夜半から降り続いた雪は、一面を銀世界へと変える。一向に止む気配もなく降り続く雪は、世界 から音を消し、生命の息吹すらその白さの中に覆い隠そうとする。目に入るもの全てに、音がなく 色がない。 完璧な静寂。 冷たく、静かで、それでいてどこか儚げで。その美しさに目と心を奪われる。 「───────…」 外廊の柱に寄りかかり、暫く雪を眺めていた北斗星君は、つと、室内に戻り、東の果ての島国か ら手に入れた酒を持って戻ってくる。 庭に面した部屋の扉を開け放し、縁に背をもたれて座ると、手酌を始めた。 目に映る光景に何を思うのか。口元には人を喰ったような笑み。独酌がこれ程似合う者もいない だろう。緩やかに盃を重ねていった。 「雪見で手酌とは…良い趣味してるね」 一体どれだけ時間が過ぎたのだろうか。手元の酒がだいぶ減ったところで背後から声をかけられ る。その穏やかで澄んだ声に口だけで密やかに笑うと、振り向きもせず相手を呼んだ。 「月華」 「…それは幼名。今は伯陽」 諦めたような声は、決して呼称を訂正されないと知ってのことだろう。そのまま、合わされない視 線を気にする事もなく、北斗のすぐ後ろまで来ると、立ったまま同じように外を見つめているようだ った。 振り向かずとも判る、麗人。恐らく切なげな表情を浮かべているだろう相手は、太上老君と尊称さ れる、世界の重鎮。誰よりも尊ぶべき、貴い者。この世の誰より美しく、儚げに見えるクセに、誰よ りも怜悧で強い者。未だ幼名で呼ばれていた頃から、否、初めて会った時から、北斗を魅きつけてや まない存在。 もっとも、本人にそんな自覚は全くないのだろうが。 「何しに来た?」 「雪を見に…」 常なら絶対に訪ねて来ない相手に問う。もし本人が来ようとしても、大抵は周囲に止められている 筈である。それがここに来ているという事は、わざわざ誰にも気取られない方法を取って来たという 事。どうせ明確な解答は得られないと思いつつ、その理由に興味が湧く。 「わざわざこんなところまで、か?」 「…ここと上清境の雪が一番綺麗だからね」 「上清…あぁ、霊宝の所か」 相手の言葉に、上清境の主を思い浮かべる。太上を守るべく存在しているような、長身の猛き武神。 太上に寄る自分に、噛み付くように闘気を向けてきた。 なんとも解り易い、感情。 今はまだ、自分の方が強い。だが、いずれは近くなる。それすらも娯楽のうち。 「あそこで雪を見てると、扶桑が怒るんだ。風邪をひく…、てね」 だからここまで来たんだよ…と続け、楽しげに笑う。その声に、心配されるのがまた楽しいのだろ うと簡単に想像がつく。 「…で?」 「たまにはゆっくり見たくてね」 「そうか」 言いながら初めて後ろを向く。僅かに視線を上げると、下を向いた相手と目が合う。 「───────…飲むか?」 持っていた杯を掲げるとやんわりと首を横に振られる。 「───────…雪、見ないの?」 「雪下独酌にも飽いた」 「…酌ごうか?」 吐息と共に微かに笑うと、隣に座り、なんとも優美な動きで北斗の杯を満たす。無意識に出される 艶やかな視線。口元に灯る、艶冶な微笑。それを見遣る北斗に不敵な笑みが浮かぶ。 「…何?北斗」 自身を見つめる視線に気付いたのか、訝しげに首を傾げて見せる。それすらも遠回しな誘いに見え る。 「…いや。雪月花を一時に愛でられるとは、随分な幸運だと思ってな」 「雪月花?今は雪だけだろう?この天気じゃ夜になっても月は出ないし、ましてや六花以外の花もな いし」 外を見渡し、不思議そうに見返す顔に笑う。 「…月は、花は、お前だろう?月華」 言いながら腕を伸ばし、引き寄せる。抵抗もなくそれは膝に落ちる。別の場所で会うよりも微妙に 華奢なその躯が、自分の望みを表している。 白い雪、白い月、白い花。その化身の如き華。決して手に入らないからこそ、余計に欲してしまう もの。魅入られれば逃れられないもの。 汚し、壊したくなる衝動にかられるものの、それが叶う事はない。 「──────…これじゃ、雪が見えないんだけど」 「…雪見は終わりだ。そろそろ見物料を貰おうか」 「…ちょっと、高いな」 眉を寄せ、不愉快そうな表情になる。それでも躯を起こさないのは、諦めているからだろうか。 「それだけの価値があったろう」 「────────────…」 一瞬、凍てつくような色で睨んだものの、その後の反論はなかった。 人の気配の消えた外界に、雪は未だ降り続いている。 |