起動前のビルトラプターの操縦席は、まだ真新しい匂いがしていた。 「よう、準備はいいか?キョウスケ」 耳に装着しているレシーバーから、相変わらずな拍子の声が聞こえてきた。 「…いつでも構いません」 言いながら、起動スイッチをONにする。眠っていたシステムが一斉に目を覚ます。 「よし。データはこっちで取っておいてやる」 ポンポン…と、何か軽く叩く音が聞こえてきた。 「よろしくお願いします、イルムガルト中尉」 まっすぐ正面を見据え、操縦桿を両手で感触を確かめながら強く握り締める。 「ビルトラプターは初の可変型パーソナルトルーパーだ。くれぐれも無茶するなよ。 レイカー司令の留守中に事故でも起こしたら、後で面倒なことになるからな」 そう、今はレイカー司令は留守。だからこそ、ハンス中佐は俺にこの仕事をやらせたかったのだろう。 目的はどうであれ、逆らう事はできない。 「了解です」 最後に残った頭上のスイッチを右から順番にパチン…と、前に弾いた。 「では、始めろ。…好きにやってかまわん。どうせペイント弾だ」 左側の回線からハンス中佐の声が聞こえてきた。 「…了解」 「…機体バランスが取りにくい…。月の人間の重力感覚が俺達とは違うせいか…?」 この手の機体は扱い慣れてはいた。だが、微妙にぶれてくるのだ。 「どうもなじまんが…仕方がない。やってみるか…!」 ターゲットに標準を合わせ、トリガーを弾く。刹那、ドローンの弾が機体を掠めて後方に飛んで行く。 「ペイント弾…!?いや、ちがう。今のは…実弾か…!」 過去に一度だけ受けた身に覚えのある振動、実弾が掠めていく振動。 「ハンス中佐!こちらキョウスケ・ナンブ曹長です。ハンス中佐…!」 こちらの機体にはペイント弾しか積んでいない。もし、まともに受けてしまえば間違いなく大破してしまう。 「ハンス中佐!!」 必死に呼びかけるが管制塔からの応答がない。 応答が無いが、この場で試作機のテストを独断で中止する訳にも行かなかった。 「………中佐!…ローンに……弾が装填さ………て、俺は……いてま……よ!」 耳に付けたレシーバーからは、電波障害でか僅かなイルムの声しか聞こえてこない。 「…くっ、どういうことだ?…どうあれ、切り抜けなければならんということか…!」 必死にドローンを交わしながら、最悪墜落しても助かるであろう海の方へと向かう。 「…駄目だ…。ここままでは…!」 「キョウスケ曹長、なかなかの腕前だな。次は…緊急時変形テストをしてもらおうか」 突然回線が復活する。 「何だって!?あんた、どういうつもりなんだ!?今の状態で変形なんかしたら…!」 レシーバーからのイルムの声も鮮明に戻っていた。 「中佐、説明して下さい!何故、ドローンに実弾が…!」 「いいからテストを行え。それとも、怖いのか?あ?キョウスケ・ナンブ曹長…」 どうやら…はめられたらしいな、直感的にそう思う。もう、後には戻れない。 「…了解。ラプターの緊急時変形を試します」 運を天に任せるしかないということか…、そう独りごちりながら機体を旋回させる。 「やめろ、キョウスケ!戻って来い!!」 レシーバーから悲痛な声が響く。 「…分の悪い、賭けだな」 左手で操縦桿を握り機体を安定させながら、右手で脇にあるキーパネルを弾く。 「…くっ、ままよ…!」 最後のキーを弾き、オンパネルを叩いた。刹那、 「な、変形…しきらない…ッ!」 足元から小さな軋む音が響き、やがて大きく操縦席が揺れる。 「ぐ、うおおっ!」 ジョイント部分が次々と爆発を起す。急いで、操縦席の上部に着いている緊急脱出装置を曳く。 しかし、爆発で使用不可能になったのか、元から使用できない状態だったのか、どちらにしても全く反応がなかった。 「…脱出も、出来ないと言う訳か…」 笑いが込上げてきた。しかし、笑っている暇などない。 操縦席と自分の身体とを繋ぎ止めているシートベルトを外し、着ているジャケットの黒いベストから1本の糸を抜き取る。瞬間、ゆっくりとベストの部分がライフジャケットの様に膨らみ始める。 「…生きていたら、俺の勝ちだな…ハンス!!」 薄ら笑みを浮かべながら、ジャケットのジップを引き上げる。 操縦不能となったビルトラプターがゆっくりと堕ちて行く。 「海中に沈む瞬間、蹴破る…!」 どんなに使用不可能になっても、ここだけは人の力で開けられるように設定されているのがマオ社の良い部分だった。薄く開いた隙間から眼下に広がる海が確認できた。 「……ふっ……」 海水にビルトラプターの破損したジョイント部分が触れた瞬間、爆発した。 「キョウスケッ!!」 目の前で大爆発を起し、海中へと消えてゆくビルトラプターの残骸の中にイルムは双眼鏡でキョウスケの姿を必死に探す。 「嘘だろ…キョウスケッ!!!」 「イルム中尉、すぐに機体を回収し、月に送り返せ」 動揺しているイルムとは対照的にハンスの冷淡な声が響く。 「何?!」 「いいか、今回の件はマオ社の責任だ。そのことをリンに…貴様のかつてのパートナーに伝えておけ」 「あ、あんたは…!」 握りこぶしを作り、振り上げようとした瞬間、オペレーターの一人が叫ぶ。 「何だ?指示が聞こえなかったのか?ビルトラプターを回収して…」 「パイロットの生存を確認しました!!」 「な…何だと!?あの爆発でか!?」 驚愕の表情をそのままに海の方を睨み付けた。 「キョウスケ!応答しろ、キョウスケ!!」 微かに聞こえる声にゆっくりと瞳を開ける。 「う…うう…」 黒い煙と、鼻をつく匂い、そして、水面。 「どうやら…無事…らしい。う…アバラは何本か…持っていかれてるか…」 お陰で水面に浮いているだけで何も出来そうにない。 「また…生き残ったらしい。…やれやれ…」 どうやら、賭けに勝ってしまったようだ。救助用のボートが近付いてくる音を聞きながら再びゆっくりと瞳を閉じた。 眠れない。キズが痛んでいるわけではない。なのに、眠れない。 「…また、生き残ってしまったか」 シャトルの事故から奇跡的に助かってこのかた、軍をたらい回しにされている。 嫌な思いをするのなら、いっそ死んだ方がましだった。 だが、生き残ってしまう…。 「…悪運もここまできたら、な…」 クッ…ククク…、笑いがみ上げてくる。 「…どうやっても、賭けに勝ってしまうんだな」 自宅謹慎を命じられている手前、官舎から外へは一歩たりとも出られない。 「…空気が、吸いたい…」 ぽつりと呟いてゆっくりと起き上がる。 「…っつ…」 肋骨を庇いながらドアをそっと開ける。 静かにドアを閉めて、ゆっくりと廊下を歩いていく。 「…流石に…今回のは、辛いな」 廊下の角まで来て、流石に身体の苦痛を感じて立ち止まる。 窓から空を眺めやると、この時期には珍しい朧月が浮かび上がっていた。 「…綺麗だ、な」 窓を開けて外の空気を吸い込む。 「…寒い、な」 思い切り吸い込みたい外の空気も、肋骨が軋む為ゆっくりしか吸い込めなかった。 「…でも、気持ちが良い…」 夜風は身体に悪いから、当たってはいけない。しかし、その冷たい風も冷め切った心には心地好く、そのまま瞳を閉じた。 「お、おいキョウスケ!!」 声に気付いて顔を上げる。 「なにやってんだ、お前!?」 慌てて駆け寄る。 「…イルム…中尉」 消え入りそうな声で呟く。 「おまえ、そんな身体で黙って部屋抜け出すなんて…」 声を荒げる。どうやら、官舎中探し回っていた様だ。 「…こんなのは、キズのうちにはいら…」 ない、と言いかけた言葉はイルムの手に一瞬にしてかき消される。 「…お前は、怪我人だ。それも、大破したビルトから奇跡的に生き残った…な」 にやりと笑う。 「…なんで、生き残ってしまうんだろう、な」 ぽつりと呟く。 「…おい」 「…どうして、俺だけが生き残ってしまう…」 イルムの腕を解きもせずそのまま言葉を続ける。 「…慰めてやろうか?以前みたいに…」 突然の言葉に思わず目を見開く。その表情の変化も見逃さない。イルムは、おもむろにキョウスケの首筋に唇を寄せる。 「…必要、ない」 左手でぐいっ…と、押し戻しながら言う。 「そうか?俺には、お前が俺に慰めて欲しい様に見えるが…」 その左手を取り、掌に口付けながら上目遣いに見つめる。 「…違う」 一瞬、顔を歪めるキョウスケにほくそえみながら、掌をぺろりと舐める。 「違わないだろう…」 左腕に残る昔の古傷に唇を這わせる。 「…いい。それだけは、要らない」 左腕を引き離して言う。 「…それだけは、要ら…ない」 言いながら、数歩後ずさる。 「…なら、泣いて見せろ。」 有無を言わさずその身体を引き寄せる。 「…イルム…中尉」 引き寄せて、思い切り抱き竦める。 「泣いて見せろ」 抑えつけた耳元に囁く。 「…それも…」 できないと首を振る。 「どうして?」 首筋に息がかかる。息がかかる度に、キョウスケの身体がぴくりと動いた。 「…イルム中尉には、リン社長がいる。それに、そんな気は…ない」 この期に及んでかつての恋人の名を耳にするとは思っていなかったイルムは苦笑する。 「リン…か。確かに、以前は恋人だった。たが、絶縁されているからな…」 「…らしく、ない台詞」 ふぅ…と、溜息をついた。 「そんな事をいって…泣きそうな面で、独りで眠るよりは、ましじゃねぇのか?」 おもむろに、耳たぶに歯を立てる。 「キズを舐め合わねばならぬほど…弱くない」 苦悶した表情を浮かべるが、吐息混じり、吐き捨てる様に言う。 「そんなキズなら、このまま…腐り果てればいい…」 「キョウスケ…おまえ」 「俺は、そこまで…弱くない」 イルムから身体を強引に離し、窓枠に身体を凭れ掛けさせて、大きく息を吐いた。 「誰かに縋らなければならないほど…弱くは、ない」 まっすぐな曇のない瞳で言う。 「…お前は、強いな。キョウスケ」 イルムが男でありながら、キョウスケに惚れる理由はこの強さであった。 傷ついても尚、その瞳の光が決して薄れる事はない。 何者にも征服されない強さを秘めた眼差し。 「…強くなんて…ない」 「俺は、そういうお前に惚れてんだよ」 「…そんな気には、なれない…」 瞳を閉じたまま、頭をふる。 「…判ったよ…」 冷え切った身体を温める為に、部屋に戻る様促す様に窓を閉めて身体を抱く。 「…冷てぇな、おまえは」 意味ありげに笑いながら、イルムはキョウスケを自室に引き入れた。 「…なあ、キョウスケ。お前は覚えてるか?シャトルの事故で生き残ったもう一人の奇跡の生還者」 コーヒーを飲みながら、ぽつりと呟く。 「…あ…」 もぞっ…と、動く。 「動くなって…!ったく、傷に触るだろう。折角温まったって言うのに、また冷えちまうだろうが」 ぶつぶつ言いながら ギュギュッ…と、毛布を押し、再び椅子に座り足を組みながらカップに口をつける。 「…エクセレン・ブロウニング。あいつ、お前が今度赴任するラングレー基地にいるらしいぜ」 「…ふ、にん?ラングレェ…?」 呂律が回らなくなってきている。鎮痛剤が効き始めているのだろう。 「運命ってあるんだな」 空になったカップをデスクに置いてにやりと笑う。 「…イルム…?」 その笑みに危惧した表情を浮かべるキョウスケの頭を宥める様に数回撫でながら、 「俺は、お前と離れたかないが、お前のためにも良いかもしれんしな。お前のキズが落ち着き次第、昇進の転属だ」 名残惜しげに呟いた。 「…排除…ですか…」 「んー、まあ形容的にはな。だが、上層部のじーさん連中は、お前を買っているって事を忘れんなよ」 「…かいかぶり…しすぎてる…」 キョウスケの率直過ぎる意見に苦笑する。 「買い被りなもんか。俺だって賛同したんだから。おまえは無くすには惜しい人材だって事だ」 「…ばか…な」 しかし、言いかけのとろとろとした言葉は、やがて寝息に変わる。 「…本当、お前と離れるのは俺にとっちゃ、辛いんだぜキョウスケ…」 静かに安定した寝息を立てるキョウスケにそっと口付けて、らしくないな、と呟きながら 「…おやすみ、キョウスケ」 毛布に丸まると、デスクの側の電気を消した。 |