尉。でも、士官学校の建造物一部破壊させた事はどう報告しましょう?』 言われて周囲を眺めやる。なるほど、確かに演習場内の宿舎の一部が崩落していた。 「…ゲシュペンストの腕は、修理すりゃ直るだろうけどなぁ」 こちらの始末書をどう書くかが問題である。 「模擬戦につい熱が入っちまって気がついたら…っていうんじゃ駄目か?」 模擬戦で実弾使用したのは自分の機体であるが…。 『無理ですね。それは以前使ってしまいましたから』 「イングラムには俺から説明するわ」 『そうして下さい、少尉』 力なく言うイルムの言葉に間髪入れない返事が返ってきたのは、言うまでも無い。 「有能な部下をもって、俺は幸せだねぇ」 言いながら、がっくりと肩を落とした。 ぼんやりと、イルムが乗ってきたPT・ヒュッケバインと呼ばれる機体が大型トレーラーに積み込まれるのをキョウスケは眺めていた。 「キョウスケ、ありがとな。お陰でよいデータが取れたよ」 こっぴどく叱られた様子のイルムが頭を掻きながら、参ったという表情をそのままに近付いてきた。 「いえ。自分も良い経験させて頂きました。ありがとうございました」 キョウスケは、普段誰にも見せないはにかんだ表情で深々と頭を下げる。 「お前とは、何時か一緒にチームを組んで戦いたい。絶対、連邦軍に入れよキョウスケ」 「それは…」 言いかけた言葉を遮る様に整備服姿の青年が走ってくる。 「少尉、ヒュッケバインの積み込み完了しました!後、1時間程で本艦が到着するとの事です」 「そうか、わかった。すぐ行く」 「本艦?出撃するんですか?」 一瞬、記憶が逆行する感覚を覚える。何時も無感情の鉄仮面とは思えない程の感情がそのまま表情となって現れていた。その表情を見て、イルムは口元を歪めた。 「…そんな顔すんなよ。そりゃあ、俺だって軍人だからな。まあ、心配すんな。俺は死んだりしないから」 「…別に、そんなつもりで言ったんじゃ…」 「お前なァ…」 益々表情をくぐもらせるキョウスケの頭をポンポンポン…と軽く数回撫でてた後、何を思ったのかイルムは何を思ったか口端を歪め にやりと笑うと、おもむろに口付けた。 「また、逢おうぜキョウスケ!」 一瞬の出来事だった。我に返り事の次第を理解した瞬間、怒りと動揺のまま振り上げられたキョウスケの拳をすんなり交わして走り出す。 「女性しか相手にすんのは嫌だが、お前だったらOKだぞキョウスケ」 「お…俺は、嫌です!!」 「ごっちそーさん」 笑いながら砂埃を巻き上げて近付いてくるトレーラーにあっさり飛び乗ると、そのまま走り去ってしまった。 悪戯な運命の歯車は、ゆっくりと音を立てて動き出す。 歯車は形を変え、ゆっくりとゆっくりと動き出す… |