「あーちゃー!」 とてとてとてとて。 幼く弾んだ声が八景宮の穏やかな静寂を破り、それと共に小さな影が伯陽の部屋に転がり込んでくる。どうも足音の割に進むのが遅いような気がするのは気の所為だろうか。 「白?廊下は滑り易いから走っちゃいけない、て言ったよね?」 自然、こぼれてしまう笑みを微妙に押さえながら応じると、初めて我に返ったのか恥らうように淡く顔を染めて立ち竦んでしまう。その仕草に笑みを深め、傍に来るよう手招きする。 「何かあったの?お昼寝はしなくていいの?」 いつもなら寝室にいる筈の時間。その所為か白麗はかなりの薄着だった。そんな格好で立たせたまま、風邪でもひかせたら大変である。申し訳なさそうに、でなければ反省しているようにも見える上目遣いに内心吹き出しそうになりながらも目の前の幼子を抱き上げ、懐辺りにしまってしまう。 「怒ってないから教えて?」 バツが悪い、といった表情を浮かべる白麗を安心させる為に背中を優しく擦りながら問う。 「…あのね。あーちゃ、あれなぁに?」 微かに目を輝かせ、嬉しそうに庭の方を指差す白麗の頭を撫でながら立ち上がり、庭に面した扉を開ける。 いくらなんでも実際に見てみない事には質問に答えようがない。 「…冷えると思ったら…」 外を眺めて嘆息する。 確かに、今朝は一段と冷え込んでいた。朝方も、寒さに強いくせに寒がりな白麗にどう暖を取らせるか悩んでいた位なのだ。 「…ねぇ、なあに?しろいの、おちちきちうよ」 生まれて初めて見る物に興味が沸いているのだろう。伯陽の襟を引っ張りながら再度問うてくる。 空から舞い落ちる白い結晶。 厚い雲に覆われた薄暗い空間に突如として現れたような印象さえ持たせるモノ。 「あーちゃ?」 空を見上げたまま、なかなか返事をくれない伯陽に痺れを切らしたのだろうか。困りきった顔で伯陽を見詰めている。 「あぁ。ごめんね。あれはね、雪だよ」 不安そうに自分を見詰める白麗の頭を撫で、庭が見えるように抱き直す。 「うき?」 「そう、雪。冬の寒い時にね、雨の代わりに空から降ってくるんだよ」 幼い子供でも解るように説明する。…まぁ、別に現象だけ見せて名前を教えても構わないのだが、それではこの幼い娘は満足しないだろうから。 「あめ?」 「そう。雨が寒くて結晶化したものだよ」 不思議そうに小首を傾げる白麗に苦笑する。どうやら納得できなかったらしい。 「ちなうよ?」 「違うねぇ。…後でお外行ってみる?」 「おんも?おんもいいの?」 外に出てみるか、という伯陽の言葉に目を丸くする。…雨の日は絶対に室外に出してもらえないのに。 「いいよ。その代わり、着替えて暖かい格好してからだけどね」 「はぁい。…あんねぇ、白ね、うきすきー」 無邪気に笑う白麗につられて伯陽も笑う。 「そっか。…そうだね、あーちゃも雪は好きだよ」 「あーちゃー!」 ぱたぱたぱたぱた。 軽快な足音を立てて白麗が伯陽に抱きつく。 「白?何かあった?お前が走るなんて珍しい…」 「雪!雪が降ってきてるの!」 「…雪?道理で寒いと思ったら…」 嬉しそうな表情の白麗に苦笑する。幼い頃と変わらない、邪気のない笑顔につい、伯陽も笑みを浮かべてしまう。 「後でお外行きましょ?」 「…なら暖かい格好しなきゃね?」 「はぁい」 黄帝演武外伝 ─ 雪化粧 ─ 平成十四年師走二十七日脱稿 |